第23話:砂だらけの帰還
視界が急激に明転し、鼻を突いたのは懐かしい薬草と乾燥したハーブ、そして少しツンとする消毒薬の匂いだった。
「……戻った! 診療所よ!」
サラが叫び、着地の衝撃でレオンハルトの胸に飛び込む。
慣れない「影渡り」と砂漠の長旅で足元がおぼつかなかったサラを、レオンハルトは反射的にその逞しい腕でしっかりと受け止めた。
しかし、再会の喜びも束の間、診療所の光景を見て二人は固まった。
「――おやおや。砂遊びでもしてきたんですかな、殿下。
それとも、砂漠はそれほどまでに心地よく、帰るのを忘れるほどだったと?」
「若、いい御身分だな。こっちは朝から羊の飼い主どもを宥めるので大わらわだったぜ。
先生が消えたってんで、暴動寸前だったんだからな」
そこには、腕組みをして不機嫌そうにパイプの煙を吐き出すバルカスと、眼鏡の奥で瞳を怪しく光らせるボリスが、まるで門番のように診療所の椅子を占拠して待ち構えていた。
「バ、バルカスさん! ボリス先生! あのね、これには深い、本当に深ーーい事情があって……!」
サラが慌ててレオンハルトの胸から離れ、砂まみれの服をバタバタと払う。
だが、元・宮廷筆頭魔導師の鋭い視線は、レオンハルトがサラの肩に回したままだった手と、二人の間のどこか気恥ずかしそうな空気を逃さなかった。
「事情、ですかな? サラ先生の髪に混じった赤い砂は、大陸の南端、それも『禁忌の砂漠』の特産物。
殿下の上着を先生が羽織り、二人で肩を寄せ合って影から現れる……。
ほほう、これは『視察』にしては少々、熱っぽすぎるようですな。
砂漠の太陽より、お二人の間接的な接触の方が温度が高いのでは?」
ボリスがにやにやに口角を上げると、レオンハルトは顔を真っ赤にして叫んだ。
「黙れ、ボリス! 不可抗力の事故だと言っているだろう!
夜一の魔力が暴走し、我々は……その、死線を潜り抜けてきたのだ!」
「死線ねぇ。若、あんたのその顔を見る限り、死線どころかバラ色の天国を散歩してきたようにしか見えねえぞ」
バルカスがドシンと、嫌がらせのような厚みの書類の束を診察台に置いた。
「事故だろうが何だろうが、若。あんたがいなくなったせいで、王宮の執務室は書類の山だ。
大臣どもは泡を吹いて倒れてるぜ。それに、サラお嬢ちゃん。
隣町の羊飼いたちには、俺たちが『先生は新種の薬草を探しに秘境へ飛んだ』って適当に言っておいてやった。感謝しろよ」
サラは申し訳なさに、借りていたレオンハルトの上着をギュッと握りしめて小さくなった。
確かに自分がいなければ、助かるはずの家畜の命が危険にさらされていたかもしれない。
「ごめんなさい……。でも、これ、見て!」
サラはカバンの中に大事にしまっていた「ラピスの鱗の破片」を取り出した。
それは診療所のランプの光を反射して、砂漠で見たとき以上に鮮やかな、深い青色の輝きを放った。
「あん……? なんだこの宝石。……おいおい、ただの石じゃねえな。
こりゃあ地脈のエネルギーそのものじゃねえか! 磨き方によっちゃ、無限に熱を出す魔導炉の芯にだってなるぞ!」
「左様、これはサンド・ラピスの結晶……。それも最上級のものですな。まさか、あの気難しい霊獣を治療したのですか? さすがはサラ先生だ」
バルカスの職人魂に火がつき、ボリスが感心したように顎を撫でる。
診療所は一気に、いつもの騒々しさと活気を取り戻した。
「よし、これを使えば診療所の雨漏りどころか、全自動の診察台が作れるぞ! ついでに、殿下がサボらないように見張る監視カメラも仕込んでやるか!」
「バルカス、余計な機能をつけるなと言っているだろう!」
「もーーー!! 結局、帰ってきてもこれなんだから!」
サラが腰に手を当てて笑い声を上げると、レオンハルトもようやく肩の力を抜き、マントの埃を払いながら、隣に立つ彼女に柔らかな微笑を浮かべた。
二つの太陽が沈む砂漠での、あの命懸けの冒険。
ラピスが言った「愛おしい対」という言葉。
そのすべてが、この騒がしい診療所の中では「少し長すぎた往診」の笑い話へと、ゆっくりと形を変えていく。
第一王子の、不器用で真っ直ぐすぎる独占欲。
聖獣医の、無茶ばかりだけれど純粋な献身。
二人の間に芽生えた新しい絆を、影の中から夜一が「今度は邪魔させないぜ」と言わんばかりにニヤニヤと見守る中、
王都エルディナの小さな診療所には、再び穏やかで、しかしこれまでより少しだけ甘い夕暮れが訪れた。
「……サラ。明日は、ちゃんと街の市場へ行こう。羊の検診ではなく、普通の、ただの買い物としてな」
レオンハルトの小声の誘いに、サラは「はい!」と、砂漠の雨のように清らかな笑顔で答えた。




