幻想ミスディレクションII
有栖川みれいとるねっとの二人は、玄関ホールから二階へ上がり、二階西通路の階段を降りて一階西通路に向かった。そのまま脱衣所に続く扉を開けて、中に入る。
道中、みれいが本当に玄関ホールから一階西通路に向かう扉は開かないか試してみたが、玄関ホールと一階西通路を繋ぐ扉は確かに開かなかった。
脱衣所には綺麗なタオルが何枚も重なっており、藁で出来ているような籠がいくつもあった。その一つに、みれいは脱いだ服を乱雑に放り込む。るねっとは頬に付いていた星のタトゥーのシールを剥がしていた。簡単に付け外しできるのだろう。
「あら? それ、なんですの?」
みれいがるねっとの首から下げられているロケットペンダントを指差す。
「これは、 母と私が映っている写真がはめ込まれているロケットペンダントです」
「まぁ、お母様想いなんですわね。絶対に私は付けたくありませんわ」
みれいは苦々しい表情を作る。母親の話題となればお手の物である。
「みれいさんは母親と仲良くないんですか?」
「ええ。毎日些細な小言をマシンガンのように浴びせられて、私は身も心も穴だらけですわ」
「ふふっ、きっとそれだけ、みれいさんの事が心配なんですよ」
「どうでしょうね。有栖川家に汚名を付けたくない一心に見えますわ。お父様も厳しいですし……」
みれいが愚痴をこぼすと、るねっとが僅かに表情を曇らせた。その変化をみれいは敏感に感じ取ったが、追求しないことにした。
みれいは大浴場に続く扉を開ける。後ろにいたるねっとがすぐに声を荒げた。
「わぁ、凄い。大きな浴場ですね……みれいさん?」
「うーん、ちょっと狭いですわ」
「あ、あはは……」
みれいとるねっとは隣同士で髪を洗い、体を洗うときは背中を洗いっこした。それはみれいが妹と共に入浴するときによくする行動だった。
「ところで、るねっとさんは電車を間違えたんですの? それともバス?」
「えっ? みれいさん……イーグルさんたちの話を聞いていたんですか?」
「ええ、当然ですわ。一字一句逃していません」
「まぁ……てっきり何も聞いていないかと思っていました。えっと、途中で電車を間違えてしまって、一本遅いバスで来たんです」
「あら、案外抜けてるところがあるんですの? そういうのはキチンとしているような人に見えたので……」
「どうしてです?」
「脱いだお洋服を、綺麗にたたんでいましたわ」
「ふふっ、よく見てますね。私は産まれてすぐに父がいなくなって、母子家庭でしたから……。洗濯物とかよくたたむんです。みれいさんは?」
両親の離婚。そのせいで、先ほど父親の話題を出したときに表情が曇ったのか、とみれいは納得する。努めて明るくるねっとを見て、深く触れずに自然と会話を続けることにした。
「私は自分で言うのもなんですが、箱入り娘と言うものでしたわ。家事は全くやらせてくれませんの。けど、ようやく羽を伸ばして色々見れるものですから……つい、他人の行動が気になるんですわ」
「へぇ……凄いですね。人間観察ってものですか?」
「よく分かりませんわ。でも、るねっとさんが意図的に左腕を隠しているのはお見通しです」みれいはへたくそなウインクを放つ。「これって人間観察ですの?」
「……本当によく見ていますね」
諦めたように息を吐いたるねっとが、左腕をみれいに見せる。
みれいは得意げな表情で左腕を見たが、すぐにその表情は崩れてしまった。るねっとの左腕、そこには無数に傷があった。リストカット痕である。
「それ……ご自分で?」
「はい、そうです。一時期精神的に参ってしまって……でも、今はもう大丈夫ですから、心配しないでください」
「そうでしたの……辛いことがあったら、私に相談してほしいですわ。一緒にお風呂に入ったら、もう友達ですわよね?」
「ふふっ、そうですね。ありがとうございます」
二人は大きな浴槽に浸かる。みれいは冴木に報告しようと、今一度浴室内を隈なく見たが、大浴場に人が出入りできる場所はなかった。換気扇のみが、ぐるぐると回っている。そういえば誰が湯を沸かしたのだろう。
「るねっとさん、今回の事件をどう思います?」
「奇妙ですね……でもそれよりも、かなりショックです。これでも、無理をしているんです。亡くなった二人とは長い付き合いでしたから……」
「でも、ここに来たメンバーとは初めてお会いしたのでしょう?」
「はい、そうです。だからあんな姿になって……」
「ごめんなさい、辛いことを思い出させてしまいましたわ」
「いえ、大丈夫です……」るねっとは湯で顔を洗う。「みれいさんは平気なんですか?」
「なんだか、実感が湧きませんの。直接見たわけでもありませんので」
「そうですよね。見るものじゃないです。死体なんてものは」
「ゲームでは、みさっきーさんやあつボンさんはどんな方でしたの?」
「ええ、二人ともかなり強かったですよ。黒騎士には到底敵いませんが、皆とも仲が良かったみたいです」
「黒騎士ってそんなに強い方なんですの? 男性?」
「話し方は男性の口調でしたよ。強さはもうピカイチ。いつもランキング上位で、誰も同じジョブにしなかったぐらいです」
「なんてジョブなんですの?」
「ええっと、重歩兵と奇術師を混ぜたもので、凄く重量のある装備なのに、エキセントリックな動きをするジョブです」
「まぁ、面白そうですわ。私もやってみようかしら」
「あれは素人じゃ操作が難しすぎて出来ないと思います。中でも強いのが、シャドートランジットという移動スキルですね」
「なんですの? トランシーバー?」
「トランジット、通過する、みたいな意味だったと思います。自分の影に潜って、壁なんかを通り抜けちゃうんですよ」
「まぁ、便利ですわね! 他には何かありませんの?」
「そうですね……特殊なもので、ミスディレクションナイフとかあります」
「み、みす……?」
「ミスディレクションですよ」
るねっとがゆっくり発音してからくすくすと笑う。よく噛まずにいえるものだとみれいは感心した。
「ナイフが至る所に反射して、敵の急所を的確に射抜くんです。あれはもう芸術ですね」
「よく考えられていますわね……。でもその二つを使えば、今回の殺人も出来そうですわ」
ぴたり、とるねっとの笑い声が止んだ。
「ごめんなさい、先に出ますね」
るねっとが浴槽から出る。その表情は暗かった。
「すいません、部外者なのに色々聞いてしまいましたわ」
「いえ……でも、確かにゲームの中の黒騎士なら出来ると思います」
ぎこちない笑みを浮かべ、るねっとは先に脱衣所に行ってしまった。
みれいは水面に映る自分の顔を見る。
「黒騎士……。うーん……よく分からないことだらけですわ」
みれいは水面に顔を突っ込んでぶくぶくと泡を出して遊んでから、脱衣所に向かった。既にるねっとは体を拭き終わっていたので、みれいも急いで体を拭く。
沢山ある籠の横に、浴衣があったので、みれいとるねっとは同じものを着た。女性用の浴衣は二着用意されていたが、本来ならこのうちの一着は、みさっきーが着るものだったのだろう。
みれいはドライヤーで髪を乾かす。るねっとはみれいよりも随分短い髪なので、僅か数分で乾いたようだった。なんともエコな髪型である。
「あ、あの、みれいさん。私ちょっとお手洗いに行ってもいいですか?」
「ええ、どうぞ。ここで待っていますわ」
「すいません、すぐ戻ってきますね」
るねっとが急ぎ足で脱衣所から出て行く。それを見届けて、みれいはまだ乾ききっていなかったがドライヤーの電源を切る。素早く廊下に出ると、すぐに左手に見える扉へ向かった。そこは、みさっきーの死体がある談話室である。
みれいは、扉を開けて、談話室を覗いた。この探究心を唯一止められそうな冴木は、残念ながらここにはいない。
談話室には、散らかった本に埋もれるようにして、みさっきーと思しき女性の死体がある。胸元からナイフが生えて、周りの血はすでに乾いていた。
(うわぁ……。直視しなければ、何とかなりそうですわね)
みれいは一歩、中へ踏み込んだ。
余り見ないようにしておこうと思ったものの、好奇心があっという間にその誓いを崩す。結局、恐る恐るではあるがみさっきーの死体を確認した。顔には十字のような切り傷が付けられている。爛れた痛々しい傷のせいでよく分からないが、整った顔立ちの女性で、黒髪が印象的に見えた。顔の横に置かれているマスクは、全く汚れていない。
確か、あの人たちの話ではみさっきーは談話室に行くまでマスクを付けたままだったと言っていた。刺される前にマスクが取られ、その後顔に傷を付けられたのだろう。だが、みれいにはまだ何かが引っかかっていた。
「あっ……!」
それに気付いたとき、みれいは思わず小さく声を漏らしていた。そのまま音を立てずに気になったものを確認する。
同時に、女性用トイレの方から水を流す音が聞こえてきた。
みれいは探索を止め、静かに廊下に戻り扉を元通りに閉めると、脱衣所の前まで足音を立てないように慎重に戻った。幸い、ふかふかのカーペットのせいか、走りでもしない限り足音がしなさそうだった。
みれいが定位置に戻るとすぐに、女性用トイレからるねっとが顔を出した。
「ごめんなさい、お待たせしてしまって。あれ? 髪まだ濡れていません?」
「このぐらいが、潤ってベストなんですの」
みれいは首を傾げるるねっとと並んで二階西通路へ行き、玄関ホールの上にある像がある場所まで来た。
今も悠然と、剣を突き刺して立っている像がある。
「この像って……本当に黒騎士と同じ服装なんですの?」
「はい、そうですよ。全く同じアバターですね……。本当にビックリしました。本物の黒騎士がいるみたいで」
「もしかして、黒騎士のスキルで敵を十字に斬るものとかありますの?」
「えっ、よくご存知ですね?」
「ええ、それはもう、父の会社のゲームですから」
みれいは嘘を吐いた。それは父の会社のゲーム、という部分ではなくスキルを知っていた、という部分のことだ。
(それで、顔に十字のような切り傷が付いていたんですわ……)
みれいとるねっとは、階段を降りて玄関ホールに着くと、すぐに大食堂に通じる扉を開けて、中に入った。
大食堂には、冴木、あんず、イーグル、たくみんの四人がまだ座っていた。テーブルには真新しいワインボトルが開けられていて、冴木以外の三人がグラスを傾けている。
「あら、ワインなんて飲んで……呑気ですわね」
あんずが風呂上がりの二人を見て赤い頬を持ち上げる。
「ああ、調理室の奥にワインセラーがあってね、結構品揃えがいいから拝借したんだ。お嬢さん方も飲むかい?」
「遠慮しますわ」
「私も、止めておきます」
「そうかい、まぁ無理強いはしないよ。飲みたくなったらグラスを用意するから言ってくれ」
あんずはそう言ってまたワインを味わう。会話が終わったのを確認して、たくみんが立ち上がった。
「さてと……次は俺が風呂に行こうかな、誰か一緒に行こう」
「ああ、ワインが無くなりそうだ。イーグル、また持って来てくれないか?」
「ちょっと、あんずさん。程々にしてくださいね」
イーグルが立ち上がり、調理室の方へ向かっていく。たくみんは話の腰を折られてしまって肩を竦めた。それを見て、冴木が助け舟を出す。
「僕が行きましょう。良いですか? たくみんさん」
「おう、心強いよ。こんな酔っ払いより、全然良いね」
何だと、とあんずが哄笑したが、冴木とたくみんは苦笑しただけで二人は玄関ホールに続く扉へ向かった。
「あ、ちょっと、冴木先輩」
「何?」
「その、大浴場は人が出入り出来そうな所はありませんでしたわ」
「あ、そう。外からは誰も来ないと思うけれどね」
「もう……そうかもしれませんけれど」
「話はそれだけ?」
「あ、ええと……後で二人になったときに話しますわ」
「……よく分からないけれど、分かったよ」
「あと、入浴なさるなら私と入れば宜しかったのに」
みれいは冴木が困るだろうとわざと提案した。冴木の困った顔を見るのが、みれいの密かな楽しみになりつつある。
「有栖川君、ワインを見ただけで酔えるなんて、面白い体をしてるね」
冴木が動じずに即答したので、みれいは大きく肩を落とした。
「もう……冴木先輩のバカ」
「君よりは、馬鹿じゃないと自負している」
「ふんだ、冴木先輩のむっつりすけべ!」
みれいが声量を上げて言ったので、この場にいた全員の視線が冴木に集まった。
「ちょっと、有栖川君。誤解を招くようなことを平気で口にするのはやめた方がいい。オオカミ少年になっちゃうよ」
冴木が困った表情をしたので、みれいは満面の笑みで答えた。
「私、オオカミになっても少年にはなりませんわ」