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DEAD LINE~悪魔の刻限~  作者: 深井陽介
第一章 長く長い誘拐の軌跡
10/47

その10 検証の果てに

 <10>


 翌日、わたしはふらつく頭で自室を出た。

 昨日の夜もそうだったが、みかんの身を案じる気持ちと事件に対する興奮でなかなか寝付けず、こうして起床すれば二日酔いみたいに前後不覚の状態になっている。昨日は英語の授業中に熟睡してしまったので、調査を始める頃には元通りになっていたけれど、今日は土曜日。このコンディションで作戦会議に出て大丈夫なのか不安だ。

 あれだけ動き回れば疲れてぐっすり眠れるのでは、と思われたかもしれない。しかしわたしの場合、日々の修行で鍛えまくっているので、あの程度の調査ではへこたれない。よって疲れから熟睡するという事がないのだ。体が慣れているから。

 さて、冷たい水で顔を洗って粗方目を覚ますと、今日一日で費やす分のエネルギーを補給するべく、しっかりと朝食を胃袋に詰め込む。「朝からよく食べるなぁ」とお父さんに言われたが、実を言えばいつものことなので気にならない。普段から走っている時間が人より多いため、朝食をたらふく食べることはわたしにとって当たり前なのだ。

 美衣の家に集合するのは十時という約束になっていた。まだ十分に時間はあるが、余裕を持って出かける事にしよう。財布と携帯をパーカーのポケットに突っ込み、わたしは勢いよく玄関を飛び出した。

「あ、もっちゃん。迎えに来たよ」

 なぜか家の前でキキが笑顔で手を振って待っていた。ジョギングしながら行こうと思っていたのに。

「……なぜいる」わたしはその場でジョグしながら言った。

「え? 友達と一緒に友達の家に行っても、変じゃないでしょ?」

 質疑応答がかみ合っていない。そんなにわたしと一緒にいたいのか、こいつは。

 ……まあ、悪い気はしないけど。

「よろしい。美衣の家まで走るわよ。よーいどん」

 そう言ってわたしは先に駆け出した。

「えー、待ってよ、もっちゃん」

「もっちゃんと呼ぶんじゃない」

 からかい半分のツッコミに反応する間もなく、キキも後について走り出す。

 しかし、十分も経たないうちにキキがダウンしたので、結局途中から歩いて行くことになった。これは想定通りの展開だ。その途中でジュースをおごるように言われるとは想定していなかったけど。

「話は変わるけど、この事件……どう見てもただの誘拐事件じゃないよね。友永刑事も言ってたけど、不可解な点が多すぎるよ」

「ぷはっ。そうだね」キキはペットボトルから口を離した。「犯人の行動には謎が多い、というより不合理なものが多い気がする。車に大量の鉄パイプを積んでおいて追跡を阻んだり、ふつう車についていない発煙筒まで使ったり……用意周到な性格が見える」

「それなのに、なんで未だに何の要求もして来ないのか。それに、逃げた車がどうして現場近くに戻ってきて、どうして川に落ちたのか。あれが事故かどうかもはっきりしないけど。それに、ネコの首輪にGPSを仕掛けて、それを回収した理由も分からない。とにかく不可解な点が多すぎるのよね」

「まあ、不可解な点を列挙したところで何も解決しないけどね」

「それはそうだけど……」

 一人で喋るだけ喋っているだけのわたしが馬鹿みたいじゃないか。

「犯人は一体何がしたかったんだろう……」

「うん、それが分からないと対策のしようがないからね」

「対策?」

「みかんがどんな状況に置かれているか分からないから、迂闊に動けば犯人の思う壺だと思う。犯人は少なくとも三人以上いるから、川で見つかった二人を除外してもまだ一人残っていることになる。現状じゃ、他に何人抱えているかさえ分からないから、仲間を二人失ってどういう行動に出るか、何一つ予想ができない」

「そっか……これだと手も足も出ないね」

「だからせめて、犯人の目的に見当が付けられればいいんだけど……」

 それ自体がまず難題だと言わざるを得ない。お人好しの友永刑事からでも、得られる情報には限りがある。警察が結論を出せないほどに不足している情報の中から、部分的に提供されたとしても、それでわたし達が答えを出せる可能性は非常に低い。同様に、警察も掴んでいない手掛かりをわたし達が入手できる可能性も、客観的に見てかなり低い。

 もっとも、それを覚悟で捜査の真似事をしているのだけど。

「それより、一番分からない事は他にあるんだけど」

「一番分からない事?」

 そもそも順位を付けられる問題なのだろうか。キキはぼそぼそと呟いた。

「……どうして犯人は、みかんを誘拐しようと思ったのかな」


「それは、みかんが可愛くてお金持ちだからだよ」

 美衣の部屋に到着すると、あさひが先に来て寝転がっていた。真ん中に置かれた小さなテーブルの上に置かれている、かりんとうをつまんでいた。

 ……寝転がりながら、お菓子を食べて、そして適当な受け答え。

「あんた、真面目に取り合う気、ないでしょ」

「わたしは至って真面目ですよー」

「かりんとう食いながら言っても説得力ねぇよ」

「普段から生徒会の肩がこる仕事ばかりで、きっちりしていなくちゃいけないから、せめて友人の前ではだらけさせてよ。みかんを助けるために何をすればいいのか、考えてもさっぱり分からないし」

 それがTPOも弁えずに他人の部屋でだらける理由になるのか。いや、気の置けない友人が三人集まっているだけの部屋で、TPOも何もないか。

 わたしとキキも、テーブルの周りに座る。キキが口を開いた。

「考えるべきことなら、もうもっちゃんとわたしの間で決まっているよ。それに、昨日の時点で警察が指摘していなかった疑問点もあるからね」

「なに? その疑問点って」

 あさひが上体を起こして問いかけた。スタンバイが完了したか。

「あのワゴン車が、いつ、どこで川に落ちたのかという事。覚えてる? あのワゴン車、前方だけが大きくひしゃげて潰れていたでしょ」

「ええ、そうだったわね」

「という事は、あの車は真っすぐ川に落ちて、川底に衝突したという事になる。でもあの周辺の川はかなり深くなっているから、落ちたとしても川の水がクッションになって、先端が川底に接触する程度だったはずだよ」

「確かに……」

「よほど高い所から落ちたとしても、あの現場の周辺に橋より高い所なんてなかったし」

「つまりあの車は、もっと浅い所で墜落して流されてきたって事?」と、わたし。

「そうだね。だからもっと上流の方で落ちた可能性が高いね」

「待った」あさひが制止した。「もう一つの可能性を忘れてるよ」

「もう一つの可能性?」

「そう、それをまず否定しないと。もみじ。友永刑事の名刺を貸して」

 友永刑事に電話をかけるのか。わたしは言われた通り名刺を渡す。あさひは受け取った名刺を見ながら携帯を素早く操作し、耳に当てる。

「あ、友永刑事ですか。あさひです。……ええ、何も進んでいない事は大体予想していましたから」

 のっけから身も蓋もない事を言うなぁ、こいつ。

「確認したい事があります。あのワゴン車のことで……えっ? 逃走経路なんて今はどうでもいいです。訊きたいのは、ワゴン車の壊れた所から、現場にない土や石や植物が出ませんでしたか? ……そうですか。ええ、無いならいいのです。あと、ワゴン車で見つかった二人の死因、正確に特定できましたよね。……やはりそうですか。ちなみに訊きますけど、あの車の窓って、パワーウィンドウになっていますか? ……ああ、やっぱり。それで、犯人からの連絡はどうなって……うーん、まだ来ていませんか。はい。訊きたいのはこれで全部です。忙しいところすみません。では」

 通話終了。すっかりあさひは本調子を取り戻したようで。おかげでわたし一人がのけ者にされている。キキはあさひの目的をしっかり見抜いているみたいだ。

「……ねえ、キキ。これってどういう事?」

「あっちゃんが考えたのは、例のワゴン車が別の場所に衝突した、その事実を隠すために川に落としたという可能性だよ。その場合でも、底の深い川に落ちて大きくひしゃげた事の説明が付くからね。もし他の場所で衝突事故を起こしたのなら、警察はもっと確実に逃走経路を絞り込めるから。川に落ちれば、それだけじゃどこで事故に遭ったのか分からなくなるけれど、地上で事故に遭えばそうならない」

「ああ、なるほど……もしそうなら、ワゴン車の壊れた部分に痕跡が残っているはず、というわけか」

「川の水で流された可能性もなくはないけど……」あさひが言う。「ブロック塀や電柱や樹木にぶつかれば、その破片が車の損傷部分に残っているはず。高い確率で、その可能性は否定されるって事」

「つまりあのワゴン車は、本当にそのまま川に落ちたという事か……やっぱり単なる事故なのかな」

「それもしっくりこないんだよな」

 あさひはカバンから一枚の紙を取り出した。どうやら事件があった一帯の地図をコピーしてきたらしい。さらにあさひは赤のボールペンを取り出す。

「土波川の源流はこの辺で、大体上流と呼べるのはこの一帯」

 その範囲がボールペンで丸く囲まれる。

「この周辺で、車が通れるルートは一つしかない。私有地だけど、山道に入る舗装されていない道路があって、それは上流のすぐ近くを通っている。木曜の朝まで雨が降っていたせいで、上流も水量が増えていた。だから通常よりこの道路と川が接近していた可能性が高い」

「さすがあっちゃん。論理的だね」

「美衣もこのくらい素直に褒めてくれたらいいのに……。で、その道路の目と鼻の先に、例のネコがいた廃屋がある」

 あさひは大きめの点を打ち、そばに『ネコのいた廃屋』と書いた。

「ネコからGPSを外して、川の上流に向かった……というのはどうも解せない」

「そうだね。逃げる時に選ぶルートじゃないよ」と、キキ。「むしろ、GPSを回収した後にあの二人を気絶させて、車に乗せて川へ落としたと考えるべきじゃないかな」

「落ちたんじゃなく、落としたって事?」

「あっちゃんはそれを確かめたくて、さっきの質問をしたんだよ。ね?」

 キキが尋ねると、あさひは無言で頷いた。

「あのワゴン車はパワーウィンドウ、つまりスイッチを入れれば自動で窓が開閉する。エンジンを入れて窓を開けた状態で外に出て、窓からドアをロックしてパワーウィンドウのスイッチを入れ、閉まりきる前に手を離す。その作業を緩い坂道でやれば、あとは車自体の重量で坂道を滑り、川へ落下する」

「なるほど、そうすれば窓もドアも施錠された状態になるわけか」

「証拠は何もないけどね」

 キキの推理力は昔から認識していたけど、やはりあさひも生徒会役員の名に恥じず、頭はいいみたいだ。まあ、ルービックキューブを(もてあそ)べるくらいだからな。

「でも、なんでその車にGPSを置いたままにしたんだろう……」

「上手くいけば流される途中で窓ガラスが割れて、GPSも流されると思ったのかもね。ただ、その場で壊さなかった事が不可解だけど……。それに、なんでわざわざ土波川に落としたのか……下流に警察がいる事は分かっていただろうに」

 確かに、土波川の下流にはみかんの家がある。そこにいた警察が、流れてきた車を発見する可能性だってあるはずだ。

「もしかしたら……」キキが呟いた。「もしかしたら、警察に発見させるつもりだったのかも、しれないね」

「え、どういうこと?」

 わたしが尋ねても、キキは無言で考え続けている。何か分かったのだろうか。試しにそのように言ってみるが、キキはかぶりを振った。

「犯人の目的はまだ分からない……こればかりは、警察がなんとか犯人の足取りを調べてくれないと、どうしようもないから。ただ……」

「ただ?」

「うん……」なぜか言い淀むキキ。「あっちゃん。ワゴン車にいた二人の死因は?」

「予想は出来ていると思うけど、頚椎(けいつい)骨折……つまり落下時に首の骨を折った事」

 あさひは頬杖をつきながら答えた。

「やっぱりそうか……ねえ、もっちゃん。相手に反撃の隙を見せずに首の骨を折るって、可能かな」

「もっちゃんと言うな。うん、できるよ」

 わたしは即答した。護身術に関してはそれなりに知識も実践も備えているのだ。わたし自身の身を守るためではないけど……。

「わあ、さすがだね。で、どうやるの?」

「それはね……」

 わたしは立ち上がり、キキの背後にゆっくり回ると、首に右腕を回して締めつけ、左手でキキの左手首を掴み、右手の甲でキキの頭を右側にひねらせる。

「こんな感じ」

「うぎいぃぃ……も、もっちゃん、苦しいぃ……」

「迷わず実験台にキキを選ぶとは、お前ら本当に仲いいな」

「あっちゃぁん……呑気に見てないで助けてぇ……」

「どう? 満足した?」

 わたしが両手を離すと、キキは喉元を押さえて息をぜいぜいと吐いた。

「あー、死ぬかと思った……」

「こうすれば首の骨を折ることは出来るけど、それでも相当な腕っ節が必要になるわね」

「もみじとタメ張るくらいの、な」

 失礼だな、あさひよ。これでもあまり手加減はしなかった方だし。……それは別に威張る事ではないか。

「要するに、それだけの腕力を持った人が、犯人の中にいたという事だよね。でもその人は犯人仲間を、その腕力でもって殺害した。単なる裏切りなのか、それとも……」

 キキはどうやら、生き残ったもう一人の犯人が、二人を殺害したと考えているようだ。それなら確かに、ぱっと見た感じは裏切りに思える。キキの言うように、車やGPSと一緒に二人の遺体を警察に発見させるつもりなら、その裏切りを知らしめる目的もあったという事になる。でも、誰に知らしめるつもりだったのか……。

 キキは、あさひが用意した地図を指でなぞりながら、思案を巡らせていた……と、わたしには見えた。知らない人が見たら遊んでいるようにしか見えないだろうけど。

「……ねえ」キキが口を開いた。「もっちゃんがワゴン車を追いかけている時、運転手が発煙筒で煙を出したんだよね」

「そうよ」

「それで、対向車が迫っていることに気づかなくて、危うくぶつかる所だった」

「そうだけど……何度も確認したよね」

「どうして気づかなかったの?」

 真っすぐわたしの目を見つめながら問いかけるキキに、思わずわたしは「馬鹿じゃないのか」と言ってしまうところだった。さすがにそんな事は言えない。

「あのさ……あの時はまだ明るくてヘッドライトもつけていないから、目の前に現れるまでは煙のせいで車体もまともに見えなかったの。気づかなかったのは当たり前だから」

「それだけ?」

 何がそれだけなのか分からない。キキの今の思考回路はどうなっている。

「そっか……それならもしかして……」

 わたしの疑問など気にも留めず、キキは再び地図をなぞり始める。発煙筒で妨害された場所から、川沿いの道路を辿り、途中でみかんの家に。さらにそこを通過して西方向へ真っすぐ指を動かす。なぜか道路から外れて全く無関係の場所で止まる。

 そして……キキは険しい表情を浮かべた。恐怖が滲んでいるようにも見える。

「まさか……ありえない、そんなこと……」

 どうしたのだろう。いつになく思いつめた面持ちだ。何かとんでもない事実を見つけたのだろうか。つられてわたしまで不安になってくる。

「ちょっと、どうしたの?」

「もっちゃん……」キキは真剣な眼差しを向ける。「いま目の前にある状況を、全て矛盾なく一本に繋げてできる結論は、わたしが見つけた一つしかないと思う」

「えっ?」わたしは瞠目した。「事件の謎が解けたの?」

「本当に?」あさひも身を乗り出して尋ねた。

「証拠は何もないけど……でも、わたしはこの推理が正しいとは、どうしても思えない、というより正しいと思いたくない。それに、この推理が本当に正しくて、それに従って警察が犯人を捕まえても、それでみかんが救われるとは限らないから……」

 それを聞いて、あさひの顔が歪んだ。彼女からすれば、というよりわたし達全員がそうだけど、第一義はみかんを無事に救い出す事であって、犯人の確保を優先してみかんの安全を後回しにすることは認められない。たとえ警察が、みかんの救出が上手くいかなくなる可能性を否定できなくても、わたし達だけは……そう考えているのだ。

 わたし達は探偵でも警察でもない。犯人を見つけることははっきり言って二の次だ。みかんの救出のために必要なら話は別だが……キキの言うように、この事件の謎を解いて警察が犯人を確保しても、それでみかんが救われないのならば意味がない。

 では、どうすればいいのだろうか。

「二人とも」キキが言う。「わたしは、全部の謎が解けたわけじゃない。みかんを悲しませないようにするためには、もっと手掛かりを集める必要がある。少なくとも、ここでじっとしていても最善の解決策は思いつかないと思うんだ」

「キキ……」

「こうなってくると、もう警察からの情報には期待できない。自分の手でかき集めないと駄目だ。自分の手で……」

 小さな拳を握りしめて、言い聞かせるように呟くキキ。付き合いの長いわたしだから何となく分かるけど、これは恐らくただの決意表明ではない。

「キキ、よもやこれだけ引きずっておいて、全部一人で調べるなんて言い出さないよね」

 ぎくっ、という声がキキの口から漏れた。やはり図星だったか。

「ここまでずっと三人で行動してきたのに?」目を細めるあさひ。

「あ、いや、別に二人を置いてきぼりにするとか、そんな意図は決してなくて……」

 ボディーランゲージがやたら激しくなるキキ。おお、見事に慌てておる。キキは時々真顔で嘘をつくけれど、とっさにその場しのぎの嘘が口から出るタイプではない。だから図星を突かれると、こうしてあからさまに狼狽するのである。

 面白いからもう少し見ていようかと思ったけど、そうもいかない。見かねたわたしはため息をつきながらキキに言った。

「あのさ、キキ……『三矢の訓』って知ってる?」

「さんしのくん? さあ……『三顧の礼』なら聞いた事あるけど」

「半分しかかすってないじゃない。ていうかなんで中国の故事には詳しいのよ」

「前に美衣がそんな言葉を使っていたから」

 聞きかじっただけかい。多分意味も由来もよく分かっていないな。

「要するに、『三本の矢』の話よ。聞いた事ないかもしれないけど」

「知ってるよ。金融緩和と財政政策と成長戦略のことでしょ」

 わたしは脱力してテーブルに突っ伏した。キキの高レベルの勘違いは古今東西を駆け抜けていた。

「あんたの知識は隙間が多すぎる……」

 あさひは同じく呆れながら言った。頭痛になりそうな所をなんとか抑えて、わたしは解説を始めることに。

「戦国大名の一人、今の中国地方を治めていた毛利元就が、三人の息子に結束を促すために語ったとされる教訓のこと。まあ、現在では後世の創作だとする説が有力だけど……。例えば」わたしは声を低くして言う。「矢は一本だけなら、このように簡単に折れてしまう。しかし、三本の矢をまとめれば……」

 わたしは、矢の束を折ろうとして力を込めるが折れない、という振りをする。

「この通り、簡単には折れない。そなたらも兄弟で結束すれば、必ずや毛利の家を守り抜く事ができるであろう……って感じの」

 おー、という声と共に拍手喝采を浴びる。二人しかいないけど。実際になかった可能性が高いやり取りを、妄想を交えて演じただけで拍手を貰えるとは思わなかった。少し恥ずかしくなってきたな。

「ま、まあ、そういうわけで……」わたしは咳払いをした。「何をするにしても、一人よりは三人一緒の方がいいってことよ。一本の矢より二本の矢、二本の矢より三本の矢」

「三本の矢より四本の矢」

「わっ」

 いつの間にか美衣が部屋の中に入って来ていて、わたしは驚いた。美衣は三人分のお茶とお菓子を載せたお盆を持っていた。

「一応わたしも事情を知っているし、友達の一人だし、調査に関わる権利はあるでしょ」

 そう言って美衣はお盆をテーブルの上に置く。

「ふうん……」あさひはニヤリと笑う。「それじゃあ、これから外に出て、キキの閃きに従って手掛かりを拾いに行きましょうか?」

「遠慮する。怪我はしたくないから」美衣はすっぱり断った。

「やっぱり……出不精のあんたのことだから、最低限の関わりだけで済ませるだろうと思っていたよ」

「よく分かっているじゃないか」

「友達がピンチだっていうのに、本当に冷たいね」

「一応、午後の時間は勉強のために空けているから、簡単な用事なら引き受けられるほどの余裕はある。まあ、あまり無茶な頼みは聞けんがな。特にキキ、あんたから頼まれる事は大概面倒なことばかりだから、その事を肝に銘じておけよ」

「あ、はい……」

 美衣の人を刺すような目で言われて、さすがのキキも怯えていた。

「それともみじ」

「え、なに?」わたしにまで飛び火するのか。

「お前くらいの腕っ節だったら、五本の矢でも易々と折れるよな?」

 ぐさりと矢が刺さったような感覚。矢尻より鋭い美衣の発言に、わたしの心は大きなダメージを受けた。本当、友達相手でも容赦なし……。

 こんなやり取りもあったけれど、お昼も近かったので、わたし達は遠慮なくお茶とお菓子を頂いた。美衣は、言葉は優しくないけれど、振る舞いは意外と優しい。お茶は手間をかけて淹れたらしく、深みがあって心が静まるようだった。

 これも以前に美衣から聞いた事だが、善意や思いやりをひけらかさずに心の中だけに留めるのは、日本人特有の性質であり、他国のほとんどでそういう文化はないらしい。善意やその成果は積極的に喧伝(けんでん)することこそ世界の常識だという。しかし、日本人の謙虚な姿勢は海外でも一定の評価を得ていて、少しずつ認識は変わりつつあるという。異文化を節操なく受け入れるのではなく、良い所を抽出して取り入れることを、本当の意味でのグローバル化と呼ぶのだ。美衣はそう言っていた。

 英語ができればグローバル化する社会でやっていける、そんな非現実的な事を言って英語教育を押し付ける大人たちに、聞かせてやりたい話だ。これはわたしの苦手な英語を否定するための言い訳ではない。断じて。

 さて、美衣の用意したお茶とお菓子が無くなった所で、いざ調査に出掛けん、と思った所で美衣がキキを呼び止めた。

「キキ、これはお前に渡しておく」

 そう言って美衣はおもちゃの鉄砲を手渡した。それは調査の役に立つのだろうか?

「まあ、願わくは使う機会が訪れないでほしいものだが」

「……訪れたとしても、夜じゃないとあまり意味ないよ」

 この二人の会話の意図が読めない。夜にしか使えないものですか。

「いらないか?」

「ううん、もらっとく。これでも射撃は得意だから」

 あれ? その鉄砲はおもちゃではないのか。危ないものじゃないだろうな。

「さ、早く行こう」

 行こうと言われても、目的地をまだ決めていないのだが……本当に、こと謎が絡むとキキは暴走しがちだ。そして止めるのはいつもわたし。その事はもう宿命だと思って諦めていた。

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