前途暗澹なプロローグ
黒騎士館の見取り図
登場人物一覧
♦︎オフ会メンバー♦︎
あんずーー中年の男性。ギルドマスター
イーグルーー眼鏡の男性。サブマスター
シュダーー小太りの男性
たくみんーー筋骨隆々の男性
るねっとーー黒髪ショートヘアの女性
あつボンーー帽子の男性
みさっきーーー黒髪ロングヘアの女性
♦︎ミステリー研究会メンバー♦︎
冴木 賢ーー大学二年生
有栖川 みれいーー大学一年生
萩原 大樹ーー会長。大学二年生
♦︎その他♦︎
有栖川 あおいーーみれいの妹。中学三年生
恵美ーーあおい専属のメイド
碓氷ーー警視庁刑事部捜査一課の刑事
真っ白で冷たい雪が、小径を埋め尽くさんばかりの勢いで間断なく降り続いている。二人分のキャリーバッグを持った冴木賢は、早くもここに来たことを後悔し始めていた。
冴木の目の前には、パンの耳と同じ色をしたチェスターコートを羽織り、ブランド物のショルダーバッグを肩から斜めにぶら下げて歩いている有栖川みれいの背中が見える。ファッションに疎い冴木がなぜブランド物だと分かるのかというと、初めて自分のお金で買ったのだと散々自慢されたからである。
そんなみれいの、肩甲骨の辺りまで落ちているレッドピンクの髪を見失わないように用心して、冴木は歩く。段々と腕が痺れてくる。
結局、到着まで黙秘を続けるつもりであったが、あまりに長い道のりに痺れを切らす。腕の痺れも切らしてほしいものだ。
「有栖川君、まだ君の別荘とやらには着かないの?」
「せっかちですわね、冴木先輩。うーんと、この調子だと後三十分ぐらいかしら」
「えっ? それは無理だ」
「あら、どうしてですの? こんな山道ですけれど、道は分かりますわ」
「いや、あのね……有栖川君。君の荷物を僕が持ってるって事に気付いてる?」
「ええ、もちろんですわ」
「君のバックが重いんだよ。一体何をこんなに詰め込んだのさ」
「えーっと……着替えでしょう? あと、あっ、そうそう。サンタクロースの衣装も入っていますわ。冴木先輩、コスプレはお好き?」
「何故そんな余計なものまで詰め込んだのか理解に苦しむね。いいかい、有栖川君。自分の部屋や近所の友人宅でやる分には構わないけれどね、山の奥にある君の別荘でのクリスマスパーティーにわざわざ持っていくものじゃない」
「冴木先輩、あの別荘は私の親名義の物件ですから、自分の部屋と同じですわ」
「……ならせめて自分の荷物は自分で持ったらどうなの?」
「あらやだ、女性にこんな重たい荷物を持って山道を歩けと仰るの?」
「重たいって自覚があるなら少しは軽くする努力をした方がいい」
「もう、冴木先輩ったら文句ばっかり……って、きゃぁ!」
しっかり前を向いて歩いていなかったせいか、みれいが盛大に尻餅をついてスカートが雪に埋もれた。冴木は仕方なく一旦自分のキャリーバッグから手を離し、みれいに手を差し伸べた。
「有栖川君、歩き慣れない道なんだから気をつけたほうがいい」
みれいは何故か嬉しそうにしながら冴木の手を握ろうと手を伸ばしたが、すぐにはっとした表情になり足を内股にして鋭い視線を向ける。
「冴木先輩……見ていませんわよね?」
「え? 何を?」
「……何でもありませんわ」
みれいが寒さのせいか頬を赤らめながら一人で立ち上がると、スカートのお尻についた雪を払いながらそっぽを向いて歩き出した。
冴木は差し伸べた手を引っ込めて再び自分のキャリーバッグを握りしめると、唯一の道標であるみれいを見失わないように歩いた。
雪が次第に激しさを増していくなか、冴木が諾々とみれいについて行くと、みれいが突然「あ!」と大声を出した。
冴木は声を出して立ち止まったみれいの横に並ぶ。
「今度はなにかな。玄関の鍵でも閉め忘れた? いや、それはないか」
冴木は自分で発言しておきながら、今日、十二月二十四日の午前中のことを思い出す。
そもそも、なぜ冴木とみれいがこうして歩いているのかというと、二人が通う大学のミステリー研究会に参加しているのが起因している。
冴木は小学校からの腐れ縁である萩原大樹の強制的な勧誘のせいで去年からミステリー研究会に所属しており、今年の新入生であるみれいはミステリーオタクだと豪語し、ミステリー研究会に参加した。そしてみれいが今年の冬に、親族が所有しているという山中の別荘でクリスマスパーティーを開こうとミステリー研究会に要望した結果。インドアな冴木の細やかな反論も虚しく、サークルメンバーの多数決という数の暴力に屈したのだ。
こうして本日開催予定だったクリスマスパーティーだが、午前中にみれいが下宿先のアパートでサンドウィッチを作ろうとしたところ、何故か軽いボヤ騒ぎに陥った。神の悪戯か、はたまた悪魔の罠か、悲しくも隣人であった冴木も巻き込まれ、他のサークルメンバーよりかなり遅れて夜からの出発になってしまったのである。
ちなみにこれは余談だが、みれいの料理は壊滅的に酷く、今回のボヤ騒ぎも大量のサラダ油で焼いたスクランブルエッグが暗黒物質のようになっていたために起こった事件であり、トースターにセットされていた食パンは無慈悲にも書道に用いる固形墨に成り果てていた。
危なっかしい隣人のみれいを見兼ねて、出発時に戸締りを確認したのが隣人でもあり同じミステリー研究会のメンバーでもある冴木だった。もちろん、ガスの元栓もチェック済みである。
「私、良いことを思いつきましたわ!」
「どうせ、ろくでもないことだろう」
「ちょっと、冴木先輩? 話の腰を折らないでくださる?」
「悪かった。それで?」
冴木は仕方なく譲歩することにした。約半年以上もミステリー研究会で顔を合わせているから分かるのだが、みれいはわがままで、自分の意見を中々曲げたがらない性格なのだ。それが彼女曰く長所でもあり、短所でもあるらしい。
「まだ私の別荘までは距離がありますけれど、この近くに確か他の屋敷があるんですわ」
「こんな辺鄙な所に、屋敷なんてあるわけないだろう。一日にバスが五本しか来ないようなバス停から、どれだけ歩いたと思っているのさ」
「世の中にはですね、色んな物好きがいらっしゃるのよ。行ってみましょう?」
「仮にあったとしても、絶対に人はいないと思うよ」
「あのですね、冴木先輩。冴木先輩が駄々をこねるから私が雨宿りーーいえ、雪宿りの提案をしているんですわよ?」
「分かった。分かったから、そんな子供扱いはよしてくれ」
冴木が困った顔をすると、みれいは得意げに頬を緩める。慣れ始めていたが、冴木が困った仕草をすると、その度にみれいは微笑むのだ。理解しがたい謎の反射現象である。
「ふふーん。少し道を逸れるだけですから、明かりが点いていなかったら引き返しましょう」
クリスマスイヴだっていうのに、僕は何をしているんだろう、と冴木は落胆しながら、芯まで冷え切った体に鞭を打ち、みれいの後を追う。
しばらくして、デジャヴのようにみれいが声を出したので横に並ぶと、彼女の指差す先には煙突から煙を出している屋敷が、イルミネーションで豪華絢爛に仕上げられていた。
「わぁー、すっごい綺麗ですわ! そう思いません? 冴木先輩」
「電気代の無駄だよ」
「もう、冴木先輩。夢もロマンもないことを仰るのはやめてほしいですわ」
「外にいる人々に見せるためのデコレーションなんだから、人が通らないこの場所では無駄に電力を浪費しているだけだよ」
「きっと私たちが来ることを予期して、サンタさんが用意してくださったんですわ」
みれいなら本当にサンタを信じていそうな気がしたが、冴木は追求せずに白い息を吐いた。
「論理的じゃないね。君らしいプリミティブな発想ではあるけれど」
「それ、どういう意味か後で教えてくださいます? さぁ、寒いから早く行きましょう」
みれいはイルミネーションでテンションが上がったのか、先ほどよりも速度を上げてぐんぐんと歩いていく。冴木は追いつくことを諦めてゆっくり行くことにした。
のんびりと歩いていて気付いたが、館の右側にあるイルミネーションが一部剥がれている。恐らく二階のバルコニーのような付近に装飾されていたのであろう光のコードが、雪の猛威に逆らえずに地面まで垂れ下がったのだろう。
冴木は観察対象をみれいに移す。すでにみれいは玄関前に到着しており、チャイムを探しているようだったが見当たらなかったのか扉を大きくノックした。
冴木もようやく玄関前に辿り着いて一息つく。既に雪はかなり激しく吹雪いている。
「やれやれ、吹雪は恐ろしいね。ホワイトクリスマスだなんて、世間はよくはしゃげたものだ」
「冴木先輩は雪が嫌いなんですの?」
「そりゃ嫌いさ」
冴木はポケットからお気に入りの棒付きキャンディーを取り出して口に入れる。
「どうして嫌いですの? 顕微鏡なんかで見ると雪の結晶って凄いんですわよ」
「君は常日頃から顕微鏡を持ち歩いているわけ? そもそも雪ってね、人の心だけじゃなく、命を奪っているんだよ。例えるなら、正月に食べる餅みたいなものだね。もはや、凶器とも言える」
「冴木先輩、それいいですわね。ミステリーのネタになりそうですわ」
「そんなつもりで言ったんじゃないけれど」
冴木が溜息を吐こうとした時、木製の大きな玄関扉が開かれた。
姿を現したのは、背の高い眼鏡をかけた男性だった。まさか人が来ると思っていなかった、といった表情で視線が泳いでいる。
それを見てか、みれいが礼儀正しくお辞儀した。
「こんばんは。あの、私たちこの先にある別荘に行く予定だったんですの。でもご覧の通り吹雪がひどくて、彼がどうしても休みたいって言うんです。なので、もし宜しければ雪が落ち着くまでお邪魔してもよろしいですか?」
冴木が何とも悪意のある言い方だ、と顔を顰めていると、眼鏡の男性はぎこちなく頷いた。
「え、ええ。構いませんが……お二人ですか?」
「はい、そうですわ」
「そうですか……あ、寒いでしょう。どうぞ、中へ」
冴木とみれいは眼鏡の男に案内されて屋敷の中に踏み込む。玄関ホールは分厚いカーペットが敷き詰められておりその上に何人もの人が立っていた。
「あら……もしかして私たちと同じでクリスマスパーティーを?」
「同じ……? あ、ええ、そうですよ」
玄関ホールにいる太った男性が、のしのしとカーペットを踏みつけながら眼鏡の男性の元に歩み寄ってきた。
「おい、イーグル。誰だ? その二人は」
「ああ、シュダさん……。この御二方は、この先にある別荘に行く途中の人たちだそうです。外は吹雪いてますから、しばらくここに、ということになりました」
どうやら眼鏡の男性はイーグル。太った男性はシュダと呼ばれているらしい。
みれいが何か言おうと一歩踏み出そうとしたのを冴木が牽制する。彼女ばかりに手綱を引かれるのも癪なので、冴木も挨拶をすることにした。
「突然お邪魔してしまってすいません。一つ質問なんですが、なぜ玄関までわざわざ大人数でいらしたんです?」
緩慢な動きだった太り気味のシュダが目に見えて動揺し、所在なさそうに指先を動かした。
「えっ、それは、その……お、おい。どうすんだ? イーグル」
「う、うーん、そう言われましても……あ、そうですね。お二人のお名前はなんというのですか?」
イーグルが冴木とみれいの方に手のひらを向けた。決してお座り、といっているわけではない。
「あ、まだ名乗っていませんでしたわ。私はこの先にある別荘を持っている者の娘で、有栖川みれいといいます。そしてこっちの癖っ毛で屁理屈ばかりの人が冴木賢先輩ですわ」
みれいもイーグルの動作を真似て冴木に手のひらを見せた。彼女がやると、イーグルと同じ動作だがジュースが欲しいから小銭を寄越せと言っているように思える。
「有栖川君。一言、いや二言余計だね」
冴木が荷物を置いて軽くなった肩を竦める。すると、話を聞いていた他の人物が声を荒げた。
「えっ、有栖川って……もしかしてあのアリスゲームクラフトの?」
「なんだ、たくみん。知ってるのか? アリスゲームクラフトって、僕たちがやってる無料オンラインゲームの開発元だろ?」
シュダが額の汗をハンカチで拭いながらたくみんと呼ばれた男性に首だけ動かして目を向ける。いくら暖房が効いているとはいえ、彼だけ夏に取り残されているのではないかと冴木は不思議に思った。
たくみんは筋骨隆々な体をぐいと前に出し、シュダの横に並ぶ。格闘家と相撲取りのコラボレーションのように見える。
「何だよシュダ、知らねぇのか? そこの創設者である社長が有栖川って言うんだよ」
「はい、その通りですわ。私のお父さまの会社が、アリスゲームクラフトとしてゲーム開発を行っていますわ」
冴木は、みれいの話が突飛な嘘か、あるいは自分の耳がおかしくなって聞き間違えたのかと一瞬疑う程度には驚いた。
「有栖川君の父親の会社がアリスゲームクラフト? へぇ、だから金持ちなのか」
「やだ、冴木先輩ご存知なかったんですの? サークル内では周知の事実ですのに」
「僕、他人には無頓着だから」
「ああ、私……冴木先輩の将来が不安ですわ」
「有栖川君が心配することじゃない」
冴木は平静を装って返事をしていたが、少なからず場の空気が急変したことに驚いていた。アリスゲームクラフトと聞いて、玄関に集まっている全員がざわついている。
眼鏡で長身のイーグル。
この中では一番太っているシュダ。
服越しにも分かる筋肉を持つたくみん。
そして奥に、この中で一番年を取っているであろう中年の男性と、ショートカットである唯一の女性がいた。合計で、五人いる。冴木とみれいを合わせると七人だ。
イーグルが眼鏡を重たそうに持ち上げてみれいをしげしげと見つめる。
「驚きました。この黒騎士館の奥に、アリスゲームクラフトの方が所有している別荘があって、今日偶然こうして会うなんて……」
「黒騎士館? 面白い名前ですわね」
「ええ、実は私たちはアリスゲームクラフトが作ったオンラインゲーム”レッドアトランティス”のオフ会でここに集まったのです」
イーグルが一同をざっと見渡しながら説明する。それを聞いて、ようやくあだ名のような名前でお互いを呼んでいたのが理解できた。おそらく、ゲームのキャラクター名なのだろう。
「僕のシュダって名前は好きな作品からとっているんだ。それで、奥にいるおっさんがあんず。隣の女の子はるねっとって言うんだ。皆今日が初対面さ」
「まぁ、素敵ですわね。ところで、何故わざわざ玄関に皆さんが集まったのか、どうして話さないんですの?」
みれいがそう言うとイーグルとシュダ、たくもんも目を逸らしてしまった。
「俺が話そう」
名乗りを上げたのは、中年の男性。シュダの説明によるとあんずと呼ばれている者だ。
「ちょっとしたアクシデントがあってね、皆冷静じゃないんだよ」
「アクシデントって何ですの?」
みれいの踏み入った一言によって、数秒の沈黙が訪れた。
冴木が他人に無頓着なのに対して、みれいは軽く他人に干渉するタイプだった。飲み会での酔った先輩並みに人のテリトリーを荒らすのは、冴木が最も苦手とする部類である。
中年のあんずが咳払いをした。
みれいがアリスゲームクラフトの社長の娘だと知ってざわついていた場の妙な空気が、たった一つの咳払いで一瞬にして換気されてしまったように感じる。
冴木の第六感が引き返した方がいい、と告げるが、一足遅かった。いや、もうみれいとクリスマスパーティーに参加すると決まった時点で手遅れだったのだろう。何とも頼りないシックスセンスだ。
中年のあんずが大きく息を吸ってからみれいの質問に答えた。
「その、人が……殺されたんだ」