第7話:聖獣医聖院
ルビィの「しつけ教室」を終えた午後。サラはレオンハルトに連れられ、王宮の最深部に位置する『聖獣医聖院』へと足を運んでいた。
そこは国内最高峰の知識が集まる聖域のはずだったが、巨大な円形ホールに足を踏み入れたサラが目にしたのは、医療機関というよりは、古めかしい「魔導図書館」か、あるいは「宗教施設」のような光景だった。
医聖院の広間で、サラは目を疑うような光景を目にした。
高い天井からは幾筋もの魔力の光が降り注ぎ、白銀の法衣を纏った老人たちが、巨大な水晶を囲んで熱心に祈りを捧げていた。
右側では大きな翼猫が翼の怪我を治療されており、そのすぐ隣のベッドでは、同じように怪我をした騎士が横たわっている。
「……レオン。あそこで水晶を拝んでいるおじいちゃんたちは、一体何をしているの?」
「あれはエルディナ最高峰の治療術『星辰浄化』の儀式だ。……いいか、サラ。驚かないで聞いてほしい。この国の民は、聖獣の加護によって極めて長い寿命を享受している。私も、こう見えて百五十歳だ」
「ひゃ、百五十……!? 全然見えない。……前世の感覚なら、二十代後半の、ちょっと落ち着いたイケメン騎士にしか……」
「これでもまだ、この国では若造の部類でな。そこらにいる侍女でも八十歳は超えているだろう。だが、その『長命』と『異常な自己再生能力』こそが、我らから『生物としての謙虚さ』を奪ってしまったのだ」
レオンハルトが苦々しく告げる。
その時、奥から白髭を床に引きずらんばかりに蓄えた老術師、侍医長のボリスが悠然と現れた。
実年齢は二百八十歳。彼はサラを、まるで顕微鏡で珍しい虫を見るような、胡散臭げな眼差しで見下ろした。
「これはこれは殿下と...サラ殿と言ったか。君の言う『医学』とやらは、我が国の三千年の治癒の歴史を超えるというのかね? 我ら長命種は、傷を負えば魔力で細胞を繋ぎ、病を得れば祈りで不浄を追い出す。それで三千年、健やかに生きてきたのだよ」
「……ねえ、ボリスさん。まさかとは思うけど、あの騎士さんと翼猫、同じ魔法と、同じ処置を受けてるの?」
「いかにも。彼らは契約を交わした魂の半身。同じ浄化の光を浴びるのが、エルディナにおける最も自然な治癒の姿だ。……それが何か?」
ボリスは不思議そうに首を傾げた。サラはこめかみを押さえ、深い溜息をついた。
「大ありよ! 確かに魂は繋がっているかもしれないけど、体の構造は全然別物でしょ! 食べちゃいけないものも、代謝のスピードも、かかりやすい病気の種類も違う。それを『浄化の光』一つで済ませるなんて…」
「サラ殿、何を騒いでおられる。ここはエルディナの叡智が集う聖域なのだぞ」
眉間に深い皺を刻み、ボリスは面倒そうに吐き捨てた。
彼の視線の先では、先ほどサラが指摘した通り、地竜により深手を負った騎士とその相棒である翼猫が、鼻先を突き合わせるほどの至近距離で横たわっている。
「ボリスさん、よく見て! 騎士さんの傷口に、翼猫の毛が入ってるわ。それに、同じ水桶で両方の傷を洗うなんて……。これじゃ不衛生で感染症のリスクが跳ね上がるわよ!」
サラの必死の訴えに、ボリスは鼻を鳴らし、芝居がかった仕草で両手を広げた。
「ふん、感染症? また君の故郷の怪しげな言葉か。いいかね、サラ殿。我が国の騎士は、聖獣と魔力を通わせ合うことで、その強靭な生命力を分け与えられているのだ。人と獣を分かつなど、それこそ『不自然』というものだ。」
ボリスは騎士の横にしゃがみ込むと、慈しむように翼猫の頭を撫でた。
「この翼猫の魔力が健やかであれば、騎士の傷も自ずと癒える。逆に、騎士の祈りが届けば、獣の熱も下がる。三百年、我らはこうして『魂の巡り』だけで全てを解決してきた。 獣の毛の一本や二本、聖なる治癒の光の前では塵も同然。それを『不衛生』だと騒ぎ立てるのは、君が魔力を持たぬ短命種ゆえの、臆病な妄想にすぎんよ」
ボリスがその凄惨な傷口に手をかざすと、眩いばかりの光が溢れ出し、見る間に肉が盛り上がり、傷跡一つ残さず皮膚が塞がってしまった。
「ちょっとっ!!!」
「そもそもだ。我ら長命種にとって、死とは魔力が枯れ果てた末に訪れる『黄昏』だ。君のように、目に見えぬ小さな塵に怯えて暮らすなど、滑稽極まりない。『病を診る』のではない、『魂の格』を診るのだよ。 それが、この国で三百年、医聖院を束ねてきた私の答えだ」
「見たか。これこそが、魔力という奇跡だ。安静も、消毒も、ましてや君が口にする『衛生』などという、回りくどい理屈は必要ない」
周囲の術師たちが「左様、左様」と満足げに頷く。
この間レオンハルトは口を開くことはなかった。彼はただサラを静かに見つめている。この国の現状をあえて見せることで伝えようとしているようだった。
サラの目は一切笑っていなかった。
彼女の脳内では、『獣医学全般(EX)』のスキルが警報を鳴らし、騎士の体内で起きている「生物学的なエラー」をスキャンしていた。
「……ボリスさん。今すぐ、その傷口を切り開いてください」
「な……!? 何を言い出すかと思えば、正気か! せっかく塞がった傷をわざわざ開くなど、狂気の沙汰だ!」
「正気です! 『傷口を塞ぐこと』と『治癒すること』は、全く別です! 毛や泥に地竜の粘液が混じったまま無理やり皮膚を閉じれば、それは治療ではなく、体内に毒を閉じ込めるのと同じです!」
「精霊の不浄を閉じ込めるだと? 迷信を言うな。我らは魔力で浄化しているのだ」
「精霊じゃありません、微生物……菌です! エルディナの方々の治癒力が高いのは分かりました。でもそれは、侵入した菌にとっても、この上ない栄養と湿度を備えた『最高の培養器』を提供しているのと同じなのよ!」
案の定、数分もしないうちに、安堵していたはずの騎士の顔が、どす黒い苦痛に歪み始めた。塞がったはずの皮膚の下が、パンパンに腫れ上がり、脈打つように激しく痙攣している。
「う、うあああッ! 熱い……傷の奥が、焼けるように……!」
「な、何事だ!? 治癒魔法は完璧だったはずだぞ!」
慌てふためき、さらに強い光を当てようとするボリスの手首を、サラは力強く掴んだ。
「これ以上魔法を使わないで! 魔力で細胞の再生を早めれば、中の菌までさらに元気にしちゃうわ! ……そこをどいて! これくらいの処置ならできるわ!」
サラは医療鞄から、魔法で鋭利に研ぎ澄まされ、滅菌されたメスを取り出した。
周囲の術師たちが「神聖な儀式を汚す気か!」と叫び声を上げる中、レオンハルトが初めて声を上げる。静かに、けれど威圧感を持って一歩前に出た。
「……控えろ。サラ、やれ。この男の命、君に預ける。責任は全て、このレオンハルトが持つ」
「……感謝します、レオン!」
サラは迷いなく、騎士の腫れ上がった患部にメスを走らせた。
パシュッ、という不快な音とともに、中から溢れ出したのは、ドロドロに濁った黄色い膿だった。同時に、周囲に強烈な腐敗臭が漂う。
「……う、なんという悪臭だ。これが、魔法で塞いだ傷の内側だと……?」
「これが感染の正体です。ボリスさん、あなたが『神聖な光』で閉じ込めたのは、彼の命を蝕む感染源そのものですよ。長命種であるあなたたちは三百年、ただ『圧倒的な自己免疫力で運良く生き延びてきた』だけ。それは医学でも知識でもない、ただの偶然に甘えているだけなんです」
サラは手際よく傷口を洗浄し、魔力を付与した特殊な薬草液で患部を丁寧に消毒していく。騎士の荒い呼吸が、次第に穏やかになっていった。
「傷口はわざと開けたままにします。中の炎症が完全に引くまで、絶対に魔法で塞がないで。……いいですか、生物は魔力だけで動いているんじゃない。複雑な栄養代謝と、血液と、数多の微生物の攻防で成り立っているんです。それを無視し、祈るだけで済ませるのは、命への冒涜です」
静まり返る医聖院。
二百歳を超える長命の賢者たちが、わずか二十歳そこそこの「短命種」であるはずの少女に、一言も返せなかった。
レオンハルトは、その光景をどこか誇らしげに、そして深い感銘を受けた眼差しで見守っていた。
「……サラ。君の言う通りだ。我らはあまりに長く、強く生きすぎた。ゆえに、命が『損なわれていく』という現実を知らなすぎた。……君のその速い時間軸の視点で、我らの止まった時計を、どうか動かしてほしい」
「……ええ。魂を救うのはボリスさん達の役目かもしれないけど、その魂を繋ぎ止める『器』を守るのが、私の仕事だから。この国の『生命の定義』も書き換えないと!」
サラの力強い宣言に、レオンハルトは小さく、けれど確かな信頼を込めて微笑んだ。




