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憎。染みる

作者: あゆゆ

昭和63年。昭和最後の年に生まれた。

私の名前の由来は「こつこつと何事にも歩んで欲しい」と祖祖父から貰った名前。それは物心ついた時から聞かされていた。

現在は26歳、既婚、二人の息子の父である。

まぁ、ネットや周りからすればなにも考えず作るだけ作った、みたいな感じだろう。それは自分でもわかってる。だけども、作った以上、育てていこうと誓った約束。この小説はそんなことも忘れ。自分を壊し、家庭を壊し、周りの人達を巻き込み。自分で調べた結果ネット上だけでも同じような人がたくさんいたこと、それに対しこれからどうするか。

普通の人がこれを読んでも「アホか」「自業自得」「周りの人達かわいそう」そう言われるだけ。わかってて書いてます。反省はしてます。これが当たり前の言葉。

それを挽回する為になにをするか、なにがきっかけでこうなったか、そこからの人生を書いて参ります。アホを見る目で読んでください。

まず、私の父は私が小さい時から転勤が多く、あちこち引っ越しをしてました。そして帰りが遅かった。仕事熱心。

世間一般ではこうなる。だが実際は不倫。母は1人で子育てをしてた。見慣れない土地で。不倫が発覚した時の母の顔は見てられなかった。「俺が守る」と、6歳だった私はそう決意した。それからは母の実家に引っ越し生活をしていた。

一生懸命母は父の変わりでいてくれて、寂しくもなく、普通に小学校生活を送っていた。

ある日それは突然やってきた。

それは私が小学5年生の時、いつものように学校から帰宅すると祖父と祖母が泣いていた。電話機の前で。

私は訳がわからず立ち尽くして見ていた。

母が置き手紙を電話機の下に挟んでいた。

手紙の内容は「新しい大切な人ができました。ごめんなさい。探さないで」と。そこで自分のなにかが飛んだような気がした。

最初は辛くて寂しくて、毎日毎晩泣き、顔がぐちゃぐちゃだったと思います。

そこから自分の性格、理性が変わりました。

いたずらをするようになり。

喧嘩もして。

勉強もせず。

だらだらと毎日過ごしてました。

中学になり、受験シーズンの時も「高校は受からない」と先生にも言われ私も「行かねーよ」と答えてたはずです。

だけども祖母は「学校だけは行こうよ。未来はあるんだから」と優しくいつでも話してくれました。試験を受けるだけ受けたらそれが受かってとても喜んでくれました。

そこからというもの、自然に真面目になり、スポーツをして、試験前にはちょっとだけ勉強して、充実した生活を送りました。高校2年生の半ば、修学旅行シーズン。私は行かなかった。みんなが修学旅行の時、私は学校で自習を行っていたときの事。先輩が放課後遊びに行こうと誘ってくれて、約束しました。そして放課後、先輩が「スロットいこか」とやったこともないし、お金もないと言ったが行こうと言われ渋々連れて行かれました。最初店に入った時、音はうるさいし空気は臭いし早く帰りたかった。先輩がスロット打ってる横に座り見ていると当たったらしくメダルが出てきた。先輩が「当たったわ。これで遊べ」と手のひら一杯にメダルをもらい

遊んでいると訳がわからず当たってじゃんじゃんメダルが出てきた。結局箱5箱くらい出て。閉店までいました。換金所に行き換金すると10万円くらいありました。そこでまた自分の中で変わりました。それからというものスロットにのめり込み、しょっちゅう通うようになりました。勝てば好きなものを買い、負ければバイトしてまで行くというほどに中毒になりました。高校をなんとか卒業し、ふらふらしながらスロットして。というような生活をしてました。そしてある時、友達の家で酒を飲んでいると友達が女の子を紹介してやる。と言われ飢えてたのを良いことにすぐに紹介してもらい。連絡をとるようになりました。そして何回か会ってご飯に行き、遊んでいるうちに付き合うようになりました。

付き合うのが初めてではなかったが、本当に愛し合える人に会ったと思い。仕事を紹介してもらい、きちんと働くようになり、同棲を初めました。そして、子供を授かり、結婚するようになりました。それからというもの仕事真面目になり、外に飲みにも行かなくなり、充実した毎日を送りました。

1人目が生まれ、その3年後には二人目が生まれ、幸せな毎日でした。

そんな幸せな毎日を壊しに壊したのが私だった。

ある日を境に自分が自分じゃなくなった。

仕事で毎日怒られストレスが溜まりに溜まった私はとうとうスロットに行ってしまった。なぜギャンブルというのは最初に大勝するのか不思議なくらいだ。その勝ちを良いことに。またスロットに行く。負けてもまた行く。その繰り返し。

頭では勝てないのをわかっても行ってしまう。そしてとうとう借金をしてまで行ってしまった。そこからが地獄の始まりだった。家庭を持った一家の主が黙って借金をし、仕事も身にならなくなり、すっかり中毒になった。嫁とは喧嘩の毎日。仕事と嘘をついてまでスロットに行き、存分に遊んだ。

その時は家庭のことなど頭になかった。世間一般では通じない事。100%してはいけないこと。いい年になってきて、貯金がない絶望感。挙げ句の果てに仕事中に倒れ。精神的におかしくなり、嫁に離婚を考えると言われた事。

なにもかもが甘かった。罰が当たったとはこの事。

そしてこれから持ち直せるのかと、ほぼ私の頭の中では首にロープをかけようとしているところ。これほど時間を戻したいと思った事はない。そんな甘えた頭では到底やり直すことは不可能だということ。この事がきっかけで走馬灯のように頭の中でフラッシュバックする。

私の頭はここまでしないとこうなるという事がわからなかった。

やり直すにもやり方がわからない。絶望。家族を騙し、仕事は休み、金もなく、絶望。

そして1日だけ。たった1日で自分が変われた。

誰に言っても信用信頼はないので言ってないが。

本当に変われた。

それは墓参り。世話になった、祖祖父、祖母、友人の墓参り、そこで自分自身が変わった。なにもオカルトな事はないが、墓の前で色々考えてた。ふと、みんなの生前の言葉が思い出された。祖祖父からもらった名前、由来、こつこつと何事にも歩んで欲しい。借金でも生きてさえいれば絶対報われると、普通ならそんなことでプラスになれたら苦労はしないと思うが、違った。本当に一瞬で自分が変わった気がした。

精神的におかしかったせいでもなく、確かに変われた。

絶望から希望になれたような。自分がしたことは自分で責任をとれ。男らしく。と言い聞かせ。性格自体変われた。

なんでもはきはきと言うことは言う。同じ人間なんだから、上司にでも文句を言う。クビ覚悟で。自分の精神をやられるくらいなら返す。くらいの勢いだった。今の現代社会はおかしいと自分は思う。妬みではないが。今の政治にしろ、問題が山ほどある。20代30代の方はよくわかるはず。

昔とは時代が違うんだよ。よく40代、50代の方は「最近の子はちゃんとした職にもつかず遊んでいる」という言葉を使う。だが、これだけは、はっきり言わさせてもらう。あんたらがこんな社会を作ったということ。そんなことばかり言うから働きたくても働けない人がたくさんいる。良い大人ももちろんいるが、やることが汚い人間が多すぎる。だから社会が成り立たないことになる。私も汚いが。まともな若者は一杯いる。だが仕事がない。日本はあと30年もすればどうなるか。わからない。と、まぁ愚痴みたいになったがまともな意見だとは思う。話は戻すが、そのくらい上の立場の人に言える人間は必要だと思う。「文句」と言うんじゃない。「意見具志」というもの。私はもう、その自分の地獄からなんとか這い上がり、絶対に見返し、今度こそ幸せを掴もうと思う。

何年かかるかわからないが。それでも子供と嫁だけは幸せにする。主の宿命で。私ほど最低最悪の人は少ないとは思うがもし、見返したい。やり遂げたいという方。本当に1日で変われます。精神ボロボロで絶望に満ちた時。生まれた時からの記憶を是非とも辿ってください。必ずピンとくるものがあると思います。難しいかもしれませんが一緒に社会をやり直しましょう。プラスになりましょう。平成を楽しみましょう。

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