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DEAD LINE~悪魔の刻限~  作者: 深井陽介
第一章 長く長い誘拐の軌跡
13/47

その13 追及と混沌

 <13>


 今すぐ引き返したい。美衣は白い建物を見上げながら、その気持ちを抑えていた。

 友人が誘拐されたとなれば、救出のための調査に関わることはやぶさかでない。しかしながら、どんな無茶な調査要求にも応じるとは確約していない。何が起きてもいいように午後の時間は空けておいたが、その時間を利用して大学病院に行ってある人物の人間ドックの受診記録を調べるなど……無茶と呼ぶのも可愛らしいくらいだ。

 その無茶が過ぎる頼み事をしてきた友人に、美衣は端的に文句を言った。時間の浪費が一番嫌いなのである。

 それでも自分はどうやら、割と義理堅い性格であるらしい。文句は言ったが断ったわけではないのだ。断るための論理的必然性が見当たらなかったのだ。何より、彼女の頼みだから断りにくかったのだ。

 キキという少女は、本当に厄介な友人である。

 渋々でも引き受けることを決めた美衣は、流成大附属病院の出入り口をくぐった。調査の手順、筋書きはすでに頭に描いている。どこまで筋書き通りに出来るかは未知数だが。

 対象者の名前と受診の日付は聞いている。後は担当者の名前さえ聞き出せればいい。美衣は迷わずロビー内の受付カウンターに向かった。

 美衣はカウンターに身を乗り出し、なるべく表情を消して尋ねた。

「すみません」

「なんでしょう」受付の女性がにこやかに応対した。

「七月の二十五日にこの病院で健康診断を受けた、鈴本柑二郎の診断を担当した人が誰なのか、分かりますか?」

「七月二十五日ですね。えっと、お嬢さんはその方の……」

「娘じゃありませんよ」美衣は冷淡に答えた。「でも名前を知っている程度の知り合いです。詳しい診断結果はいりません。担当の人の名前だけ調べてもらえれば結構です」

「は、はあ……」

 受付の女性は笑顔を引きつらせた。

 病院の個人情報保護は近年厳しくなりつつある。しかし、たかが中学生を相手に、それもたまにやってくる通院患者の担当医師の名前だけなら、教えても特に問題ない。担当者本人に会ったところで、患者の診断結果を教えてもらえる確度は限りなく低いからだ。

 さて、大学の受診記録は全て厳重に保管されている。ネットワークにアクセスできるのは基本的に病院のスタッフだけだ。日付と名前さえ分かっていれば、どの医師が担当したかくらいは手早く調べられるはずだ。

「お待たせしました。内科医の小早川です」

「その日以降、鈴本氏はここには来ていませんか」

「ええ。先生にお会いになりますか?」

「いえ、結構です。それじゃ」

 美衣は軽く手を挙げて制止した。そして、受付の女性の反応も見ずに踵を返し、カウンターの前から立ち去っていく。

 場所は聞かなくても見当をつけられる。美衣は院外向けの予定表が書かれたホワイトボードに近づく。人間ドックはほぼ毎日行われている。人間ドックを担当する医師となればその数は限定される。同一名字の別人がいるとは考えなくていいだろう。つまり健康診断の予定表に担当者の名前と受診場所が書かれていれば、それで確実に近づけるのだ。

 今日の担当者の中に小早川の名前を見つけた。人間ドックの受診には事前の予約が必要になる。ほぼ間違いなくこの場所にいると考えてよい。

 美衣は病院の案内板で場所をチェックすると、早足でその場所に向かおうとした。しかしその直前に、手持ちのPHSに着信が入ったので、ロビー内の待合室に戻った。現在では、待合室なら携帯電話による通話は禁止されておらず、大声を出さないなどの最低限のマナーを遵守(じゅんしゅ)すれば使用は自由となっている。それでも美衣は、医療機器に比較的影響を与えないと言われるPHSを使うようにしているのだが。

 相手はキキだった。このタイミングで新しい情報をもたらしてくれるらしい。一通り聞き終えた後、美衣は手短に答えた。

「分かった。サンキュ」

 それだけ言って美衣は通話を終え、待合室を後にした。

 健康診断が行われる診察室は二階にあり、専門の医師も同じく二階に常駐している。つまり診察室の周辺を探していれば、小早川が使っている部屋はすぐに見つかる。今もまだ診察をしているなら、部屋に来ても無駄だろうが……。

 小早川の仕事部屋に辿り着き、ドアをノックすると、部屋の中から「どうぞ」という声が聞こえてきた。部屋の主、小早川は中にいるみたいだ。美衣はためらわずドアを開けて中に入った。

 小早川は診断結果を書類にしたためる作業をしていて、入り口を見ていなかった。やがてドアの方に目を向けたとき、目を見開いて眉をひそめた。

「お嬢ちゃん、ここは病室じゃないよ。部屋を」

「部屋を間違えてはいませんよ」美衣は小早川のセリフに被せるように言った。「わたしはあなたに用があって来たのです。内科医の小早川先生」

 美衣はまっすぐに小早川へ視線を向けた。低めの声と相まって、どこか威圧感があるように感じられたことだろう。少なくとも、何か後ろめたいことがある人間にとっては。

「わ、私に……一体、何の用が?」

「単刀直入に言いましょう」

 顎が震えている小早川に、美衣は視線を逸らさずに告げた。

「あなた、鈴本柑二郎に何を吹き込んだのですか?」

 刹那、小早川は椅子から立ち上がり、顔を大きく歪めた。震える声で彼は言い返した。

「い、一体、何を言っているのか……さっぱり分からないな……」

 図星だ、と美衣は断じた。嘘に慣れていない人間は、予想外に核心を突く質問には即座に対応できない。そしてその場合は大抵、慌てて虚偽を構築するために膨大な集中力を使ってしまうため、手足などの末端への注意が散漫になる。

 ゆえに、嘘を吐くときは手や足が不自然に動くのだ。さっきの小早川みたいに。

「鈴本柑二郎の娘が誘拐された事件、あなたはご存じですか?」

「誘拐? ま、まさか……いや、し、知らないが」

 小早川は必死にかぶりを振った。これはどうやら寝耳に水みたいだ。

 美衣は小早川との距離を次第に縮めていく。

「その娘は私の友人でして、別の友人が色々調べてくれましたよ。父親の柑二郎がこの病院で健康診断を受けたのは、今年の春と夏……通常、健康診断は一年おきの受診が推奨されるものだ。どんなに短くてもせいぜい半年。春と七月に受けたのなら間隔はわずか三か月だ、あまりに短すぎる。つまり二回受けた健康診断のうち、少なくとも一方は建前で、健康診断に見せかけて別の事をやっていた」

「そ、それは……」

「健康診断の名目を立てるなら、よほどの理由があると考えるべきだ。それが、公になれば自分に不利益をもたらすことになりかねないものでないと、言い切れるんですか?」

 小早川は俯いて黙り込んだ。こいつは根っからの犯罪者ではない。嘘を()き通せる人間ではなさそうだ。もうひと押ししてみようと美衣は決めた。

 美衣はもう一つの回転椅子を踏み台にして、勢いをつけてデスクに片方の足を載せ、小早川の白衣の襟を掴んだ。

「黙ってないで何か言ったらどうだ」美衣は睨みつけながら力強く言った。「何なら、今から警察にあんたの事を言って、あんたの銀行口座の取引内容を調べさせてやろうか?」

「なっ、何だと? そんなこと……」

「出来ないとでも思ったか? 甘いね。誘拐事件で警察が犯人の特定のために調べるとすれば、ターゲットの素性を怪しまれずに調べられる人間を探すことだ。つまり、柑二郎から信頼されていて、生活環境を知るという名目で家の情報を引き出せる医者に、警察が目をつける可能性は十分にある。警察が裁判所から令状を取れば、銀行口座の中身なんて簡単に調べられるわよ?」

 これは嘘だった。警察の捜査のために銀行側が個人情報の開示を行うことは、法律上可能ではある。しかし実際には、いくら小早川に容疑をかけたところで、逮捕状の発行が認可されるほど確たる証拠が集まっていない現状では、開示請求の令状を取るのはほぼ不可能だ。だから口座閲覧の許可を取り付けるのは、今は無理である。

 だが、小早川はいま取り乱していて冷静さを失っている。その状態で自信満々に言えば疑いをもたれることはない。脅しとしての効果は十分だった。捜査当局が恫喝(どうかつ)などの違法捜査で得た証言は証拠能力を認められないが、美衣自身が取っ掛かりを掴むのなら、この方法でも何ら問題はない。

「こっちも色々調べたって言っただろ? 先月、柑二郎が二週の間隔を空けて私用でここに来ていたそうじゃないか。でも受付の記録にはない。七月以降に柑二郎が来なかったことを誰も不審に思わなかったということは、春と七月の診断結果は良好ってこと。実情とは明らかに食い違っている。つまりこの事は病院関係者にすら知らせていない。何かあるとしか思えないよな?」

 美衣がまくし立てると、小早川は震えを止められなくなった。たかが中学生の脅しに怯えるとは、相当な小心者だ。

「おい! さっさと何か言え!」

 美衣がなおも脅しつけると、小早川は美衣の追及から逃れようとしたのか、椅子から転げ落ちて床に尻もちをついた。そして、おぼつかない口調で話し始めた。

「しし、仕方なかったんだ。借金が膨れ上がって、とてもやっていけなかったんだ」

「大金をもらって誰かから引き受けたってことか? 何を?」

「な、夏に追加診断をしたいって言って呼び出して、重大な疾患を見つけたことにしたんだ。それで、そのことを、病院側に黙っておくように……」

「本当は重大な疾患じゃないと?」

「い、異常が見つかったのは本当だ。でも、手術でほぼ確実に治るものだったんだ……」

「ふうん……それ以外には?」

「でぃ、DNA検査を、鈴本さんから依頼されるだろうから、そ、それを引き受けて、嘘の診断結果を見せるように、って……」

「嘘のDNA検査結果、か。なるほど……で、それをいつ言われた?」

「し、七月の初め頃に……」

 そこまで分かれば十分だ。美衣は追及をやめた。

 たかが借金ごときで違法行為に手を染める……大人の世界は分からないな、と美衣は感じた。もっとも、実際はそんな単純な事ではないのかもしれないが。

 美衣がその場を離れても、小早川はなおも腰を抜かして動けなくなっていた。もうこの小心者の医者と会うこともないだろう。美衣は去り際に、吐き捨てるように告げた。

「医者なら医者の給料で(まかな)える生活をしろ。……続けられたら、の話だが」

 小早川は何も言い返さなかった。興味を失った美衣は、そのまま部屋を出た。

 病院の建物を出ると、美衣はPHSを取り出してキキに電話をかけた。

「キキ、いま大丈夫か?」

「うん、割と大丈夫」

「曖昧な答えを返すな。色々なことが分かったよ。あんたの推理にも上手く絡んでくれるかもしれない」

「さすが」キキは控えめながらも歓喜の声を上げた。「悪態ついてても美衣ならちゃんと調べてくれるって信じてたよ。ありがとね」

「背中がこそばゆくなるわ。それじゃあ、さっさと情報交換といくか」


 背中が、って……キキに感謝されて恥ずかしくなっただけだろうに。

 わたしはキキの携帯に耳を寄せて、美衣の言葉を聞いていた。美衣は決して、内心を顔に出す人ではないけれど、言葉の端々に気持ちが滲み出ることがある。付き合いの長い友人だからこそ分かることだ。

 ここはみかんの家の敷地、裏手の細い路地に通じる秘密のドアの前。さっき、キキがその隠し扉の板に挟まれていた手紙を見つけたばかりだ。そして、美衣からの情報を聞いた後に、キキもこの事を美衣に告げた。

「ほお……それはなかなか興味深い」電話の向こうの美衣は面白がっていた。「で? その手紙の中身は調べたのか?」

 手紙は白い封筒に入れられていた。封筒に文字は書かれていない。

「ううん、開けるわけにはいかないよ。これは、みかんのお父さんがみかんに向けて書いたものなんだから」

「そう。キキがそう言うなら強制はしない」

「それに、見なくても中身は何となく分かるから」

 そうなの? 今までの調査で、手紙の内容を推定する材料なんてあったのか。

「ああ、わたしもそれは想像がついている」

「美衣もどうやら、真相に辿り着きつつあるみたいだね」

「どうかな」美衣は皮肉交じりに言った。「わたしはキキほど多くの手掛かりを得ていないんだ。だから論理的確信はほとんどない。キキと違って、わたしは閃きに頼った推理なんて不得意だからな」

「あれ? わたしの推理ってそんな感じ?」

 本人は自覚なかったのか。わたしの目から見てもそうだと思うけど。

「さて、後は犯人がどんな行動に出るか、だな」

「この推理が正しいとすると、犯人の目的はお金以外に考えられないね。でも、今になっても身代金の要求が来ないということは……」

「脅迫、だろうな」

 美衣のその一言で、キキは言いたいことを察したらしい。

「それしかないね。みかんのお父さんに有利に働く証拠なんて、とっくに潰しているだろうからね。この状況を利用しない手はないもの」

「おーい」

 いい加減に肩身が狭くなってきた。わたしはキキと美衣の会話を止めた。

「どうしたの?」

「頼むから、わたしらにも分かるように説明しろ。置いてきぼりにするな」

 あさひも同調して、さっぱり分からないと手振りで示した。

「……え? スピーカー? うん」

 電話の向こうから何を言われたのか、キキはスピーカーボタンを押した。その直後。

「そのくらい自分で考えろ。以上」

「ええい」わたしは叫んだ。「少しは親切心で教えてやろうって考えはないのか! というか何もかもキキとの会話だけで済ませるなんて」

「もっちゃん、叫んだら家の人にばれるよ」

 そう言ってキキはスピーカーをオフにした。これも美衣に言われたのだろう。この裏切り者め。

「ところで、推理と言っても結局は想像に過ぎないわけだろう? それが事実であるかどうか、どうやって確かめるんだ?」

「どうしたらいいのかなぁ?」

「そのくらい自分で考えろ」美衣は同じセリフをキキにも言った。

「うーん……今からみかんのお父さんの会社に行っても遅いし、明日は日曜だから、多分会社自体が休みだよね。やっぱり本人に直接聞いてみるしかないかな」

「それが適当だろう。だがそれも、タイミングを見計らう必要がある」

「難しい判断になりそうだね。今のところ、みかんを救い出せるかどうかも不明瞭だし」

「ところで……」美衣は少し声のトーンを落とした。「わたしの部屋に置いてきていた地図のコピーだけど、あれってあさひが持ってきたものか?」

「そうだよ」

「あれに、ネコのいた廃屋と書かれていたが、場所は合っているのか?」

「どうなの?」

 キキはあさひに問いかけた。あさひは指で丸を作って応じた。美衣が相手だと話すことさえ躊躇(ためら)われるらしい。あさひは美衣が、もとい美衣の毒舌が苦手だ。

「合ってるみたいだよ」

「そうか……」美衣は少し言い淀んだ。「キキ、友達のために動くのは構わないが、引き際は(わきま)えた方がいい」

「引き際を弁える?」

「この事件、必要以上に首を突っ込むのは危険かもしれない。下手をすれば、地獄の深淵(しんえん)を覗くことになるかもしれない」

 美衣の発言の意図は、キキも分からないようだ。でも、美衣が心からキキの事を案じていることだけは読み取れたようで、微笑みながら答えた。

「大丈夫だよ。わたしは最初から、必要以上の事はしないって決めているから」

「そうか。それなら安心だ」

 安心したような口調ではないが、後は何も言わずに通話を切った。

 結局、わたしは会話の内容をほとんど理解できなかった。キキが過去に名探偵張りの推理を繰り広げたことはあったけれど、名探偵のやり方に憧れているということはない。だからギリギリまで推理を話さないなんて、無駄なことは基本的にしないのだけど……。

 ところでこの場には、ここまで案内してくれたみかんの妹コンビがいる。キキはその二人に柔らかい物腰で尋ねた。

「ねえ、お父さん、いつ帰ってくるか分かる?」

「おとうさん? かえってくるのはろくじくらいだよ」

「ろくじくらいだよ」

「六時か……ちょっと遅いな。明日は家にいるよね?」

「ううん。しごとだよ。かいしゃとちがうとこ」

「たぶんかえってくるのはさんじくらいだよ」

「三時か……ギリギリだね。もっと早く会って話したかったけど、仕方ないね」

 やっぱり、キキは柑二郎に疑いを持っているらしい。でも、父親が娘を誘拐するなど、どう考えてもあり得ないだろうに……。

「もっちゃん、あっちゃん。今日の調査はここまでにしよう」

「調査と言っても、調べたといえるのはキキだけでしょ。分かった事はあるんだよね?」

「まあね」

「だったら、わたし達に教える事くらいはしてもいいんじゃない?」

 キキはしばらく、視線を上向きにさまよわせながら考え、そして答えた。

「明日話すよ」

「おい」わたしは即座に突っ込んだ。「いま話せよ、いま」

「明日が今になったら、ね」

 そう言って笑顔でやんわりと拒否するキキ。そして先に隠し扉を通って出ていく。

 うぅむ……キキの事だから、いま話さないことにもちゃんと理由はあるのだろう。しかし、わたしがキキの笑顔に逆らえないのをいい事に、置いてきぼりを食らわせるのは感心できない。いや、流されるわたしに問題があるのは明らかだけど。

 待つしかないか。キキだって、みかんの身の上が心配なのは間違いないのだ。


 わたしが自宅に戻った時、すでに時刻は六時を回っていた。柑二郎もそろそろ帰宅している頃だろう。捜査がほとんど進展せず、憔悴(しょうすい)しきっているかもしれない。想像するに辛くなってくる。

 憂鬱な気分を抱えながら、わたしは玄関をくぐった。

 ……普段見ない靴があった。でも、見覚えのあるスパイクシューズだった。

 わたしは靴を脱ぎ散らかし、大股で台所に向かって行く。お母さんと、よく知っている男の子の声が聞こえてきた。

「おばさん、ご飯もう一杯くれます?」

「はぁい。やっぱり食べ盛りの男の子は勢いがすごいわね」

「次の試合は色々と因縁のある所が相手なんで、力をつけておきたいんです」

「あらまあ。それじゃあしっかりエネルギーを溜め込んでおかないとね」

「ニラレバ炒めなんて最高のチョイスじゃないですか。ご飯が進みますよ」

 功輔とお母さんのやり取りを、冷めた気分で見るわたし。皮肉の一つでも言いたくなってきた。

「エネルギー溜めすぎて鈍足になっても知らんぞ」

「おっ、おかえり」

 功輔は特に驚く事もなく、軽く手を挙げて言った。

「なぜあんたがここにいる。理由を二十五文字以内で説明しろ」

「お前の今日の調査結果に興味があって直接訊きたいから」

 ぴったり二十五文字で答えた功輔。これもある意味才能だな。

「それがなんで、台所でニラレバ炒めを食べることになるの」

「もみじのお母さんが夕飯に作っていて、ここに来た俺に『ついでだから食べて行けば』と言われたから、仕方なく」

「どこが仕方なく、よ。思い切り夢中で食べていたじゃない」

「あまりに旨かったものでね。お前も食ったらどうだ?」

「後で結構です」

 わたしは言い返す気力も失せたので、とりあえず功輔の隣の椅子に腰かけた。いつも座っている所を功輔に取られていたのだ。

「それで?」味噌汁をすすってから功輔は言った。「調査は順調か?」

「うーん……」

 予想していた質問とはいえ、返答に困る。わたし自身もよく分かっていないのだ。

「どうなのかな。ほとんどキキが一人でやっているようなものだし。正直わたしには、進展しているのかどうかさえ分からない」

「ふうん……今日までにどんな事が分かったんだ?」

 流れというものがあるのだ。わたしは自然と、功輔に調査結果を打ち明けていた。わたしが覚えている範囲で、だけど。

「……で、キキの睨んだとおり、裏手の隠し扉の板の隙間に、みかんのお父さんが書いたと思われる手紙が見つかったわけ。中身はまだ見てないけど、キキはすでに予想がついているみたい。以上です」

「そっか……」

 興味があるというのは本当みたいで、功輔は意外にも真剣に話を聞いていた。

「もう、何が何なのかさっぱりよ。情報が錯綜しているのよね」

「いや、そう見えるだけだよ」

 功輔はきっぱりと言った。普段あまり見せない、凛々しい顔つきをしていた。

「俺も細かい所は分からないけど、多分キキって人は、今日までの調査で事件の構図をほぼ正確に捉えているはずだ。ネコの謎が解けた、その時点で」

「どういうこと? 功輔にも何か分かったの?」

「今もみじが話してくれた情報を俯瞰(ふかん)してみれば、犯人の目的も大体察しがつくよ。あまりに現実味がなくて、ちょっと信じがたいけど」

 功輔も話を聞いただけで推察できるような事なのか。しかし、どの材料をどんなふうに結び付ければいいのか、わたしには見当もつかない。功輔の言葉を信じるなら、よほど現実離れした結論なのだろうけど……。

「さっきの話だけじゃ、具体的な事は何も分からないけど……一つ、確認しておきたい事がある」

「なに?」

「例の、ネコの首輪から外されていたアクセサリだけど、正確には、首輪から無理やり引きちぎられたんじゃないか?」

 その事は話していなかった。それは事実だが、あまり重要じゃないと思って説明の際に除外したのだ。わたしが頷くと、功輔は満足そうに微笑んだ。

「やっぱりそうだったか……」

「ねえ、その事が事件と関係あるの?」

「これは犯人が仕掛けたトリックなんだよ」

「トリック?」

 というか犯人がトリックを仕掛けるのは普通じゃないのか?

「現実味に欠けると言った理由はそこにある。捜査する側に真相を見誤らせる行動をトリックと言うのなら、犯人はまさに、そのトリックを使った事になる。使わなくても何とかなったはずなのに、な」

 功輔の言葉はやけにシニカルだった。普通に解釈すればそれは、警察が捜査しても辿り着けないようにするなら、わざわざトリックを使う必要はない、という事だろうか。今回の事件の犯人は、まさにその蛇足を使ってしまったのか。

 わたしには分からない。トリックで警察が翻弄されるなんて、小説の世界だけの話だと思っていた。だけど、もし本当にそんな事が起きたのだとしたら……?

 わたしもまた翻弄されていたのだろうか。非現実的な犯人のトリックに。

 そんな事を考えていると、お母さんが台所のテレビのスイッチを入れた。夕飯の支度が大方整ったので、そろそろ付けようと思ったのだ。画面に映し出されたのは、民放の夕方のニュースだった。

『ただいま速報が入りました。きょう午前三時半頃、神奈川県川崎市多摩区の路上で、ワゴン車一台が突然爆発し、炎上しました』

「えっ?」

 唐突にわたしの注意が喚起された。視聴者提供のテロップと共に、炎上するワゴン車の映像が画面に流れた。車体の色は黒。大きさも形も、わたしが誘拐現場で目撃した逃走車の特徴と酷似していた。

「何が起きてるの……?」

 次々と襲いかかる予期せぬ出来事に、わたしは小刻みに震えていた。

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