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破顔の術式  作者: 慎之介
二章:罪人で、変態で、商人で、希望
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12.追い詰められる者

 一般人が酒を飲んでいる繁華街と違い、貴族達の家や高級な店が並ぶ町の北側にある通りは、人通りも少なく静まり返っていた。その静寂を、女性の大きな悲鳴が切り裂く。

「助けて! いやああああぁぁ!」

 女性の持っていた簡易式持ち運び用オイルランプは路地裏の隅に転がり、石畳の上をランプから漏れた油が伸びていく。そのオイルに引火した火は綺麗な格子状に広がり、女性とその女性に覆いかぶさった男性を照らしている。

 血が出るほど強く肩口や首を男性に噛まれた女性には、全く余裕がないようで、火の事へ注意を向けられていない。ただただ死にたくないという本能で、亀のように丸まるって身を守っていた。

(あ……やべ……)

 油を燃料とした火の光によって煉瓦の壁に伸びていた三つの影が、形を変えて浮き上がっていく。

「いぎゃあああああぁぁぁ!」

 うつ伏せの状態から丸まっていた女性が、再び大きな悲鳴を上げる。自分に出来る防御体勢が、崩されたからだ。彼女に悲鳴を上げさせたのは、考えなく噛みついていた男性ではない。ハルだ。

 グローブをはめて強化の術を体に張り付けたハルは、女性を助けようとした。覆いかぶさっていた男性の腰を後ろから回した両腕で固定し、引きはがそうとしたのだ。映画等を見て、ゾンビについて多少の知識を持っていたハルは、噛まれないように気を付けたのだろう。

 ハルは、自分の使っている強化の術を舐めすぎていたようだ。そして、石畳と木で出来た靴底の摩擦抵抗を、もっとよく考えるべきだったのだろう。覆いかぶさっていた男性どころか、女性ごと引っこ抜いてしまった上に、踏ん張れなかったハル自身も壁に向かって頭から飛んでいく。

 彼が意図して使ったわけではないが、ハルが使った技には名前がある。ジャーマンスープレックスだ。それも、投げっぱなしとつけてもいいだろう。

「いでっ! つぅぅ……」

 他二人と縺れるように壁にぶつかったハルは、痛みを発する頭を撫でながら立ち上がる。軽く頭をぶつけただけのハルが、一番ダメージを受けなかったらしい。

「ああぁぁぁ……」

 ハルの次に立ち上がってきたのは、異常としかいえない状態の男性だ。最大の威力で壁にぶつけられて地面に落下した女性は、恐怖による部分もあるのだろうが気を失っている。

(これは……。うん! そうだ! か弱い女性をこんなにするなんて! ゆるせん! 俺のせいじゃない! お前が悪い!)

 自分の中で何かの答えを出したハルは、助走をつけて跳び上がり、そろえた両足で男性の顔面を蹴りつける。ふらつきながらハルに手を伸ばそうとしていた男性は、石畳の上を五メートル以上転がって行った。

(あ……)

 女性の事で軽いパニックになっていたハルは、強化の術が活きている事を忘れていたらしい。余りにも派手に吹き飛んだ男性に、ハルは急いで駆け寄っていく。ゾンビのように見えた男性がただの変質者だった場合、殺人になってしまうかも知れないと考え、焦ったのだ。

「ふぅぅぅぅ……」

 動かなくなった男性の脈と呼吸を確認し終えたハルは、大きく息を吐いた。

「よかった。鼻と……前歯が二本折れただけだ……うん? こいつどっかで……」

 先程まで異常に見えた男性が普通の人間だと分かった所で、ハルに昼間の記憶がよみがえる。その男性は、仮設の病院で脱臼の治療をしていた者だ。女医に無理をするなと言われていた場面を、ハルは覚えていたらしい。

(なるほど……脱臼か……。一人で出来なかったから、パッションが溢れ出したって訳か……この変態め。人間って、我慢しすぎるとああなるのか。気を付けよう。おっと……火事になるな)

 何かを納得したハルは、広がった火の事を思い出し、魔方陣から竹筒を取り出し、消火活動に移る。



(何故にっ?)

 巡回中だった兵士達が現場に駆け付けたのは、ハルが消火を終えてすぐの事だった。悲鳴を聞いた彼等も急いだようだが、ハルが勢いに任せて即座に解決してしまった為に、到着したのは全てが終わった後になってしまったらしい。

「抵抗するなよ! 抵抗するなら……刺す!」

(だから、なんで?)

 兵士達に状況を聞かれるだろうとは、ハルも考えていた。

 だが、槍の先を向けられた上に取り囲まれるとは、考えてもいなかったようだ。

「二人とも怪我はしていますが、気を失っているだけです」

 女性と犯人である男性を確認していた兵士が、年上の兵士へと報告をして、ハルに槍を向ける。

「そうか……。流石に、人を殺すだけの勇気はないようだな……。来い!」

「はぁ? 私は女性を助けただけですよ? なんですか? これ?」

 余りにも乱暴な兵士達にハルも抗議はしたが、全く受け入れられない。

「犯人は皆そういうんだ。いいから、大人しく従え! 抵抗するなら……刺す!」

(理不尽!)

 兵士達は、完全にハルを犯人だと決めつけているようだ。

 ハルは正規兵達にあまりよく思われていない。その事が原因で非常勤兵士として登録していながら、呼び出さないのは彼にとっていい事だろうが、その場面では仇となった。


 彼が兵士達によく思われなくなった切っ掛けは、二つほどある。

 まず、その世界へ来てすぐのハルは、情報収集の為に一人で町を出歩いた。彼は知らないようだが、ハルの担当だった兵士達は管理不行き届きとして上司から怒られている。それが最初の切っ掛けだ。

 次に、配給の際にシャロンの前で、ハルは奇行に走り過ぎたらしい。彼女に心酔している兵士達は、シャロンの手間を増やすハルを会うたびに嫌いになっていった。ハルに文句をつけようとするたびに、シャロンやアルバートから止められたのも、彼等がフラストレーションを溜めた原因だろう。

(くっそ! 殴り倒して逃げ……いや、駄目だ。それをすると、本当の犯罪者になる。外交調査官の道が消える。でも……濡れ絹が晴らせないと……あれ? どの道駄目になるんじゃね?)

「さあ! 腕を出せ!」

 もし外交調査官への道が絶たれた際には、兵士達を全員殴り倒そうと考えながらも、ハルは兵士達に大人しく従う。相手が話を聞いてくれない以上、今の彼にはそうするしか道がないのだろう。



 留置所がある兵士の詰所へ連れてこられたハルは、両腕を縛られたまま、窓に格子がはまっている牢獄のような個室で尋問を受けていた。その瞳からは、光が消えている。

(もう……有罪は確定か? もう駄目だ。ああ、そうだ。もうこの町から出て行こう。それがいい……)

「黙るな! 状況を教えろと言っているんだ!」

 ハルが希望をなくしかけているのは、尋問をする為に、詰め所で仮眠を取っていたイヴが起きだしてきたからだ。それまで兵士達に反論していたハルだったが、今は俯いたまま喋らなくなっている。

(このゴリラが……話を聞いてくれるとは思えない。俺……終わった……)

「ええい!状況を説明しろと言っているだけだろうが! やっぱりお前が犯人なのか? どうなんだ!」

 イヴを前にして借りてきた猫のように大人しくなったハルを、兵士達はにやにやと笑いながら見つめていた。彼等は相手が脳の線を切るとどれほど危ないかを、認識できていない。

「このまま黙っているなら、私の判断で有罪にしてもいいんだぞ! おい! 聞いているのか?」

(は……ははっ。頑張ったのに……俺……頑張ったのに……もう……)

 我慢の限界を迎えたイヴが胸元を掴みあげ、ハルの線が切れる寸前で、事態は急変する。


「お退き!」

 詰所に大きながらがら声が響く。その声の主がすぐに分かったハルの顔に、血の気が戻り始めた。

「あたしに逆らおうってのかい? 二度と町で買い物が出来なくなっても、いいって事だねぇ? それが嫌なら、邪魔するんじゃないよ!」

 広い情報網を持つマムが、息を切らせてまでハルの窮地に出張って来たのだ。マムの侵入を阻止ようとした兵士達は、脅しに負けて彼女の服を掴む事すら出来ない。

「ハル坊! 大丈夫かい?」

「あああぁぁぁ……。マアアァァァァムゥゥゥゥ」

 相手の姿を見て半泣きになったハルは、マムのふくよかな胸に素直に抱かれた。イヴの眉間に、先程までとは違う理由で深いしわが入る。

「どういうつもりですか! これは私達の領分です! いくら貴女でも……」

 マムがどれほどの権力を持っているかは、イヴもよく知っていた。それでも、部下の見ているまで情けない姿は見せられないと考える。ハルの無事を確認して落ち着いたマムは、抗議しようと勢いよく立ち上がったイヴの言葉を遮る。

「ミラーズのお嬢ちゃんか。いいかい? よくお聞き。この子は馬鹿だけど、下手な犯罪をするほど頭はおかしくない。それを、あたしが保証しに来たのさ」

(あ……えぇぇぇ……。ごめんなさい)

 もうすでに指名手配されてしまっているハルは、心の中でマムへと謝罪の言葉を呟いた。

「それは……私もそう思っています。女性が襲われたのですが、その女性の証言を聞いて、犯人は別の男性だとは……」

(え? あのお嬢さんって、もう目を覚ましたの? じゃあ、なんで犯人扱い? 馬鹿なのか? このゴリさんは?)

 イヴの言葉を聞いて反応したのは、ハルだけではない。マムも険しい顔を消して、笑顔をイヴに向ける。

「なんだ! それなら、話は早いじゃないか! この子はあたしが預かって帰る。それでいいね?」

「違うんです! その件ではなくですね。その……襲われる前に、ハルに追いかけられたとその女性が言ってるんですよ。その件で……」

 ハルから両腕を離したマムは、大よその事情を推察して悲しい者を見るような目を向けた。そのマムからの問いかけには、苦笑いをしたハルも返答をする。

「いや……いきなり勘違いされて逃げられたんで……。違うって一言言いたかったんですよ……。その……それを言わないと、悔しさで眠れないと思えまして……」

 自分の質問には黙秘を続けたハルが、マムには全てを話す姿を見て、イヴの目に怒りが滲み出す。当然ながら、ハルはその事に気が付けない。

「まあ、聞いた通りだよ。ハル坊はたまに変な事はするけど、女を襲うほど腐っちゃいない。ただ、馬鹿なだけなんだよ。分かってやってくれないかい?」

 全ての話を聞き終えたマムは、かわいそうな思考を持つ男性を優しく撫でる。ハルの行動は、全てマムの予想通りだったらしい。

(何故だろう……。こっちに来てから、やたらと馬鹿だのなんだのと……。いや、今は耐えよう。外交調査官になる為だ)

「いえ……、まあ、私もそうではないかと思っていましたが……。その……」

 ハルの対応がどうしても納得できないらしいイヴは、釈放するという言葉をどうしても吐き出せなかった。もう少しハルと喋りたいと考えているのだろう。


 腕を組んでしまったイヴは、再び個室の扉が開き、そちらへと目を向ける。

「ハルさん!」

(はぁ? え? ノーマさん?)

 騒ぎの野次馬に行った使用人から話を聞いたノーマも、詰所には来ていた。正式な手続きを踏んでいた為に、個室に来るのがマムよりも遅れただけだ。

「おやぁ? ブロウ爺さんところの……」

「はい。娘のノーマです。高齢の義父に変わって、私が来ました。釈放の嘆願書も、義父の名で持ってきています」

(ああ、やっぱノーマさん最高だぁ……)

 ノーマを見て、ハルが顔をだらしなく緩めたのを、イヴは見逃さない。マムがハルに抱き着いた時以上に、イヴの眉間に深いしわが刻まれた。

「ミラーズのお嬢ちゃん? これで、十分だね?」

 相手の返事を聞く前から、マムはハルの腕から縄をほどき始めている。

「は……い……」

 俯いて小さな声で返事をしたイヴは、ハルやノーマ達が詰所を出るまで、個室の椅子に座ったまま動かなかった。

「くそっ! 私は! 私は……ただ……」

 悔しそうに壁を殴ったイヴを見て、兵士達は顔に怒りを表す。イヴは恥をかかされて怒ったのだと、兵士達は勘違いしてしまったらしい。その彼等は、怒りの矛先をハルへと向けていく。



 兵士達の感情など全く知らないハルは、豪華な部屋の中で、再び体を小さく縮めていた。

(もう嫌だ。もう……人助けなんてしない……。後、女怖い……)

 ブロウ卿は、応接室の床を何度も杖で叩き、不快感を相手に伝えようとしている。

「お前は本当に……。逃げた相手の気持ちぐらい、汲みとれないのか! ちょっとは考えてから行動しろ!」

「義父様。もう、それぐらいで……」

 使用人達と飲み物を持って応接室に入ったノーマは、ブロウ卿を優しい口調でいさめようとした。

 しかし、日頃から何かとハルに対して不満があるブロウ卿は、なかなか止まらない。

「大体だ! お前は周囲の気持ちを分かってない! 地に足のつかんことばかりしおって!」

(あれ? ノーマさん痩せたか? あ、リハビリきつかったのか? ふくよかなのもいいけど、スレンダーもいいねぇ。ぐへへへ……)

 自己反省を勝手に終わらせたハルは、ブロウ卿の話を聞き流しながら、飲み物をくれたノーマを見つめる。その瞳からは煩悩しか読み取れない。ノーマがハルを嫌っていれば、不快に思うだろう。

「依頼をしたいのに、あっちにふらふら、こっちにふらふらと! 金額も気分次第で変えるし……聞いているのか!」

「はい。以後気を付けます」

 話が終わりそうだと緩んでいた顔を一瞬で引き締めたハルは、ブロウ卿に親指を立てて見せる。それが相手を逆なでしていると彼は、考えないのだろう。

「こっ! の……」

「目をかけた相手についつい厳しくしちまう。相変わらずだねぇ。ふふふっ」

 持っていたカップを机に置いたマムは、隣に座るハルから、正面に居る顔を赤くしたブロウ卿へ視線を移して笑う。

「まあまあ、いいじゃないの。解決したんだしさぁ。そんなに怒ると、寿命縮まっちまうよ?」

「そうです。体に障ります。落ち着いて下さい、義父様」

(そうだ、そうだ。黙ってろ、くそジジィ)

 女性二人の意見を聞いて、なんとか気持ちを落ちつかせたブロウ卿は、大きな息を吐いて飲み物へと手を伸ばす。

(はぁぁ……やっと終わったか……。うん? これ美味しいな)

 ブロウ卿よりも先に果実ジュースを飲み終えたハルは、嫌な時間が終わったとしか考えていない。年を重ねた先人が、自分の為にさらけ出してくれた言葉を、ハルは全て聞き流してしまったようだ。

 自分がいい加減な事をすればするだけ、天罰であるかのように、望んでいない事に巻き込まれると、彼はよく忘れてしまうらしい。

(お茶やコーヒーって、この世界にはないのか? 茶葉って、どんな場所に生えるんだろう? 興味なかったからあんまり知らないな……。見つければ売れるのに……)


 呑気に商売の事を考え始めたハルの顔色が、マムの言葉で変わった。

(はぁ? いや……あの……俺はお金もそうだけど、安全も大好きなんですけど?)

「これで三件目。今日の犯人と同じ症状だよ。あの男も、肩を痛めてからしばらく寝込んでいたそうだ」

 抜け目のないマムは詰所を出る前に、意識を取り戻した加害者男性と、被害者女性から情報を聞き出していたらしい。今までに集めていた情報と、その聞き出した事を合わせて、マムはハルに教えていく。顔からやる気をなくしたハルは、それが何を意味しているのかが分かっているようだ。

(勘弁してくれよ……。またかよ……)

 ブロウ卿もマムが言いたい事がすぐに理解できたらしく、話を上乗せする。

「農場で働いている者が多いようだ。動けないほどの気怠さに周期的に襲われ……今日の男のように暴れ出す者もいるらしい。正気に戻ると、その間の事は忘れているらしいがな」

(いやぁ……。月が満ちていくねぇ……きれっうぐっ!)

 窓の外に目を向けて現実逃避を始めたハルの顔を、マムが押さえ付けて自分方へと向かせた。ブロウ卿は言わずもがなだが、マムも幾度かの会話でハルが危ない仕事を好んでいないと、すでに認識できているようだ。

「分かってるのかい? 今日、あんたは、誰と誰に助けられたんだったぁ? ねぇ? 裏から手を回せば、あの兵士達なら喜んでもう一度掴まえてくれるかもしれないよ?」

 笑顔ではあるが、目が笑っていないマムに気圧されたハルの呼吸が浅くなり、回数も増えていく。

「まあ、あれだ。皆、困っているようだしな。知り合いの農場主が、それなりの額を用意してくれている。今回は、妖魔がらみではないかもしれないぞ。それならいいのだろう?」

「ああ、そうそう。うちに来た依頼も、ちゃんと金が用意できた奴等からだよ。原因が一緒なら、二つとも受け取れるじゃないか。うれしいだろ? ハル坊?」

 瞳から光が消えたハルに、頷く以外の選択肢は残されていない。


(皆……皆……大っ嫌いだああああああぁぁぁ! ちくしょおおおぉぉぉ!)

 ノーマに気遣われながらブロウ卿宅から出たハルは、全力疾走した。そして、自分の部屋でリンリーと打ち合わせをする為の準備を済ませ、術研究に没頭する。嫌な事があると、術研究に逃げる癖が付きつつあるのだろう。



 仕方なくハルが調査を始めたその事件は、原因究明までにかなりの時間を要した。事件解決の糸口が、かなり掴みづらかったからだ。

 ハルがいくら調べても、動けないほどの気怠さに襲われ、無意識の状態で人に襲い掛かってしまう以外の共通点が、被害者達から見つからない。煮詰まったハルは、マムやブロウ卿だけでなく子供達まで使って、被害者達の情報をかき集めた。


「おやぁ? そっちもここに行きついたわけかい?」

 傭兵三人を連れて仮設病院を訪れたマムは、知った顔を見つけて声をかける。

「まあ、半分は勘でしかないがな。ただ……お前や子供達に会った事で、ほぼ正解だと感じている」

 ノーマに付き添われて仮設病院へ来ていたブロウ卿は、待合室の長椅子に座って、メル達と情報交換を行っていた。そこに、マム達も加わる。

「全員が、一度はここへ来ていた。ここで働いている者のリストは、今理由をつけて用意させている」

「理由は同じようだね。こっちは、通院している奴から遡ったのさ。ほら、こっちは患者側だけど、もうリストも出来ているよ」

 情報量が多すぎてハルの手が回らなくなっており、子供達は以前からだが、マム達も勝手に動く事が少し前から増えていた。

「じいちゃん? そのリストっていつくれる? どの先生に診てもらったかや、誰と会ったかってのは、俺達の集めた情報でかなりわかると思うぜ」

「そうか、そうか。お前達はあの馬鹿より優秀だな。偉いぞ。リストは急がせよう」

 その者達は、ハルの危険を感知する能力を、もう少し信じるべきだったのかもしれない。何よりも、敵の本拠地の可能性がある場所で、情報交換はするべきではなかったのだろう。

 その会話を聞いていたものが、その日、闇の中から表舞台に姿を現す。邪魔者を排除する為にだ。



 ブロウ卿達が長時間の打ち合わせを終え、病院に探りを入れようとした所で、事態は大きく動いた。仮設病院にいた患者や職員達が突然気を失って倒れ、ゾンビや亡者と言える状態で立ち上がって来たのだ。

 正気を保っていた者は病院から逃げ出そうとしたが、すでに仮設病院の周囲も、囲まれていた。黒幕が長い打ち合わせの間に、準備を済ませてしまっていたらしい。

 外に出た者や、裏口に回った者は、皆取り囲まれて噛みつかれていく。病院内に残った者達には、奥へと逃げる策しか残っていなかった。


「皆! 逃げて! ここは、私が押さえるから! 早く!」

 ハルとの交渉に失敗した異邦人である女医は、飾り気がない木製の扉を太い木の板で塞ぎ、部屋の隅にいるマムやリンリーに叫んでいた。彼女が押さえている扉は、外からの強い圧力で膨れ上がり、今にも破られそうになっている。

「何故だ……何故、こんな……」

 顔をしかめて女医の背中を見つめるブロウ卿の腕をリンリーが掴み、大きな声を出す。

「早く! 急ぐ! ここ、すぐ、駄目! 奥、壁厚い、手術室、ある! 急げ!」

 リンリーの誘導により、マムや子供達も手術室に逃げ込む事に成功し、分厚い金属の扉の鍵を中から閉める。

「ここ、本設置? 病院の、テスト言ってたよ。津波、地震、火事、壊れない言ってたよ。安全ね」

 壁や扉は外側から幾度も叩かれているが、しばらくの間は安全だろうとリンリーは皆を落ち着かせる為に説明した。

「逃げられたのは……これだけか……」

 正気だった者は、三十人ほどいたが、内側から鍵をかけた手術室には、今、マムと傭兵二人、ブロウ卿とノーマ、子供達三人に、リンリーだけとなっている。他の者は、全て正気を失った者達に襲われてたどり着けなかったのだ。

「マム……確か、あの状態になっても、しばらくすると元に戻るんでしたよな? 俺達……生きてここを出られますよね? 痛っ! あ……すみません……」

 傭兵団の長は、弱気になった部下の頭を強く殴る。そして、部屋の隅で震えるメル達を見るようにと、軽くあごを上げた。

「マム……どうします? 打って出るなら、我らが先陣を切りますが?」

 髭をさすった傭兵団の長は、マムに小声で話しかけ、指示を仰ぐ。彼には、ただ待つだけというのが、性に合わないらしい。

「確かに……この連携された動きを考えると、自然に戻ってくれるとは思えないねぇ。でも、敵はこの数だ。悪いけど、二人が壁になってくれても結果は同じさ……。どうしたもんかねぇ」

 リーダー格の少年は、ノーマに背中を擦られているブロウ卿に、ひそひそと話しかける。

「じいちゃん……。やべぇな。俺……兄ちゃんにここ来る事、言ってねぇんだよ」

「ああ……。こっちもだ。敵を……侮り過ぎた……くっ。わしも日和った物だ」

 深刻そうな顔と声で話し合いをするリーダー格の少年と違い、メルともう一人の子供は、耳をふさいで部屋の隅で震えていた。異常者となった者達が壁や扉を叩く音が、怖くてたまらないのだろう。その二人の前に、リンリーが座る。

「ほれ、飴。食べる、いい」

 棒に刺さった茶色い飴を受け取ったメルともう一人は、泣きそうな顔でリンリーを見つめた。

「大丈夫。大丈夫よ。これ、私いた世界、戦争より、弱い? あ、ぬるいよぉ。諦める。駄目ね」

「おばちゃん……。うん! メル諦めない! だって! 信じればきっと、お兄ちゃんは来てくれるもん! メル、信じてるもん!」

 楽観的とも言えるリンリーとメルの声を聞いて、正気を保っている者達の顔色が変わる。リンリーだけは違うようだが、窮地に立っても諦めなかった者の背中を思い出したらしい。

「おばちゃん、駄目。姉ちゃん? ね」

「あ、ごめんなさい。お姉ちゃん」

 閉め切られていた手術室内は、短い間笑いに包まれた。その暖かい雰囲気を壊したのは、通風孔のダクトから聞こえてきた異音だ。

 まだ建設中の総合病院は、三階建てになる。その為、臭いや淀んだ空気を逃がす排気ダクト等が必要であり、仮設置の病院にも試験的につけられていたのだ。

「下がって! 部屋の……そこに固まって下さい!」

「よし! それでいい! 流石に……大人数であそこは抜けられない! 少人数なら、我らが!」

 周囲の者をダクトから離れた位置に移動させた傭兵二人は、腰の剣を抜いて、ダクトのサッシに向かって身構えた。


 緊張感と恐怖に包まれたその者達は、体を震わせながらも、ある男性の到着を信じている。信頼を寄せられた男性は、その時全く関係ない愚痴をこぼしていた。その内容を、手術室内にいる者達は、聞かない方がいいだろう。

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