まずは世界のことを知りたいです
のどかな日差しの中、のっそりとロバが行く。
辺りに見えるのは、森と草原と空。昨日から変わらない穏やかな景色に、ここが今世界の危機に瀕しているとは全く思えないな、とぼんやりと思う。
あの死にかけて倒れていた俺を助けてくれたサリーアさんは、俺の事情を聞くと自分と一緒に来るかと誘ってくれた。そしてこの世界のことを色々と教えてくれた。
この世界には人間と魔族、と言われる種族が住んでいること。魔族は人間とは寿命が違い長い時間を生きていること。
人間と魔族の間にも子供が出来て、ほぼ人間に近くなるらしい。高位の魔族との子供は、魔族の方に近いらしいけれど。
特徴としては魔族は美形が多いということらしい。今の俺の顔だと、魔族交じりに思われるということだ。
自分が転生者だと話した時も、サリーアさんは微笑んで受け入れてくれた。そして他の転生者、この世界ではやはり『落ち人』と呼ばれている人は、最初からこの世界の知識を持っていて目的に応じて技能も有している、と教えてくれた。
つまり俺は本来『村人A』になる為に転生してきたのだから、村人Aとしてこの世界の知識や今の世界の状況、そして農作業に適した技能を持って転生されるべきだったのだ。
つくづく『美形にしてくれ!』と言った言葉がいかに狂わしたのかが分かってきて一回げんなりと底辺まで落ち込んだ。
そんな俺にサリーアさんはこの世界の『美形』の意味を教えてくれた。この世界では『美形』に近づくほど力を持った『魔族』である、と。人間でも勿論美形はいるけれど、祖先の魔族の血が強く出てこの世界では人間でもみんな少しずつは持っている魔力が強い人がほとんどだということだった。
つまりどういうことかというと。
美形イコール力のある存在。らしい
なんでたかだか村人Aの資格しか持たなかった俺が美形であることを望んだわけだから、あの神様?の言った『リソースが足りない』状態になって言葉が通じるという恩恵しか受けられなかった、ということだ。
俺が美形でも、簡単なテストをサリーアさんがしてくれた所魔力が強いということはないらしい。その特典までもリソース不足だったんだろうけど。
・・・どんだけ普通な俺が高望みしたんだか。
と自嘲するしかなかったけれど。
そして今のこの世界の情報も一から丁寧に教えてくれた。
この世界には魔王と呼ばれる強い魔族の存在が4人いるらしい。それこそこの世界が出来た時から存在している、いわばこの世界の王と言っても過言ではない存在だと。
今回はその魔王の一人の乱心が原因らしい。
まあ魔王と言ったら討伐!というのが常識だと思っていたけれど、勿論そんな何千年!も生きている魔王なんてものを人間がいくら勇者を招いたところで倒せる訳はなく。討伐、ではなく正気を取り戻す為に人間は立ち上がるらしい。
今乱心している魔王を治める為に男たちが根こそぎいなくなったらしいけど、その具体的な理由についてはおいおい、ということでかわされていまった。とりあえず今のこの世界で生きる為の知識をつけてから、ということで。
でも勇者、ということで思い出したことが一つ。なのでそのこともサリーアさんに聞いてみた。
「そういえば転生の時に神?みたいな人に勇者じゃないんですか?って聞いてみたら、勿論勇者も必要だって言ってたけど・・・。勇者の転生者が来るんじゃないんですか?」
「ああ、勇者はたくさん来たよ」
「ええっ」
「頑張って何人も勇者を送ってくれてはいるんだけどね・・・。どうも今回は乱心がひどくてね。そろそろ勇者にも困っているのかもしれないね」
ということで。何人も勇者はやってきていたらしい。
ちなみに『落ち人』と『勇者』の区別も聞いたら、『勇者』は『落ち人』には違いないけど、その時の魔王のところへたどり着ける力を持って転生されてくるのが『勇者』だってことだ。
あくまでどんな力をつけられても所詮人間。討伐は無理、ということだ。
「まあ討伐が無理っていうか、どっちかっていうと倒された方がこの世界が危機に陥るっていうか・・・」
と、怖いことをその時サリーアさんがつぶやいていたけれど、その言葉の説明は勿論してくれなかった。
・・・サリーアさんがどんな人なのかは、女には謎が多いのよ、という言葉通りなんだと思う。
それで支配者として魔王がいるこの世界の人間は、というと。
今いるここは一番大きな大陸だということだ。一応海があって島もあるけれど、島は小さな島だけらしい。そこに人間はこの大陸に二つの国とその島々の小さな国を作っている。
今いるのはライーシア王国。王国というからには王様がいる。もう一つは自由連合公国。街ごとに自立した公国があって、その公国が作った連合国。
国があるということはやっぱり争いもあって。魔王が乱心しない時期は、人間同士たまには戦争なんかも起きているらしい。
ちなみに魔王の乱心は100年から200年周期にあるらしく。不死身ともいえる生に飽きた魔王が乱心する、ということだ。
そして魔王の乱心には人間は手を取り合って対応する。
うっかり治まるまで時間がかかると、人間が半分の人口に!ということが過去にあったらしく、そこは全員で対応しよう!といいうことになっているそうだ。
どうせ手を取り合うなら戦争なんかしないで仲よくやればいいのに。
そう思ってしまうのは一応戦力放棄した国で普通に育ったせいだろうか?
あのサリーアさんの膝の上で泣きはらした後、傷が癒えるまでゆっくりと旅をしながらこれらのことを教えてくれた。
あの時、泣いて、泣いて、もう一生分くらいには泣いた俺は、この世界の住民として生きてみよう、と思うことが出来た。転生してこの世界に来た時は、とにかく『村人A』として転生したんだから!とだけしか思えなかったけれど。
考えてみれば一回死んで二度目の人生を貰ったわけで。確かに今まで生きて来た世界も家族も失ったけれど、せっかく神?の前でもう自分のやりたいことを見つけてやってみよう。とそう決意したのだから。この世界でそれこそ今度は寿命が来るまで自分で選んだ人生を生きて行こう、と。
自分の死を認めて、自分の為に泣いた。そのことで前の人生を本当の意味で諦められた気がする。
だからもう『村人A』にこだわることはやめた。
サリーアさんとの旅でこの世界に慣れて、そしてやりたいことを見つけようと決めたんだ。
「そろそろ街に着くよ。準備をしなさい」
「はい、じゃあ着替えます」
最初は村に入るのさえおびえた俺に、サリーアさんは女物の衣装を貸してくれた。ずるずると長めの衣装と頭にターバンみたいな布を巻いくと、誰も俺が男だとは気付かなかった。
女物の服を着てサリーアさんの後ろに隠れてこそこそと、初めて村の中へと入った。
そこには最初に思ったような殺伐とした空気がある訳でもなく、普通の人たちが暮らす村だった。顔を合わせても勿論襲いかかっても、詮索もされることもなく。ただ普通に普通の人が暮らしていた。
異世界だって村人Aが必要なように、普通の村人Aが集まって村になって暮らしている。そう、やっと思えた。
この世界では機械なんて勿論なく。普通に農作業する農民と商人、そしてさまざまなものを作る職人が町や村、そして大きな街で暮らしていた。
電気がないかわりに魔法があって。魔法と言ってもゲームの攻撃魔力とかじゃなくて、生活に必要な灯りを灯す『ライト』の魔法とか火をおこす時に使う『ファイア』の魔法などが代表的なもので、大抵の人間が使える。それ以上の回復とか攻撃とかの魔法は、魔力が強い人が修行を積んで魔法使いや神官がなってやっと使うことが出来るということだ。
まあ例外は魔族で。魔族の血が濃く出た人は例外的に産まれた時から魔法が使えることもあるらしいけれど、それは人間としては非常にまれだということだった。
今は男がいないということで、みんな女の人だけでたくましく農作業をし、商売をし、そして職人もやっていた。
何度か村を通る度にやっと一人でも歩けるようになってきて、今ではサリーアさんに頼まれた買い物くらいは一人でも出来るようになった。
でも今から着く、という街は今まで通った村とは比べものにならないくらいの規模の街らしい。この国には大きな街は王都と他に3つの街があり、そのうちの一つにあたるイファーラという街らしい。
村では木造の平屋がほとんどだったけれど、聞いてみたら街には石造りの2階、3階建の建物もちゃんとあるらしいので、ちょっと街を見るのは楽しみにしていた。
・・・勿論男だとばれたら、と考えると今でもとても怖いけれど。
傷が癒えてサリーアさんと旅をすることになって。一つ聞かれたことがあった。
「アヤトがこの世界でイヤな思いをしたことは分かる。だからすぐこの世界でやっていくと言っても多分不安だろうね。だから今これから生きるにあたって、最初に何を身につけたいかい?身を守れるように剣の腕かい?それとも誰にも会わないで済むように研究者としての知識かい?何をアヤトは望むんだい?」
そう聞かれた時、この世界へ来てからずっと逃げてた間のことを思い出した。
関心を向けられ過ぎるのも、力を向けられるのも怖かった。多分今まで普通に無難に生きて来てしまった俺は、真正面から向けられる感情に今まで15年も生きて来たはずなのに耐性がほとんどないことに気がついていた。
もしちゃんと対応出来ていれば、最初から逃げることも、痛い思いをしないで済んだかもしれない。
サリーアさんとの旅でそう思えるようにもなった。
そのことを認められてもすぐこの世界の人と向き合えるか、と言われるとそれは違う。だから俺は。
「逃げ足が欲しいです。もし今男だってばれることがあっても、追いかけられても逃げ切れるだけの逃げ足が」
剣を習って力で対抗する。そんな自分は想像さえも出来ない。
だって相手は見ず知らずの女の人だ。妹とだって手なんて繋いだことさえもう何年もない。同世代の女の子と触れ合うなんて想像でしか出来なかった俺だ。
その俺が相手を傷つける為に剣を習う、なんてとても出来る相談ではなかった。
護身術の類だって、結局は相手と組み合う必要がある。俺はそれさえ避けて逃げたい。それが普通に流されるまま平和な国で育った俺に出来た選択だった。
「そうかい・・・。逃げ足かい。確かに捕まらなければ何もされることもないね。分かった。じゃあ逃げ足を身に着ける為に頑張れるかい?」
「・・・はい。窮地から逃げられる逃げ足が身に着けられるなら、頑張ります」
それからは修行の日々が始まった。
それまではロバ2頭が引く馬車に揺られているだけだったけれど、それからは平地は脇を歩くように言われた。休憩を入れながらのんびり歩くロバの脇を必死で歩く。
最初は勿論たいした時間は持たなかった。それでも根気良く諭してくれるサリーアさんに、頑張って応えたいと思うほど距離は伸びて行き、今では自分のペースなら一日中でも歩けるようになった。
歩くのに慣れてくると、食事の準備にも駆り出された。水場が遠いところだと桶を持って水を汲みに往復をし、そして火を使うための竈を作るための石を探して積んだ。そして火をたく為の薪を集めて来る。太い枝があれば、教わってオノで割った。
そうやって旅をしながら自分を甘やかすことなく動き続けている内に、強靭な足腰と体力を身に着けることが出来た。
勿論この世界ではサリーアさんのように個人でロバで馬車で移動する、ということは普通ではなく。個人はみんな移動するには歩くか町や村が密集しているところでは駅馬車を利用している。
そして毎日畑仕事したり、森で食べ物を収集したりする。だから一日動ける体、というのはこの世界では当たり前に持っているんだ。
だから移動はほとんどが乗り物、食べ物は買うか親が作ってくれる、というまったく生活に体を使うことのない生活をしてきた俺が、この世界に来て女の人に力でかなわなかったのも当然だったということに旅をしている中で気づいた。
あとは体力と強い足腰が身につけば、一応華奢な体にはなったけれど男の体だ。女の人よりは力もダッシュ力もついた。
一度村に寄った時に俺の不注意で男だとばれてしまったことがある。その時も騒ぎになりかけたけれど、ダッシュで逃げ出すことが出来た。
勿論商売で訪れているサリーアさんに迷惑をかける訳にも行かないから、村から離れたところで合流した。それだけの状況判断も出来るようになった。
そのことで異世界、ということで力が入っていた体が自然と普通に過ごせるようになったように思う。
そして今日は初めての大きな街に入るのだ。
勿論女装はするけど。男です!と主張をしながら街に入るなんてことは、いくら逃げ足を鍛えたところで絶対にしたいとは思わない。
男を捨てるつもりはないけれど、穏便に切り抜ける為なら女装くらいなんてことはない!
別に英雄になんかなりたくない。普通に穏便にこの世界で暮らしたいだけなんだから。
「ほら、見えてきたよ。あそこがイファーラの街だよ」
荷台でごそごそと着替え終えると、御者席に座ったサリーアさんが指示した前方に、城塞に囲まれた大きな街が見えた。
これまでの村や小さな街には、あってもせいぜい2メートルくらいの防護用の壁があればいい方だったけれど、街の規模を示すようにお城はなくても城塞と言って過言ではないくらいの高さ、多分10メートルはあるんじゃなかち思われる壁に囲まれていた。
驚くことに、その壁越しにも街の屋根が見えていた。それだけどこれまでの街との違いが分かるようだ。
「うわ、凄い大きな街なんですね」
「まあ一応ここは王都の次に大きな街になるからね」
「・・・バレないように頑張ります。せっかくの大きな街なら、色々見て回りたいですから」
「フフフフ。まあ、頑張りな。まあもうアヤトの逃げ足なら、大抵のことなら振り切れると思うよ」
「が、頑張ります!」
なんか当然のようにもめごとに何かしら巻き込まれることがサリーアさんの中では前提になっている気がする。それには抗議したい気もしたけれど、何故かこれまでの村や町でも何かしら逃げる羽目に陥っていた自分を思い返し、ぐっと飲み込んだ。
「では最初に宿を決めておくよ。あの街ではちょっと色々やることがあるから。何日か逗留することになるから、見て回るのもいいけれどほどほどにね」
「分かりました」
サリーアさんは村や町を訪れると、病人を見たり、薬を処方したり、占いを頼まれたり、相談にのったり。どこでも行けば人が寄ってきては頼まれごとをされていた。
本当に色々とやっているらしいサリーアさんに謎はつきないけれど。いつかは多分、話してくれると思う。そう、信頼していた。
人を信じる。そのことが出来た自分に、この世界でちょっと一歩を踏み出した気がしている。
もとの世界でも友達を信じる、とか家族を信じる、とか。そんなことも意識して思ったことさえなかったから。
とりあえず。一歩、一歩進むんだ。
そう、村人Aとしてではなく。新しい人生、ただのアヤトとしての人生を。
近づいてくる街に心が自然と浮き立つのを感じながら。一歩を踏み出せそうな予感に期待を膨らませていた。