顕在化するハイポシシスIII
「じゃあ、そろそろ僕は寝るよ」
冴木が歯を磨き終えて洗面所から戻ってくると、欠伸をしながら言った。もう夜中なのだから無理もない。
「あ、冴木先輩。やっと一緒に寝る気になりましたの?」
みれいはベッドで寝転がっていたが横に回転してどうぞ、と開いたスペースを手で叩いた。
「有栖川君は大きな靴下と一緒に寝るといいよ」
「もう、またそうやって……言っておきますけど、私サンタさんは信じていませんの。だって、私の実家の警備に見つからずに枕元にプレゼントを置くなんて、あり得ませんわ」
「……現実的にものをみるのは良いことだね」
「冴木先輩、今日はよく褒めますわね」
冴木は黙ったまま押し入れから余っているベッドシーツや毛布を取り出すと、ミノムシのようにぐるぐると体に巻きつけて荷物の横に座り込んだ。
「冴木先輩、まさかそれで寝るんですの?」
「別に、僕はどこでも寝られるから問題ない」
「変に意地を張って風邪をひかれても困りますわ」
「問題ない」
「もう……いつでもベッドにいらしていいですわよ」
みれいはわざと照れたような口調で囁いたが、冴木からの返答はなかった。仕方がない、明日もっといじりたおそう、と考えながら、ふと何故自分がこんなに冴木の事を気にするのかと自問した。
冴木とは今年の春にミステリー研究会というサークルで知り合った。取り立てて眉目秀麗というわけでもなく、実家のようにお金持ちというわけでもない。だが、サークルメンバーたちがこんなトリックはどうだ、と推敲した謎を掲示すると、瞬く間にトリックを暴いて細かい矛盾を指摘するのだ。その姿が、みれいの海馬に印象的に残っている。
そう、まるで自分の好きなミステリー小説に登場する探偵のようだ。
だが、みれいは自分自身も探偵というものに憧れていた。
冴木のことばかりになっていた思考をスイッチのように切り替え、今日この黒騎士館で起きた事件の細部を整理しよう、とみれいは鼻息荒く掛け布団に潜り込んだ。
(私だって、探偵みたいに……きっとやればできますわ)
みれいはベッドに体重を預け、瞼を閉じる。頭だけ掛け布団からだすと慎重に呼吸を整えて、次に脳に散りばめられた細かい情報を整理整頓することにした。
まず、るねっとを除くオフ会メンバーがバス停に集い、徒歩で黒騎士館に到着した。この時注意するのは、煙突からは煙が出ていなかったというイーグルの証言だ。
みさっきーが玄関の扉を開けて、玄関ホールのテーブルに置いてあった黒騎士の紙切れを読む。その指示で、全員が荷物を置いて大食堂に行った。
大食堂にあった新しい紙切れの指示に従い、イーグル、あんずが調理室へ向かう。そしてその後、シュダが玄関ホールを経由し、一階東通路の男性用トイレに行った。
すぐにみさっきーも大食堂から西にある談話室を通って女性用トイレに向かっている。実際にトイレまで行ったのかどうか、それを証言できる人間はいない。
そして男性用トイレに行ったシュダはトイレットペーパーがないことに気付き、調理室に顔を出している。つまり、調理室にいたイーグル、あんずとトイレに行ったシュダがここで再び顔を合わせたのだ。その後、トイレットペーパーを倉庫で入手したシュダは、トイレにいる時に外で雪か何かが落ちるような音を聞いている。
恐らくシュダがトイレにいる頃、スマートフォンを忘れたたくみんが玄関ホールに行っていた。この時点で大食堂にいるあつボンは一人取り残されており、アリバイがない。
たくみんはスマートフォンを手にしてすぐに玄関のドアがノックされたと言っていたが、もしかしたら談話室まで行けた可能性があるかもしれない。けれど、この仮説は玄関ホール西側の扉が開かないことにより、難しくなる。二階経由で一階西通路までいき談話室に行くのは時間がかかってしまうからだ。それにこの時点ではみさっきーの死体近くにあった二階の見取り図を確認していないので、二階の間取りが分かっていたとは思えない。
玄関をノックしていたのは遅れてやってきたるねっとで、たくみんとるねっとはこれが初対面である。彼女は道を間違えたせいで一本遅れたバスで来たと言っていた。
会話をしている最中に東側からトイレに行っていたシュダが戻ってきて、たくみんはこの時に玄関の鍵をしっかりと掛けた。
周りが皆行動している最中、あつボンは大食堂で何をしていたのだろう。隣の談話室で物音などは聞かなかったのだろうか。それとも、彼がみさっきーを殺したのか……。だとすると、荷物が玄関にあるので凶器のナイフを持ち歩いていたことになる。殺してから本を散らかして、何事もなかったかのように大食堂に戻る。彼にそれを誰にも見られずに行えるだけの猶予はあっただろうか。
それに、シュダやみさっきーのトイレ、スマートフォンを取りに行ったたくみんというのは、黒騎士の指示ではなく、その時偶発的に起きた現状である。あつボンは偶然一人残ったのだ。計画殺人と思われる今回の事件では、最もあり得ないタイミングで犯した殺人ということになってしまう。それに、あつボンが紙切れを持っていたというのも頷けない。あの黒騎士からの言葉が載せてある紙切れは、玄関ホールや大食堂、はたまた各客室にまで置かれていた。予め犯人が用意していたとしか考えられない。
もう一つの仮説はシュダがみさっきーを殺したかもしれないということである。トイレットペーパーを入手したシュダがトイレに行きすぐに東通路の階段を使い二階へ行って談話室まで行って戻った、という仮説。しかし、恰幅の良い彼ではその距離の移動に時間がかかりそうに思えるし、そもそも計画的な犯行なのだからトイレットペーパーを忘れるなんていうヘマはしないだろう。
その後、調理室のイーグル、あんずと玄関ホールからたくみん、シュダ、るねっとが大食堂に現れる。あつボンはずっと大食堂にいた。るねっとを確認したイーグルが調理室に一人で行き、料理を温めて持ってきた。
そしてみさっきーがトイレから戻ってこないという話になり、るねっとが談話室に向かいイーグルも続いた。そこで、みさっきーの死体を見つけたことになる。
慄きながら、死体の側にあった鍵と書き置きをたくみんが拾い、大食堂に戻った。ここまでが第一の殺人の大まかな概要である。
「うーん……」
みれいは唸り声をあげて寝返りを打った。
もしかしたら、みさっきーはその時まだ死んでいなかったのかもしれない。しかし、だとすると散らかった本に染みた血がどこから現れたのか分からない。それに、死んだように見せるというのは何のメリットがあるのだろう。自分で本を散らかして埋もれるとは到底思えない。それに、たくみんが見た状況とみれいが見た現場状況は酷似していた。やはり、死んでいたのだろう。
「一体どこで殺すタイミングが……最初の殺人はあつボンさんがして、次にそれに気付いた誰かがあつボンさんを殺したのかしら……」
最初の死体発見後、全員は各々の部屋の鍵と荷物を持ち、二階へ行ったと言っていた。それは黒騎士の指示である。
あんず、イーグル、シュダ、たくみんが西側。現在みれい、冴木がいる東側には、るねっと、あつボンが行ったことになる。
そして、あんず、シュダ、たくみんはそのまま一階の娯楽室。イーグルだけが脱衣所に行った。どれも、部屋にあった黒騎士の書き置きの指示によるものであるのは全員が紙切れを見せ合い確認済みだ。
東側のるねっとがあつボンの”客室F”をノックして現れないのを確認してから、遅れて娯楽室に来る。その時の騒ぎを聞いたイーグルが脱衣所から顔をだした。
それからは全員で行動し、各部屋を確認しながらあつボンの捜索。そこに、偶然にもみれいと冴木が来たことになる。
そして”客室F”はたくみんが確認した限りは鍵が掛かっており、バールで破壊して中へ入った。そこには、ナイフで胸元を刺されたあつボンの死体と丸まったベッドシーツ。それともう一つ、当然のように黒騎士の紙切れ。
冴木が紙切れを取り、部屋を出て冴木、イーグル、あんず、たくみんは大食堂に戻った。これが第二の殺人の大まかな概要である。
「……全然わかりませんわ」
みれいは枕を掴んで抱きしめると、大きな溜息を吐いた。
「各自が部屋に行ってから合流するまでにアリバイがないのは、一人だけ脱衣所という指示だったイーグルさんと、あつボンさんと一番近い距離にいたるねっとさんになる。でも、”客室F”は鍵が掛かっていたのをたくみんさんが確認している。それに、いつの間にか暖炉には火がついていた……」
オフ会に集まった面々を欺き、殺人を行ったのは一体誰なのか。
いや、それ以前にもう一つの謎があった。それは、誰がこの黒騎士館で夕食の用意をしたのか、プラスして、見取り図などの紙切れを用意したのは誰なのか。
二階にある黒騎士像が、瞼の裏に浮かび上がる。
すぐに幻惑を振り払って頭を振った。整理されていたパーツが散らばる。
血の付いていない脱いだコート。
調理室の包丁ではないナイフ。
散らかった本。
用意されていた料理。
女性用トイレのスイッチにあった血液。
男性用トイレの外で聞こえたという音。
いつの間にかついた暖炉。
黒騎士の像。
密室F。
丸まったベッドシーツ。
指示が書かれた紙切れ。
「あっ……」
みれいの頭の中で流れ星のように何かが閃いた。そのまま体を起こして、暗い部屋を眺める。
「このスタッフルームには、黒騎士の書き置きが記された紙切れがありませんわね……」
この部屋の鍵をみれいが開けて入った時、冴木が辺りをきょろきょろしてから廊下に出たのは、紙切れの有無を確かめるためだったのか、とみれいは納得する。
客室AからEまでは行動を指示する紙切れがあり、あつボンのいる”客室F”には指示を示唆するものはなかった。そして、みさっきーが入るはずだったこのスタッフルームには何もない。つまり、みさっきーがここに来ることは初めから想定されていなかったという事になる。
だとすると、完全に黒騎士の筋書きどおりに事が運んでいるということになるのかもしれない。
みれいはぶるっと身震いしながら、犯人像を思い浮かべた。
「もしかしたら、共犯かもしれませんわ。いや、偶然二つの殺人計画が交差したのかしら……」
だとしたら、一体誰なら可能なのだろう。
現在生きているオフ会メンバーは、ギルドマスターのあんず。彼は皆から慕われているように感じた。少々酒癖が悪そうだが……。
続いてイーグル。彼はサブマスターとしてギルドにいるようであんずから交代しないかと誘われていた。そして一人だけ黒騎士からの指示が異なっており脱衣所に向かっていた。
次にシュダ。彼は躊躇せずに毒があるかもしれない料理を平然と食べだした。それに、気が短いのか一度逆上して椅子を蹴り飛ばしていた。
そしてたくみん。彼がみさっきーの死体に最も接近した人物である。そして、”客室F”でしっかりと施錠の確認を行った人物でもあり、解錠もしている。
最後に、るねっと。彼女は母子家庭で育ち、母親想いの人に思えた。だがリストカットなどもしていた経歴がある。被害者のあつボンと二階東通路まで一緒にいた唯一の人物である。
共犯だとするとどうなるだろう。例えば、イーグル、あんず、シュダの三人が共犯だとすると、第一の殺人はお互いにアリバイを作ったと考えられる。あるいは、みさっきー、あつボン以外の全員が共犯……。しかしそれはあまりに突飛な理論である。もしそうだとすれば、もっと確実な方法があるようにも思える。でも一応この可能性も頭の中に残しておくことにした。
「あれ……?」
みれいは生存しているこの五人の名前を浮かべている途中で何か引っかかった。
みれいはより深く思考しようとしたが、突然聞こえてきた声で虚しくも中断された。
「有栖川君。独り言はボリュームを下げて言ってくれるかな」
「あら、冴木先輩起きていたんですの?」
「君がいつまでもぼそぼそ言うから眠れないんだよ」
「失礼しましたわ……あの、冴木先輩」
「君、本当に反省してる?」
「るねっとさん以外の、あんずさん、イーグルさん、シュダさん、たくみんさん、って聞いて何か、その浮かびません?」
「まだ事件のことを考えているの? いい加減寝たほうが身のためだ」
暗くて表情は読み取れないが、冴木が呆れた様子で答えるのが分かった。それでも、みれいは一瞬だけ気になったこの生存者たちが気掛かりで眠れる気が全くしなかった。
「何でもいいので、仰ってください」
「よく分からないけれど、るねっとさんを除くなら西側の客室にいる人達だろう?」
みれいの頭の上で、小さな豆電球が灯った。
「そうですわ! みさっきーさんのネームプレートがあった箇所にはこの部屋、スタッフルームの鍵。あつボンさんには”客室F”の鍵。亡くなった二人はどちらも東側の部屋に割り振られた人なんですわ!」
「それで?」
「だから、その……るねっとさんも犯人のターゲットか、あるいは、るねっとさんが犯人」
「面白い仮説だね」
「あぁ……何だか疲れましたわ」みれいは目元をぎゅっと押さえる。「その、冴木先輩はどう思います?」
「あのね、有栖川君。僕の率直な意見を聞いてくれる?」
「ええ、もちろんですわ」
みれいは殺し方や動機などに全く触れずにふわっとした仮説で一人納得しかけていたが、冴木ならばもっと納得の良く仮説を立てているかもしれない。冴木の率直な意見を聞き逃さないように、みれいは耳をそばだてた。
「それじゃ、言うけれど」冴木が体制を変えて丸まったまま寝そべった。「寝かせてくれ」




