私の記憶
「あの日は晴れていたはずなのに……」
まだ、はっきりと思い出せない『あの日』。
淡々と流れていく日常では、とても些細な事なんだろうけど、どこか引っかかる。
そんな事を考えながら、私は仕事へと出かける。
仕事はとても充実していて、私生活も良い友人達に恵まれている。
でも、いつなのか思い出せない『あの日』がいつも気になっていた。
私は、二年ぐらい前に飛行機事故に巻き込まれたようだ。
「ようだ」というのは、私の記憶が部分的に欠けているから。
事故そのものの記憶は私には無い。
大手術を受け、意識が戻ってから聞いた話。
幸い両親、友人などの事は覚えている。
しかし、医師の話によると、これ以上の記憶の回復の見込みは無いと言う。
でも、私はそれでいいと思った。
痛みや恐怖の記憶は、とり戻してもつらいだけだ。
「あの日は晴れていたはずなのに……」
この心の奥に引っかかる言葉の意味もそこに眠っているのだろうか?
そして、事故後に見たニュース「二百五十三名中、救出されたのは、五名」
その五名の中の私。
今日の私は、一人でドライブを楽しんでいる。
好みの服を探したり、大好きなロールケーキを食べたり。
その帰り道だった。
道端に子猫がいた。
無意識に私は、車を止め子猫の元へ。
近くに親猫もいない、捨て猫だろうか?
私は、子猫を抱きかかえる。
すると、その子猫は自分の胸を二回『トン、トン』とたたく仕草をした。
なんだろう?と思ったが、私はその子猫がどうしても放っとけなくて連れて帰った。
そして、その後も胸をたたく仕草を時々見せていた。
ある日、私は事故の生存者と会う事になった。
大きな事故だったので、テレビ局が特集を組んだらしい。
そのことに対し、家族と友人はあまりいい顔をしなかった。
そして、収録が始まる。
司会者が生存者同士の会話を促す。
私は、その中の一人の男性と話しを始めた。
私は、瀕死の重傷だったようだ。
そして、その男性は話を続ける。
「あの時に、傍にいた男性は?」この質問に私は「?」だった。
記憶が無いので当たり前なのだが。
そして、更に男性は話を続ける。
救助されたヘリコプターの中で、彼は笑顔で「俺は何度生まれ変わっても、おまえの傍らにいるから」と、そしてと自分の胸を二回叩いたと言う。
それを聞いた私の頭の中に、優しかった彼の記憶が……。
そして、私の頬をとめどなく涙が流れ落ちた。
「あなた…だったのね……」
そして、最後に言ったあなたの言葉。
「いつまでも一緒だ」
この後に聞いたのだが、私に移植された臓器のドナーは彼だった。
ずっと彼は、私の中で生きていた。
そして思い出した、離陸の時は晴れていたが墜落した場所では雨だった事も。
そして、一番大切な彼が私の中にいることを。