村人Aってなんなんですか?
今度の目覚めは、痛みとともに訪れた。
「・・・いた、いたい?」
目を開けるのさえなんだか苦労しながら開けて見えたのは血に染まった自分の手だった。
「え・・・?血?なんで?」
ぼんやりと不明瞭な意識の中、自分の今の状況について思い返す。
あれ・・・。確か死んでなんか村人Aになれって言われて転生なんかして。
異世界来て村着いたら女の人に取り囲まれて逃げて・・・。そして、あれ?
「うわわわわっ!娼館っ、娼館っって!!」
一気に昨日のことを思い出し意識が覚醒し、ガバっと起き上がろうとした。
「い、イタタタタタイっ」
起き上がろうとして手に力を入れたら、あまりの痛みにそのまま倒れこんだ。
顔だけ起こして手を見ると、手のひらが真っ赤だった。
「うわっ・・・。さっき見えたのって幻じゃなかった、よな。なんだ、どうしたんだ?俺」
今度はゆっくりと傷ついていた手に力を入れないように、そろっと身体を起こす。そして確かめると、手の平にはざっくりと切り傷が走っていた。よくみると手のひらだけでなく、腕全体に細かい切り傷が走っている。
「うわっ、どうすんだこれ」
そして起き上がってみて見えたのは、その腕以上にひどい足の傷だった。どうやら意識の戻るきっかけは、この足の傷の痛みだったらしい、とどうしてか冷静に思う。
「よく死ななかったな、俺」
丈の短い服から出た太ももには、パックリと開いた傷と更に細かいガラスの破片が刺さっていた。かろうじて傷からの血は止まりかけていたけれど、まだわずかに動かしただけで血がにじんで来る。
「この足で走っていたのか、俺は・・・」
痛みはあった気がした。それでも追われている、という恐怖の方が何倍も勝って、足を引きずりながらも転びながらも走っていたことを思い出す。
「どうやら逃げ切った、のか?っていうかどこなんだ、ここは・・・」
ここが地図上でここ、と言われてもどうせ町も道もすべてどこにあるのかも何もわからないから、ここが山の中だということだけで十分な気もしたけれど。
「とりあえず水で傷口洗わないと、な」
このまま血を流していれば確実に血液不足になるだろうし、傷口が化膿でもしたら薬なんかがあるのかさえも分からない。
今の自分の状況を確認すると、最初の服はあの館に置いてきていて、今着ているのは風呂場に少女が持って来た服、つまり女物と思われる胸までの上着とほとんど腰巻状態の下だけだった。
勿論布の袋に入っていた多分この国の硬貨だと思われるものもなかった。まあ、人のいる町にでも行かなければ必要のないものだったから、今この状況ではどうでも良かったけれど。
とりあえず上着を脱いで、多分走っている間に木の枝にでもひっかけたのか穴が開いて切れているところから、思いっ切って切り裂く。
「くっ」
手のひらを切っていたのは運よく左手だったけれど、力を入れただけでものすごい痛みが走った。
「とりあえず傷口をしばって、水、探さないと、な」
手の痛みが引くと切り取った布を足の傷口にあてる。刺さったままの小さな破片は、傷口の周りのだけを抜いて、しばった布にかからないものはそのままにした。
「今抜いてもばい菌入るかもだし。さて・・・。次は立てるか、だけど」
ゆっくりと手の平に傷のない方の手で支えながら、傷のない方の足で立ち上がる。
「くっ」
立ち上がっただけで足の傷に響いた痛みに、眉をひそめる。
これは杖でもないともう歩けそうにないな・・・。
周りを見渡すと藪と雑草に見え隠れするように、何本も木の枝が落ちているのが見えた。ちょうどいい長さの枝を見つけると、なんとか屈んで拾い上げて身体を支える。
「あとは水、か・・・。川か何か探さないと、な」
さてどっちに行こうか、と周りを見回すと、木の枝がうっそうと茂って光さえあまり地上に届いてない木々に囲まれている中で、一角だけ光が斜めから差し込んでいる場所があった。
「開けた場所があるかもしれないし、あっちに向かうか・・・」
ゆっくり、ゆっくりとその方向へと歩き出した。何度も何度も藪や落ちている木の枝に足元を取られながらも、なんとか歩いていく。
どうして俺はこんなに怪我をしているのに歩いているんだろう・・・。生きるため?・・・こんな状況でも俺は、生きたい、と思っているのか?
どうせ一回死んだ身なんだ。なのにこんな思いをしてまで、まだ生きることをあがくのか。
ただ自分の生を明日へとつなぐ為に、自分で選んで決めて歩いて行く。
今こうやって冷静に自分がその行動を選んでいることに、自分でもどうしてだかはわからなかった。
死にたくないって、こういう気持ちなのかな・・・。
傷が熱を持っているのか、だんだん朦朧とした意識の中でふと思う。もう自分がどうやって歩いていられるのかさえも分からなくなって来た頃、やっと木々の間に光が見えた。
「・・・鳥の鳴き声?」
ふと光の方から耳にさえずる鳥の鳴き声が飛び込んできた。ここまでは鬱蒼とした木々に覆われて日差しも届かないからか、鳥の鳴き声さえも聞こえてこなかった。
やっとのことで木々の間を抜けると、木々が開けた真ん中に泉が湧いているのが見えた。水辺に鳥が群がり、水を飲んでいる。
「水、だ・・・」
助かった・・・。
連れ込まれた館で少しの水を飲んだだけだった体は、もう限界だった。
気が緩んで倒れそうになる身体を鞭打ち、一歩一歩泉へと歩く。やっと着いた時には、頭から泉に突っ込んでいた。
「うまい!・・・水がこんなに美味しいとは」
気が済むまで飲んで、プハっと顔を上げた。そのまま水に映った自分の姿に、うんざりとため息をつく。
「美形・・・美形・・・。美形って得だとしか思ってなかった自分を恨めばいいのか・・・」
あちこち擦り傷が出来て血がにじんで、洗ったはずの髪も泥と血に汚れてすごい無残な姿なのにもかかわらず、水に映っているのは少女のような美少年なのだ。
美形ってことは注目をよくも悪くも浴びる。注目を浴びることがこんなにも大変なこととは、何もかもが普通で空気のような存在感だった自分では、まったく想像さえも出来なかった。
「マサ兄と恵に謝らなくちゃな・・・。さんざん自分だけ顔が普通だってことで恨んでいて悪かったな、って」
自分以外の兄弟が顔がいいことで、色々恨んでいた時期もあった。そんな自分の未熟さを、今更ながら思い知る。
「さて。とりあえず水で傷を洗わないと・・・」
今顔のことを考えていたってどうにもならない。水のある場所に着いたことに感謝して、傷の手当をしないと今は自分の生死の方が重要だった。
一通り傷口を洗って、傷口を上着を切った布で縛りなおした頃には日差しが陰り始めていた。
「・・・何か食べるもの、探さないと・・・」
傷口を水で洗って布で止血したことで完全に血は止まった。けれど多分出血が多すぎたのか、作業が終わった頃には意識は朦朧としていた。
傷はよく見ると体中にあって、擦り傷がない場所はほとんどない状態だった。
水分は十分にとれたけれど、ほとんど何も食べていない身体では力が出るはずもない。このまま何も食べないでいたら、それこそ動けなくなるのはすぐだろうと思われた。
「さがさ・・・なきゃ・・・」
少しだけ残った意識で無意識に鳥の鳴き声が聞こえる方に、はいずるように進む。
地面にこすれる膝が擦り切れ、血がにじんで来る。それでもはいずるのを止められなかった。
ここでこのまま意識を失えば、二度と目覚めることがないんではないか?
その恐怖に、生存する為に必要な栄養を求めて本能のままはいずり回る。
ふいに鳥のいっせいに羽ばたく音に目を上げると、すぐそこに赤い木の実が落ちていた。
木の実を見た瞬間に気づいたら夢中ではいより、手を伸ばして掴むとそのまま噛り付く。食べられないかも?とか食べられない実なのかも?と考える余地はなかった。
ただ手を伸ばし、食べてはまた落ちている実を手に取って食べた。
食べて、食べて・・・。そこからの記憶はフっと途絶えた。
今度の目覚めはほのかな香りによって迎えられた。
ん?なんだ?・・・いい、匂いだな。これは・・・。食べ物の匂い?
しばらく食べてない、火を通した食べ物のいい匂いが深い眠りから意識を呼び覚ます。
「んんん・・・」
「お?気が付いたかい?」
「?」
なんで人の声が、と思った瞬間に目が覚めて反射的に起き上がる。
!!
しまったと思った時には遅く、とっさに襲うだろう痛みに備えて身構える。それなのにズキっとした痛みを感じただけだった。
「えっ?」
身体を見下ろすと傷にはキレイな布が当てられて、体中がぐるぐる巻きになっていた。一番ひどかった左足も、動かしてみてもちょっと痛みがあるくらいになっていた。
「大丈夫かい?あんたはそこで倒れていたんだよ。私があんたを発見してから、丸二日間寝てたんだ」
「二日間っっ!」
周りを見渡すとそこはやっとの思いでたどり着いた泉のほとりで、脇にはたき火がたかれて火には鍋がくべてあった。そこから漂ってくる匂いに刺激されて起きたらしい。
そしてその火の傍には、一人の品の良さそうな多分中年に差し掛かった年代に見える女の人がいた。長い黒髪を頭の上でまとめ、瞳の色はけむりがかった灰色をしていた。
女の人の姿を見た時に無意識に強張った身体が、そのおだやかな灰色の瞳に見つめられると力が抜けていた。
「そうだよ。あんんたそこに落ちている赤い果実を食べたんだろう?あれは少し食べる分には影響ないんだけれど、いっぱい食べると毒素が身体の中で溜まって痺れが出るんだよ」
「えええっ」
そ、それじゃあこの人が来なければ、もしかしたら死んでた、かも?
それでも多分あの時食べなかったら、この人が来てくれるまで生きていられたか分からなかった、か。
「でも運が良かったね、あんた。私がここに来るのは滅多にないんだよ。ここの泉は凄く澄んでいてね。ここの水でしかとれない薬草を摘みに来たんだ。あんたはどうしてこんな所で倒れていたんだい?ここは街道からも大分森の中へ入ったところで、ほとんど誰も寄り付かない場所だってのに」
「あ・・・それは・・・」
どう説明したらいいのか、とっさに出てこなかった。出てきたのは腹の鳴る音だった。
「プッ。そうだね、とりあえずご飯にしようか。ちょうどスープが煮えたとこだよ。ホラ」
とっさに女が渡してくれた、たっぷりスープが注がれた木の椀を受け取る。
「えっ、あ、あの」
「いいから今は食べなさい。食べないと力も出てこないだろう?」
「あ・・・。い、いただきます」
いい匂いとぐーとしきりに鳴く腹の音に、勧められるままスープを飲む。
「!!」
そのスープは、やさしい味がした。具は多分少しの野菜と固い燻製肉をスープで煮込んでもどしたもの。それでもこの世界に来て食べた初めての温かい料理だった。
「ホラ、まだあるからゆっくり食べなさい」
気が付いたら夢中で食べつくしていた。そこに鍋からまたスープを注いでくれる。
やっと食べる手を止めた時には、鍋のスープはすっかり無くなっていた。
「あ、あの・・・。ごちそうさまでした」
「フフフフフ。良かったよ、助かって。傷だらけで倒れている姿を見た時はもうダメかと思ったけど」
「あ、ありがとうございました。手当もして貰ったみたいで・・・。お、俺」
「そうそう。あんた男なんだよね。キレイな顔してるから身体見た時は驚いたよ。私はサリーアって言う旅の医者というか薬師というか占い師というか。そんな流しをしている者だよ。あんたの名前は何て言うんだい?」
「あ・・・、俺は黒井彩斗って言います。あ、あの多分ここでは『落ち人』って言われる感じで」
「そうかい『落ち人』なんだね。名前がクロイなのかい?」
「あ、名前は彩斗の方です」
「じゃあアヤト、だね。良かったら私に話してくれないかい?どうしてこんな所に倒れていたのかを」
久しぶりに自分の名前を聞いた気がした。
思えばこの世界に来てから出会った人からは、『男』だということだけが重要なのか名前を最初に尋ねられるなんてこともなかったことにやっと気づく。
そう思ったら、何故だか自然と口を開いていた。その瞳に促されるように、これまでのいきさつを語りだしていた。
「そうかい、アヤトは見た目通りにまだ若いんだね」
「えっ・・・」
「残念だったね。そんなに若いのに死んでしまったなんて。産まれた所でもっとやりたいこともこれから色々歩むはずだった人生もあっただろうにね」
「あ・・・・」
この世界に村人Aとして転生してから、ずっとこの世界の事情に振り回されていた。だからそう言われて初めて自分の『死』を意識した。
トラックに轢かれて死んで、もう会えなくなった家族のことも。
「かわいそうにね。いいんだよ、自分の為にだって泣いたって。自分の死なんてものとなんてその若さで向き合わなきゃならなかったんだ。存分に自分の『死』を悲しんでから、新しい一歩を考えたらいいんだよ」
その、言葉に。こらえていたものが流されて、涙となってあふれ出ていた。
「うわ、うああああああああぁああ」
「うんうん。残念だったね。家族にお別れも言えなかったんだからね」
「ううううっ」
サリーアさんの膝に顔を伏せ、泣いた。泣いて、泣いて、泣いて・・・。
その間ずっと耳元でささやく優しい声と、背中をなでてくれるぬくもりに促されるように。ひたすら自分の『死』を、元の産まれた世界を、家族を想って泣いていた。
ただの普通の高校生だったけれど。普通に働いて、誰かと結婚して子供が産まれて・・・。そんな風に送るはずだった人生のことを。あの世界にとってもただの一人の特別じゃない人間だったけれど。自分は確かにあの世界で暮らし、そして何もしないまま死んでしまったことを。もう二度と会えない家族のことを。
自分のことだけを考えて、自分の為に泣いて、泣いて、泣いた。
そうして暖かなぬくもりに包まれて、いつの間にか泣き疲れて眠っていた。
初めて自分の『死』を自分で受け入れて、この世界の『生』を受けた人として流した涙だった。
そしてー・・・。あたたかな夢を、見た気がした。もう会えない家族の声を、聴いた気がした。