光の女神様と付き人
ここは自然の力を司る神たちが暮らす世界、天界。暖かな日差しが木々を照らし、小鳥が美しいさえずりを響かせるのどかなこの地に、一人の神が荒々しく息を切らせながら走っていた。
その神は、天界に六つしかない建造物の中で最も高く大きい神殿に入ると、最上階を目指して階段を駆け上った。そして背丈の三倍はあろうかという木製のドアを半ば倒れこむように開けると、窓から外を見つめる目的の人物を視界の端に捉え、大声で叫んだ。
「ティアーナ様!大変です…奴が、闇黒神が復活しました!」
ティアーナと呼ばれた神は長い金髪を揺らしながらバッと振り返った。
「まさか…!ストラウス、本当なの?」
「はい…!人間に力を分け与えて、今なおどんどんエネルギーを蓄えているようです!」
「こんなに早く復活するとは…!八大神を招集して。すぐに地球に向かいます!」
「はっ!」
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それから数年後…
「…なんとか最悪の事態はまぬがれることができたようですね…」
ティアーナは目を閉じるとはぁっと息をはき出した。
「ええ、戦いはひとまず我らの勝利でしょう…。しかし、三人の人間が闇黒神の力の一部を受け継いでしまいました。闇黒神自体も封印しただけで永遠に葬ることはできなかった…。いずれまた戦いは起こるでしょう」
ティアーナはうつむきながらつぶやいた。だが、ストラウスはティアーナの言葉の一部が心に引っかかり、おずおずと尋ねた。
「あの、ティアーナ様…闇黒神が不可能でも、せめてその三人だけでも葬ることができれば闇黒神の力を弱めることができるのではありませんか?」
ティアーナは首を横に振った。
「いえ…それも無理でしょう。すでに一度、人間達によって力を受け継いだ一人が殺されたけれど、殺された瞬間にその力は子孫へと引き継がれていた…。おそらく、血の繋がったものに力が移る仕組みになっているのでしょう。人知れない所で血のつながりとはあるものだから、闇黒神の力を完全に根絶やしにすることは不可能ね…」
「それでは人間を絶滅させれば…」
単なる提案のつもりだったが、その言葉を聞いた瞬間、ティアーナがものすごい剣幕でこちらを睨んだことに気付き、ストラウスは言葉を切った。ティアーナは下唇をかみ、錫杖をつかんでいた手をグッと握って叫んだ。
「そんなこと…、そんなこと生命を司る光の女神である私に、できるはずがないでしょう!」
「も、申し訳ありません!しかし、それ以外に方法が…!」
「…!」
ティアーナはグッと押し黙った。そしてストラウスの視線から逃れるように眼下に広がる青い星に視線を向けた。
「そうね…。確かにあなたの意見は的を得ています。今のは私が感情的になりすぎていまいました。神の長たるものの態度ではありませんでしたね。ごめんなさい…。でも…」
ティアーナは深々と腰を折るとストラウスの目をまっすぐ見て、その心に語りかけるように叫んだ。
「それでも。私に誰かの生を奪うことなど、できないのです…!」
目に薄く涙を浮かべる光の女神を見て、ストラウスは慌てて頭を振った。
「いっ、いえ!そもそもは私の失言が招いたことです。お気になさらないでください。それより、人間達をどうなさるおつもりですか?」
ティアーナは「…そうですね」と言うと顎に手を当てて考え始めた。その姿を横から見て、ストラウスはティアーナを変わった神だな、と改めて思った。
ティアーナは光の神だ。それはすなわち、この世に存在する神の中で最も高位の存在であり、最も強い力を持っているということを意味する。
中には自分の力に溺れて威張り散らす神だって最近では少なくはない。しかしティアーナからはそのような気配を全くと言っていいほど感じない。むしろ他の神を気遣い、自分の失態を認め頭を下げるほどだ。
少々危なっかしい面もあるが、ストラウスはこれこそが真の神の器なのだと思った。そして他の神々は気づかぬ内にみんなこの器に惹かれてしまうのだろう…。
「それではこうしましょう」
ティアーナはおもむろにパンッと手を叩いた。
「暗黒神と同じく、今から私の力の半分を人間の一人に引き渡します。この人間に闇黒神の力を受け継いだ三人の力を抑えてもらいましょう。この際ですから八大神にも三人の人間に力を与えてもらうようにします。これで再び人間達が闇に染まること無く、平和に暮らせるはずです」
ティアーナは嬉しそうにニコニコと笑った。人間達が平和に暮らしている風景を脳内にイメージしているのだろうか。さっきまでの怒りはどこへやらだ…。
しかし、その一方であまりの突飛な発想にストラウスは唖然とし、口を半開きにしていた。だがすぐに首を振り、ティアーナに反論する。
「しかし…!それでは天界をどうするおつもりですか?ティアーナ様のお力が弱まってしまえば、いつまた暗黒神のような輩が現れるか…!」
その問いにティアーナは間髪入れずあっさりと答えた。
「それでは、天界をこの地球に新たに作ってしまうというのはどうでしょう?八大神には今まで通り二人一組になってもらい四つの神殿を与えます。そうしたら闇黒神が再び力を暴走させたとしてもすぐに対処できますし。そのような不届き者が現れてもすぐに八大神の力を借りることができますから、一石二鳥ではありませんか。力を分け与えたとしても、天界の八強が集えば、それに敵うものなどいません」
これには唖然を通り越して、ストラウスは絶句させられた。よもや、天界の長たる光の女神が、自分の不都合や危険を顧みずに人間のために尽くそうと言うのだから。
「本気…なのですか?」
ストラウスは下を向いたままボソリと言った。そして手をギュッと握り、下唇を噛み締めるとティアーナに向かいもう一度、今度は強く叫んだ。
「あなた様は誰よりも強い神、光の女神ティアーナだ!あなたには他の神に命令する権利がある!もっと幸せになる力がある!なのになぜ、それを捨ててまで…人間を守ろうとするのですか⁉︎あなたが望んでいるものとは一体なんなのですか?」
数秒の沈黙が流れた。言い終わって初めて、ストラウスは自分がまた失言を犯してしまったことを認識した。それに気づき、ストラウスは慌ててティアーナを見る。
「もっ…申し訳ありま」
「ストラウス!」
謝罪の言葉は、先刻のストラウスの叫びよりもさらに大きな声によって中断させられた。ストラウスはビクッと肩を上げた。
ストラウスは恐る恐るティアーナを見る。するとその顔には何よりも美しく、そして何よりも優しい笑顔が浮かんでいた。
「そのようなことを考えていたのですね…。ごめんなさい、あなたをまた困らせてしまいましたね」
ティアーナはふうと息をつくと再びまっすぐにストラウスを見た。
「あなたが私の付き人になってから…あなたの仕事や役目が減らないかといつも思っていました。あなたにもっと自分をだして欲しい…今のように。私はそのことをなんとも思いません。謝る必要もありません。そして、今の質問の答えですが…端的に言えばそれが…」
ティアーナはすうっと息を吸うと、静かだが凛とした声で言った。
「それが私の使命だからです」
ストラウスはそれを聞いて目を見張った。ティアーナは優しい声でストラウスの心に語りかけるように続ける。
「私の光の力というのは、全ての者を幸せにすることができる力。それをなすために私は生まれてきた。…これは使命なんです。そして使命であると同時に、私の欲するところでもある。そのためならば、私はどんな犠牲だって払う覚悟です。…わかってもらえましたか?」
ストラウスは無言でひとつコクリと頷いた。ティアーナの一番そばにいながら、今までその覚悟や気遣いに気づかずにいた自分が情けなく感じた。
「すいませんでした…ティアーナ様」
「もう謝らなくてよいと言ったはずですよ?ストラウス」
ティアーナは唇の前に人差し指をたてると楽しそうにクスッと笑った。ストラウスもそれにつられて、ぎこちなくも少し笑った。
「さあ、これから大変ですね!まずは八大神の了解を得なくては…。すぐに取り掛かりましょう!」
ティアーナは張りのある声で言った。だが、どこか表情が不安の色に彩られているのにストラウスは気づいた。ストラウスは胸に手を当て、目を閉じた。そしてゆっくりと口を開く。
「ご安心ください。この命尽きるまであなた様におともいたします」
ティアーナは驚いたようにバッとストラウスを見た。だが、こみ上げてくる何かを隠そうとするように、すぐに眼下の青い星に体を向けた。そして、何がそこまで感銘を与えたのか…ティアーナは肩を上下させながらしゃくりをあげ、泣きはじめてしまった。
予想外の反応にストラウスはうろたえ、その場を右往左往した。だが次の瞬間、そんなストラウスに小さく…しかしはっきりと、ティアーナの声が空気を揺らして届いた。
「ありがとう…」
常に凛と立ち、天界を見つめてきた光の女神、ティアーナがここまで感情を表に出すことは今までも…そしてこれからも二度とないだろう。
もしかしたら、ティアーナは欲していたのかもしれない。天界において絶対の力と権力を持ったもののみが暮らすことのできるあの高い建物の中で…物言わぬ美しい装飾がなされた家具を見ながら…。
心をさらけ出して話し合える友を。心から自分を思ってくれる友を。
だから今の言葉はティアーナの心を大きく揺さぶったのだろう。ならばそれを言ったものにはそれなりの責任がともなう。
「行きましょう…」
ティアーナはコクンと頷き歩き出した。その背中を見ながら、ストラウスは思った。
自分は、ティアーナ様の付き人であり友ではない。そして、これからもその関係は変わらないし、変えることはできない。だから、自分はティアーナ様の真に求める存在にはなれないだろう。
だが、友にしか出来無いことがあるように、付き人にしか出来無いことはある。それをやるだけだ。
ストラウスはひとつ頷くとティアーナの数メートル後ろを歩き始めた。
光の女神とその付き人は天界へと続く一本道を自分の信念に従い歩いていく。この後、彼らは条件を出されつつも、見事八大神を説得し人間達に力を分け与えることに成功した。
そして、人間界には幸せが訪れることになるのだが、その時彼らはまだ知らなかった…幸せというものが永遠のものでは無いことを。
そして、人間界では五百年の月日が経った。