表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
DEAD LINE~悪魔の刻限~  作者: 深井陽介
第一章 長く長い誘拐の軌跡
15/47

その15 誘拐の真相PART.1

 <15>


 星奴署を出た後、わたし達は次にみかんの家へ向かった。キキいわく、そろそろケリをつけないと危ない頃合いに来ているという。

 キキがどんな考えを持っているのか、わたしにはまるで分からない。しかし、キキの行く所について行けば、知るべき重要な事実に辿り着けると信じている。すでに闇の中へ足を踏み入れた事は自覚していた。今さらどんな真実を前にしても引くつもりはない。

 ……そうした覚悟は持っていたのに。

「追い出されました」

 堂々と正面からみかんの屋敷の中に入ろうとして、キキは玄関を張っていた捜査員に首根っこを掴まれて、門前払いを食らった。

「うーん、そろそろいけるかと思ったんだけどな」

 何をどう判断していけると思ったのか、わたしにはまるで分からない。キキの閃きスイッチはどこで入るか予想がつかない上に、スイッチの切れるタイミングが早すぎる。

「そもそも、今日もみかんのお父さんは仕事に出ていて、帰ってくるのも三時くらいだって、あの双子が言ってなかった?」

「ああ、忘れてた」

 あさひに指摘されるまで忘れていたというのか。間抜けが過ぎる。それでもキキへの信頼が揺らがないわたしは、もっとおかしいのか?

「いちごちゃんとりんごちゃんは、多分家の中にいるよね。連絡が取れないかな」

「難しいと思うよ」わたしは肩をすくめた。「あの双子が携帯とか持っていても番号は知らないし、この家の電話は捜査員の目の前に置かれているから双子は取れないし」

「大体、キキはみかんのお父さんに用があるんでしょ? 双子ちゃんに会えたとして、そこからどうやって対面を果たすわけ?」

「そうだよね……どっちにしても帰宅するまでは話なんてできないし」

 キキは腕組みをしてしきりに頷いた。理解するタイミングが遅いだろう。

「こうなったら、柑二郎さんが帰って来るまで家の前で待っていよう。話があるって直接言えば、柑二郎さんなら家の中に入れてくれるかもしれないし」

「そんな簡単にいくかなぁ……」

「簡単にはいかないだろうけど、それしか方法はないだろうね」

 あさひが賛同するのなら、わたしに反対する理由はない。しかし、現在の時刻は正午を少し回ったところ。ここで三時間近くも待つのか……。

 空腹の気配が近づいてきたので、コンビニで軽く食糧調達することになった。土波川を挟んだこの辺りは、意外にもコンビニが見受けられない。結局橋を渡ってかなり歩いた所でようやく一軒見つけた。

 それぞれが目に留まったものをカゴに入れていく。一応、自分で食べるものは自分でお金を出すという事になっているが、あさひは自分の分の他に、ペットボトルの水と個包装のチョコレートをカゴに入れた。

「あさひ、これって……」

「不足かもしれないけど、みかんに持って行きたい」あさひは視線を逸らした。「お腹を空かせて苦しんでいる姿は、あまり見たくないから……」

 わたしも思う事がある。ここ二、三日の間に、あさひがみかんの事を心底案じている様子が、随所で見られたのだ。普段はあまり見せないけれど、あさひとみかんの間には、他人には分からない強い絆があるのだろう。……比較するつもりはないけれど、わたしとキキの間にもそういう絆があると思っていいのだろうか。

「それがいいだろうね」キキが言った。「絶対に助け出そう。何があっても」

 あさひはしっかりと頷いた。無駄にすることは許さない、そう自分に言い聞かせたように思えた。

 無力だろうと立ち止まらない。最後まで可能性を信じなければ。


 買ったものはコンビニの前で腹に入れて、それからわたし達はみかんの家に戻った。ここに来る途中でゴミ箱が見つからなかったのだ。食べ終わった後、すぐにゴミを捨てようとすればこれが効率的だった。

 みかんの家の門の前でじっと待ち続けること二時間以上、午後三時を少し過ぎたところでようやく一台の車が近づいて来た。この通りって、近くにある家がみかんの屋敷ぐらいだから、本当に通りかかる車が少ないのだ。そしてこの門の前で減速したのなら、柑二郎の所有する車が何なのか知らなくても確定できる。

 表門に到達する手前でその車は停止した。後であさひから聞いたのだが、この車はドイツのアルファロメオ社のブランドであるらしい。具体的な車種はさすがのあさひも分からなかったが、有名な外国産ブランドと比べればそれほど高級車ではないとのこと。

「君たち、こんな所で何を?」

 柑二郎が助手席の窓を開けて、身を乗り出して尋ねた。この車はわたし達から見て左側から来たので、外国車であればこうするしかないのだ。

「すみません、みかんのお父さん。家の中に入れてもらえますか? 実は、あなたにちょっとお話したい事がありまして」

 こう答えたのはキキだ。柑二郎は首をかしげた。

「君が? まあいいけれど……」

 いいのか。柑二郎に直接頼み込んで無事に入れてもらえるかどうか、わたしの心配は完全な杞憂(きゆう)に終わったわけだ。

 柑二郎が運転する車は、少し進んだ先にある車庫に入れられた。そして門まで戻ってきて、やはり手動で鉄柵の門扉を開けた。ごつそうに見えるけど、人一人、そして小さな子供二人で動かせるものらしい。いや、実際にわたし達も簡単に開けられたからなぁ。

 わたし達は柑二郎に連れられて屋敷の中に入った。今度こそ堂々と。先ほどキキを追い払った見張りの警官は、何が起きたのか訳が分からないらしく呆然としていた。

 リビングに入ると、事件が起きた日にここから帰る時に、柑二郎から頼まれてわたし達を送り届けてくれた吉本という刑事が、ソファーで退屈そうに天井を仰いでいた。考えてみれば、三日もずっとこの状態なのだ。事件捜査で空振りになる事はよくあると思うが、ここまで何も起きないと、意欲が減退するのも致し方なかろう。

「それにしても、三日間ずっとあの人が電話番をしているんですか?」と、わたし。

「一応交代はしているみたいだけど……」と、柑二郎。「でも、今日までにかかってきた電話といえば、いちごとりんごが通う保育園の連絡網くらいで、それ以外では全く鳴る気配を見せないから、疲労も蓄積しているんだろうね」

 彼のセリフに、他人事であるかのような雰囲気は微塵もなかった。刑事たちが徒労感で疲れている一方で、柑二郎は娘の安否が三日も分からないまま、抱えた不安を外部にはほとんど見せずに過ごしているのだ。この人だって同じくらい疲れている。

「それで? 君から話したい事というのは……」柑二郎はキキに尋ねた。

「ここではちょっと……別の部屋で話したいのですが」

 警察には聞かれたくない話らしい。

「別の部屋か……わたしの書斎はどうかな」

「分かりました」

 そして書斎のある二階へと歩を進めていく。退屈にかまけて周囲への注意が疎かになっていたのか、わたし達がリビングを出たところで吉本刑事は気づいた。しかし時すでに遅く、わたし達の姿はリビングから消えていた。

 書斎の前に来ると、キキは突然こんな事を言い出した。

「すみません、お話は一対一でお願いできますか?」

 何だと。わたしもあさひも目を見開いた。わたし達にも聞かれたくない話なのか。

「ああ、いいけど……」そう言って先に書斎へ入る柑二郎。

「そういうわけだから、もっちゃんとあっちゃんはここで待ってて」

「あっ……」

 わたしとあさひをその場に放置して、キキは書斎に入ってドアを閉めた。

 待ってて、と言われましても……ここまで一緒に調査をしてきて、肝心な所で話に参加させてくれないというのは、わたしとしても得心がいかないのだが。

「どうする? 待つか?」

「というか大人しく待つ事なんてできない」

「でしょうね。わたしも同意」

 あさひがそう言いながらも諦観(ていかん)しているのは、この状況をどう処理すればいいのか分からないからだ。廊下でただ待っているのは心苦しいが、それ以外にこの場で出来ることなど見当たらない。

 そう思っていると、二階のどこかの部屋のドアが開く音がした。見ると、あの双子コンビが揃ってこちらをじっと見つめていた。やっぱりいたのか……。

「「おねえさんたち、こんなとこでなにしてるのー?」」

「一緒にいた黒くて長い髪のお姉さんに置いてきぼりにされたのよ」

「ぐれているようにしか見えないから、それ」

 あさひの言う通り、壁に寄り掛かって吐き捨てるようにこんな事を言えば、機嫌が悪く拗ねているようにしか見えないだろうな。実際に機嫌悪いけど。

「ねえ、わたし達は書斎に入っちゃいけないって言われたけど、何とかならない?」

 あさひもずいぶん無茶な頼みごとをする……何とかなるものなのか。

「だったら、おとなりのおへやできいてみたら?」

「たぶんきこえるよ」

 前から思っていたけど、この家の人達は揃いも揃ってガードが緩すぎやしないか。

 まあ、書斎の会話が聞き取れるというのなら、そして家の人が一応許可してくれるというのなら、ありがたく使わせてもらおうか。キキの話が核心に入る前に、わたしは迷いなく書斎の隣の部屋に入った。

「おいおい……」

 あさひは入る事に戸惑いがあるようだ。ところで、ここは何の部屋?

「ここはおかあさんがつかってたへやだよ」

「おかあさんのへやだよ」

 みかんと双子の母親はすでに亡くなっている。つまりここは使われていない部屋だ。ならば何も遠慮はいるまい。

「ほら、あさひも早く。もう話は始まったみたいだよ」

 部屋に置かれていたコップを壁に当てて、臨戦態勢を整えたわたしを見て、あさひはため息をつきながら部屋の中に入って来た。「あとはごゆっくり」と言って、双子コンビは入って来なかった。

 わたし達がここに来るまでに、前置きは完全に終わったらしい。キキの話が始まるまでに何とか間に合ったようだ。

「それで、話というのは?」

「ああ、そうでしたね。忘れるところでした」

 忘れるなよ。序盤から突っ込み所満載で大丈夫なのか、これ。

「わたし、それほど話は得意ではないので、分かりにくければ遠慮なく言ってください」

「ああ……それじゃあどうぞ」

「最初に確認したい事があります。あなたはわたし達と初めて会った時、友永刑事にわたし達の事をこう尋ねましたよね。『みかんの友達ですか?』と」

「ああ、そうだったね」

「どうしてこんな質問を?」

「どうしてって、警察がいる現場に知らない子供が来ていたら、普通気になって……」

「そうではありません」キキは柑二郎のセリフを遮った。「問題なのは、わたし達がみかんの友達である可能性を、あなたが真っ先に思い浮かべた事です。あの時、わたし達は全員違う制服を着ていて、その全てがみかんの学校の物と違っていた。一人くらい同じ制服の子がいれば可能性はありますが、会った事も顔を見た事もない、まして学校も異なるわたし達の事を、みかんの知り合い、しかも友達だと真っ先に考えることはありません」

「…………」柑二郎は答えなかった。

「みかんから、学外の友人が三人いると聞いていたからでしょうか。聞いていた可能性は当然あります。でもそれだけで、友達という可能性に行きつくでしょうか。実際にそうである確率は、学内の友人である確率よりはるかに低いはずです。より詳しく特徴を聞いていたのなら、刑事さんに訊く前から確信が持てたはず。まあ、警察と一緒に来ている状況を見れば、事件の目撃者だと考えることはあるでしょうが、それ以上はないのですよ」

「君は……何が言いたい?」

「柑二郎さん。あなたはこの家で会うより前に、わたし達三人とみかんが一緒にいる所を見ていたのではないですか? みかんにその事を尋ねる間もないほど、最近に」

 キキの言いたい事がわたしにも徐々に分かって来た。キキはあの、たった一言の矛盾によって、柑二郎に目をつけたのだ。誰もが気づかなかった、些細な不自然さから……。

「……君、結論を先に言ってくれないか。その方が分かりやすいよ」

「そうですか。では言わせてもらいます」キキは少し強い口調で言い放った。「柑二郎さん。わたしは、あなたがこの事件の犯人だと考えています」

 そのセリフが放たれた瞬間、わたしは固唾を呑んだ。

「……冗談を言っているようには見えないな」

「ええ、本気です。もっと正確に言うなら、三日前のみかんの拉致を主導していた人が、あなたです」

 おや、と思った。それは、単純に誘拐の犯人である事と大差ないのでは?

「私はみかんの父親だが?」

「そうです。だから警察も突っ込んで調べようとはしなかった。いや、いずれはそうなったかもしれません。今の今まで警察があなたに目をつけなかったのは、幸運だと言ってもいいでしょう」

「……まさかと思うが、さっきの話だけで私を犯人扱いするわけではあるまいな」

 少しだけ柑二郎の声に厳しさが入り混じってきた。

「もちろんです。わたしが気づいた発言の矛盾は、あくまできっかけに過ぎません。確信を得たのは、事件当日の本当の出来事に気づいた時です」

「本当の出来事……?」

「おかしな事が起きていたのですよ。みかんを拉致した車を追いかけていたもっちゃんが、追跡中に対向車の接近に気づかず、危うく大怪我を負うところだったそうです」

 部屋を出てキキに一発お見舞いを食らわそうとしたわたしを、あさひが後ろから押さえつける。もっちゃんと言うなって何度言ったら分かると……。

「どうどう」

「放せ、二度と軽口叩けなくしてやる」

「物騒な事を言わんでけろ」

 あさひのピント外れの訛りで怒りが削がれ、わたしは気を取り直した。

「確か、君の友人が追っている最中に、発煙筒の煙が焚かれたんだろう? そんな状況では、気づかない方が自然じゃないかな」

 わたしが暴れている間に、柑二郎は“もっちゃん”発言の疑念を振り払っていた。

「そうでしょうか。我が身に置き換えてみてください。運転中に対向車が煙を出し、前方で視界が遮られたら、どうしますか? ……警笛を鳴らすのが普通でしょう?」

 そうか。わたしは不意に思い出した。確かにあの時、対向車はクラクションを鳴らさなかった。鳴っていればわたしも対向車の存在に気づいたはずだ。危うく轢かれそうになるなんて事も、無かったはずなのだ。

「あの状況で対向車が警笛を鳴らさなかった理由は、一つしか思い浮かびません。対向車は知っていたんです。みかんを拉致したあのワゴン車が、あの場所で発煙筒の煙を上げることを……つまり、対向車もまた誘拐犯の仲間だったのです。

 そう考えれば、逃走車が警察の非常線に引っ掛からなかった理由も見えてきます。煙を出したあの時点を境に、みかんは逃走車からいなくなったのです。拉致した人が乗っていなければ、検問で怪しまれる事はありません。そして、いなくなったみかんはどこに行ったのか。……対向車に移動したのです」

「まさか。走行中の車同士でどうやって移動すると?」

「右折して一瞬だけ追跡者の視界から消えた時に、サンルーフの窓を開けて、そして煙の中で毛布にくるんだみかんを投げ渡すのです。対向車は初めからサンルーフの窓を開けていたのでしょう。煙は上の方に行くから車内にはほとんど入らないし、ゴーグルとマスクをつけていれば煙が邪魔になる事はありません。タイミングを厳密に合わせる必要がありますし、投げて渡すにはそれなりの腕力が必要になります。しかしそんな問題は、事前練習と人選でどうにでも出来たはずです。あまり期間はなかったでしょうけど」

 期間がなかった。以前にどこかで聞いたようなフレーズだ。

「そして、煙の中を抜けてそのまま黒いワゴン車が去って行く所を、追跡者に目撃させるわけです。そう、これは目撃者を必要とするトリックです。犯人が普通の誘拐と違い、友達との帰り道という人目につきやすいタイミングを狙ったのはこのためです。もっとも、追いかけてくる人がいなければ、そのまま何もせずに走っても問題はありませんが」

「なるほど、辻褄は合っているようだが、それがどうして、私が関係しているという事の根拠になるのだね? それに、問題の対向車の運転手は、怪我をした君の友達に駆け寄ってきて、警察の聴取も受けたと聞いているよ。ならば、その時に車中のみかんが発見されるはずではないのか?」

「ええ。犯人もまさにそれを恐れたはずなのです。もし追跡者があれば、煙を出す事で思わぬ事故を起こすかもしれない。実際そうなりましたからね。その際に対向車が無視して通り過ぎていくのはあまりに不自然ですが、だからと言って、停車すればあなたの言う通りアウトです。だから犯人は、三台目の車を用意していたのです」

「三台目……」

「つまり、もっちゃんを轢きかけた方の対向車は、みかんを受け取ってそのまま逃げ、後続についていた青いワゴン車が直後に停車して、もっちゃんに駆け寄ったんです。多少のタイムラグはありますが、もっちゃんは怪我をして感覚が曖昧になっていたし、前方を走っていた黒いワゴン車に気を取られていたから気づかなかったのです。まあ、たとえ気づかれたとしても、後方を走っていた青いワゴン車の人が異状なしと証言すれば、警察も怪しまなかった事でしょう。犯人側の人間が怪我人を助けるとは、誰も心理的には考えないでしょうからね」

 今になって、あの時のキキの言葉の意味が理解できる。キキは、この事件には三台の車が必要だと言い、昨日爆発したワゴン車で三台目だと言った。一台目は土波川で見つかった黒いワゴン車、そして二台目は、わたしを介抱した男性の運転していた青いワゴン車だったのだ。

「さて、みかんを載せた車は果たしてどこへ向かったのでしょう。先に黒いワゴン車が通った道には、大量の鉄パイプが転がっていますから、道なりに行ってこの屋敷の前まで来たはずです。犯人はどうしてこんなルートを選んだのでしょう。

 目撃者を惑わせるこのトリックを使うことで、犯人が遠くに逃げたと思わせられるというメリットがある。裏を返せば、実際にはかなり近い所……つまりこの屋敷の中へ連れ込んで隠す、そんな計画だったと思います。現実はその計画通りになっていませんが、その話はまた後ほどという事で。

 その時点であなたはすでにこの屋敷の中にいました。何も知らないでいるとは思えません。恐らくここでみかんの到着を待っていたのでしょう。モニターなどでタイミングを指示しながら……わたし達の姿はモニター越しに見ていたのでは?」

 わたしは、開いた口が塞がらなかった。昨日の午前中の時点で、キキはここまでの推理を組み立てたのだ。鋭敏な論理的思考、あるいは閃きのなせる業か。今までにわたしの前で見せた推理する姿より、格段に優れていると言わざるを得ない。

 あれこそが、キキの本性だ。わたしの想像や印象をはるかに上回っていた。

「……君のその荒唐無稽な推理に、証拠は何も無いように思えるが」

 柑二郎の声は震えていた。彼は根っからの犯罪者じゃない。図星を突かれればこういう反応もしてしまうだろう。

「ええ。わたしが推理するに足る根拠はあっても、証明している事にはなっていない。でもわたしは、むしろそっちの方がいいと思っていますよ」

「え……?」

「元より、あなたを告発するつもりなんてありませんでしたから。ただ真実を知って、みかんを助け出したい。わたしの目標はそれだけです。まあ、真実を知るにはどの道、当事者から話を聞く以外に方法はなかったんですけど」

「…………」

 柑二郎は何も言い返さなかった。

 そう、これがキキのやり方だ。小説や漫画の名探偵のように、自分の推理を事実として吹聴(ふいちょう)することは決してしない。可能性の高い推理を構築したら、当事者に直接訊いて、それが事実と合致しているかどうか確認する。そして、合っていると分かればその時点で手を引く。あとはどうするにしても、次善の解決へと持って行くのだ。

「さて、ずっと分からない事がありました。なぜ父親のあなたが、娘のみかんを拉致しなければならなかったのか。色々あなたの事を調べていくうちに、最も納得できる答えを得ました。……あなたは、みかんの身を守りたかったのですよね?」

 どういう事だろう。キキは今日までの調査結果から何を知ったのか。

 柑二郎が犯人だと疑っている、その事は少し前から気づいていた。だから、柑二郎が娘を誘拐した理由をキキがどう考えたのか、わたしはそこが一番知りたかった。

「九月の初め頃でしょうか……あなたの元に、『自分がみかんの父親』と名乗る人が姿を現したのは」

 ……何だって? 空耳ではなさそうだけど。

「な、なぜそこまで……」

 柑二郎は、もはや隠し立てをする気力もなさそうだ。

「みかんは、あなたの実の娘ではありませんね? わたしがそれに気づいたのは、いちごちゃんとりんごちゃんのある発言を聞いたからでした。あの二人は、自分たちの母親がどんな顔だったのだろう、と言っていました。母親は双子を生んでまもなく亡くなったから、顔を知らなくても当然……でしょうか。直接顔を見ていなくても、写真があればそのくらい知ることは出来ます。そう、この家に母親の写真が一枚もないのです。

 おかしいですよね。みかんを産んでからおよそ十年間、家族写真を一枚も撮る機会がなかったというのは頷けません。裏を返せば、みかんが生まれてからの十年間、母親はこの家にはいなかったという事です。みかんが母親の連れ子で、再婚してすぐにあの双子ちゃん達を産んだと考えるべきです。

 まあ、みかんを産んですぐ、何かの理由でずっと家を空けていたという可能性もなくはないですが、可能性はかなり低いでしょう。連れ子説の方を採用するのが妥当です。どちらにしてもみかんはわたし達に話そうとしなかったようですが……」

「すごいな、君は……たったそれだけの事でそこまで見抜くとは」

 わたしも思わず同調して頷いた。一緒にいたのに全く気づかなかった。

「その事自体は、最初にこの家に来た時に気づいていましたが、その時は指摘する必要もないと思っていました。誘拐事件に関係はしていないと決めつけていたので。でも調べていくうちに、みかんが母親の連れ子であるという仮説が、今回の事件にも深く関わっている事に気づきました。その最初のきっかけが、これです」

 そう言ってキキは何か見せたようだ。壁越しに聞いているだけだから分からないが、この後の柑二郎の反応で分かった。見せたのはキキの携帯の画面だ。

「それは……! なぜそれを君が?」

「申し訳ありません。昨日、いちごちゃんとりんごちゃんに協力してもらって、こっそりこの書斎に忍び込んだんです。その時、その机の引き出しから見つけたものを、携帯で撮影したんです。DNA親子鑑定の鑑定書……二つのサンプルの親子関係が高い確率で認められるとあります。さっき言った事が事実であれば、この二つのサンプルは、あなたとみかんのものではありません。では、これは誰と誰のDNA鑑定なのか……」

「……さっきの言葉から考えても、君には予想がついているみたいだね」

「これは、みかんと、みかんの父親を名乗る人物の、DNAサンプルを調べたものです。そして鑑定の依頼は、健康診断の担当医師である小早川さんを介して行われた」

「そこまで調べていたのか……」

「実を言うと、具体的に誰と誰のDNAを調べたのかは、小早川さんを調べるまで確定できませんでした。DNA検査はプライバシーにも触れますし、鑑定書を持っている人が当事者だと考える他はない。そして、あなたがこの鑑定書を隠していた……ここまで揃ってやっと、サンプルの主の見当がついたのです。

 さて、恐らくその人物は、みかんを引き取りたいと言ってきたのでしょう。DNA検査を強要したとなれば、相応の目的があったはずですからね。これが一番妥当です。でもあなたにそれは出来なかった。血の繋がりがないとはいえ、すでに家族として馴染んでいるところを引き裂く事になりますし、それ以上の理由もありました。

 その人物が本気なら、自分が亡くなった後にみかんが手にするべき遺産を、親権を利用して奪うかもしれない。みかんとあなたが希望しなければ話は別ですが……。そう、あなたは自分の命が長くないと思っていた。担当医師からそう告げられたから」

「小早川先生は、そこまで話してくれたのか……」

「みかんに打ち明けるのは気が引けたでしょう。妹たちとは仲がいいし、何より受験を控えているから言い出しにくかった。そんなことがあったのが九月の中頃。カレンダーの書き込みと鑑定書の日付から推察しました。

 それから一か月経った時、あなたの元にとんでもない連絡が入った。それは、みかんを誘拐すること、あるいはそれに似たような脅迫めいた内容のものが……」

「そこまで気づいていたのか……!」

「どう考えても、あなたが自発的にみかんを拉致するとは思えませんし、結論から言えばそれが一番可能性の高い仮説でした。詳細は分かりませんが、警察への通報を躊躇させるような内容だったのは間違いないでしょう。折しもみかんの事で頭を悩ませていたあなたは、精神を乱され、冷静さを失っていた。誘拐犯が事前に予告をするなんて、普通に考えればあり得ませんからね」

「た、確かに、みかんをどう守るか考えるのに必死で、そこまで頭が回らなかった……」

「あなたは恐らく、会社の同僚にでも相談したのでしょう。そしてその結果として、一つの手段に出た。それが、一足先に、あるいは犯人の前で、みかんが誘拐されたと思わせ、犯行を諦めさせるというものです」

 それが、柑二郎がみかんを拉致した理由だったのか。信じがたい……。

「同じ誘拐で先を越されれば、高い確率でそうなると踏んだのです。もし無事に救出されれば、それ以降は誘拐に対する警戒が厳しくなり、犯行がやりづらくなるからです。まさに毒を以て毒を制すというのか……自作自演の誘拐によって本物の誘拐を阻止する、そうしてみかんを守る事が目的だったのですね」

 犯人たちが、キキの言ったような行動をとったのは、それが理由だった。これで警察が動いたとしても、みかんはこの屋敷にいるのだから、いかようにでも無事に帰って来た状況を作ることはできた。上手くいけば、の話だが……。

「もちろんそれ自体は犯罪ですし、明るみになれば逮捕は免れないでしょう。そうなった時のために、あなたはみかんにメッセージを残した」

「まさか、あの手紙もすでに見つけていたのか?」

 少し間を置いてキキは言った。

「この屋敷の裏手にある隠し扉……みかんと双子ちゃん達は秘密にしていたみたいですけど、どうやらあなたも知っていたようですね。安心してください。封は切っていませんから、どんな内容なのかはわたしも知りません。でも大方の予想はついています。みかんの父親を名乗る男の言いなりには決してなるな、みたいなことが書いてあるのでは?

 もしあの手紙が、みかんの父親を名乗る男に奪われれば、確実に処分されてしまうでしょう。それを防ぐには、みかんだけが見つけられる場所に隠す必要があった。一番適した場所が、あの隠し扉だったわけですね。そしてあの手紙は、法的拘束力を持たせるために直筆で書いていた。その瞬間を双子ちゃん達が目撃していましたよ」

「それで君は気が付いたわけか……」

「紙とペンで書いていたというだけでは、ただの手紙だという可能性も捨てきれませんでしたけどね。でも、みかんとあなたに血縁関係がない事と、あなたが隠し持っていたDNA親子鑑定書と、そして、健康診断の名目で行われた小早川氏との面会……色んな要素を合わせて考えてみると、これが一番妥当な推理でしたので。

 もう一つ、あなたはせめてものお詫びとして、みかんにあるものをプレゼントするつもりでしたね。それが、拉致の際に使われたあの白ネコです」

 あの白ネコを、みかんにプレゼントするつもりだったというのか。確かにあのネコを貰えば、みかんは跳び上がるほど喜んだだろうけど……。

「そもそも、あのネコを使ってみかんをおびき寄せるなんて、家族ほどにみかんの趣味嗜好を理解していないと、確実性の高い計画として組み込むとは思えません。だからこの時点でわたしは、拉致を主導した犯人はあなただと踏んでいました。まあ、家政婦さんという可能性もなかったわけじゃないですけど」

「その後に私の発言の矛盾に気づき、私に嫌疑を集中させたわけだな」

「ええ。そして、あなたがみかんを拉致するためだけにネコを用意していたとは、ちょっと考えにくかった。他にも何か使うつもりだったのかもしれない。だから、あなたはネコの首輪にGPS発信機を付けたのですね。あなたがみかんを守るためにこの計画を実行したのだと気づいた時、その目的にも見当がつけられました」

 ここまでの話がかなり長かった。キキは大きく息を吐いた。

「……とまあ、こう考えれば全ての辻褄が合うというだけの話ですけどね。さっきも言ったように、証拠は何もありません」

「君はその方がいいと言ったが、それはどういう事なんだ?」

「いやあ、ここまでも話が結構長かったので、そろそろ終わりにしたいとは思っているのですが、そういうわけにもいかないみたいです」

 当然だ。キキの推理で全ての辻褄は合っているように見えるが、実際はキキが言うような計画通りには進んでいないのだ。みかんは未だ行方不明だし、どことなく都合のいいように展開しているように思える。まだ説明すべきことはあるはずだ。

「あまり悠長に構えてもいられませんが、話を続けましょう。いや、むしろここからが話の核心です」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ