トマソンを探しに
ある日の昼下がり。僕は一人、窓の外をなんとなく眺めている。雨上がりのあの独特の匂いが鼻の周りを覆っているが、そんなに嫌な感じはしない。むしろ、雨上がりの独特な雰囲気は好きな方だ。薄曇りの灰色の空には未だに虹は出てきていない。だが木々にたまっている大粒の水滴が、覗き始めた太陽の灯りに反射してチラチラと輝いている様子は見ていてとても癒される。燦然と輝く色鮮やかな虹よりも、こじんまりとした小さな輝きの方がくすんだ僕にはちょうどいい。僕は、いわゆるフリーターだから。
今日はアルバイトを登録し忘れて仕事がない。ただでさえ日々暮らしていくだけの金はもうないのに、今日も大食らいのこの腹が朝、昼と食費を削っていった。テレビもパソコンもない。携帯電話は先月分を払い損ねて使えない。本当に文字通り、毎日がギリギリなのだ。だから、こうして窓の外を眺めるほかに楽しみは一つもなかった。
午前中に降った雨は路地にいくつもの水たまりを作った。そのうちの一つに、窓から覗きこんでいる僕の顔がぼやけて映っている。そのまま鏡のように自分の顔が映るのをゆっくり待っていると、泥で汚れている黒いスニーカーが水たまりを踏みつけた。なんだか自分の顔が踏みつぶされたようで気分が優れない。ゆっくりと視線を上げてみると、黒いスニーカーの主は細身のおじいさんだった。しかもそのおじいさんは、カメラを構えて僕の家を写真におさめ始めた。
僕の家はもともと祖父の家だった。その祖父も先日亡くなり、遺言どおり残った遺産でこの家を守ってほしいということで僕が住み始めたもので、それなりに建ててから年月が経っている。閑静な住宅街の一角にあるこの家。周りは綺麗な洋風の一軒家や高層マンションが立ち並んでいるが、この家ほど江戸時代からありそうな古い和風の建物は無い。そのせいだろうか、たまに軽く観賞しては去っていく人は少なくない。だが、今回のおじいさんのように写真に残していく人は今までに僕が知っている中ではいなかったと思う。暇だし、ちょっとおじいさんと話でもしてみようと思い、スウェットのまま玄関を出た。するとおじいさんも僕に気づいて軽く会釈してきた。その柔らかい表情に、この時点で既に水たまりのあの不快感は忘れさられていた。
「こんにちは」
「こんにちは。寝ている邪魔をしてしまいましたか?」
多分僕のこの姿を見て寝起きだと勘違いしたのだろう。頭をかくと、確かに寝癖がすごいことになっているのが分かる。
「いえいえ、おじいさんのように写真を撮られている方は珍しいので、話でもしようかと思いまして」
「ほほう。今どきの若者にしては珍しいですなぁ」
「ははっ」
確かに僕のような若者はそう周りにいないだろう。僕はどちらかと言うとおじいちゃん子で、年配の方と話すのは好きな方だ。介護系の仕事を目指していたが、上手く就職ができずにこんな状態になっただけなのだ。おじいさんは灰色のカーディガンの中からフィルムを取り出すと、カメラにセットし直し、またカメラを構えた。
「あのトマソン、面白いですねぇ。わざとですか?」
「……トマ、ソン?」
聞きなれない単語だ。誰か外人さんの名前だろうか。
「ええ。不動産に付属・保存されている無用の長物。それが、トマソン。この家の場合、あそこの無用扉ですよ。純粋扉とも言うんですがね」
おじいさんが指差した方向には、確かに扉があった。白い外壁の二階部分。僕がさっき覗きこんでいた窓のちょうど横に位置している。茶色のドアで、ドアノブは金色。いたって普通の一般的な扉だが、その位置は確かにおかしい。無用の長物だ。
「壁に張り付いているみたいだ。家の中からドアを開けても、外側には何もない……」
「そう。扉の役目を果たしていない扉。扉がただの飾りとして存在しているのですよ。芸術に見えてこないかね?」
「確かに……なんか不思議ですね」
その時からだった。僕はトマソンという不思議な魅力に完全に取りつかれていた。
「ただ、これが私にとっては最後のトマソンになるだろうねぇ」
「最後?」
急に表情が曇ったおじいさんは、力のこもっていない声で、あぁ、とだけ答えた。晴れ間が差してきた路地とは対照的に空気が重たくなりつつある。そのギャップに僕は戸惑ってしまった。
「私の足腰も、もう弱り果ててしまいました。若い頃はこれでも野球をずっと続けてきたものですから、体力には自信があったのですがね。今ではもうこの通り、杖無しではとても歩ける状態ではない」
「車いすを使えばいいんじゃないですか?」
「いや、写真を撮るとき、膝でいろいろと調節することで同じ景色が何通りにも映るのです。私にとっては、まさに写真は膝で撮るものでした」
「なるほど……」
まずい事を言ってしまっただろうか。触れてはいけない部分を触れてしまったという実感が、軽い後悔という形で自分自身に跳ね返ってくる。さすがにいやな思いをさせてしまっただろうと恐る恐るおじいさんを見ると、名残惜しそうにカメラをじっと見つめていた。
「そうだ。君、写真は撮れますか?」
「え、あっ、まぁ」
「私のかわりに撮ってきてくれませんかね?」
「はい?」
意外な発言に一瞬、焦ってしまう。確かに僕は暇で時間をもてあましてはいるけど、さすがに上手く撮れるかどうか分からないし、そもそもそんな自信は無い。悪いが断らせてもらおう。そう思ったが、断るという勇気も出ないまま、ほとんど勢いで承諾してしまった。
「もちろんタダとは言わない。トマソン一つにつき千円。そんなに悪い条件ではないでしょう?」
「それ本当ですか!」
悪いどころか、良い条件だ。これを聞いた瞬間から、もはや後ろ向きな感情は無くなっていた。このおじいさんは僕に仕事を与えてくださった。これほど嬉しい事はない。良い日雇いバイトだと思えばいい。こうして僕のトマソン探しはスタートした。
いったん家の中に戻って私服に着替え、おじいさんと二人で歩きながらゆっくりとトマソンを探すことにした。まずは近くの住宅街を周り、散策を開始した。家の側を流れているドブ川にそって伸びている路地裏の道を進むと、いかにもトマソンがありそうな古い住宅の数々が見えてきた。雨露に濡れて綺麗な模様になっている蜘蛛の巣をかき分けるように路地裏道を進むと、何やらトマソンらしきものを見つけた。コンクリートで作られている階段を上りきると、あとは下がるだけという無駄な階段。これだ。
「あれ、トマソンですよね!」
「あぁ、あれはね、純粋階段と言ってね、ただ段があるだけでどこへも上がれないんですねぇ。良く見つけましたね」
こうして見るとどこか感慨深い。ステップアップする必要はない、そのままで充分なんだよって体全体を使って言ってくれているような気がして、なんとなく微笑ましい。これがトマソンの魅力なのだろうと改めて感じた。トマソンというのは、何かに躓いたときに一目見ると勇気づけられそうな、何か教訓を教えてくれるものだということなのだろう。
シャッターを切り、次のトマソンを探しに道を進んでいく。この調子だと、一日にいくら稼げるだろうとついつい考えてしまい、口端が上がったまま下がらない。電柱と電柱の間でナマケモノのように垂れさがっている電線からの雫をよけながらゆっくりと歩いて行くと、今度はおじいさんが先にトマソンを見つけたようで、肩をポンポンと二回叩いて指を刺した。
「あれ、見てください」
指差された方向を辿っていくと、今度は家と家の間を隔てている塀と塀の間にほっそりとした板のようなものが挟まっていた。先ほどからたびたび見る電柱ほどの細さしかない。これはただの板だろう、そう考えていたのだが、よく見るとそれは木造のしっかりした扉だった。見るからに人が通れるはずもなく、まさに“開かずの扉”だ。この扉からは何が学べるのだろう。扉をじっと見つめてみる。こうしている間は不思議と穏やかな気持ちになる。きっとこの扉は、扉の先には狭き道しか残っていないのだから頑張りなさい、というのを伝えたいのだろう。世間は厳しく、この先の道のように狭いが、その奥には大通りという楽な道が待ち受けている。と、そういう訳だろうか。それとも、この道が通れた子供時代を思い出してダイエットに励めということだろうか。腹まわりの贅肉をつまみ、ため息をひとつ。これも写真に残して、次のトマソンを目指す。
だが、ここからはさっきまでのが嘘みたいになかなか見つからなかった。水たまりをよけながら路地を進み、店の立ち並ぶ大通りにとうとう出てしまった。大通りと言っても都会のように人が大勢行き通うような所ではなく、寂れた商店街を中心としたシャッター通りだ。どこもかしこもシャッターを閉めて、黄ばんでしまった貼り紙がそのままになっている。足元にも同じような紙が落ちていて、それがこの先の豆腐屋さんのものだと分かった時、胸の奥が急激に冷やされたような感覚に陥った。小さい頃のよくおつかいに行かされた豆腐屋だった。最近は近くに大型スーパーが出来て、こっちの方までくる機会はもう何年もなかった。
「昔はもっと活気にあふれていたのですがねぇ……」
「えぇ……」
考えすぎかもしれないが、ある意味自分も加害者の一人だ。そう思うとやりきれなかった。気になって豆腐屋の前まで行くと、そこは薬局のチェーン店に変わっていた。せめて綺麗に貼り直そうと思ったあの貼り紙も、自然に手の中からすり抜けていった。
「これが現実なんですね……」
「街も、変わるものです。大事な人と人の繋がりが消えてしまいました。あの頃は良かった、といつも言ってしまうものですが、もう元には戻りません。行きましょう」
街は変わる。確かに周りの人とのコミュニケーションはつくづく無いものだと実感している。でも、それが当たり前になってから生まれてきた身ということもあって、おじいさんの本当の気持ちには気づけないかもしれない。でもなんとなく察することができた。トマソンというものを撮るというものの原点には、きっと記憶の中ではこれ以上街が寂れてしまわないように保存したいというのがあるはずだ。遠い目線でシャッター通りの全景を眺めた後、俯きながら静かに歩いて行ってしまったおじいさんのその様子から、なんとなく。
それから何時間たってもなかなか見つけることは出来なかった。途中、車が勢いよく水たまりを通ったせいで水を思い切りかけられ、足元はびしゃびしゃになってしまった。もう気分が落ち込んでしまい、おじいさんとともに僕のテンションもぐっと下がっている。いわゆる諦めムードというのが漂っているのだ。空もすっかり夕焼けに染まり、僕はいつ「そろそろ終わりましょうか」と言うべきかタイミングを図っていた。
「ほう。あれは……」
何時間も黙ったままだったおじいさんがやっと口を開いたのに驚き、反射的におじいさんの方を向く。おじいさんは足を止め、杖にもたれて腰を曲げながらある方向をじっと見つめている。まさか、トマソンだろうか。ハッとして目線の先を追いかけると、そこには信じられないような光景が広がっていた。
「嘘だろぉ」
「純粋ベランダですよ」
つい声が出てしまうほど驚いた。大通りを過ぎた住宅街の入り口の隣のマンションの最上階。明らかにわざとやったものだろうと思われる純粋ベランダがあったのだ。普通、ベランダがあるということはそこへ向かうために部屋の中とつながるドアがあるはず。だが、純粋ベランダは部屋とくっついていない。まるで、壁から生えてきたみたいにベランダだけが作られている。我が目を疑う光景だ。外観からしてまだ新しい方の建築物のはず。今まで出会ったトマソンはすべて古い建物だったから、トマソンというのは古い建物にしかないものなのだと思っていた。これはインパクトが強い。さすがにもう無いだろうと思わせて、最後の最後にこんなインパクトを残してくれていたとは。ただただ驚くばかりで、シャッターを切る手も震えていた。
「最後の最後に。これはすごいですね」
純粋ベランダを見たままおじいさんに話しかけると、おじいさんは小さく笑っていた。
「そう。まるで図っていたみたいです。純粋に、出しゃっぱる事もなく、引きこもる事もなく、ただそこにあるだけのもの。そういう生き方も、たまにはいいと思いますよ。力を入れすぎず、抜きすぎず。ちょうどいいからバランスが良い。そういう人生がいいですよね」
「……そうですねぇ」
たまには休んでもいいってことか。まぁでも僕は今まで休みすぎた。もう休憩はここまでだ。明日からは自分の中で何かが変わっているような気がした。このおじいさんの言葉が全てだった。
路地と路地の間や住宅街など、人が住んでいる所を中心に探し、夕方までに合計で三つのトマソンを見つけることができた。上った先がただの壁だけという「純粋階段」、何のためか分からないが塀と塀の間に細長く設置されている電柱ほどの細さしかない「開かずの扉」、ベランダがあるのにそこに通じる窓やドアがなく、壁からベランダが生えているような「純粋ベランダ」。これら三つともがそれぞれ違った空間を持っていて、非常に興味深い。なぜ作られたのだろうかと設計者の考えを想像したり、それぞれのトマソンの気持ちになってどんな居心地なのか想像したりと、誰も教えてくれないような不思議な体験をさせていただいた。相変わらずカメラの扱い方は素人だが、おじいさんが優しく教えてくれたおかげでなんとか使い慣れてきた。日も暮れそうになってきた頃、僕とおじいさんで写真屋にネガを持っていき、現像を頼みに行った。普段写真屋にいかない僕は、おじいさんの後ろにただ立って見ているしかできなかった。時計はもうすぐ六時を指そうとしている。
「一時間待ちだそうですね。ゆっくり座って待っていましょうか」
「あ、はい」
一時間じっと待つということは、常に暇な僕にはどちらかと言えば得意なことだ。おじいさんも重たそうに腰を下ろし、一息ついて遠くを見るような目で掛け時計を見て口を開き始めた。
「今日は助かりました。あなたの家で最後だと思っていたのに。本当にありがとうございました」
「いえいえ、僕こそこんな貴重な経験させていただいて、感謝しています」
座ったまま深々とお辞儀されたのを見て、慌ててお辞儀し返す。どこまでもゆっくりな動作のおじいさんだ。落ち着いていてペースを崩さないところが僕も見習わないといけないところだろう。
「トマソンの良さは感じていただけましたか?」
「はい! そりゃあもちろんです! とても不思議で、一気に魅力にはまりました!」
「そうかそうか。それは良かったです。あんな何のとりえもないものつまらないって、そう感じとるんじゃあないかって心配していたのです。トマソンには不思議な魅力がある。そう言っていただけただけで私は幸せです。誰かに伝えたくても、伝える手段が今まではなかった。よかったら、これからはこいつを使って他の人にも良さを伝えていってもらえませんか? その方がきっとこいつも喜ぶと思います」
そう言っておじいさんは、僕に愛用のカメラを渡してきた。正直、写真を撮るのは初めてだったがとても楽しいし、誰かに伝えたいという気持ちにもなった。老後はこんな良いカメラで写真を撮ることを趣味にしたいとまで思ってたのも確かだ。だが、さすがにこんなに良いカメラをもらえるほどの腕前は持っていない。ここはやはり丁寧にお断りすることにしよう。
「すみませんが、僕にはこれを持つ資格がありません。だから、それは遠慮しておきます」
「いやいや、これは私からの最後のお願いなんです。どうか受け取ってください。お願いします」
「いや……」
しばらくこうした譲り合いが続いた後、とうとう僕の方から折れてしまって、カメラをいただくことになった。それときちんと日給の三千円もいただいてしまって、なんだか久しぶりにお金をもらうということが心がこもっていることなのだと実感することができた。
「おっと、写真ができたようです」
見ると、確かに店員さんがいい作り笑顔で写真を用意してくれていた。それを取りにいったおじいさんもまた良い笑顔だが、明らかに作った笑顔ではない。心からの柔らかい笑顔だ。
「いい写真が撮れています。これも宝物にさせていただきますよ」
「そうしていただけると嬉しいです」
「これからも写真を撮り続けてくださいね。新聞に写真の賞があるから、そこで表彰されたりするかもしれませんよ」
「いやいやそんな……」
新聞にそんな賞があること自体知らなかった。いつか機会があったら応募してみようか。
「では、私はこの辺で。今日はありがとうございました」
「あ、いえ、こちらこそ」
またゆっくりと、そして深々とお辞儀され、慌ててお辞儀し返した。頭を上げた時にはもう、おじいさんの姿は遠くの方で小さく見えていた。
風は徐々に冷たくなりつつある。ポケットに手をつっこんで、冷たい帰り道を進みはじめた。
もう街灯がつき始めて、住宅街から微かにテレビの音が聞こえ始めていた。
それから何年経っただろう。僕は地元の新聞の写真賞の所に、はじめて三位入賞を果たした。もちろん題名は『不思議な空間、トマソン』だ。入賞コメントも、小さいながらちゃんと載せてもらった。
『何のとりえもない無用の長物である建築物、それがトマソン。純粋に、出しゃっぱる事もなく、引きこもる事もなく、ただそこにあるだけのもの。そういう生き方も、たまにはいいと思いますよ。力を入れすぎず、抜きすぎず。ちょうどいいからバランスが良い。そういう人生がベストですよね』
こうして僕は、フリーターという殻から出ようとし始めた。