7.倒れてしまった者達
湖に隣接した大きな市が開かれている集落に、五人の馬に乗った者達が到着した。ひざ下までの長いマントとフードを身に着けたその五人は、ハルベリアの兵士達だ。五人が同じマントとフードを使っているのは、それが軍から支給されている長距離移動用の装備だからというだけの理由しかない。
日干し煉瓦で出来た集落の囲いを越える前に、その五人は馬を降りる。集落内には大勢の人が行き交っており、乗ったまま入っては危険だと考えたのだろう。
馬の手綱を引いたその五人は、ハルベリア兵が常用している宿へと向かう。
「妖魔に会わなかったおかげで、早く着きましたね」
「うん? あ……ああ。そうだな」
フードを取った若い男性兵士が、隣に並んだ隊長に笑顔で話しかける。それに対して返事をしたイヴは、どこか上の空だ。表情にいつもの覇気がない。
出発時には気負い過ぎといえるほどだったイヴの、情緒不安定とも思える変化に部下の兵士達は苦笑いを浮かべる。彼等は、直接聞いたわけでもないのに、その理由を各々が勝手に想像していた。
ある者は、山と谷を越える為に半日以上馬を走らせて、気合を入れ過ぎていた彼女は疲れたのだろうと考える。そしてある者は、隊長就任後初の任務で、複雑な心境になってもおかしくないと納得した。
だが、彼等の想像はどれも的外れだ。イヴの心をかき乱しているのは、異邦人である一人の男性だった。俯き気味に歩くイヴは、男性の顔を思い出しながら無意識に独り言をつぶやく。
「はぁ……。あいつ……なんで……」
イヴはその男性に、二日前自宅で開催した、隊長就任祝いも兼ねた自分の誕生パーティーの日取りを教えていた。それは、その男に出席して欲しかったからだ。そして、その会場ですれ違い続きだった男と、ゆっくり喋れるのではないかと期待していた。
しかし、その男は出席していない。それどころか、その男性は三日前から宿舎に帰宅しておらず、どこに居るかもわからないのだ。
「はぁ……」
宿の前に到着してマントとフードを脱いだイヴは、再び大きなため息をつく。それに気が付いた隊の最年長である男性が、イヴを気を遣う言葉を口にする。
「隊長。任務は明日です。今日は、ゆっくり休みましょう。どうです? 気分転換に市でも見学されては?」
最年長の男性がイヴを案じたのだと気付いた他の兵も、急いで笑顔を作る。
「馬宿の手配は俺がしてきます」
部下達に気を遣われていると分かったイヴは、しまったという気持ちを表情に出す。
「あ、荷物は自分が運びこんでおきますよ。隊長」
部下達にそれ以上気を遣わせないようにしようと、イヴはぎこちなく笑う。口下手な自分が、下手な言い訳をしても余計に気を使わせるだけだとイヴは判断したのだ。そして、軽く手を上げてから、市が開かれて一際賑わっている方向へと歩き出した。
相手を気遣うのも優しさなら、その好意を素直に受けるのも優しさなのだろう。彼女と、彼女が隊長になる前から同じ隊で共に戦ってきた部下達は、理想的な人間関係を築いているようだ。
「本当に私は……隊長としても、人間としても未熟だな……」
思いを口に出す事で、気持ちを落ち着かせたイヴは顔をあげる。その彼女の目に入ったのは、人だかりだ。
市の端にある小さい店に、それだけ人が集まるのは珍しい。好奇心を刺激されたイヴは、何があるのだろうと野次馬の中に混ざった。
「あ……い……つぅぅ!」
店の主人である男性を見て、イヴは顔を赤く変えていく。その赤みの原因は、怒りだ。
「えぇぇぇ……すみません! 品切れです! はい、申し訳ないです。はい、すみません!」
イヴは、一目見ただけで全てを読み解いた。ハルがイヴの誕生パーティーに出席しなかったのは、市での商売を優先させたからだ。大した違いではないが、もう少し正確には市での商売の事ばかりを考えて、ハルは彼女の誕生日をすっかり忘れてしまっていた。彼にとっての最優先事項はお金であり、それが彼女にも分かったのだろう。
自分との会話で見せた事もない満面の笑みを浮かべるハルに、イヴは沸き立つマグマのような怒りを溜め込んでいく。
「ああ……そうか。私との関係はお前にとって価値がないか……なるほど。常勤兵にならなかったのも金の為か……なるほど。よく分かった」
低く小さなそのイヴの呟きは、品切れになった事を大声で皆に謝るハルの耳には届かない。
(さて今日は、食事を少し豪華にでもするか? それとも……おっおう)
客のほとんどが帰ったところで、ハルは初めてイヴが自分を殺してやるといわんばかりの目で睨んでいる事に気が付いた。
「こ……これは……これは、隊長さん。えぇぇぇぇ……っと。すみません。売り切れでしてぇ。うっ!」
相手が何に対して怒っているかが分からないハルは、営業スマイルで対応しようとした。当然ながら、その笑顔が余計にイヴの怒りの火に油を注いでしまう。
ぶちりと頭の線が切れたイヴは、洗練された無駄のない動きでハルの胸元を勢いよく掴む。
(放せっ! このっ! ちっこいゴリラっ!)
顔をひきつらせたハルは、降参の意味で両手を上げる。そして、取り敢えず謝ろうとした。それが更に相手を煽る行為だと、ハルは気付かない。
「へっ……へへっ。勘弁し……うっ!」
自分が何故この男の為に悩まなければいけなかったのだと、イヴは泣きそうな気持ちを力として相手に伝える。
(やめっ! マジで苦しい! 放せ!)
イヴに頸動脈と喉を圧迫されたハルは、咳き込む。それを見て、イヴはやっと手を離した。
「お前は、こんな所で何をしているんだ?」
ハルが咳き込んでいる間に、深呼吸でなんとか気持ちをおさえたイヴは、絞り出すような声で質問した。
「おほっ! おほっ! はぁぁ……。見ての通り、仕事で……うがっ! てぇぇ……」
ハルの仕事という言葉で、イヴの線がまた一本切れてしまう。元々、口が達者ではないイヴは、感情が爆発してしまったせいで言葉が出てこなくなってしまっていた。それでも、自分の怒りを相手に分かって欲しいという気持ちが、拳を握られたのだ。
(さっ! 最悪だ! こいつ!)
殴られた額を押さえてイヴを睨もうとしたハルだが、すぐに目線を逸らす。それだけ、目を血走らせたイヴが怖かったのだろう。
「なんで……来ない……。私……の……パーティー……」
肩を揺らして荒い呼吸をするイヴは、なんとか怒りを抑え込んで、単語を一つずつ口から吐き出した。
(あ、忘れてた。てか、こえぇぇよ! なんで片言なんだよ! このアマゾネスがっ!)
イヴに対して直接の不満を口に出来ないハルは、笑って誤魔化そうと頭を片手で掻きながら軽い口調で答える。
「あ、すみません。あの……忘れっ、ごはっ!」
イヴのボディーブローにより、ハルは悶絶してその場に倒れ込んだ。彼の横隔膜は強い衝撃により、一時的に動きを止めている。その光景を見た血だるまになっているハルを陥れようとした商人が、薄く笑って気を失った。
「もう、お前など知らん!」
倒れ込んだままのハルに、きつい言葉を浴びせかけたイヴは、そのまま市の奥へと消えていく。
(俺も、お前なんて嫌いだ……)
しばらくの間倒れ込んだまま苦しんだハルは、手早く店を片付けて宿へと戻る。彼はイヴにもう一度会えば、また危害を加えられるとでも考えたのだろう。冷静になったイヴがお詫びの品を持って戻ってくるとは、彼でなくても思いつけない事ではある。
「ふぅぅぅぅ……。まだいてぇ」
宿の前にあった露店で買い込んだ食事を、ハルは部屋で食べ終えた。そして、腹部を押さえながら窓の外へと目を向ける。辺りはすっかり暗くなっていた。
(夜、一人であの山を越えるのは、自殺行為だよなぁ。出るのは明日にするか)
三日間店を開く予定だったハルは、次の朝まで宿の費用を支払い済みだ。翌日、店を開かずにすぐ帰路につけるのと、少しだけ笑う。
(眠るには、まだちょっと早いよなぁ)
市は昼の部を終了し、夜の部に移っている。松明を大量に設置してある通りや広場には、楽器の音色や笑い声が響いていた。酔っぱらった男性や、表面積の少ない服を着た女性が大勢通りを歩いている。
二階の窓から顔を出したハルは、ぼんやりとそれを見下ろしていた。
(お金は出来た。さて……どうするかなぁ……)
彼の中で膨らんでいるのは、未知なる大人の遊びへの好奇心だ。自然とハルの視線は、少し化粧の濃い女性達を追いかける。
(いや……でもなぁ……)
にやにやとしながら女性達を観察していたハルだが、窓から出していた顔をひっこめた。その顔をしかめたハルが考えているのは、美人局等の女性とのトラブルだ。異性に多大な興味を持ちながらも、理性が本能の邪魔をする。端的に言うと、ハルは女性に対してへたれと言えるほど奥手なのだ。
稼いだ金を見つめて、ハルはあれこれと妄想を続ける。かなり長時間悩んでいた為、ハルは竹筒に入った水を飲み干してしまう。
(と……取り敢えず、水を汲みに行こう)
空になった竹筒と、机の上に置いてある持ち運びできるろうそく台を手にしたハルは、水瓶のある宿の玄関へと向かった。
(さっきの子、可愛かったなぁ。あ、でも最初は年上? いや……うん?)
食事から帰ってきたイヴ達に、ハルは逸早く気が付いてろうそくを吹き消し、階段の陰に隠れる。目敏さと気配を消す技術は、彼の特技なのだろう。
「おごってもらってよかったんですか? せめて半分……」
「気にするな。私だけ遊ばせてもらった礼だ。その代り、明日はしっかり頼むぞ。私の隊長としての初任務だからな」
(やっちまったぁぁ……。あれ? 待てよ)
階段の裏で聞き耳を立てていたハルは、自分がイヴ達と同じ宿を取ってしまったと理解した。そして、自分の見落としについても気が付く。
ハルはイヴと出会ったのは、彼女が市へ買い出しに来たからだろうと勝手に思い込んでいた。会話の内容を聞く限り、それは間違いだ。
(聖都の兵士がわざわざ他地区へ出向く任務か。なんだ?)
竹筒とろうそく台をその場に置いたハルは、イヴ達に気付かれないように後をつけた。イヴ達五人は、一つの部屋に入っていく。
(ここは個室だよな。五人で一部屋なんてあり得ない。仕事なら、宿代も自腹じゃないだろうし……)
しゃがんで鍵穴部分に耳を近づけたハルは、目を閉じてイヴ達の話を聞く事に集中した。
「明日は日の出と同時に出発する。リンカの里へは、このいつものルートで向かう。長老様からは、昼までに到着してくれればいいといわれている。間に合うはずだ」
机に広げた地図を指さしたイヴは、部下達の顔色を確認する。
(リンカ……あのババァの集落か)
聖都と今ハル達がいる平原の間には、比較的標高の低い山脈が横たわっている。異邦人達が流れ着く山も、その一部だ。
その山脈の平原側である一番高い山に、リンカの里という百人ほどの人間が住む集落がある。イヴ達は、その集落の長老から依頼を受けて里に向かうらしい。
「ここから徒歩で、ルート入り口までは一時間って所だ。そこは馬で上れないから、馬はここで預かってもらう。里までは、何もなければ二時間。まあ、毎年の事だからお前も覚えておけ」
年長の男性兵士は、その任務に初参加である若い兵士にイヴが煩わされないよう、補足情報を与えた。彼はイヴの補佐官として、十分すぎるほどの人材なのだろう。
「よし。じゃあ、頂上にある雨乞いの祭壇までの陣形だが……」
(山頂に向かうババァ達の護衛か。なるほどねぇ)
イヴ達の最終となる打ち合わせは、和やかな雰囲気の中で進められている。毎年の事で作戦が確立されており、悩む部分が少ないからだろう。
(リンカの里か……。くくっ。チャァァァンスッ)
ハルは邪な笑みを浮かべていた。彼は、お金の臭いを嗅ぎつけたのだろう。
リンカの里は歴史が古く、そこにしか残っていない技術も多い。それは、ゼノビアが建国されてその一部になるまで、どこにも属さない閉鎖的な里だったからだ。
ハルは一度、行商人としてその里に入った事がある。その際に、秘薬の製造方法を口車に乗せて聞きだし、逃げるように聖都へと戻った。その為、まだ金になる技術を全て収集できていないと心残りだったらしい。
(ババァが里から居なくなるなら、機会も増えるはずだ……)
頭の中の天秤が女性よりお金に傾いたハルは、口角を上げたままイヴ達のいる部屋の前から立ち去った。
「いいな? では、今日は早めに就寝する様に」
笑顔で頷いた兵士の一人が、何気なくイヴが帰宅した時の事を話題にする。
「そういえば、隊長。男物の服買ってきてましたよね? お父上へのお土産ですか?」
「ま……まあな。あ……ああ、それより、帰りの……」
少し頬を赤く染めたイヴは、誤魔化すように話題を逸らす。ミラーズ家の当主であるイヴの父とも懇意にしている年長の男性だけが、目を細めていた。イヴの父は、硬すぎると言えるタイプの人物だ。任務中にイヴが買い物をしていたと聞けば、怒る可能性が高い。それをイヴもよく分かっているはずだと、年長の男性は違和感を覚えたのだ。
イヴとハルの関係を知る者は、まだほとんどいない。
翌日、里に向かう山道入り口付近で、身を潜めていた影が動き出す。それは、イヴ達の先回りして待っていたハルだ。
(よし。とっとと行こうぜぇ。隊長さん)
夜明け前に宿を出たハルは、五人が来るのを待ち続けていた。襲ってきた妖魔と戦ったイヴ達は予想よりも遅れて到着したらしく、ハルは待ちきれないと言った表情になっている。
(おっ? くそ。商売の邪魔するなよ)
イヴ達よりも早く接近する妖魔に気が付いたハルは、右手を開いた。白いグローブをはめた右掌からは、光る魔方陣が浮かび上がる。
(一……二匹か)
ほとんど音もなく斜面を移動するハルの、左手首に紋章を浮かび上がり、いつの間にか左手にナイフが握られていた。
「よっと」
ハルが藪を抜けると、全長三メートルを超える毛を逆立たせたネズミ型妖魔が待ち構えていた。それを予想していたハルは動きを止める事なく、右掌の上に浮かべていた魔方陣を妖魔達の足元に投げつける。
(はい。いっちょあがりっと)
投げつけられた魔方陣に反応して、妖魔達はハルに飛び掛かろうとした。
だが、地面につくと同時に広がった魔方陣は、土を一時的に硬化させて妖魔達に突き出す。空中に浮いたまま、地面から伸びてきた土の剣に串刺しにされた妖魔達は、ナイフで止めをさされて動かなくなった。
(ちょっと補給しておくか)
空中に先程とは違う魔方陣を出したハルは、手を差し込んで結晶化した精を取り出した。そして、それを握りつぶす。
砕かれた精は全体が砂のように崩れ、やがて白い煙となってハルのグローブに吸い込まれていく。
元の世界から持ち込んだグローブと知識により、ハルは聖都内で唯一外部から精を吸収できる者になっていた。彼が一人で行動出来ているのも、その力があってこそだろう。
(また来た。くそ……面倒くせぇ)
「ああっ! 行商人さんっ!」
山を登り始めて二時間後、イヴ達は妖魔に会うこともなく無事里に到着する。それから一時間ほど休憩をした後、彼等は長老達と共に山頂へと向かった。
それを見計らって里にこっそり入り込もうとしたハルだが、運悪くかくれんぼをしていた子供の一人に発見されてしまう。隠れるのが得意なハルではあるが、相手が予想外の所にいたのではそれも上手くいかない。
(ばっ! 大声出すな! くそガキが!)
床の下から這い出してきた子供は、嬉しそうにハルに近寄っていく。その子供の出した大きな声で、大人達もハルを取り囲む様に集まって来た。
(やべぇ! 袋叩き? 俺も、ぼこぼこにされるの? ねぇ? ちくしょおおぉぉ!)
門外不出の秘薬を持ち出したのだから、自分が指名手配的な状態になっているのだろうと、ハルは顔を引きつらせる。
しかし、住民達は笑顔でハルに近付き話しかけるだけで、危害を加えようとはしない。
「よおっ! 今日は何を売りに来てくれたんだ?」
「この前は挨拶もなく帰っちまったから、気になってたんだよ。今日はうちに泊まって行ってくれよ。外の話が聞きたいんだ」
(えっ? あ……はい?)
前回訪れた時も、ハルは住民達から好意的に迎えられた。それは、危険を犯してまで行商に行こうとする者がごく少数しかいないからだ。
ハルを囲んで笑う住民達の態度は、前回と変わらない。それは、長老が秘薬の製法をハルが持ち出したと、住民達に知らせていないからだろう。つまり、その里でハルは指名手配されても、出入り禁止にされてもいない。
「あの……バ……長老様は? 何も?」
「えっ? 長老に用事なのか? 今、儀式で山頂に出たばかりだ。ついてないなぁ。まあ、半日もすりゃ帰ってくるさ」
高齢の男性がそれを言った後すぐに、別の若い女性が長老からの言葉をハルに伝える。
「あ、そういえば、貴方が来たら一度会いに来いって。後……安心して来いって言ってたけど……。もしかして、何かあったの? 行商人さん?」
(やってくれるぜ……あのババァ……)
俯いたハルは、眼光を鋭くしながら口角を上げた。
「あ……すみません。この荷物少し預かって下さい。中身は後のお楽しみって事で、私が戻るまで見ないでくださいねぇ」
「あ、ああ。長老に用事だったのか。だが、一人で山頂に行くのは危け……あれ? 行っちまった」
右手のグローブから発生させた三に重なる魔方陣を、ハルは自分の胸に押し付けた。それは、肉体を強化する術だ。驚くほどの速さで走り始めたハルは、そのまま山頂へと向かう。
(あの狸ババァ。どこまで分かってたんだ? くそ。利益には利益。仕方ない)
ハルは左手からワイヤーを出現させる。そのワイヤーはハルの掌から直接生えていた。そして、それをハルは自在に動かせるらしい。
(よっと! ほいっ!)
飛ばしたワイヤーを木の枝に巻き付け、ハルは振り子のように山道を飛び越えていく。強化された脚力を最大限に発揮させたハルは、数分後にはイヴ達に追いついていた。
(いたいた。なんだ? あの恰好。確か……トルコだかパキスタンだかで似たのを見たな。てか、鈴鳴らすなよ。妖魔が寄ってくるぞ?)
イヴ達に囲まれている里の住民達は、儀式用の派手な服を身に纏っている。その中心で男四人が担ぐ神輿に乗った長老は、鈴をならしながら何かの呪文を唱え続けていた。
(ほら見ろ。やっぱり)
木の上から長老達を見ていたハルは、離れた草むらに動く影を見つける。
左手に出現させたナイフに、右手から出した二重の魔方陣を纏わせて、敵に投げつける。誘導と破砕の力が付加されたナイフは、節足動物型の妖魔に深く突き刺さり、破砕して内部からずたずたに引き裂く。
「どうしました? 隊長?」
小さな音に反応したイヴが、少しだけ立ち止まったがすぐに歩みを再開した。
「いや、気のせいだ。すまない」
雨乞いの呪文を唱え続けていた長老だけが、薄く笑う。それは木の上にいるハルから見えない。
(うわっ! また来た! こっちくんなっ! この野郎!)
半時間ほどで到着した山頂には、石で出来たピラミッド型の祭壇があった。
長老の乗る神輿を男達が下すと同時に、周りの者はその祭壇に素早く走っていく。そして、担いでいた松明を所定の位置に設置して点火した。
(なんだ? あれ? ババァが上りきるまでに設置するのが、決まりなのか?)
神輿を降りた長老は、呪文を唱えながらゆっくりと祭壇を上っていく。
「雨乞い……ですか」
「うん? まあ、言いたい事は分かる。だが、他の集落の習慣に俺達が口を挟んでいいのは、よほど危険だったりおかしかったりするときだけだ」
祭壇から少し離れた位置に固まっているイヴ達は、少し気を抜いてその不思議な儀式を見つめていた。イヴと年長の男性は、妖魔が現れなさ過ぎると首を傾げているが、何かしようとはしていない。
(聖都に持って帰って売るつもりの商品。仕入れといてよかったぁ。あれで、また一稼ぎだな。あ、もう一回仕入れれば、聖都でも更に……。いいじゃないのぉ)
イヴ達の後方にある草むらに身を潜めたハルは、儀式になど興味がないらしく、一人笑顔で皮算用をしていた。
だが、自分の座っていた地面から精の流れを感じ、ワイヤーを使って木の上に跳び上がる。
(なんだっ?)
ハルの座っていた所から、地面が四角く抜けた。どうやら、地面の下には人工の空洞があったらしい。
「きゃあああぁぁぁ!」
木の上に避難出来たハルと違い、イヴ達はその大きな穴に落下してしまう。
(術の気配がする。中に人がいるのか?)
ハルは木から急いで降りると、見つからないように少しだけ顔を出して穴の底を見渡す。穴の中にはコンクリートで出来た通路があり、術の力で壁や床が淡く光っている。
(違うっ! 俺と同じ外部取り込み方式かっ! って……驚くほどでもないよな。昔はもっと術が発達してたって言ってたしぃ。あって当然だよなぁ)
落下した仲間達の無事を確認し終えたイヴは、しばらく自分達の落ちてきた穴を見つめ続けていた。そして、結論を出す。
「駄目だな。長老様達は儀式が終わるまで動けないはずだ。風が吹き抜けているようだし、出口を探そう」
イヴ達は術式の書かれた装備を付けており、術が使える。
しかし、そのイヴ達の装備にはハルの持つグローブのように、複数の術式が組み込めない。普通は道具一つに、術式一つ。よくても二つまでだ。今イヴ達は、戦闘用の術式装備しか身に着けておらず、穴から脱出できない。
(おいおい。隊長さんよぉ。ホラー映画なら、あんたら多分死ぬぜ?)
「こっちです。こちらから、風が流れてきています」
風の流れを読んで、イヴ達は出口を求めて歩き始める。五人は頭上に大穴があいている状態で、正確に風を読むのは難しいとは考えなかったようだ。穴の奥から強い精を感じているハルは、声をかけようかとも考えた。
だが、イヴに殴られた軽いトラウマのせいで、それが出来ない。彼は、またイヴに殴られるかもしれないと考えているのだろう。
「なっ! なんだこいつ! うわあああぁぁ!」
頭を抱えていたハルの耳に、兵士の叫び声が届く。
(ま……まあ、ここの術式を調べる為だよ。うん。利益の為なら仕方ない)
反射的にワイヤーを木に結び付けて穴を降りてしまったハルは、自分に言い訳をしながら走り出す。彼は嘘つきであり、自分自身をも騙そうとする癖があるのだ。
「がっ……」
(うおおおおぉぉぉっとおおおぉぉ!)
二つの角を曲がり、開けた場所に出た瞬間、ハルは目の前に吹き飛ばされてくる女性を受け止める。敵の攻撃を受けたイヴの意識は、すでにない。ハルが倒れながらイヴの肩越しに見たのは、三メートルの身長を持つ腕を振り上げたゴーレムだ。
(死んでたまるか、こんちくしょう!)
イヴの腰を両手でしっかりとつかんだハルは、その場からヘッドスライディングをしてゴーレムの拳を躱す。ぼっという音の後、強い風圧がハルの髪を跳ね上げる。継続していた強化の術が、二人の命を救った。
(こいつ、やべぇ!)
背中と額から冷たい汗を噴き出したハルは、急いでイヴを肩に背負って立ち上がる。拳を振りぬいた格好で固まっていたゴーレムは、そのハルにゆっくりと顔を向けた。
(金属製か……。簡素な割には、強そうじゃねぇか。くそ)
ハルと出口の間に立ちふさがっているゴーレムは、立方体だけを組み合わせて出来ている。顔や胴体だけでなく、腕や足も蛇腹のように繋ぎ合わせた立方体だ。接続部がどうなっているかは、ハルから見えない。
(大人しく帰るから逃がしてくれよ。くそ……)
出口を探してハルは視線を泳がせるが、広い部屋の中央部には台座があるだけで、出口は一つしかないようだ。そこを、ゴーレムがふさいでいる。
(どけよ。ちくしょう!)
壁際に転がるイヴの部下達四人は、ぴくりとも動かない。持っていた槍や剣は、全て叩き折られていた。相手が金属なのだから、イヴ達が持っていた火や風の術式も通じなかったはずだ。
(ならっ! 未完成だが仕方ない! これでどうだ!)
ゴーレムと睨み合っていたハルだが、グローブから魔方陣を浮き上がらせ、部屋の隅に投げつける。その魔方陣からは、淡く光る人型の精が出現した。
(どうだっ! お前が精を識別しているなら、どれが本物か分かるまい!)
ハルは元々、その人型を自分そっくりに仕上げ、分身の術のように使おうとしていたらしい。
しかし、まだそれは作っている途中の代物だ。その未完成な術でも、人間ではないゴーレムなら誤魔化せるだろうとハルは考えた。
(ふんっ! 馬鹿め! こっちは本物だ! あっち行けよおぉぉ! ちくしょおおおおぉぉぉ! 見えてるのかよおおおぉぉ!)
自分に向かって走り出したゴーレムに背を向けて、ハルは全力で逃げる。イヴを担いだハルよりもゴーレムは早く、出口に向かえないように牽制までしてきた。まるで、自分を倒すまで出られないといいたいように見える。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ! くっ! のぉぉ!」
細かく方向修正をしながら逃げるハルは、やけくそ気味に左手から出現させたナイフを投げつけた。そのほとんどが壁や床にぶつかるか、台座を守る術の防護フィールドに跳ね返される。ただ、二本だけは、ゴーレムにヒットした。
当然ながら、金属にナイフが簡単に刺さるはずもない。当たった二本のナイフは、ゴーレムの肌に傷すらつけられずに弾かれてしまった。
(なるほど……。なるほどねぇ)
凄まじい風切音の拳を躱したハルは、一度立ち止まると気を失っているイヴを床に下す。ハルは、彼女を見捨てようとしている訳ではない。どうしようもない状況で腹をくくり、賭けに出ようとしている。
彼女をおろしたのは、二つの簡単な理由からだ。その賭けに、イヴを付き合わせたくないのが一つ。そして、自分の最大速度を出したいのが、もう一つだ。
「どうした? 来ないのか?」
竹筒を空中の魔方陣から取り出したハルは、水を一口飲んだ後投げ捨てた。相手の雰囲気が変わった事まで察知したゴーレムは、出口をふさぐように立ったまま動きを止めている。台座を挟んで、ゴーレムとハルはしばらく睨み合った。
だが、その緊迫した空気をハルが破る。
「じゃあ……こっちから行くぞっ!」
右手から出した魔方陣を自分の胸に当てたハルは、全身を発光させながら床を蹴り出す。自分に向かって走り出したハルに対して、ゴーレムも前進しながら拳を振り上げた。
(人間みたいによく出来てやがる……なら……俺は、そこ狙う)
視界を白いもやでいきなりふさがれたゴーレムは、光る人型に向けて拳を振りぬいた。次の瞬間、ゴーレムと台座を守るフィールドが爆音と閃光に包まれた。
(まぶしっ!)
少し離れた位置まで移動していたハルは、その眩しさで両目を閉じる。
あまりにもよく出来過ぎていたゴーレムは、ハルのはったりに引っかかった。視界をふさいだのは竹筒の水を蒸気に変えた物で、光の人型は未完成だった術だ。投げ捨てるときに仕込んでおいた術によって噴き出した水蒸気で相手の視界をふさぎ、本体のハルは壁際まで全力で逃げていただけに過ぎない。つまり、ハルはゴーレムを自爆させたのだ。
(逃がしてくれれば、こんなことしなかったのになぁ)
薄ら笑いを浮かべたハルは、黒く焼け焦げてばらばらになった立方体の一つを蹴りつける。
(やっぱ、ゴーレムを倒すとフィールドも消えるのね)
落ちていた先の折れている槍で、フィールドの消失を確認したハルは、台座の上に置かれた黒い仮面を手に取る。
(なんだこれ? 笑ってるの? 気味が悪いな)
ハルの掴んだ黒い仮面には、赤い三日月が三つ刻まれていた。まるで、仮面が笑っているように見える。それも、色合いのせいで不気味で邪悪な笑顔だ。
特に深く考えなかったハルは、仮面をかぶった。彼は強敵を制して気を抜いたか、元々馬鹿なのだろう。
(うおっ! これ凄いなっ!)
紐等がない厚さ二センチほどの仮面は、顔に張り付く。穴はないはずだが、仮面はハルの視界を一切妨げなかった。ハルとしては呼吸も出来る為、かぶっていないのと同じ様にしか感じないようだ。
また、古代の技術で作られた仮面の能力はそれだけではなく、ハルの精を高め、頭部から首の付け根部分をフィールドらしき術で覆う。
(こっ! マジか! これ! 凄い術がかかってる!)
仮面を外してじっくりと眺めたハルは、またいつもの悪い笑顔を浮かべていた。
「欲しいなぁ……。バレないかな? バレないよね? 持って行って……」
「好きにすればいい」
仮面に気を取られていたハルは、突然の声で本当に跳び上がってしまう。出入り口に立ってそのハルを鼻で笑ったのは、リンカの長老だ。
「まさかお前だとは思わなんだわ。これはそれと対になっている物だ。お前のしたいようにするがいい」
長老は、首から下げていた古い首飾りからメダルを外し、ハルに投げ渡す。悪戯が見つかった子供のように固まっていたハルは、そのメダルが頭にぶつかって活動を再開する。
(えっ? いいの? マジで? てか、このメダル何?)
仮面とメダルを両手で持ったハルは、立ち尽くしたまま必要以上に瞬きを繰り返し、長老の様子を伺う。
ハルは凄まじい力を秘めた、古代の遺産を手にした。運命と呼ぶにはか細く、偶然と呼びには出来すぎている。彼自身、それが何を意味するかがまだ認識できていないようだ。