表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/17

顕在化するハイポシシスII

 冴木賢と有栖川みれいは、脱衣所から現れたあんず、いーぐると一緒に大食堂に向かった。

 大食堂には、るねっととシュダの二人がいて談笑していたが、たくみんの姿が見えない。それに気付いたイーグルが、眼鏡を持ち上げながらいち早くシュダに質問した。

「シュダさん、たくみんさんはどこへ?」

「もう部屋で休むってさ。きっと疲れたんだろうよ。てなわけで、人が来たことだし僕も休ませて貰うよ」

「そうですか、分かりました」

 それを見ていたみれいが、冴木に耳打ちする。

「冴木先輩、大丈夫だと思います?」

「何が?」

「また誰か……」みれいが言いにくそうに視線を彷徨わせる。「その、殺されるんじゃありませんの?」

「どうかな……。仮にまだ計画があったとして、僕と有栖川君という闖入者(ちんにゅうしゃ)のせいで上手くことが運ばない可能性が高い。現状、誰も事件の真相に辿り着いていないし、君が無作為に嗅ぎまわるものだから、もう手を引くんじゃないかな」

「でも、もしかしたら全員を殺すつもりなのかもしれませんわ」

「それは絶対にない」冴木が即答した。

「あら、どうして言い切れますの?」

「もしそのつもりなら、皆……いや、犯人以外が既に死んでいるだろう。例えばそうだね、僕だったら食事に毒を混ぜる。詳しくはないけれど、遅効性の毒とかもあるだろう。自分は皿を落とすなりして別のものを用意したり、食べてから解毒剤を飲んでもいいね。つまり全員を殺す必要は犯人にないってことだ。それに一人だけ残れば必然的に犯人が誰か分かってしまうだろう」

「確かに計画的な犯行には違いありませんから、そうですわね……」

 みれいが考え込んでいると、あんずがワインの残量を確認しながらるねっとに近付いた。

「るねっとさん、ちょっとだけ飲み相手に付き合って貰えないかな?」

「あ、私ですか? そうですね……折角なので、少しだけなら」

「よし、じゃあ飲みやすそうなのを持ってこよう」

「はい、行きましょう」

 あんずとるねっとの二人が、調理室に向かった。そのまま奥にあるワインセラーに行くのだろう。

「今のうちに、僕は部屋に戻りますね」

 イーグルがいそいそと立ち上がり、軽く会釈をしてから玄関ホールへ向かった。あんずという酔っ払いから解放される唯一の瞬間を逃さないあたりが彼らしい、と冴木は思った。

 これで、大食堂には冴木とみれいしか残っていないことになる。しかしすぐ隣の部屋には死体がある。なんとも奇妙な空間に思えた。

「ねぇ、冴木先輩」

「また何か悪巧み?」

「違いますわ、ちょっとバルコニーを見てみたいと思ったんですの」

「本当に好きだね、捜査の真似っこ? 有栖川君、もしかして警察になりたいの?」

「警察にはなりたくありませんわ」

「なら、やめた方がいい。バルコニーなんて寒いだけだよ」

「お願いしますわ」みれいが顔の前で両手を合わせて片目を閉じた。「一生のお願い」

「君、それ数時間に一回のペースで使っているの自覚してる?」

 冴木は結局、駄々をこねるみれいに屈した。まるで、タンポポの綿毛が風に流されるように弱々しい意志である。

 冴木とみれいは一階東通路から事務室に入り、バルコニーの鍵を取る。すぐに二階東通路まで階段を上って、左手にあるバルコニーに続く扉をみれいが開けた。外は思った以上に雪が激しさを増しており、凍えるような寒さだった。

「ひゃー、寒いですわ!」

 みれいが高い声を発しながら扉から顔を出してバルコニーを眺めている。冴木も、既に何度目かも分からない溜息を吐きながらバルコニーを確認した。

 バルコニーはテーブルとイスが置かれており風情があったが、あいにく雪が積もっており、更に辺りをイルミネーションの装飾が邪魔していた。落ち着きのないバルコニーは、今回のクリスマスパーティーで使う予定はなかったのだろう。手摺(てすり)はみれいの胸の高さにあり、飛降りようと思えば降りれそうだが、そのまま飛び降りれば雪があるとはいえ、間違いなく怪我をするだろう。

 他に気になるものもなく、みれいも寒さのせいかすぐに室内に戻ってきて勢いよく扉を閉めた。レッドピンクの髪に雪が僅かに積もり、お風呂に入った意味がないんじゃないかと冴木はいらぬ心配をする。

「すごい雪ですわね」

「言わんこっちゃない」

 冴木とみれいはバルコニーに繋がる扉をしっかり施錠して元の状態に戻すと、すぐに事務室に鍵を返した。廊下に出ると、みれいが今度は調理室とも繋がっている倉庫を開けて中へ入っていった。

 冴木は反論するのも面倒になり、無言で後に続く。まるで金魚のフンだ、と自分が情けなく思った。

 一階の倉庫は、シュダの言っていた通りにトイレットペーパーがあり、その他にも調理室で使うであろうゴム手袋や洗剤の予備、大きなモップ、雑巾、たわし、灯油、箒、塵取りなどの雑貨が勢ぞろいしていた。だが、どれも恐ろしいほどみれいとマッチしておらず、彼女に扱えそうなものは雑巾ぐらいだろう。いや、それすらも危うい。だがもちろん、口にするとうるさいので発言はしない。

 結局みれいは物色も程々に今度は調理室に向かった。この調子だとワインセラーまで行きそうだ、と冴木はこっそり肩を落とす。

 調理室は綺麗に掃除されているのか清潔感のある空間だった。シンクの近くには洗われている食器が食洗機に入れられている。

「あら、ちゃんと洗ってありますわね」

「入浴中か、僕たちが探索してるときにでも誰かが洗ったんだろう」

「この機械に入れると自動で洗えますの?」

「これは……そうみたいだね。でもスポンジもあるから、軽く洗ってから入れるんだと思うよ。乾燥もしてくれるなんて最近のは便利だね」

「冴木先輩の部屋にもあるんですの?」

「まさか。あんなボロアパートにあるわけないだろう。君も隣人なんだから分かるだろう?」

「私、食器って洗ったことありませんわ」

 愕然としている冴木をよそに、みれいは冷蔵庫や冷凍庫、食器棚を見てからシンク下の引き出しを開けた。中には包丁が行儀よく四本並んでおり、空いたスペースはなく一本もかけていないようだった。冴木はあつボンの死体に刺さったナイフしか実際に確認していないが、この調理室にある包丁とは似て非なるものだった。

 確認を終えると、みれいは自然な動作でワインセラーに続く扉をくぐっていった。冴木はワインセラーまで見ることになるな、という悪い予感が的中したことに落胆しながら重い足取りで後を追う。いっそのことみれいが満足いくまで調べて早く休みたかった。

 ワインセラーは、木材で出来た棚が整然と陳列しており、独特な雰囲気を感じさせた。木棚には数多のラベルが貼られたワインボトルが数えるのも躊躇(ためら)われるほど並んでいた。なんとも壮観である。

「まぁ、ワインってこんなに種類があるんですわね。ちょっと興味が湧きますわ」

「奥が深いからね。僕はボジョレヌーボーぐらいしか知らないな」

「何ですの? ボジョ……?」

「さぁ、僕も詳しくは知らない。アルコールは飲めないから」

「下戸なんですってね、萩原先輩から聞きましたわ」

 萩原とは冴木との腐れ縁の友人であり、ミステリー研究会の会長を務めている人物である。恐らく酒好きの萩原は今頃、みれいの別荘で酔い潰れているだろう。

「あいつはまた余計な事を……」

「冴木先輩は飲み物なら何が好きなんですの?」

 みれいがワインセラーを一周し終え、戻ってきた。冴木は奥まで見えなかったから分からなかったが、どうやらあんずとるねっとはもう大食堂に戻っているのかここにはいないようだった。

「オレンジジュースかな」

「なんか、子供っぽいですわね」

「そういう君は?」

「私は、コーヒーですわ」

「へぇ、でも自動販売機ではいつもジュースじゃなかった?」

 冴木はついこの間に一生のお願い、と言われジュースを奢ったことを思い出す。

「自動販売機の缶コーヒーは何だか苦手で……私の実家にいるメイドさんが淹れるコーヒーは格別に美味しいんですわよ」

「ちょっと、え? 君の実家は家政婦がいるの?」

「普通じゃありませんの?」

「いや……今どき稀有(けう)だね。どれだけお金持ちなんだか」

 常人とのズレを痛感した冴木は(きびす)を返して調理室に戻る。そのまま南側の扉を開けて一階東通路から二階へ上がった。みれいは久しぶりにオレンジジュースが飲みたいと呟きながら冴木の後をちょこちょことついてきた。

 ようやくスタッフルームの鍵を開けて中に入り、冴木とみれいはベッドに腰掛けた。腕時計は、午前一時半を指している。

「冴木先輩、事件のこと……何か分かりましたか?」

「さぁね」

「ちょっと、真剣に考えていますの?」

「考えていない」

「もう……しっかりしてください。それでも列記としたミステリー研究会の端くれですの?」

「全く、何がそんなに楽しいんだか……人が亡くなったというのに」

「そういえば、あつボンさんの死体はどんな様子だったんです?」

「知らなくていい」

「なら、見てきますわ」

 みれいがさっと腰を上げ、淀みのない足取りで歩き出した。

「待って、有栖川君。分かった、話すから座ろう」

「ふふーん、それでいいんですわ」

 何がふふーんだ、と冴木は内心で腹が立ったが、すぐに静まる。みれいはそういう人間なのだ。ここで言い返して争うのは最も効率の悪い時間の消費と言えよう。争いというのは元来、同じレベルの人間同士としか起こりえないものなのだ。

 他人は他人でしかなく、決して自分ではない。故に、自分の価値観を押し付けてはいけない。今回の殺人事件にしても、生命を奪うほど他人と干渉したい理由が冴木には皆目見当もつかない不思議な行動だった。

「あつボンさんはみさっきーさんと同様にナイフで胸を刺されていた。死体の横にはキーホルダーに”客室F”と書かれた鍵と、血が付着したベッドシーツが丸まっていた」

「ベッドシーツ?」

 みれいがベッドに腰掛け、シーツを持ち上げた。

「これですの?」

「そう。恐らく犯人が返り血を恐れたんだろうね」

「他には?」

「黒騎士からの言葉が書かれた紙切れ。それだけだ。ちなみにあつボンさんは帽子を被ったままだったけれど、本人で間違いないと三人が言っていた」

「あんずさん、イーグルさん、たくみんさんですわね」

「そう。鍵を壊して開けたのはたくみんさん、二階の倉庫からバールを見つけて使ったんだよ」

 冴木は知っていた情報を簡単にみれいに聞かせ、ポケットから残り二つになってしまった棒付きキャンディーの一つを取り出して口に放り込んだ。

 みれいがうーん、と唸りながら冴木の口元を見ている。

「あ、食べたかった?」

「え? まぁ、いいんですの?」

「最後だけれど……キャリーバッグにまだあるからいいよ」

「いつも食べていらっしゃいますけど、一体、何味ですの?」

 冴木はポケットから最後のキャンディーを取り出して味を確認してから渡した。

「これは、ぶりの照り焼き味だね」

「え?」

「ちなみに僕がいま舐めてるのは、牛もつ煮込み味」

「え、ちょっと、冴木先輩……」

 冴木が若干惜しみながら手渡すと、みれいは受け取ったキャンディーをそっと返した。

「やっぱりいりませんわ……」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ