4話
「おばちゃん、美味しいの一つくれよ」
屋台が並び賑わっている街の中心部に涼の姿はあった。
女神と話している時の高圧的な態度はそこにはなく、屋台の女主人と親し気に話す姿を女神が見ていれば、その違いように別人ではないかと疑っただろう。
「値は張るけどボボンの身は甘くて美味いよ!大銅貨五枚だ。買ってくかい?」
女主人がお勧めはボボンの身という何処からどう見てもマンゴーにしか見えない果物だった。大銅貨五枚、つまりは一つ千円だ。定食が大銅貨一枚、二百円らしいのでかなり高価なのは間違いない。だが、一兆を超える金を持っている涼にとっては大した出費にはならない。
「貰うよ。これは皮ごと食えるのか?」
「毎度あり、皮ごと食べても腹を下したりはしないはずだけど、お勧めはしないね」
「分かった。ありがとな、さっさと宿屋を探してそこで食べることにするよ」
「そうしな、宿屋ってことはあんたこの街に来たばっかかい?宿屋をけちると碌なことにはならないからね、こんな所で無駄金使ってないでちゃんとした宿に泊まりなよ?」
「心配してくれるのか?ありがとな!て言ってもこの街に来たばっかで右も左も分からないから、いい宿あったら教えてくれよ。ボボンの実もう一つ貰うからさ」
「はっはっは、商人の真似事かい?そんなことしなくたっていい宿くらい紹介してやるさ。こっから大通りを抜けて、角を二つ曲がった所に熊の料理亭って熊の獣人がやってる料理が自慢の宿があるから、そこがお勧めだね。一泊銀貨二枚、ちょっと値は張るが朝夕の食事付きだし、あそこには質の悪い冒険者なんか来ないからね。治安もいい」
「早速行ってみることにするよ!そんなに料理がお勧めっていうなら楽しみだ。じゃ、もう一つボボンの実貰ってくよ」
大銅貨五枚をアイテムボックスから取り出し、女主人へと渡す。
宿屋を紹介するくらいでそんなことしなくていいと大銅貨を突き返そうとする女主人だったが「だって美味しいんだろ?この実。一つだけじゃ満足出来なさそうだからさ」と涼が押し切る形で何とか収まった。
「良い人だったな」
涼は宿に向かう途中、女主人とのやり取りを思い出し、ふっと笑みを浮かべていた。
「案外良い世界かもなここ。女神はあれだけど」
涼の小さな呟きは誰の耳にも届くことはなかった。
ように見えたが、実は女神は涼の行動の一切を録画しており、後日『涼さんって熟女好き!?』と女神が盛大な勘違いをしたのはまた別の話。
紹介された宿は熊の形をした看板を除けば普通の宿だった。看板は熊がフライパンやを口に加えている何とも言えないものだった。見方によっては可愛いのかもしれないが、お土産で有名な某木彫りの熊が鮭ではなくフライパンを咥えているのを想像してもらえば分かり易いと思う。別に悪いわけじゃないが、良いとも言えない微妙な感じだ。宿屋の名前通り、料理を売りにしているというのは分かるので方向性は間違っていないと思う。
「斬新だな」
何故か涼は気に入った様子で、宿へと足を踏み入れた。
宿の中はホテルというよりも民宿のような素朴な雰囲気だった。凝った装飾などは一切なく、正面にカウンター、右側に食堂、左側に部屋と階段が見えた。カウンターには小さな女の子が座っており、こちらに気付くと満面の笑みで迎えてくれた。
「いらっしゃいませ!お食事ですか?お泊りですか?」
「あー泊まりで。取りあえず三泊で頼む」
「三泊ですね?朝と夜の食事付きで銀貨六枚になります!」
宿は先払いのようなのでアイテムボックスから銀貨を取り出し、支払いを済ませる間、涼は終始、少女を見つめてしまっていた。
前の世界では見たことのないピンクの髪、少しウェーブのかかったボブカット、瞳は大きく輝いており、シミ一つない白い肌が太陽のように眩しく感じた。一見気弱そうに見え保護欲を掻き立てられるのだが、喋ってみれば予想以上にしっかりとしており、頑張っている感が凄まじい。暖かく見守っていたい。そう感じさせる何かが少女にはあった。
「あのー、どうかしましたか?」
童貞ながらに親心を理解してしまった涼は少女に指摘され、初めて自分がぼけーっとしていたことに気付いた。
「いや、一人で受付するなんて偉いなって思ってさ」
「お客さん、失礼ですよ!私こう見えても今年で十五歳です!成人してますからね!」
ぷんぷんと怒る少女は小学生くらいにしか見えないが、嘘を吐いているようにも思えない。種族によって幼く見えるだけかもしれないしな。というかこの世界は十五歳で成人なのか。やっぱり女神の説明は不十分過ぎると涼は再認識する。後で色々調べる必要がありそうだ。
「では案内するのでついて来てください」
宿屋の少女に案内されたのはベッドとテーブル、椅子が一つずつ置いてあるだけの簡素な部屋だった。この世界にもガラスは存在するようだが、透明度は低く、曇っていた。値段は普通の宿の二倍はするというのに大した装飾もない。ぼったくりか?とも疑ったが、恐らくは普通の宿のレベルがこれよりも低いだけなのだろう。ベッドの触り心地はお世辞にもいいとは言えないが、この世界にマットレスがあるわけもないだろうと妥協することにした。安物の敷布団だと思えば存外悪くなかった。
さて、問題はここからだ。
宿屋の少女、ミアの話によると個室にはそれぞれトイレがついており、昼間、各部屋から壺を回収して回るそうだ。壺には消臭の魔法がかかっている為、蓋をすれば匂いが出ることはないらしい。消臭という一点に関しては地球よりも遥かに進んでいると思うが、問題はトイレットペーパーの役割を果たす物のほうだ。この宿では布ではなく庭で栽培している木から取れるキレンの葉というものを使用しているようで、下手な布よりもお尻に優しいと評判らしい。
え?そんな話をミアに聞いたのかって?えぇ聞きましたよ。ミアはちゃんと顔を真っ赤にしながらも答えてくれた。女の子に聞くことではないことは重々承知なんだが、これだけは聞かずにはいられなかったので許してほしい。後でボボンの実をお裾分けしよう。
「いざ行かん!」
トイレのドアを開けるとそこにはタコ壺より二回り程大きな壺と、葉っぱの入った箱があった。そこに涼の知っているトイレの姿はなく、あるのは壺と葉っぱのみ。女神の話を聞いても、ミアを赤面させながら説明させても、信じれなかった、信じたくなかった光景がそこには広がっていた。
壺。
ドアを一度閉め、大きく深呼吸をしてもう一度開けてみるが現実は何一つ変わりはしない。
壺。
まるで涼を嘲笑うかのように鎮座する壺。
「あぁ、水洗便所を愛おしく感じる日が来るとは思わなかった......。」
涼は静かに涙し、現実を受け入れることにした。
異世界ではトイレが壺だという現実を。
余談ではあるが、トイレットペーパーの代わりに置いてあったキレンの葉の予想以上の肌触り、使い心地に涼は再び涙し、涼はキレンの葉の愛用者となった。
キレンの葉は某セレブシリーズ並みの肌触りです。