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破顔の術式  作者: 慎之介
二章:罪人で、変態で、商人で、希望
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14.執拗に追いすがる者達

 町の東に広がる農園地帯近くに、平屋建ての仮設病院があった。その手術室から広がった大きな音は、建物内で幾度も反響している。音を発したのは、妖魔に操られている人々が床に倒した、金属製の扉だった。脆くなった為、圧力に耐え切れなくなり、壊れながら室内へと倒れ込み、床との接触音を響かせたのだ。


 操られている者達は自我を失っており、何も考えておらず、力の限り扉を外から押し続けていた。それは、首筋に取りついている妖魔が、単純な指示しか出せないせいだ。そのような状態で、急な変化に対応など出来ない。

 扉の前に居た者達は、押していた対象が突然なくなってバランスを崩す。更にその状態で背中を押され、床や扉の上へ倒れ込む。その後ろにいた者達も、すでに倒れてしまった者達に足を取られ、上へと覆いかぶさるように倒れていく。俗にいう、将棋倒し状態だ。

(おお、ラッキー。現実は……ゾンビ映画みたいに、全員が綺麗に侵入してこられる訳ないって事か。まあ、そうだよな……)

 ハル達にとって好都合だったその倒れ込みの連鎖は、十人ほどで止まる。奥にいた者達は、扉が急に壊れた事での影響をほとんど受けなかったのだ。

「うぅぅ……ああ……ああああっ!」

 倒れた者達を踏みつけながら、敵となった人々が両手を精一杯伸ばし、手術室内に侵入しようとしていた。その者達の前に一人の男性が立ちはだかる。

(うおっと! 流石に死体じゃないから、速いな……。それでも……これだけ隙だらけならっ! 後は度胸!)

 操られている者達の腕を低い姿勢で掻い潜ったハルは、鼻先が掠めるほどの接近戦を挑む。それほどまでに彼が敵へと近づいたのは、そこに安全を確保できる場所があると理解しているからだ。人間元来の死角だけでなく、重なり合っている敵同士の体が屈んだハルの姿を隠してくれる。

 踏み出すと同時に術を発動させているハルは、倒れてしまっている者を踏みつけながら、立っている者の関節や腹部を拳で殴りつけていく。敵を掴まえて噛みつけという指示しか受けていない者達は、膝の裏を殴られただけで転び、腹部を殴られれば崩れ落ちていく。

「うぅぅ、ひっ! ぎぃ!」

「ああぁぁ! あ……」

 ブロウ卿やマムがハルに渡されたランタンを持っているとはいえ、手術室はそれほど明るくはない。そのせいで、ハルの両手足から放たれている光が、闇の中に怪しく浮かび上がっている。その光は、ハルが使っている術による物だ。相手の体に触れてから発動する様にセットした為、音はほとんど聞こえない。

 彼が今使っているのは、スタンガンを元にして作り出した、高電圧低電流の術だ。その術ならば、操られた者を殺す事なく動きを止め、首筋に寄生した弱い妖魔を焼切る事が出来る。


 一石二鳥といえるその術を選んだ事で、作戦の成功率が高いようにも思えるが、実はそうではない。

 外部の精を取り込めるハルにとっては、少ない回数強い術を使うより、弱い術を幾度も使用する方が体内の精を消費してしまい、負担が大きいのだ。更にいえば、長期戦を見越して他の者達でも使える通常の強化しか発動しておらず、一般人を相手にするだけでも気を抜けない。

 上手くいけば利が大きい代わりに、一歩間違えれば全てが水泡に帰す策しか思いつけないのが、ハルという人間なのだろう。


(こっちに……倒れろ! くそ! 捌くだけでも結構きつい! 次っ!)

 手術室内側へと倒されて転がっていく者達の首筋からは、煙のような白いもやが立ち上っていた。その者達に駆け寄ったリンリーは、傭兵二人へと声をかける。

「構えるだけ、駄目よ! お前! 確認! 手当て! 手伝え!」

「あっ! はい! すぐに!」

 リンリーの強い言葉に逆らえなかった二人は、手伝う為に動かなくなった者へと近づいていく。

「やっぱ……流石、兄ちゃんだ! 何やってるか……よくわかんねぇけど……」

 マム達が立てこもった手術室の扉の前には、長い廊下が左右に伸びている。その為、出入り口の左右から、敵がどんどん押し寄せてきていた。

 しゃがんだ体勢のまま、部屋に入ろうとした者を次々と転倒させていくハルを、子供達は輝かせた目で見つめる。ハルが恐ろしく高度な事をしていると分かってはいないようだが、凄いとは思えているのだろう。


(くうっ! きつい! 最後まで行けるのか? いや! やるんだ! 負けるか! こんちくしょう!)

 低い体勢のまま死角から死角へと動いているハルは、相手の力を利用して敵を転ばせていく。諜報員としての訓練を受けていたハルは、相手を殺傷する技よりも、そういった技の方が得意なのだ。

 ハルがそれを得意とするようになったのにも、理由がある。まず、凡庸でしかなかった彼に目をかけた軍属の男性が、杖術や合気道を心得ていた事が大きい。そして、生きて情報を持ち帰るもしくは、敵の内部へと侵入し誤情報を流して消えるという任務を受ける諜報員には、その場しのぎの技が使いやすかったという事もある。

(よしっ! よしっ! まだまだ! おらあああぁぁ!)

 持って生まれた反射神経や腕力といった面で、特出できなかったハルは、その護身術ともいえる技を磨いた。技だけでいえば、すでに達人の域に達している。元の世界にいた彼に足りなかったのは、肉体に起因する才能だけだ。

 現実は、残酷なまでに天才と凡人を分かつ。凡人でしかないハルが、いくら血のにじむ努力を重ねようとも、たどり着けるのは性能のいい凡人までだ。

 持って生まれた資質が低いハルは、今の世界に来るまでに研究機関から高い評価をもらった事がない。能力が低いにもかかわらず、何故か作戦を成功させてくる、不確定要素の高い駒としてしか扱われていなかった。

「らああああぁぁぁ!」

(もう少し……もう少しだ!)

 生まれてからずっと、劣った者としての待遇しか受けた事のないハルは、気が付いていない。彼に足りなかったのは、生まれ持っての身体能力のみだ。そのどうしても越えられなかった壁は、すでになくなっている。

 今居る世界で手に入れた強化の術は、ハルを高みへと上らせる鍵だったのだろう。

 血反吐を吐きながら身に付けた技と、心の大事な部品を捨てる事で手に入れた狂った心。それに強化の術を加えただけで、彼は自分の目指していた場所へたどり着いていたのだ。惜しむらくは、元の世界に帰る事ばかりに気を取られて、彼がその事に気が付けない残念な思考の持ち主という事だろう。


「いぃぃ……よし! ふっ!」

 手術室前に集まっていた者達の半数以上を行動不能にした所で、ハルは後方へと飛び退いた。ハルの動きを見て、皆が武器を握りなおす。

「準備はいいな! フェーズツーに移行するぞ!」

 微塵も余裕がないハルは、振り向かずに声だけで仲間へと合図を送り、返事も聞かぬまま次の動作へと移る。

「ふっ……ん! ぬらああああぁぁぁ!」

 既に雷の術で妖魔が消滅し、気を失っているだけの人々を、ハルは手術室内部へ進もうとしたまだ操られている者達に投げつけた。その動作には、容赦も躊躇もない。

「これでもかああああぁぁぁ! こんちくしょおおおぉぉ!」

 気を失っている人々は脱力しており、かなりの重量がある水袋と化している。そんな物を勢いよく投げつけられれば、普通の人間は立っていられない。操られて力のリミッターが多少外れている者達も、それは同じだ。

「無茶ばかりしおって……。ふぅ! いいか! 遅れるな!」

「はい! 義父様!」

 ハルに投げ飛ばされた人々と、それに巻き込まれる形で倒れた人々により、左右に伸びる通路には肉の壁が形成される。まだ操られている者達によって、それはすぐに壊されるだろうが、ハル達に少しだけの猶予が出来た。


「今だ!」

 押し寄せた者達の体で見えなくなっていた、通路の先にあるトタンの壁が現れた所で、ハルは走り出す。他の者達は、そのハルに置いて行かれまいと続いていく。

(これで! どうだ!)

 右手からハルが出現させた魔方陣は、トタンの構造を作り変え、一部分だけが極端にもろくなる。その部分目掛けて突撃したハルは、壁に人間大の穴を開けた。

 当然ではあるが、病院を抜け出しただけで、戦闘が終わるはずもない。病院の外へ出ても取り囲んでいた大勢の敵が、ハル達へと向かってくる。

「一時待機! 噛まれるなよ!」

 外に出た瞬間に戦闘態勢を取ったハルは、仲間へと口頭で指示を出す。ハルが今回声を封じなかったのは、光の文字では全員へ一度に指示を伝えられないからだ。

「剣に精を流せ! 気を抜くな! 触れるだけで効果がある!」

「はいぃぃ! 来ましたああぁぁ!」

 まだ病院内である最後衛の守りについた傭兵二人は、外の敵と戦うハルに背を向ける形で剣を構える。彼等が戦うべき相手は、まだ病院内に残った追撃してくる者達だからだ。

「お嬢ちゃん! 遠慮するんじゃないよ! ここで倒してやることが、こいつらの為だ!」

 ハルが突き破った壁に半身を隠す形にあっているマムが、金属の棒で近付いてきた者を突いて行く。その棒が触れた瞬間に、操られていた者は体をびくつかせ、白目をむいて倒れる。彼女達の武器に刻まれている術式は、ハルの使っている物と全く同じだ。

「はい! 分かって……きゃああ!」

 マムの反対側から木の棒を突き出していたノーマは、恐ろしさから目を瞑り、叫びながら棒を振り回す。彼女のその必死の攻撃は、操られている人々へ、二度三度とぶつかっていく。ノーマが目を瞑ってさえいなければ、五回ほど連続で電圧を受けた男性が痙攣する事はなかっただろう。

「まだ……まだなのか?」

 激しい動きが出来ない為、ランタンを両手に持って皆の中心にいるブロウ卿は、子供達に護衛されながら周囲を照らしている。一番状況が分かっていながら、自分で動けないブロウ卿は、年老いた自分を歯痒く感じているようだ。

「ほっ! はああぁぁ! はい! っと……」

 リンリ―は、ハルが撃ち漏らした敵を、体術と棒捌きで処理していた。その彼女が、ハルの背中を見つめる回数が増えているのは、思うところがあるからのようだ。今それをハルに問いかけるべきではない事が分かっている彼女は、喉元まで出かかっていた言葉を飲み込む。


 周囲の敵を行動不能にし、包囲網に穴を開けた所で、ハルは大きな声を出す。

「はぁ! はぁ! よし! 行ける! フェーズスリーだ! 走るぞおおぉぉ!」

「はい!」

 ハルの叫び声に反応した仲間達は、立ち位置を速やかに変更する。目的の場所へと移動する為に、事前打ち合わせの通り最適な陣形を作ったのだ。

「頼むぞ! 少年!」

「ああ! 任せろ! こっちだ!」

 両サイドを傭兵に守られながら先頭に立ったのは、子供達だ。農作業の手伝いをしている彼等が一番、最終目的地である畑の場所を認識できている。

「列を伸ばすな! 左右から掴まれる! 円を維持して!」

 傭兵達と入れ替わりで最後尾についたハルは、追撃してきた敵を叩くだけでなく、隙の出来た部分をもフォローしていく。ただの強化しか使用していない今のハルには荷が重い作業だが、いつものように死に物狂いで挑み続けた。


(意識を全体に広げろ! 点でなく面で見るんだ! 気を抜くな! まだやれる!)

 殿を務めるハルは、仲間達に敵が食いつかないようにと、半円状に動き続ける。無酸素運動と体内の精が枯渇していく疲労が、ハルにのしかかっていく。

(くそっ! 呼吸が……くそったれ! 諦めるか! まだ! まだああぁぁぁ!)

 危険な賭けに出ているハルだが、事ここに至っては後戻りなど出来ない。諦めてしまえば、そこで仲間もろとも敵の操り人形になってしまうからだ。


 ハル達が、病院の先にあった林を抜け、畑へと走り込んでいく。一月ほど前まで、ジャガイモが植わっていた畑の中心に立ったところで、子供達が全力で叫ぶ。そこが、作戦の最終目的地点だからだ。

 それを機に、息を切らせた面々がブロウ卿を中心に据えた円陣を作る。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「はっ! はっ! はっ! 全方位に警戒を! 頼みましたよ!」

 円の外側へと顔を向けた仲間へ声をかけ、魔方陣を地面へと投げつけたハルは、出来る限りの酸素を散り込んだ。彼にとっての辛い局面は、まだまだ終わらない。

(仮面で通常の増幅はしたが……もう半分を切ったか? くそ……。自分の非力さが、嫌になってくる)

 足取りがおぼつかないながらも、操られた者達は、すぐにハル達に追いついてきた。多少ではあるが、呼吸が回復出来たハルは、再び戦闘状態へと移行する。

「気を抜くんじゃないぞ! 背中は気にするな! 正面だけを見るんだ!」

「間合いに敵が入れば、すぐに叩く! 時間を稼ぐんだ!」

 円の対極の位置にいる傭兵二人が、隣にいるノーマや子供達に端的な指示を出す。ハルに指示を出す余裕がない為、その二人が臨時の司令塔になる事まで作戦の内だ。

「はぁ! はっ! はっ! この! ぐう! こい……つ! らあ! だっしゃああ!」

 円陣の周囲を衛星であるかのように回転するハルは、仲間達が可能な限り敵と接触しないようにと、戦闘スタイルを変更していた。反応の鈍い敵に実態を掴ませないようにフェイントを多用し、戦闘不能にすると同時に、その場に倒すのではなく押し戻していった。

「ハルさん……」

 小刻みにぶれながら円運動を行い、敵を殴り飛ばし、蹴りで突き飛ばすハルのおかげで、ノーマ達には余裕が出来ている。それを見る限り、ハルはもう少し運動量を抑えてもいいのかもしれない。

 だが、戦闘中に気を抜けばいい結果を逃してしまうかも知れないと考えるハルに、アクセルを戻すという選択肢はないようだ。弱者であり続けた彼に、強者の立ち居振る舞いを要求するのは、間違いなのだろう。

「なんだ? お前……分かるか?」

 接近してきた敵二人のみぞおちへ、棒を連続で突き出したリンリーは、隣にいるノーマへ声をかける。二人に顔を向け合う余裕はないようだが、多少の会話は出来るのだろう。

「あいつの世界、大きい戦争なかった、言ってた……。それに、私より、年下。でも、あれだけ、功夫つんでる。異常ね」

「はい……。とても……とても、お辛い経験をなさったと……私は捉えています」

 向かってきた敵の顎を的確に突いたリンリーは、射程内に敵がいなくなった事で、顔を動かさずにハルへと視線だけを向ける。

「多分、正解よ。修羅場? 死線? この言葉合ってるか? まあ、危ないを一つ二つ超える、で、人間、ああ、ならないね」

 戦場にいたリンリーの断言ともとれる言葉で、ノーマの顔が悲しそうに歪む。彼女は幾度かハルに過去の事を聞いている。そのたびに、ハルは冗談で誤魔化した。ノーマは、ハルに相談相手としても認めて貰えていない事が、悲しいのだろう。

(よし! 後、半分! 頑張れ! 俺! 依頼料で! お姉さんの居る店に行くんだ! そして、モテた気分を味わってみるんだあああぁぁぁ!)

 馬鹿としか言えない事でしかモチベーションを保てないハルは、ノーマの気持ちを知ろうともしていない。


「あ! 団長! あれ! あいつ!」

 傭兵の一人が、上司に向かって声で知らせを出す。仲間である傭兵の男性が、操られた状態で自分達の前へ現れたからだ。

「分かっている! お前も、そうなりたくなければ……気を抜くな! せいいぃぃ!」

 口ひげをはやした傭兵団の長は、部下へと喝を入れる。ハルのおかげで楽に事を進められているとはいえ、操られている者の心配をするほどの余裕はないのだろう。


 病院内にいた者まで畑に集まり、取り囲まれるだけ取り囲まれたところで、ハルが動きを止める。

「はぁ! はぁ! はぁ! いきます! 動かないで下さいよ!」

「ああ! 早くしろ! 来るぞ!」

 操られた者達の手が、仲間達に触れる寸前で、ハルは地中に寝かせていた魔方陣を発動させた。地中から浮かび上がって発光し始めたそれは、直径百メートル近くある巨大な魔方陣だ。外部から精を取り込めるハルならではの、大技なのだろう。

「いけえええぇぇぇ!」

 地雷の術を即席で組み換えたその魔方陣は、地面から天へと向かって蛇のような複数の雷を伸ばす。安全地帯は、魔方陣の中心部だけだ。数え切れないほどの破裂音と、閃光に包まれた人々が次々と倒れ込んでいく。この術により操られていた者達が、妖魔の呪縛から解き放たれた。


「ふぅぅぅぅ……。取り敢えず、ここまでは成功だな……はぁぁぁ……きっついわ……」

「やったぜ! 兄ちゃん!」

 いたる所で煙が立ち上っている円の中心で、ハルは深くゆっくりとした呼吸を続ける。ハルの使った術に土地を焼くほどの威力はなかったが、倒れた大勢の者の首筋から妖魔が消滅した煙が上っており、皆に焼畑の光景を思い出させた。

「ふぅ……なんとかなりましたな。マム……」

「はぁぁぁぁ……。これで終わったということだな……」

 敵を一網打尽にする作戦がすべて終了したと、ハル以外の者達は安堵の表情を浮かべる。鉄火場に慣れているブロウ卿や傭兵達は、すぐに仲間達の無事を確認し始めるが、他の者はそうはいかない。ノーマとマムが、放心したように座り込む。

「女医ど……リンリー殿も大丈夫のようですね。いや、上手くいってよかったです」


 傭兵達以上に平静を保ったままのリンリーは、仲間からの言葉を鼻で笑い飛ばして、応急用バッグの中から包帯と消毒液を取り出した。

「折角、私、囮なったね。成功して貰わない、困るよ。さあ、手当てするよ。手つだ……どうした?」

 倒れている者の前へ座ろうとしたリンリーの腕を、ハルは強く掴んだ。全体を見渡していたハルだけは、戦いがまだ終わっていない事を認識できている。

「まだだ。円陣を崩すな。敵の大将が、ぴんぴんしてやがるぞ」

 ハルの言葉を聞いて、リンリーは周囲を見回すが、自分たち以外に立っている者が見当たらず、首を傾げた。

「お前、言ってる意味、分からないよ。ちゃんと喋る、いいね」

 食って掛かろうとしたリンリーを手で制止したハルは、呼吸を整え、筋肉に酸素を送り込んでいく。もう一度戦う為だ。体力側の回復が済むまで、敵に動き出してほしくなかったハルは、光の文字を出す。

『操られてる奴の中に、おかしなやつがいた。そいつは、明らかに自分の意思で動いてやがった。今は、そこで倒されたふりしてやがる。それを片付けるから、ちょっと待ってろ』

 もうハルを疑おうとしないリンリーは、目を細めて倒れている者達を見回していく。

 しかし、ビタミン不足のせいか、夜目があまりきかないらしいリンリーには、敵を見つけられない。

(ひへへへ……。夜の店に安心して行く為に! ここで終わらせてやる……全部をだ!)

 首を振ってごきごきと鳴らしたハルは、右手から新開発した魔方陣を地面に落とし、倒されたふりをしているある人物が動き出さないかと見つめ続ける。

 敵の本体であるその者は、ハルが精の流れを感じ取っている事を知らない。


(精の残量は……まだぎりぎりいける。うっし!)

 ハルの体が戦う為の準備を済ませ、闘気とも殺気ともいえるものを放ち始めた。それを感じ取った仲間達は、ごくりと唾液を飲み込み、ハルの見つめる方向を注視する。

(集まりきったな……。さあ……最後の締めだ!)

「どうしましたぁ? 来ないんですかぁ?」

 わざとらしいとしか言いようがないハルの声にも、倒されたふりをしている女性は動こうとしない。

「生き残った手下の蛭が、貴女の体に集まった事も……。貴方が反射的にこの魔方陣の外に逃げた事も……気が付いてますよぉ? 今の貴女が、私には滑稽に見えるんですが?」

 ハルの言葉に体をぴくりと反応させた女性は、重力を無視したかのようにふわりと起き上がる。白い服の端を風になびかせているその女性は、精気に乏しい青白い顔をしていた。

(ここからだ……。ここから!)

 かっと見開かれた彼女の目は、眼球全体が血で赤く染まっている。その恐ろしげな目をした女性は、瞬きもせずにハルを睨みつけていた。

(さあ! 来い!)



 自分の想定していた事の中でも、悪い方ばかり的中すると認識できているハルは、全く動揺していない。心音が早まっているのは、彼がいつでも戦い始められる用に、体側が勝手に準備を進めているからだ。

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