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DEAD LINE~悪魔の刻限~  作者: 深井陽介
第一章 長く長い誘拐の軌跡
19/47

その19 一本の矢

 <19>


 数分前の事である。キキは一人ロビーに残り、倒された男の手元から拳銃を取り上げ、解体して無効化しようと試みていた。

 そこに、紀伊刑事が駆けつけてきた。

「あ、キキちゃん! 大丈夫? さっき銃声がしたけど……」

「大丈夫ですよ。ちなみに銃はこれです」

 キキは平然として拳銃を紀伊刑事に見せた。

「ちょっと、不用意に触らないでよ。暴発でもしたら危険でしょ」

「ええ。ですから今、どうやって弾倉を取り出すのか調べているんですよ。もちろん、銃口はわたしに向けていませんし、引き金にも指は入れていません」

「そういう問題じゃないと思うけど……」

「あ、外れた」

 トカレフからマガジンは無事に外された。キキはマガジンをどこかへ放り投げる。天井や古看板に当たったのち、マガジンは近くの排水管に吸い込まれた。紀伊刑事は呆れながらその様子を見ていた。

「何なの、これ……とにかく、その銃は私が預かるから」

「ああ、そうですね。お願いします」

「まったく……」

 中国経由で輸出されるトカレフの場合、本国ロシアで生産されたものに自動セーフティが追加されることが多い。しかしそれでも暴発の危険性が除去されたわけではないので、誰ひとりとしてこのような真似はしないようにしよう。

「ところで、紀伊刑事一人だけですか?」

「友永さんは木嶋さんへの連絡に必死。様子を見てきて、報告してほしいって言われたから、私ひとりで来たのよ」

「この調子だともうしばらくかかりそうですね」

 すると、足元で何かが不意に(うごめ)いた。

 次の瞬間、キキの頬が切りつけられた。キキは反射的によけようとして転がるも、何とか体勢を整えた。わずかに付いた傷口から血が滲んだ。

 何があったのか。倒れていた男がおもむろに起き上がり、隠し持っていたナイフで襲いかかったのだ。股間から受けたダメージはすでに和らいだらしい。両腕をだらんと垂らし、充血した目でキキを睨みつける。その鬼のような表情からは、堪え難いほどの怒りが放出されているように思えた。

 キキはすくみ上がった。さっきとは違う。この男の狂気に火をつけたのだ。

「このガキ……この俺を虚仮(こけ)にしやがって……ぶっ殺してやらぁ!」

 理性をかなぐり捨てた男は、まとわりつくようにキキに襲いかかった。

 逃げ惑い悲鳴を上げるキキ。男が振り回すナイフの刃先が、幾度となくキキの背中をかすめる。抵抗の余地がもたらされる気配はなかった。

 足がもつれたキキはバランスを崩し、壁に倒れ込んだ。すかさず男はキキの喉元を左手で押さえつけた。キキはその左手を外そうともがくが、強烈な握力で締めつけられ、窒息しそうになっていて、思うように抵抗できない。

 男の目は爛々(らんらん)と血走り、紙屑の如く歪んだその顔は、あたかも人外魔境の使者のようであった。突き出された口から雄叫びのような声が発せられた。

「死ねぇっ!」

 右手で振りかざされたナイフの刃先は、真っすぐにキキへと振り下ろされる……。

 その寸前、ナイフを持つ右手が掴まれた。

「……刑事の前で『殺す』とか『死ね』とか、あんたもいい度胸ね」

 紀伊刑事が、これまでに見せなかった憤怒の表情を覗かせた。

「殺人未遂の現行犯。これより、制圧する」

 右手を掴む手は、親指が下に来る逆手になっていた。紀伊刑事は体の向きを百八十度変えると同時に、男の手首を掴む右の腕をひねり、右足で地面を踏みしめると、瞬時にして背負い投げで男を叩きのめした。

 わずか三秒の決着だった。キキは呆然としながら、両手をはたく紀伊刑事と、顔面と胸板と膝に打撃を受けて再起不能となった男を見つめた。警察署に配属される刑事は、武道や射撃に秀でている事が望ましいとされているが、これほどとは……。

「大丈夫?」紀伊刑事が手を差し伸べてきた。

「あ、はい……」

 そう答えて手を取った後、キキはハッと気づき、紀伊刑事を突き飛ばした。

「危ない!」

 キキがそう叫ぶと同時に、銃声が轟いた。弾道はキキの背中の真上を通り抜けた。間一髪で難を逃れた。紀伊刑事は戸惑っていた。

「な、何なのよ、一体?」

「気をつけて!」

 キキが視線を向けた先、奥の部屋へと通じる廊下から、銃を持った六人の男がぞろぞろと姿を現した。真っすぐに向かってきたのはそのうちの五人だ。

 キキと紀伊刑事は体を密着させて立ち上がる。構える紀伊刑事に、キキが告げる。

「紀伊刑事。後ろの茂みの向こうにも、もう一人います」

「えっ?」紀伊刑事は振り向こうとして思い留まった。

「さっきこの人が携帯で、警察の主導で身代金の調達が行われたという報告をしていました。身代金の調達が行われたのはついさっき。つまり彼らとは別に、もう一人警察の動きを見張っていた監視役がいたんです。時間的に考えても、今ここに戻って来ていてもおかしくありません」

「ちっ、厄介ね……」

「しかもさっき、一人が地下への階段に向かいました。あの先には、みかんを助けに行ったもっちゃん達がいます」

「冗談じゃないわよ。相手は銃を持っているっていうのに……」

「それくらいは、もっちゃんにとっては赤子の手をひねるようなものですよ。多分、三十秒で片をつけます。でもその間は、もっちゃんのアシストは期待できません」

「何なのよ、あなたの友人は……」

「紀伊刑事は後ろにいる人に注意を向けてください。背中を合わせればとりあえず死角を作れます」

 紀伊刑事は無言で指示通りにした。相手が中学生である事は気にしていない。

「それで? ここからどうするのよ」

「じっと相手を見るんです。そうしてなるべく、撃つ隙を見せないようにして、時間を稼ぐんです。今はとにかく、もっちゃん達の助けを待つしかありません」

「……んー、その呼び名がどうしても緊張感を()ぐわね」

 その呼び名を使っている本人は、緊張感で息が止まりそうだった。今はとにかく、親友が早く戻ってくる事を祈るのみだ。息をのみながら、キキはキュロットスカートのポケットに仕込んだ『あれ』の手触りを確かめていた。


 同じ頃、地下室に近づいてくる足音に気づいたわたしは、急いで倉庫の中を見回して、武器になりそうなものを探した。ロッカーの中から刺股(さすまた)を見つけ、それを構えて敵の来襲を待つ。

 あさひはみかんを抱え込み、積まれた段ボール箱の陰に隠れて様子を見守っていた。みかんが思うように動けない以上、一人は側で支えていなければならない。

 やがて、わずかに開けられた状態の扉が押されて動き、拳銃を握った一人の男が姿を現した。刺股を構えて睨み返すわたしを見て、小馬鹿にしたように笑う。

「へえ、こりゃ勇ましいお嬢さんだ。やりがいがあるぜ」

 この男の脳内で『やりがいがある』がどう変換されるのか、薄気味悪くて想像もしたくなかった。男は品のない笑いを浮かべながら銃を向けた。種類は分からないが、上にいた男が持っていたものと同じ種類である事は、薄暗い室内でも確認できた。

 ……いや、普通は確認できない。わたしの場合、単純に夜目が利くのだ。

 わたしはじっくりと、相手に視線と注意を集中させた。寸前で狙いを、わたしからあさひとみかんに変えるなら、その兆候として眼球にわずかな動きが見て取れるはずだ。銃口の向きに注目しても普通には分からない。しかし、虹彩に揺らぎは見て取れず、瞳孔の開き具合も変化しなかった。

 つまり、今こいつはわたし一人を狙っている。この連中は、計画が頓挫しそうだと分かったから、籠城戦に踏み切ろうとしているのだ。わたしが交戦の姿勢を見せているから、まずはわたしを撃とうとしているのだろう。

 眼球への注意を怠ることのないように、今度は引き金にかかる指先の動きにも視線を送る。そして、グリップを握る手の動き、特に親指の付け根に集中する。拳銃は撃った時の反動が意外に強烈だ。引き金を引く時、グリップはわずかに強く握るはず。

「んじゃ、早速死んでもらうよ」

 男はニヤリと笑った。奴との距離は三メートル強といったところか。撃たれた瞬間によけようとしてもまず無理だ。目から入った情報を基に脳が指令を出して体が動くまで、どれだけ反射神経が優れていてもコンマ一秒の差が生じる。拳銃の弾の速さを考えれば、あまりに遅すぎるくらいだ。だが、発砲する兆候を正確に捉えることができれば……。

 来た。引き金の人差し指と親指の付け根にわずかな変化を見た。

 わたしは、弾丸が発射されるとぴったり同時に体をわずかに右に逸らし、左のこめかみからわずか一センチ離れた弾道をすり抜けた。

 すかさず構えた刺股を男に向けたまま素早く突進する。肩を揺らさず、体を少し前かがみにして、慣性のままに突き進む。弾丸をかわされた事に動揺して、一瞬動きを止めてしまった男は、わたしの反撃に一切対応できなかった。

 わたしの握る刺股の、先端のU字金具の付け根は、男の喉元に激突して食い込んだ。

「がはっ……!」

 誤嚥(ごえん)した物を吐き出すような声を上げ、男は後方に吹っ飛んだ。一瞬だけ男の体は宙に舞い、そして背中から床に叩きつけられた。

 その一部始終を、あさひとみかんは瞠目しながら見ていた。

「ふう」一仕事終えた気分で息を吐いた。

「もみじ……」あさひが頬を引きつらせて言った。「すごい攻撃だったね。それに……よく弾をよけられたね」

「そんなの、眼球と指先の筋肉の動きを見れば、一秒以内に予測できるし」

「できるか、んなもん。あんたぐらいだ」

「まあ、これも日々の剣道で鍛えられた観察眼のなせる業かな」

「んなわけあるか」

 そりゃあ誰でも出来る事だとは思ってないけれど、やはりわたしは戦闘場面になって初めて頭がフル回転するらしい。自分でも驚くくらい、拳銃に正確に対処できた。

「それより早く上に戻ろう。この様子だと、キキも銃を向けられているかもしれない」

「そうね。みかん、つかまって」

 あさひはみかんを背負って立ち上がった。が、わたしほどの力はあさひにない。

「うっ、重い……」

「ごめんなさい……」みかんは泣くような声で言った。

「いや、大丈夫……みかんのために頑張るから」

 一つ年上の女の子を背負って、両脚を生まれたての小鹿みたいに震わせるあさひは、見ていてあまりに痛々しい。結局わたしが耐え切れずに、代わりにみかんを背負った。

 喉を突かれた男は泡を吹いていた。こんな反応をする事が本当にあるのか。しばらく目を覚まさないと判断して放置した。

 階段を登りきる寸前で、顔だけを出してロビーの様子を窺った。キキと、銃声を聞いて駆けつけた紀伊刑事が、銃を持った男たちに囲まれている。紀伊刑事が背中を向けているということは、外の茂みあたりにでも仲間が潜んでいるのだろう。いつになっても撃たないのは、キキがじっと見返し続けることで隙が見えなくなっているためだ。

 状況は呑み込めた。この場合、キキは『あれ』を持っているのだから、全員の注意がキキから逸れれば勝機が見出せる。そのためには……

「わたしが出るしかないよな、やっぱ」

 キキが気づいてこっちを見たら、連中がこちらに狙いを変える恐れがあるので、聞こえないように小声で言った。

「さっきみたいに上手くいくとは限らないよ?」と、あさひ。

「そうだね。でも、黙って見ているだけってわけにはいかないよ。キキだって、わたしが助けに来るのを待っているはず」

「下手に出て行けば、もみじまで巻き添えになるのよ?」

「だから何?」

 あさひが心配するのは至極当然だ。あの場に銃は少なくとも六丁ある。わずかでも隙を見せれば確実に血を見ることになるだろう。あさひもみかんも、わたしが傷つく所など見たくないはずだ。

 だが、それはわたしだって同じだ。

「友達が死んでしまう所を黙って見ていられるほど、わたしの神経は都合よくできていないよ。あさひとみかんがなんて言おうと、わたしは絶対に加勢するから」

「もみじ……」あさひが思いつめた表情を浮かべる。「分かった。そこまで言うなら、あんたに賭けるよ。こっちは任せておいて」

「うん、頼んだよ」

 あさひが何をするつもりか分からないが、任せてみようと思った。

 向こうは膠着(こうちゃく)状態が続いている。どっちに転ぶかはわたし次第だ。迷いを振り払い、全身に力を入れる。集中力を研ぎ澄まし、一気に勝負へ出る。

 カウントダウン。三、二、一!

 わたしは勢いをつけて飛び出した。

 銃を持った連中が、突如起きた予想外の事態に戸惑う中、キキだけは、待っていたと言わんばかりに破顔する。同じ事を考えていたと分かり、自信が湧いた。

 すでに二人の間で決めていたのだろう。わたしがキキの元へ駆け寄ると同時に、紀伊刑事は上着を脱いで丸めながら、外の茂みに向かって真っすぐに走り出した。

 わたしはキキの前に立ち、連中に向かって叫んだ。

「撃ってみろクズ野郎!」

 同じタイミングで、紀伊刑事は走りながら、茂みの向こうで銃を構える男に向かって、丸めた上着を投げつけた。当然だが、しっかりと丸めていない衣服は、勢いよく投げれば簡単にほどけて広がってしまう。結果、相手の視界をほとんど塞いでしまうのだ。

 男は上着に向かって発砲するが、選んだ銃器がまずかった。発射速度の速いライフルだったのだ。散弾と違って弾丸は簡単に貫通して、上着の動きはほぼ止まらない。おまけに次の弾を装填する時間がかかるため、上着は結局男の顔面に被さった。

 そして、上着を取り払って前を見た時、紀伊刑事の姿はなかった……いや、ジャンプして頭上に来ていたのだ。銃を構え直す余裕もなく、男は紀伊刑事に取り押さえられた。そしてあっさりと後ろ手に手錠をかけられた。

「確保!」即座に紀伊刑事は振り向く。「キキちゃん……!」

 その時、わたしは襲いかかってくる弾丸をよけ続けていた。

 わたしが一瞬も止まらず、縦横無尽に不規則に動き続けるせいで、連中は狙いを定められないらしい。こっちからよけなくても、向こうが外してくれる。中にはまぐれで当たりそうな弾丸もあったが、こちらは手持ちの刺股で跳ね返した。もっとも、銃弾の運動エネルギーは馬鹿にならなくて、刺股はかなりのダメージを受けている。これでガードできる回数はあまり残されていない。

 そろそろ動くか。わたしは拾ったコンクリート片を斜め上に放り投げた。わたしを狙うことに気を取られていた連中は、反射的にそれを目で追ってしまった。

 それが命取りとなった。すでに連中の視界から逃れていたキキが、一人を相手におもちゃの銃から小さな赤い弾を発射した。それも、目元をめがけて。

 これは、美衣が昨日キキに渡していた、水鉄砲を改造したものだった。中身は刺激物を混入したペイント弾。当然だが、こんなものを目に浴びて無事でいられるわけはない。

「ああっ、だあっ!」

 ペイント弾の攻撃を受けた一人は、両手で目を押さえようとして銃を手放した。その様子に唖然としていた他の連中も、次々とペイント弾の餌食となった。キキは以前から射撃の腕前が良かった事もあって、ほとんど外さずに当てられた。

 そして仕上げに、水鉄砲に備え付けられていたキセノンライトも照射した。これで、わずかに目を開けていた人達も、虹彩を刺激されて目を閉じる。ペイントを眼球全体に広げることとなった。これでもう攻撃は不可能となった。

 しかし、危険を察知した残り一人が、人質を取るために地下への階段に向かった。

「あっ……!」

 キキは思わず悲痛の表情を浮かべる。しかし、心配はいらなかった。

 地下ではあさひが、倉庫の扉から階上を見ていた。敵の一人が来た所で顔を引っ込めたのを見て、彼は迷わず階段を降りていく。

 けれどもそれは罠だった。途中のステップに、畳んだ段ボールを三枚ほど重ねて置いていたので、男はそこで足を滑らせたのだ。バランスを崩した男は階段を転げ落ちた。優に二十段以上あるステップに体中を打ちつけられながら、男は最下段に到達した。

 なおもうずくまって唸っている男の鳩尾(みぞおち)をめがけて、あさひはかかとで踏みつけた。

「ぐほっ」

 意味不明な声を上げて、男は失神した。みかんは唖然とした。

「あさひ……何もそこまで……」

「いいえ。このくらいは当然」あさひは髪を掻き上げる。「みかんが受けた仕打ちと比べれば、かすり傷も同然だから」

 その仕草を見て、みかんは何かを悟った。柔らかく微笑み、あさひに背中から抱きついた。あさひは少し戸惑った。

「ありがと……あさひ」

 耳元で受けたその言葉に、微かに頬を紅潮させるあさひであった。

「あ、サイレン……」

 それはまるで、試合終了を告げるホイッスルのようにも思えた。

 わたしは少し文句を言いたいくらいだ。

「やっと来たのか。遅いわよ」

「六時三十分少し前……」紀伊刑事が腕時計を見る。「当初の予定まで三十分以上も残っている。むしろ早い方じゃないかな」

 これがキキの助けなしに実現すれば称賛に値するのだろうが、言わなければ本当に犯人たちの計画通りになったかもしれないのだ。キキの予測は完全に的を射ていた。犯人たちの思惑に逆らって動いた結果、全ての目論見が破綻したのだ。

 まあ、警察がキキを称賛するとは、どうしても思えないのだけど。


 救急隊は友永刑事の通報で駆けつけたそうだ。上司の許可なく身代金の受け渡し場所に出向くことなどできないが、救急通報をするだけなら自由だ。友永刑事はキキの推理に一定の信憑性があると判断し、そして実際に異常事態が発生したと知ったため、通報に踏み切ったのだという。普段は抜けているように見えて、やる時はやるものだ。

 担架に載せられて救急車に運ばれるみかんのそばで、吉本刑事の車で駆けつけた柑二郎はしきりに謝っていた。みかんも少しは事情を知っていると思われるが、何一つ責める素振りを見せなかった。血縁はないものの、父親への信頼は揺らがないようだ。

「くそっ、勝手に動き回りやがって……」

 完全に先を越されてしまった木嶋は、悔しさを露わにしていた。邪魔をするだけだと思っていた中学生が犯人の計画を看破したうえ、被害者の救出と犯人の確保にも全幅の貢献をしたわけだから、捜査指揮担当としての立場がないのだ。

「まあ、結果的に早期解決と相成ったのは素直に喜ぶべきでは?」

 その点、従うだけの立場だった福島刑事は楽観的だった。

「俺に重大な落ち度があったと暗に指摘されているみたいで腹立つんだよ」

 実際、この人には決定的な落ち度があったけれど。それで部下に八つ当たりするのだからまるで手に負えない。

「で? 被疑者は全員確保したのか?」

「紀伊さんや子供たちが捕まえた四人は、全員車に乗せて連行しましたが、どうやら他に五人ほどいたみたいで……」

「全部で九人か。どうしたらこんなに集まるんだ? それで、その五人は?」

「この混乱に乗じて逃げました」

 木嶋の前に立つ紀伊刑事が平然と告げた。

「なん、だと……?」頬を引きつらせる木嶋。

「すみません。気絶させたわけではなく、あくまで抵抗できないようにしただけなので。それに、確保した四人のうち、二人がまだ抵抗の意思を示していたので、取り押さえるのに必死で他の被疑者は確保しきれませんでした」

「何やってんだ、お前は!」

 この様子をわたしはじっと見ていたけど、やっぱり我慢できなくなって、木嶋の足を踏みつけた。部下はおおっぴらにこんな事などできないので、憂さ晴らしを代行したのだ。恩に着せるつもりはないけれど。

 片足を押さえて苦悶の表情を浮かべながら飛び跳ねる木嶋を無視して、わたしは紀伊刑事に話しかけた。

「それにしても、紀伊刑事があそこまで動けるとは思いませんでした。キキを殺そうとした奴も、背負い投げで瞬殺だったそうですね」

「警察学校では、巨漢を倒せるレベルまでみっちり鍛えられるからね」

 うわあ、スパルタだ。学校の柔道とは次元が違うな。

「そういえば」友永刑事が言う。「紀伊くんは警察学校での武術と射撃の成績がトップクラスだと聞いたよ。強面(こわもて)の教官を青ざめさせたこともあるとか……」

「やめてくださいよ、そんなのはもう忘れたいくらいの事ですし……」

 今度はあからさまに赤面して照れる紀伊刑事。この態度の豹変ぶりを見て何も気づかないとすれば、相当な鈍感だろう。誰の事かは明らかなので言わないが。

 前途多難だろうな。刑事の職務上、進展は望めそうにない。そしてわたしも応援するつもりは一切ない。

「おい、さっさとお前は引致と弁解録取に取り掛かれ」

「はーい」

 木嶋に命令されて、面倒くさそうに引き下がる紀伊刑事。肩を落としながらパトカーに向かって行った。

「おい、福島。お前はガキ共を家まで送ってやれ」

「それはいいですけど……僕、さっきから使い走りしかしていない気がします」

「ぐずぐずすんな、さっさとやれ」

「はい……」

 本当に独裁状態なのだな、この係は。福島刑事がわたし達三人に帰宅を促す。

「さあ、みんな。今日の所はこれで……」

「木嶋さん」キキが振り向いて言った。「名誉挽回したければ、逃げた犯人も全員捕まえるべきですよ」

「お前に言われなくても分かっている。明日になったらお前たちからも、逃げた連中の顔や背格好などを聞いて……」

「そんなことしなくても、今夜中にケリはつきますよ。まあ、無難な所であそこの裏山でも、さくっと探してみてはいかがです?」

 キキはマンションの裏手にある雑木林を指差した。

「多分、簡単に見つかりますよ。では健闘を祈ります」

 さっと手を振って、キキは歩き出した。もう自分の出番は終わったと言わんばかりに。木嶋は呆然として立ち尽くした。

 わたしとあさひは先にパトカーの前に来て、キキの到着を待っていた。キキはこっちに向かって歩いてきたけど、途中で柑二郎に呼び止められた。みかんはすでに救急車で最寄りの病院に搬送されたようだ。

「みかんに付き添ってあげないのですか?」

「後でちゃんと病院に行くよ。その前に……私はこれから、しばらく治療に専念しなければならない。君とも会う機会はもうないかもしれないから、最後に一つ、聞いておきたい事があるんだ」

「何ですか?」

「……君は一体、何者なんだ?」

 キキは少しだけ目を見開いた。その質問が来ることを、予想しなかったのだろうか。

 あさひを先に車に乗せて、わたしはキキの様子を遠巻きに見ていた。

 ……キキはふっと笑う。

「わたしは、何者でもありませんよ。ただの中学生です」

 謙遜する所まではわたしの予想通り。キキはこういう奴なのだ。

「それにこれは、わたし一人でやった事じゃありません。色んな、頼りになる友達がいてくれたからこそです。わたしは……一人じゃ何もできない、弱い一本の矢ですから」

 その言葉を聞いた瞬間、わたしの心臓が一度だけドクンと跳ねた。

 昨日、わたしがキキを諭すために語った話を、キキは今も胸に抱いていたのだ。キキは……自分一人じゃ何もできないから、わたしやみんなを頼りにしていた。その気持ちを的確に表現する言葉を、キキは見つけていて、それは確かにキキの中に刻まれている。

 ……なるほど、背中がこそばゆくなるわけだ。キキがこちらに来る前に、わたしはパトカーの後部座席に乗り込んだ。

 後から入って来たキキに、わたしは何気ないふうに聞いた。

「ねえ、柑二郎さんと何話してたの?」

「ん? 内緒」

「えー、ここに来て何も話さないの?」

 本当は聞いていた。でも、キキがそれを知ったら、何か変わってしまう気がしたのだ。変わることは当然あるのだけど、今はとりあえずこのままでいたい。親友が隣にいる事が当たり前になっている、そんな日々がずっと続くといい。

 わたし達を乗せた車が発進する。いずれは消えてしまう儚い望みを引き連れて、時間が再び動き出す。でも、そんな予感など、今は抱くはずもなかった。

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