第4話:「神秘」を「医学」で黙らせる
王子の私室の重厚な扉を蹴破る勢いで飛び込んだサラの目に、地獄のような光景が飛び込んできた。
「キャイィィィーーーン!」
部屋の隅で、緋色の鱗を持つ火竜の幼体・ルビィが、のたうち回りながら悲鳴を上げていた。
その体は、内側から燃え上がるような不気味な赤黒い光を放ち、周囲の高級な絨毯や家具は、ルビィから漏れ出す異常な熱気でパチパチと焦げ始めている。
「ルビィ! しっかりしろ、私が分かるか!?」
レオンハルトが必死に呼びかけるが、ルビィは焦点の合わない目で、苦し紛れに口から火炎を吐き散らす。
「殿下、お下がりください! 魔力が暴走しています! 今すぐ氷の結界を!」
周囲の宮廷魔獣医たちが悲鳴を上げる中、サラは一歩、また一歩と熱波の中へ踏み込んだ。
「待って。これ、魔力の暴走じゃないわ」
サラの瞳が、冷静にルビィの「生物としての異常」をスキャンする。
『獣医学全般(EX)』のスキルが、脳内にいくつもの症例を羅列し、たった一つの答えを弾き出した。
「ガスだわ。……王子! ルビィちゃん、最近お腹を下したり、ゲップをしたりしてませんでしたか!?」
「えっ……? あ、ああ、そういえば、ここ数日少し苦しそうに喉を鳴らしていたが……それが何か関係あるのか!?」
「大ありです! この子の病名は『急性胃拡張』。食べたものが胃の中で異常発酵して、風船みたいに膨らんでるの! その巨大な胃が、心臓と肺を物理的に押し潰して、全身の血流を止めてる……今のあの子は、内側から風船を破裂させられそうになってる状態なんです!」
「なっ……呪いではなく、胃だと……!?」
魔獣医たちが呆然とする中、サラは医療鞄から、魔法で変質させた細長い管をジャキリと取り出した。
「王子、手伝ってください! ルビィちゃんの頭を固定して! 熱いし噛まれるかもしれないけど、一瞬でも動かしたら食道を突き破るわ。……いい?」
その気迫に押され、レオンハルトは反射的に「……ああ、任せろ!」と叫んでいた。
第一王子ともあろう御方が、煤まみれになりながら床に膝をつき、必死にルビィの頭を抱え込む。
「よし、行きます! 『魔力メス』、ガイド形成!」
サラはルビィの口をこじ開け、管を喉の奥へと滑り込ませた。
『キュルッ……ガッ!?』
抵抗するルビィ。だが、サラの手は一切震えない。前世で、死にかけの牛や暴れる馬を相手にしてきた経験が、彼女の腕を鋼のように固定していた。
(ここ……噴門部を通過……抜けるッ!)
管が胃に達した瞬間。
『シュウゥゥゥーーーーーーーーッ!!!!』
凄まじい音と共に、管の先から硫黄の臭いのする熱いガスが噴き出した。
あまりの圧力に、サラの髪が逆風で激しくなびく。
「……っ、うわ、熱っ……!離さないで!まだよ!」
ガスが抜けるに従い、パンパンだったルビィの腹部が、目に見えて凹んでいく。
赤黒かった鱗の色が、みるみるうちに健康的な緋色に戻り、荒かった呼吸が深くなっていく。
「……はぁ、はぁ……。よし。あとは……『経口補液』、注入!」
サラは管から、スキルで作った即席の電解質液と消泡剤(ガスを抑える薬)を流し込んだ。
一連の動作に、一切の無駄がない。
部屋を支配していた死の気配が、霧散していく。
『……キュイ、ィ……?』
ルビィがパチリと目を開けた。そこには、泣きそうな顔で自分を抱きしめるレオンハルトと、汗だくで笑うサラの姿があった。
「サラ……、君は、本当に……」
レオンハルトが呆然と呟く。
宮廷魔獣医たちは、自分たちが「呪いだ」「死に至る病だ」と騒いでいたものが、たった一本の「くだ」で解決してしまった現実に、腰を抜かして座り込んでいた。
「王子、言いましたよね。魔獣は神聖な存在だけど、同時に『生きてる動物』だって」
サラは袖で顔を拭うと、ニカッと笑ってルビィの鼻先をツンと突いた。
「ルビィちゃん。あなた、明日から一週間は絶食、そのあとはダイエット食ですからね? 美味しいからって、魔力結晶のドカ食いは禁止です!」
『キュゥゥ……(しょぼん)』
「ははは……! なるほど、確かに君の言う通りだ。神聖な火竜が、食い意地で死にかけていたとはな」
レオンハルトは、緊張の糸が切れたように声を上げて笑った。
そして、泥と煤にまみれながらも、誰よりも気高く、プロフェッショナルな輝きを放つサラを、熱い眼差しで見つめた。
「サラ。君のその『医学』とやらに、私は心底惚れたよ。……どうやら、君を手放す選択肢は、私の辞書から完全に消え去ったようだ」
「えっ……? あ、それって職場としての……ですよね?」
「さて、どうかな」
王子の茶目っ気のある笑みに、サラはドキンと心臓を跳ねさせる。
(ちょっと待って、この王子様、アル(グリフォン)より攻略難易度高くない!?)
こうして、王宮の小さな急患は救われた。
だが、サラの「異世界獣医師」としての戦いは、まだ始まったばかりだった。




