ミレア・フリージア
授業の合間の休み時間、やっとのことで教室を探し出した俺はドカッと席に座ると、背もたれに体を預け、わけもなく天井を見つめていた。
そんなとき、ヌッと目の前にメガネのシルエットを携えた黒い影が現れた。
「レンヴィル、久しぶり!」
黒い影は、低めだが明るい声でそう言った。
その声を聞いた途端、急に懐かしさがこみあげてきて、俺は慌てて姿勢を戻し、目の前に立つ人物を見た。
そこにいたのは、藍色の髪にダークグリーンの目を持つ、外見の整った青年だった。
「セイジか⁉︎ホント久しぶりだなぁ。元気してたか?」
俺は湧き上がる歓喜を抑えられずに席から立ち上がって叫んだ。
この青年はセイジ・スターチス。俺が旅に出る前は毎日力を競わせ、いろいろなことを語り合った唯一無二の親友だ。
だが、セイジはなぜか俺の質問を聞くなり暗い顔になり、ボソリと言った。
「んー、元気だったかと言われると。そうでもないかな…」
セイジはうつむき加減に予想外の返事を返してきた。もしやなにか病気にでもかかったのかと俺がうろたえていると、そんな俺をチラッと見て、からかうようにセイジは笑った。
「だってレンヴィルが置いてったメイローグ学園首席の座を誰にも渡したくなかったからね。大変だったんだこれが」
「え、じゃあセイジ。お前…」
「ああ」
セイジは服の襟の部分をクイッとつまみ上げた。そこには、かつて光の女神ティアーナが持っていたとされる銀の錫杖を模したメイローグ学園のピンバッチが、光を讃えるようにキラキラと輝いていた。だがそれが周りの奴らのそれよりも一層輝いて見えるのは、セイジのピンバッチの周りに金の縁取りが施されているからだろう。セイジは得意げに笑った。
「金の縁取りはメイローグ学園首席の証。レンヴィル、僕は君が出ていった後首席になったんだ!」
「マジかよ…!すげーぜセイジ!」
「レンヴィルの親友なんだ。これぐらいしてみせないとね。でも明日のアッサム…レンヴィルにも負ける気は無いよ。レンヴィルはどうなんだ?」
俺はグッと言葉につまった。セイジは俺の不安の中心を的確に突いてきたのだ。俺は手を首に当てて唸った。
「うっ…。やっぱそうくるか。…実はそれ、さっきアカリファ先生に聞いたばっかりなんだよ。だからまだなんにも準備出来てないんだ。まったく…不平等だよなー」
セイジは俺の隣の席に着きながら、笑って答えた。
「ハハッ、あの人らしいな。でも、僕は手を抜く気は無いからね」
明日行われるアッサムとは、メイローグ学園の首席、次席、トップクラス入り生徒を決定する学園内個人対抗戦のことで、学園の一大イベントだ。
生徒全員が出場し、各々の全力の力を発揮してその頂点を目指す。頂点に立ったものには首席の証である金の縁取りのピンバッチはもちろん、その他にも多額の奨学金や学校施設の優待券が与えられる。この学校施設の優待券というのがまた豪華なもので、ほとんど生徒がこれを手に入れるためにアッサムにのぞむのだ。俺も過去に首席になった時にはこれをフル活用させてもらったものだ。
…などと、俺が昔を懐かしんでいるとふいに教室の扉がガラガラと勢いよく開けられた。ざわついていた教室が一斉に静まり返り、ドアの向こうの人物に視線が集まる。
俺とセイジも同時に視線をそちらに向けた。すると、見慣れた赤髪を揺らしながら、このクラスの担任であるアカリファ先生が教室に入ってきた。周りの生徒はみんな、それが合図であったかのように次々と着席していく。
実にスムーズな動きに…いや、スムーズすぎる動きに俺は一瞬違和感を覚えた。前は先生が来ても騒々しかったものだったが、一年経つとこうも変わるものなのだろうか…。
そんな俺の疑問を汲み取ることもなく、アカリファ先生は教壇に着き、全員が席についたことを確認するとニコッと得意の笑顔を浮かべてうれしそうに言った。
「みんな!アッサムの準備、進んでるかなー?前の首席だったレンヴィル君が帰って来てビックリしてるころだと思うけど、実は今日、もうひとつビッグニュースがありまーす!」
アカリファ先生はビシッとみんなに向けて人差し指を突き立てた。まるでドラマの美少女探偵が「犯人はあなただっ!」とでも言っているかのような自慢げな口ぶりだ。
…というよりも、俺が帰って来たことにビックリしているやつがいるなんて、逆にこっちが驚きだ。アッサムの敵が増えたなどとでも思っているのだろうか。もしいるならそいつに言ってやりたい。俺は今日そのことを聞かされて、準備なんて何一つ出来てないんだって…。
俺のため息もお構いなしに、アカリファ先生はフフンと鼻で笑いながら続けた。
「それはね…レンヴィル君の他にももう一人転校生がいるってことなんです!さあ、入って!」
再びドアが開き、一人の細身のシルエットが姿を現した。
その人物はドアを開けるなり、カツカツとリズムよく、軽快な靴音を教室に響かせながらまっすぐにアカリファ先生のもとへと歩み寄った。肩ほどの長さに切りそろえられた金髪と、フリルが控えめに彩られたミニスカートが歩みに同調してふわりと揺れた。
その歩みは緊張などさほども感じない堂々としたもので、再びざわついていた教室をシンと静めさせるほどだった。
彼女は、アカリファ先生のもとに着くと先生に向かいニコッと笑った。先生もそれを笑みで返す。
そして、ようやく彼女は生徒の方に向き直った。再び美しい金髪と左髪に編み込まれた三つ編みが、光を振りまくようになびいた。
「今日からこのクラスでお世話になります、ミレア・フリージアです!力は植物。よろしくお願いします!」
よく通る声だった。ミレアはまたニコッと微笑んだ。
とにかくかわいい。それがミレアに対する俺の第一印象だった。大きなブラウンの瞳はしっかりと前を見据えていて、それだけで強い意志力を感じる。だが、それは強すぎることもなく、口もとに浮かぶ笑みからは優しそうな印象も受けた。
その辺に関してうといと言われ続けた俺でさえかわいいと思ったんだから、周りの反応はそうとうなものになるだろう。事実、クラスの男子に視線を送るとその大半が顔を赤らめながら魚みたいに口をパクパクしていた。(セイジはいつも通りだったが)
アカリファ先生がその様子を見てか、ニヤニヤしながらいたずらっぽく言った。
「ミレアはこう見えて強いんだよー?なんとついさっき受けてもらった編入試験で、レンヴィル君しか倒せなかったあのアークスを倒しちゃったんだから!」
「なっ…⁉︎」
あのアークスを…⁉︎
いきなりの衝撃事実に度肝を抜かれ、俺は驚きの声を隠せなかった。
二人は一瞬俺の方を振り向いたがアカリファ先生は構わずに続けた。
「ミレアもレンヴィルも来た今、明日のアッサムがどうなるか楽しみね!今日はそのアッサムに備えて基本的な部分の復習をするわ!さ、ミレアも空いてる席について」
ミレアはアカリファ先生にひとつ頷くと俺の左前の長机に腰掛けた。
「彼女…アークスを倒したのか。まだちゃんとした授業も受けてないだろうに…すごいな」
セイジがそう俺に耳打ちした。俺もそこは心底同意するところだったので深々と何度も頷いた。
すると、聞こえるはずは無いのだがミレアがふいにこちらを振り返った。それに気づいてセイジがパッと姿勢を元に戻す。
大きな瞳が俺を見据える。気まずかったが、俺は目線をそらすわけにもいかず視線をミレアにとどめた。
その時だった。
突然頭の奥がチクリと痛んで俺は下を向いた。そしていきなり頭の中で映像がフラッシュバックし始めた。
炎に包まれる高層ビル。駆け出そうとする俺を抑える大人たち。黒髪の少年。焼け焦げて地面に落ちた花。そして、涙に濡れた大きなブラウンの瞳…。
俺はハッと息をのみ、脳裏によぎった予感を振り払うかのようにもう一度ミレアを見た。
まさか…そんなはずはない。あの時あの子はもう…
再びミレアの視線が俺を射抜いた。その瞳は小さい頃、毎日見ていたものと。そして脳裏に浮かんだ瞳と同じ光を讃えていて…。
「ウソだろ…」
俺の口からかすれた声が漏れた。