東雲シンクロニシティIII
冴木賢は、”客室A”で発見されたあんずの不可解な刺殺死体を見ないように、現状を思案した。
あんずは、つい先ほどまで大食堂に冴木と一緒にいた。冴木、るねっとと共に朝食を済ませてから、彼は部屋に戻ったのは確かである。
それから少しして、イーグルが大食堂に現れる。るねっととイーグルが調理室へ行き、冴木が二階西通路に来た。
順番にたくみん、シュダを起こす間に当然ながら”客室A”には誰も出入りしていない。突き当たりの廊下で、見通しは良かった。それからこの”客室A”が開けられるまで、冴木はずっとこの通路にいたのである。
こうして考えると、犯行が不可能なのは冴木と共にいたるねっとのみであり、他の男性三人にはあんずを殺害する猶予が僅かながらにしろあったかもしれない、と推測できる。
だが、この”客室A”は”客室F”と同様にまたしても密室だった。
この部屋には鍵が掛けられていて、それは冴木も確認している。そして扉の内側には何故かサイドテーブルが部屋に入る人間を拒むように置かれていた。もちろん部屋を隅々まで確認したが、他の客室やスタッフルームと同じようで、他に人が出入り出来るスペースはない。窓も内側から鍵が掛かっており、念のために試したが、鉄格子は外せなかった。
密室状態なのは、”客室F”で発見されたあつボンの死体を発見した時と共通であるが、サイドテーブルが置かれていたというのが密室の違いである。
更に浮き彫りになった”客室F”との差異は、殺害に用いられた凶器である。
第一の殺人に用いられた凶器と第二の殺人で使われた凶器。その二つと、今回起きた第三の殺人の凶器は違った。今までは外部から持ち込まれたナイフによる殺傷だったが、今回は大食堂にあった包丁が凶器になっている。それは昨夜みれいと確認したので冴木にとっては新しい記憶だ。だが、今朝の朝食作りで冴木は包丁がしまっている箇所を確認しておらず、包丁を確認出来たのは冴木よりも先に起きていた被害者であるあんずか、大食堂にいるるねっとである。
そして、今まで犯行現場に置かれていた黒騎士からの紙切れも、今回はどこを探しても見当たらなかった。
受け入れ難い殺人にシュダとたくみんが狼狽しながら廊下に戻り、冴木も続いた。これ以上、何も確認することはない。あんずが亡くなったという揺るぎない事実のみが、突きつけられたことになる。だが、冴木の頭の中には僅かな光明がチラついていた。
「な、なぁ……。何か臭わないか?」
シュダが鼻をひくつかせながら質問した。たくみんも同じ動作をすると、不思議そうに頷く。
「死体の臭いじゃない……なんか焦げくさいような、一階からか?」
冴木とシュダ、たくみんは三人で二階の像がある所まで行く。ここまで行くと、確実に異臭が鼻に纏わりついた。
「この臭い……」冴木はつい最近嗅いだ臭いだと瞬時に把握した。「火事かもしれない」
冴木にとっては新鮮でもなんでもない臭い。それは、みれいが起こしたボヤ騒ぎの時に嗅いだ異臭に酷似している。
冴木の呟きを聞いたシュダとたくみんは血相を変えて走り出した。
階段を駆け下りて大食堂に続く扉を勢いよく開く。大食堂には、イーグルがテーブルに顔を伏せて倒れていた。すぐ横の調理室に続く扉の隙間からは、濛々と煙が滲み出ている。
たくみんが素早い動作で、イーグルの元に走り、安否を確認した。
「イーグル! しっかりしろ!」
「うぅ……うん? た、たくみん……?」
イーグルが咳をしながら苦しそうに目を開ける。拙い動作で眼鏡を探し始めたので、見兼ねたたくみんが眼鏡をイーグルに手渡した。
「何してるんだ! イーグル! 火事だ、早く避難しないと!」
「何だか飲み物を飲んだら眠くなってしまって……え、何、火事?」イーグルが眼鏡の奥で目をしょぼつかせる。「火事ですか?」
「火事だよ! ほら!」
たくみんが慌てて調理室に人差し指を向ける。丁度シュダが調理室の方向に向かっていた。
「えっ、うわ! は、早く逃げないと……ああ!」
「イーグルさん、落ち着いて下さい」冴木は動揺を堪えて何とか冷静を装って訊く。一緒だったるねっとさんは、どこに?」
「あ、冴木さん、は、はい……ち、調理室に行ったはずです」
それを聞いてシュダが調理室に続く扉を開けた。大食堂からでも見える赤い炎が激しく燃えており、シュダがすぐに扉を閉めて咳き込むと首を振った。
「見当たらないよ! それに、もし中にいるとしたらもう手遅れだ!」
シュダがよろよろとテーブルまで歩くと、たくみんがイーグルから離れて駆け出した。
「一応るねっとさんの部屋を見てきます! 冴木さんも、有栖川さんの所に行かないと! それに、まだ荷物を取りに行くなら間に合います、行きましょう」
みれいはもうこの黒騎士館にはいないのだが、説明は後回しにすることにした。
「分かりました、イーグルさんとシュダさんも、荷物を。たくみんさんの分も持ってすぐに外に避難してください」
「わ、分かりました。気を付けて下さいね」イーグルが素早く何度も頷く。「あれ、でもあんずさんは?」
イーグルの隣に移動したシュダが言いにそうに口を開いた。それを見届けずして、すでに走り出しているたくみんに追いつくように冴木は玄関ホールに出て全力で走ったが、筋骨隆々のたくみんの俊敏な動きには到底届かなかった。
二階東通路に着くと、たくみんが丁度”客室E”の扉を開けていた。どうやら火が二階まで燃え移っていたようで、扉が激しく床に倒れ、火の粉が舞った。
「あっ、いた!」
部屋に入っていったたくみんの声が聞こえ、客室の中からぐったりとしているるねっとを抱えて出てきた。だが、”客室E”と”客室F”を繋ぐ通路の床が早くも崩壊し始めている。この真下が調理室とワインセラーがある場所であり、火の周りが早いようだ。
「たくみんさん!」冴木は炎に負けないように声を張り上げる。「るねっとさんは無事ですか!」
「息はしている! くそ、飛び越えれるか……!」
「あっ、後ろ!」
たくみんを襲うように、柱が火を纏いながら倒れてくる。
それを確認したたくみんが意を決して、足場の不安定な廊下をるねっとを抱えたまま飛んだ。着地地点の床が軋み、ぼろぼろとタルトの生地が割れるように欠落し、抱えていたるねっとが前方に投げ出される。そのまま冴木の元までるねっとが人形のように転がった。肌が赤く焼けていたが、辛うじて呼吸はしている。
たくみんは紙一重で他の黒く焦げた柱に掴まっており、冴木からはたくみんの頭と腕しか視認できなかった。
冴木はすぐにるねっとを火の元から下げて倉庫前に寝かすと、たくみんの元に駆け寄り、空いた手を掴んだ。眼下には、膨れ上がりつつある炎が留まることを知らずに激しく館を燃やし尽くそうと暴れている。
「たくみんさん、しっかり掴まって! 引っ張りあげます!」
「駄目だ、もう、無理だ! 冴木さん、逃げて!」
冴木は死を悟ったようなたくみんを見て、余計に手に力を込めた。他人には無頓着だと言いながらも、目の前で消えかかっている命は見過ごせないんじゃないか、と奮闘する冴木を見下ろすもう一人の自分がいるような錯覚を感じながら、冴木は渾身の力でたくみんを引き上げる。
同時にたくみんが掴んでいた柱が崩れ、一階の火の海に飲み込まれていった。冴木の横では、火傷をしているものの目立った外傷のないたくみんが大きく肩で息をしている。
「さ、冴木さん……」たくみんが力なく微笑む。「ありがとう、助かったよ」
「そういうのは、外に出てから言いましょう。立てますか? 早くここから離れた方がいい」
「分かった……! あ、有栖川さんは?」
「有栖川君なら大丈夫です。とにかく早く外に」
冴木とたくみんは気絶しているるねっとを抱えて、這々の体で一階の玄関ホールに降りる。
すでに玄関の扉は開け放たれており、新鮮な空気が肺に行き届いた。玄関にはイーグルとシュダの二人がそわそわしながら立っており、こちらを見つけてすぐに駆け寄ってきてくれた。二人の援助でようやく力を抜いた冴木は、荷物を諦めて外に出た。この状況を説明すれば、みれいも仕方ないと荷物は諦めるだろう。
火事の出火元は恐らく調理室だと思われる。ワインセラーには木製の棚が整然と並んでいたし、倉庫もすぐ近くにあった。火は凄まじい勢いで燃え広がったに違いない。早く気付いたのが幸いだった。床に敷かれてあった厚い絨毯も、火事が起こった今ではまるで導火線のように思える。
冴木は考えながら、積もった雪の上に座り込んだ。外に脱出できたのは冴木とたくみん、イーグル、シュダ、そしてまだ目を覚まさないるねっとである。
図らずも、みさっきー、あつボン、あんずは黒騎士館に取り残されていることになる。だが、怪我人もいる現状で中に入りにいく人物は誰もいない。既に玄関ホールにも煙が蔓延し始めており、中に入れば命に関わるということは目に見えていた。
イーグルがるねっとを抱えて、シュダは火傷をしているたくみんを気遣いながら黒騎士館から離れる。冴木は次第に形を崩していく黒騎士館をじっと眺めた。
紙切れに書かれていた黒騎士の文字が、脳裏を掠める。
黒騎士の裁きは、果たして終わったのだろうか。
黒騎士館では、黒騎士と共にゲームをしていた三人が、火葬されるように成す術もなく燃えているのだろう。
これも、黒騎士の計画の一端なのだろうか。
黒騎士の混ざりに混ざって黒くなった怨念が燃料となり、黒騎士館はただ狂ったように燃え続けた。
やがてけたたましいサイレンが冴木の耳に届く頃には、弔うような雪が静かに降り始めていた。