思慕を抱くブラックナイトIII
碓氷警部のスマートフォンの前で、有栖川みれいと、碓氷警部が愕然と経過時間を表示させるモニターを見つめていた。
スピーカー状態になっているので、冴木とるねっとの会話は非常に良く聞き取れる。みれいは冴木が説明している言葉を一字一句聞き逃さないように耳をそばだてて、自分の中で燻っていた謎が解けたときに何とも言えない感情を味わった。
隣にいた碓氷警部は「はー」と言ったり「ほー」と言うばかりで、は行しか言えない人間になってしまったようだ。走らせていたペンも赤信号に捕まったように、時折動きが止まっていた。
通話が終了してすぐに、碓氷警部はるねっとの病室に入っていった。これから詳しく話を聞くのだろう。
入れ替わりで病室から出てきた冴木と合流したみれいは、駐車場に停めてある白い車に戻った。
「冴木先輩、るねっとさんが犯人だといつ分かったんですの?」
「さぁ……決定打になったのは、あんずさんの死かな」
「えっ、その時点で怪しいと?」みれいは冴木に身を寄せる。冴木が反対側を向いて窓の外に目を向けた。「だってるねっとさんには完璧なアリバイがあって、あんずさんのいた部屋は完璧な密室だったでしょう?」
「完璧過ぎたんだよ」冴木が当然のように言った。「あんずさんが朝からワインを飲んでいたのは、羽目を外したからじゃない。るねっとさんの朝食を美味しいと何度も賞賛していたのも、実の娘からの最初で最期の朝餐だったからなんだよ」
父親のあんずは、どんな気持ちだったのだろう。みれいには理解できなかった。
「ずっと会っていなかったというのに命を擲つなんて……私には考えられませんわ」
「それほどまでに、彼は慈悲深い人だったのだろうね。なんせゲーム仲間に慕われて、ギルドマスターとして貢献していた人間だ。そしてそのメンバーの一人が、偶然にも自分の娘だった。僕には娘がいないから分からないけれど、父から子への無償の愛というのは、計り知れないものなんだろうね」
「何だか……るねっとさんが可哀想、というか不憫ですわ。いえ、こういった言い方は亡くなった方々に失礼ですわね……。それで、冴木先輩。元々は、私たちが来たときには計算されていた犯行を終えていた、ということですの?」
「いや、最後はやはり全てを燃やして証拠を隠滅するつもりだったのかもしれない。何故なら、みさっきーさんの死亡推定時刻が割り出されたらおかしなことになるからね。それに指紋や、毛髪、そうだね、女性用トイレに付着していた血液も証拠になってしまう。あれはみさっきーさんを殺害した後に血を洗う前、るねっとさんが電気を付けた際に付着してしまったのだろう。初めて人を殺したあと、ましてやスイッチプレートで見えにくい箇所だったんだから、無理もない」
「あっ、マスクなんかにも唾液が付着しているからDNA鑑定で分かりますわね!」
「どうかな。ポケットに入れておいた新しいマスクを置いて、自分のマスクはウィッグと一緒に燃やしてもいいからね」
「うーん、何だか難しいですわ……。でも、そうですわね、客室の鍵が入れ替わっていたというのも、隠蔽は難しそうですわ」
「それも本来は来ない筈だった僕らがいなければ、東二階にいる人物はるねっとさんだけになる。いつでも、あつボンさんの所にいってキーホルダーの交換が可能だ。少々危険ではあるが何か算段があったのかもしれないね。何もかも、本当に考え込まれた殺人計画だった」
「……あ、だからるねっとさんは、入浴時に、もううつ病は大丈夫と言ったんですわね。殺害予定の人物を殺せたから、蟠りが解消されていた、ということなのかしら」
「さぁ……そういう他人の気持ちっていうのは、僕には分からない」
「冴木先輩は、そういう所にだけ本当に鈍感ですわね」みれいは変化の乏しい冴木の顔を覗き込む。「ところで、るねっとさんはどうしてわざわざ密室にしたんですの?」
「さぁ……」冴木はもう興味がなさそうだった。「不可能に思える第一の殺人を見せたあとに、荷物を置きにいけという指示があったよね。その時に必ず通る二階ホール、黒騎士の像を見せて、もしかしたら黒騎士がやったのでは、と畏怖の念を与えたかったのかもしれない。わざわざ見立てを行ったぐらいだから、黒騎士に対する誹謗中傷を見て見ぬ振りをしていた他のギルドメンバーたちの報復みたいなものかな。あくまで僕の勝手な考えだけれど、これといって思いつくものが他にない。本来密室なんていうものと、僕は縁がないから」
みれいと冴木は恵美の運転する車でアパートに着いた。みれいが恵美に御礼を言っている間も、後部座席にいるあおいは寝たままだった。
「それじゃ、冴木先輩。良いお年を」
「君もね」
みれいは若干焦げくさい自分の部屋に戻り、すぐにシャワーを浴びてからソファーに横たわった。
黒騎士館殺人事件は、まだみれいの頭の中の九割を占めている。こんな経験は、もう二度と味わえないかもしれない。
精密に考えた犯行を、るねっとはどんな気持ちで行ったのだろう。殺したいほどに憎いとは、一体どんな感情なのだろう。
みれいはるねっとと、彼女が思慕の念を抱いていたあんずについて考えながら、眠りに落ちていった。
翌朝、みれいは朝早くから電話をかけた。相手は、碓氷警部である。
「はぁい、もしもし。碓氷です」
「碓氷警部、おはようございます。有栖川みれいですわ」
「あぁ、有栖川さんね。どうもどうも、どうかなさいました?」
「ええ、その、るねっとさんから動機は聞けたのかと思いまして」
「有栖川さんも物好きですねぇ、それが知りたくてこんな朝っぱらから?」
「ええ、気になってしまって……もう全く眠れなかったんですの」
みれいは相手に見えないことをいい事に、堂々と嘘をついて小さく舌を出した。
「まぁ……そうですね。長電話もあれですから、どこか近くのレストランにでも」
みれいは碓氷警部が指定した近所のレストランにすぐ行くことにした。セーターを着てタータンチェックのマフラーを雑に巻くと、冬の寒空に負けないように歩いた。
まだ時刻は午前八時で、寂れたレストランは閑古鳥が鳴くほど空いている。みれいが中に入ると、すでに喫煙席に碓氷警部が座っており、コーヒーを飲みながら煙草を吸っていた。
「お待たせ致しましたわ、碓氷警部」
「あ、早かったですね。店員さーん、モーニングもう一つ」
碓氷警部がみれいの分を注文して、大きく煙を吐くと灰皿に煙草を押し付けて消した。
「さて、何から話したものか……まず、るねっとさんと黒騎士の繋がりからですかね」
「ええ、お願いしますわ」
「二人はですね、恋仲でした。るねっとさんは黒騎士にほの字で、もう、ね」
「ほの字?」
「あぁ、今はこの言い方しませんか。とりあえず、付き合っていたんですよ。それで、るねっとさんは黒騎士のアカウントでもゲームをしていたそうです。黒騎士がいつもランキング上位なのは、二人で協力していたから、という訳ですな」
「そんな事出来ますの?」
「そりゃもちろん、ゲームのIDとパスワードを共有したんでしょうね。それで、ほとんどるねっとさんが黒騎士のアパートに入り浸っていたそうです。ところがある日、彼女が自分の家でるねっととして活動しているときに、亡くなったみさっきーさんと、あつボンさん、二人の会話を耳にします。それは黒騎士に対する嫉妬に似た愚痴です」
「黒騎士が何かしたんですの?」
みれいが質問すると、ちょうど店員がやってきてモーニングのパンとゆで卵、ホットコーヒーが運ばれてきた。碓氷警部は隙ありと言わんばかりに新しい煙草を取り出して火をつけた。
「黒騎士は、何もしていません。強いて言えば、強すぎたというか、課金っていうの分かりますか?」
「ええ、分かりますわ。ゲームの中に実際のお金を投資して、売買を行うんですわ」
「そう。それが余りにも激しいものだから、妬んだんでしょうなぁ」
「どんな内容ですの?」
「黒騎士を陥れようとする作戦会議ですよ。ネット掲示板で黒騎士の酷評を流して、炎上させようとしたんです。何でも、みさっきーさんが必要以上に黒騎士にアイテム強請っていたんですが、余りのしつこさにるねっとさんが拒否させたそうで、それが波紋をよんでそんな計画が立てられたようですなぁ」
「え? たったそれだけのことで?」
「ええ……まぁ亡くなった二人にとっては些末な遊びだったのかも知れませんが、ネット掲示板とは恐ろしいですね。匿名なのをいい事に、もう罵詈雑言……あれは普通の人が見たら発狂しますよ。よくあんなのを最近の子たちは楽しんでいるものですなぁ」
「それで、炎上したんですの?」脱線しかけていた話をみれいは素早く戻す。
「あ、ええ、炎上というか……まぁほとぼりが冷めるまで、黒騎士は耐えれなかったようです。彼は社会でもうまくやっていけなかった人間でしてね、莫大な親の遺産と株やアフィリエイトで好き放題していたそうです。プラスして課金のために借金にも手を出していました。彼にとってはもはや、ゲームの世界が全てだったんでしょうな。それで、黒騎士は相手が誰かも分からない暴言に悩まされ、懊悩した挙句にギルドのメンバーも信用できないほど疑心暗鬼になった……。彼は首を吊って自殺していたそうです。それを、るねっとさんが発見したと言っていました」
碓氷警部は豪快に煙を吐いて頭を掻いた。
「でも、黒騎士の死体はばらばらにされて冷凍庫に入っていたのではありませんの?」
「ええ、その通りですよ。それはるねっとさん自身がやったと言っています」
「え?」みれいは飲もうとしていたコーヒーカップを下ろした。「そんな、どうしてわざわざ……」
「彼女はうつ病で、重度の依存症です。黒騎士が彼女の心の支えだったんですよ。だからこの世に残しておきたくて、腐らせないように冷凍庫に仕舞おうとしたんです。でも成人男性ですから、大きくて冷凍庫に入らない。それで、コンパクトにするために死体をばらばらにした、と言っていました。私には、到底理解できない思考回路ですよ。それから彼女は、黒騎士の自殺の発端を作り上げた二人を殺そうと考えたそうです」
「ああ……何だか頭が痛くなってきましたわ。でもるねっとさんには母親のひなたさんがいるのでは? なぜ黒騎士にそこまで固執するのか分かりませんわ」
「あぁ、それなんですがね。母親のひなたさんは半年ほど前に亡くなっていました。病死です」
「そんな……じゃあそれで黒騎士に必要以上に執着していたんですわね……。あの、本当にるねっとさんが死体をばらばらにしたり、黒騎士館で殺人を行ったと、そう仰ったのですの?」
「ええ、ボイスレコーダーで録音もされていますよ。有栖川さんと冴木さんのおかげで、私は早々に休めて気が楽です。まぁ、まだ色々と残ってはいますが……ともかく、そういった裏でのいざこざが引き金だったわけです。一応、今回の事件の真相、及び動機に関してなどは一切他言無用ということで……お願いしますね、有栖川さん。モーニングは私の奢りですから」
「ええ、分かりましたわ。碓氷警部、わざわざありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。調査に御協力頂き、ありがとうございました。またもし何かありましたから、今日のように電話してください。出来れば、事件なんかじゃないほうがいいんですが」
碓氷警部は先に席を立ち、会計を済ますと最後ににっこりと微笑んで手を振りながら店を出ていく。途中、自動ドアのセンサーが反応せずに思いっきり顔をぶつけていたが、みれいは見て見ぬ振りをした。
るねっとの犯行動機は、みれいの予想の埒外をいくものだった。父親であるあんずには、動機も話したのだろうか。
「はぁ……。私も、人の感情は分かりませんわ、冴木先輩……」
テーブルにある黒いコーヒーが、ゆらゆらと湯気を放っている。中の液体は真っ黒で、どこまでも黒い。みれいはそんな黒いコーヒーをゆっくり飲んだ。
「あんずさんも、コーヒーぐらいは一緒に飲んであげたら宜しかったのに……」
今回の事件を起こした黒騎士るねっとが心を開き、依存できるものは、今はもうどこにもいない。




