第2話:死に瀕した聖獣グリフォン
「どいてください! この子、呼吸が止まります!」
サラが駆け寄った先で、白銀のグリフォン『アル』は横たわり、喉を鳴らして喘いでいた。
その右胸には、禍々しい漆黒の矢が深々と突き刺さっている。
「……っ、よせ! その矢には隣国の『腐蝕の呪い』が……!」
「黙ってて! 今は呪いより、この子の『呼吸』が先!」
騎士の制止を怒鳴り声で遮り、サラはアルの胸の動きを凝視した。
右の胸壁が異常に膨らみ、逆に呼吸音は聞こえない。
(……緊張性気胸。呪いの矢が肺を貫通して、漏れ出た空気が胸腔内に溜まって心臓を圧迫してる。このままだとあぶない!)
「『魔力メス』、出力最大! 呪毒の矢を……切除!」
サラは杖を振るい、矢の周囲の腐食した組織ごと一気に切り離した。黒い霧が噴き出すが、サラは怯まない。
「『魔力消毒』! 術野の清浄化を維持して!」
青白い光が黒い霧を相殺する。だが、矢を抜いただけでは解決しない。
アルの呼吸はさらに浅くなり始めていた。
「胸腔内に空気が溜まりすぎてる……空気を抜かないと! でも胸腔ドレーンなんてないし……」
サラは視界を巡らせ、自分の持っていた「木の杖」に目を留めた。
(やるしかない。これを使えば!)
「スキル、『獣医学知識(EX)』、構造変換……! 杖よ、カニューレになれ!」
サラが祈るように杖を握ると、木製の杖が細い管状に変形した。彼女はアルの肋間を指で探り、迷いなくその管を突き立てた。
『プシューーーーーーッ!!』
凄まじい音と共に、アルの胸の中に溜まっていた「呪いの混じった空気」が外部へ放出される。
同時に、圧迫されていた心臓が再び力強く打ち始め、潰れていた肺がゆっくりと膨らみを取り戻した。
「……ふぅ。これでバイタルは安定したわ。あとは……」
サラはすかさず、自身の魔力を指先に集中させた。
「『魔力メス』で肺の穴を塞いで。仕上げに細胞再生……! 起きて! 頑張って!」
サラが叫びながら魔力を流し込むと、アルの瞳に黄金の光が戻っていく。
「……ふぅ。これでバイタルは安定したわ。あとは……」
サラが安堵してグリフォンの体に触れた、その時。
彼女の脳内に、風の鳴るような、不思議な声が直接響いてきた。
『……ありが、とう。……ニンゲン、助かった……。ボクは、アル……』
(えっ、声!? ……あぁ、そうか! 私、『動物言語理解』のスキルを持ってたんだった!)
サラは驚きつつも、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
自分を助けてくれた相手に、精一杯名前を伝えてくれた聖獣の健気さに胸を打たれたのだ。
「アルっていうのね。よかった、本当によかった……。アル、もう大丈夫だよ。よく頑張ったね、偉いよ!」
「……なっ!? なぜ貴様がその名を!」
背後で一人の騎士が目を見開いた。
周囲の騎士たちも、ざわめきと衝撃に包まれる。
『……クルゥゥ、アァッ!』
先ほどまでの瀕死の状態が嘘のように、アルが力強く立ち上がる。
腐食していた胸の傷跡からは、新しい純白の羽毛が芽吹いていた。
「……信じられん。隣国の呪いと肺の致命傷を、あんな短時間で再生までさせるとは...」
呆然と立ち尽くすのは、第一王子レオンハルトだった。
サラは服の袖で額の汗をごしごしと拭うと、ほっとしたように、ひだまりのような温かい笑顔を浮かべた。
「よかったぁ……。アル、もう大丈夫だよ。よく頑張ったね、偉いよ!」
「アル様の名は、代々の王族と、深く心を通わせた者にしか教えないはず……!」
「それを、会ったばかりの娘が呼んだというのか!?」
騎士たちが呆然とする中、アルは誇らしげに喉を鳴らし、サラの頬に大きな嘴をそっと寄せた。
愛おしそうにグリフォンの大きな頭を撫でる彼女の横顔には、先ほどまでの厳しい表情をした大人の面影はない。
そこにあるのは、ただ純粋に「目の前の命が助かったこと」を心から喜ぶ、一人の少女の輝きだった。
レオンハルトは、生まれて初めて自分の胸が大きく、熱く高鳴るのを感じていた。
返り血と泥にまみれながらも、一点の曇りもなく笑うそのひたむきで眩しい姿に。
「……お、おい、嘘だろ。呪いの霧が、跡形もなく消えてる……」
「信じられん、聖獣様が喉を鳴らして甘えているぞ。あの気高いアル様が、あんなにデレデレに……!」
それまで剣を構えて警戒していた騎士たちが、一人、また一人と武器を下ろしていく。
絶望的な状況をたった一人で、しかも笑顔でひっくり返してしまった少女。
彼らの目には、サラがまるで空から舞い降りた救世主のように映っていた。
「すげぇ……。あんな魔法、見たことないぞ……」
「俺たちの傷も診てもらえないかな……」
ざわざわと広がる驚嘆と称賛の嵐。
「君は……聖女か何かか?」
「え? あはは、まさか! 私はサラです。ただの『動物のお医者さん』ですよ。……あ、でも、今は世界一幸せな動物のお医者さんかもしれません!」
サラはアルの羽毛に顔を埋めて、くすぐったそうに声を弾ませた。
その屈託のない明るさが、先ほどの不穏な空気を一瞬で塗り替えていく。
「サラ……。君のその手と、その笑顔を、我が国のために貸してくれないか?」
こうしてサラの、波乱の異世界生活が確定した。




