第13話:魔導聴診器・試作壱号
「おい、サラ! このゴムみてえな弾力のある管はなんだ! 腸か? 獣の腸を使う気か!」
「違うわバルカスさん、それは魔樹の樹脂を精製して作った柔軟管よ。
音が逃げないように気密性を高めなきゃいけないの。
……レオン、そこ、もっと火力を安定させて! 樹脂を溶かす温度が一定じゃないとムラができるわ!」
バルカスの怒鳴り声と、私の指示、そしてレオンハルトが必死にフイゴを動かす音が工房に満ちる。
伝説の彫金師と一国の王子を顎で使いながら、私は設計図の細部を修正していく。
と、その時。
「――殿下! サラ先生、バルカス! ワシ抜きで面白いことを始めるなど、水臭いではないか!」
工房の重い扉を蹴破らんばかりの勢いで現れたのは、聖獣医聖院の侍医長、ボリスだった。
彼は豪華な刺繍入りのローブを振り乱し、鼻息荒く私たちの作業台へ詰め寄る。
「ボリスのジジイ! 聖院の隠居がこんな煤臭い場所に何の用だ!」
「黙れバルカス! サラ先生から『音の増幅』についての理論を聞いて、ワシが黙っていられると思うか! 集音板に刻む術式なら、ワシが最高精度のものを構築してある!」
ボリスは懐から、何十枚もの魔導数式が書き込まれた羊皮紙を取り出した。
それを見たバルカスが、眉間に皺を寄せて身を乗り出す。
「……ほう。この微細な術式を、ワシの彫るミスリル板の溝に流し込もうってか。
なるほど、これなら音を魔力波に変換せず、『物理振動のまま』増幅できるかもしれねえな」
「であろう! さあサラ先生、ワシにどこを担当させればよいか指示を! 既に魔力は満タン、徹夜の準備も万端だぞ!」
ボリスまでが加わり、工房の熱量はさらに跳ね上がった。
最高位の魔術師が術式を練り、伝説のドワーフが金属を叩き、最強の騎士が火を熾す。
そして、その中心で「科学」のタクトを振るうのは、魔力を持たない私。
「いい? みんな。これはただの道具じゃない。この世界の魔法が今まで無視してきた、『命の微かな悲鳴』を拾い上げるための鍵なの。……妥協は一切許さないわよ!」
「「「応!!」」」
三人の男たちの返事が、工房の天井を震わせた。
それから二日間、私たちは食事も睡眠も惜しんで作業に没頭した。
レオンハルトはフイゴで火を調整し続ける合間に、汚れた私の手を布で拭いたり、無理やり栄養剤を飲ませたりと、甲斐甲斐しく「重石」兼「介護役」をこなしてくれた。
バルカスとボリスが技術的な議論で取っ組み合いの喧嘩を始めれば、レオンが冷徹な魔圧で黙らせる。
「……おいバルカス、ボリス。サラが疲れている。喧嘩をするなら外でやれ。それとも、私の剣の錆になりたいか?」
「「……。……すまん(すまぬ)」」
王子のあまりの過保護ぶりに、バルカスは「本当にお熱いこったぜ」と呆れていたが、おかげで開発は驚異的なスピードで進んでいった。
そして、三日目の夜明け。
朝日が工房の窓から差し込む中、作業台の上に、鈍い銀色に光る「魔導聴診器・試作壱号」が完成した。
「……できたわ」
私の呟きに、煤と油にまみれた三人の男たちが、一斉に息を呑んだ。
朝日が差し込む工房。三日三晩、一歩も外に出ずに心血を注いだ四人の前には、ミスリル銀の輝きを放つ、世にも奇妙な「銀の管」が置かれていた。
「……よし。バルカスさん、ボリス先生、レオン。最終テストに行くわよ」
サラの言葉に、煤まみれの男たちが力強く頷く。
向かった先は、聖院の特別重症房。
そこには、先日サラが救った岩壊竜グラニドが、静かに横たわっていた。
「グラニド、おはよう。少しだけ、あなたの音を聞かせてね」
サラが優しく声をかけると、巨竜は信頼しきった様子で、その巨大な頭をサラの足元に擦り寄せた。
サラは、バルカスが鍛え上げたミスリル製のチェストピースを手に取り、グラニドの厚い皮膚へと当てる。
耳に伝わってきたのは、衝撃だった。
「――っ!」
「サラ、どうした! 失敗か!?」
レオンハルトが不安げに身を乗り出す。
「……違う。凄いわ……。肺を抜ける空気の音、血液が逆流せずに弁を叩く音……。この子の体の中の『音楽』が、手に取るように分かる」
サラは震える手で、ダイヤルを回した。
ボリスが刻んだ増幅術式が起動し、物理的な振動が純粋な音として耳の奥に響く。
「ドクン、ドクン、ドクン……」
規則正しい鼓動。
しかし、サラが聴診器のチェストピースをさらに深く押し当て、ボリスの刻んだ増幅術式のダイヤルを最大まで回したその時――。
雑音が消え、世界が静止したような感覚に陥った。
耳元に響いていたはずの鼓動が、温かく、低い「声」へと溶け変わっていく。
『……聞こえるか、小さき賢者よ』
「えっ……?」
サラが驚きに目を見開く。周囲にいるボリスやレオンハルト、バルカスには聞こえていない。
彼らはただ、サラの様子を不思議そうに見守っている。
『驚くことはない。お前が作ったその「銀の管」と、その胸に刻まれた獅子の魔力が、私の魂の震えを言葉に変換したのだ』
グラニドがゆっくりと、金色の大きな瞳を開いた。
その瞳は、ただの獣としてのそれではなく、数千年の知恵を蓄えた超越者としての光を宿し、真っ直ぐにサラを見つめていた。
『私の名はグラニド。岩を砕き、山を背負う者。……人の子よ。お前は、私が数百年ぶりに味わった「静寂」の立役者だ』
「グラニド……私、あなたの声が聞こえるの?」
『ああ。魔法使いどもは、私の魔力を操ろうとばかりし、私の苦痛には耳を貸さなかった。
だが、お前は違った。……お前は、ただ純粋に、私の「生」の音を探してくれた』
グラニドの巨体が、ゴロゴロと喉を鳴らす。それは岩崩れのような地響きだったが、サラにはそれが、不器用な親愛の情であると分かった。
『礼を言おう。我が鱗の一枚、我が血の一滴も、お前の知識の前ではただの器に過ぎん。……小さき賢者よ。これより、私はお前の盾となろう。お前がその「銀の管」で救う命の行く末を、私が特等席で見守ってやる』
「グラニド……ありがとう。私も、あなたを全力で守り続けるわ」
サラが感極まってグラニドの鼻面にそっと触れると、竜は満足そうに鼻息を吐き、再び深く、安らかな眠りへと落ちていった。
「サラ? 急に黙り込んでどうしたんだ。顔が赤いぞ」
レオンハルトが心配そうに肩に手を置く。サラは聴診器を外し、晴れやかな笑顔で彼を見上げた。
「……ううん、なんでもない。ただ、グラニドが『最高の聴診器だ』って褒めてくれた気がしただけ」
「はっ! 竜と話ができるようになったか。そりゃあ聖獣医を通り越して、もう聖女様だな!」
バルカスの豪快な笑い声が響く中、ボリスだけは真剣な顔でサラの聴診器を凝視していた。
「……サラ先生。今の貴様の表情……。ワシにも、ワシにもその『声』を聞く術を教えろ! 頼む、この通りだ!」
「はいはい、ボリス先生。まずはもっと性能を安定させてから。残業確定ですよ?」
サラの手にある「銀の管」は、今や単なる医療器具ではなく、失われていた「命との対話」を取り戻すための聖遺物となっていた。
「サラ先生、ワシにも……ワシにも聞かせてくれ!」
ボリスが待ちきれず、サラから耳管を奪い取るようにして装着した。
次の瞬間、老魔術師の目から大粒の涙が溢れ出した。
「おお……おおお……! ワシは三百年、治癒術師として生きてきたが、命の音がこれほどまでに力強く、愛おしいものだとは知らなかった……!
ワシらは今まで、なんと無機質な魔法を見ていたのだ……!」
「へへっ、ジジイが泣くほどの名器ってわけか。ワシの槌に不可能はねえんだよ」
バルカスも、腕組みをしながら満足げに鼻を鳴らした。
最後に、レオンハルトが聴診器を耳に当てた。
彼は静かに目を閉じ、グラニドの鼓動を噛み締めるように聞いていた。
「……サラ。君は、私たちに新しい『耳』をくれたんだな。魔法では決して届かなかった、魂の震えを」
レオンは聴診器を外すと、愛おしそうにサラを見つめた。
その視線に気づいたバルカスが、ニヤニヤしながら二人を冷やかす。
「おいおい、感動の最中に悪いがな、王子。その小娘……いや、サラ先生をこれ以上ここに置いておくと、聖院がひっくり返るぞ。
侍医長と王子様を三日も誘拐したんだからな」
「……あ」
サラは、自分がどれほどとんでもない状況を作り出したか、ようやく気づいた。
背後を振り返れば、工房の入り口には、行方不明の重鎮たちを捜索していた聖院の術師たちが、腰を抜かした状態で立ち尽くしている。
「あ、あの……! ボリス侍医長! レオンハルト殿下! ご無事で……えっ、その汚れた姿は一体……!?」
「黙れ! 今、ワシらは歴史の転換点に立ち会っておるのだ! 邪魔をする者は、土色の外套へ降格させるぞ!」
ボリスの怒号が響き渡る。
汚れた白コートの胸元には、誇らしげに輝くレオンハルトの守護紋章。
そして手には、世界を変える「銀の管」。
王国の歴史が大きく変わる瞬間はとても暖かい日差しの日であった。




