第11話:月下の庭園
岩壊竜グラニドの緊急手術を終え、聖院がようやく深い静寂に包まれた夜。
サラは昂った神経を鎮めるため、薬草庭園の奥にあるベンチに身を預けていた。
「……やはりここにいたか」
背後から響いたのは、落ち着いた、けれど少しだけ甘く響くレオンハルトの声だった。
彼は公務の険しい表情を解き、静かにサラの隣に腰を下ろすと、自分の上着を脱いで彼女の肩にそっと掛けた。
「レオン。……今日は、ありがとう。あなたが私を信じてくれたから、私はここにいられる」
「礼を言うのは私の方だ。……だが、サラ。君の頬の傷を見て、正直に言えば私は激しい憤りを感じた。君を危険な場所に独りで放り込んでしまったのではないかと」
レオンハルトの視線が、サラの頬に残る薄い傷跡に注がれる。
それは、「土色の外套」へと降格させられたカイルたちが、魔法の暴力で刻んだものだ。
「……カイルたちのことなら、心配しないで。彼ら、今頃は厩舎の隅で、魔法を封じられながら掃除をしてるはずよ」
「……ああ、ボリスから聞いた。自業自得とはいえ、あやつらは君の知識に触れ、己の無知に絶望しているだろう。特にリーダーのカイルは、君に指摘された『足首の古傷』が、今になってズキズキと痛み出したと泣き言を言っているそうだ」
レオンは少しだけ意地の悪い笑みを浮かべたが、すぐに切実な表情でサラの手をそっと包み込んだ。
「だが、私が許せないのは彼らではない。……彼らの暴挙を、一瞬でも許してしまった私の無力さだ。
サラ、これだけは約束してくれ。二度と、私にこのような思いをさせないでくれ。君の身体を壊されては、この世界は暗闇に閉ざされてしまう」
その手の温もりと、真っ直ぐな言葉に、サラの頬が手術の熱とは違う熱を帯びる。
「……レオン。私は大丈夫。むしろ彼らのおかげで、今の私に足りないものがはっきり分かったの。
魔法が使えない私には、ドラゴンの心音を直接『感知』できない。知識はあるのに、厚い鱗に邪魔されて届かないのが、何よりも悔しいのよ」
サラは、レオンの手の中で自分の手のひらを見つめた。
「だから、作るわ。魔法が使えない私でも、誰よりも鮮明に命の音を拾える道具を。ボリス先生からも許可はもらった。……明日、紹介してくれるんでしょう? 王立工廠の凄い職人さんを」
「ああ。バルカスという男だ。偏屈だが、腕は王国一だ。……明日の朝、君を彼の工房へ案内しよう」
サラの瞳には、甘い感傷を塗りつぶすほどの、プロとしての執念が宿っていた。レオンハルトは、そんな彼女の潔さに、ふっと自嘲気味に笑った。
「君は、本当に退屈させないな。君は自らの力で、私の想像もつかない高みへ駆け上がっていく」
二人は月明かりの下、しばらくの間、寄り添うように夜の庭園を歩いた。
「……それで、サラ。明日バルカスの元へ行く前に、これを受け取ってほしい」
レオンハルトが懐から取り出したのは、銀の糸で編まれた小さな紋章のワッペンだった。
そこには、王家の傍系であり、最強の守護騎士を象徴する「盾と獅子」の意匠――レオンハルトの個人的な守護紋章が刻まれている。
「これを、君の白コート(ローブ)の襟元か袖に入れておいてほしいんだ」
サラは受け取った紋章を月光にかざし、少し首をかしげた。
「これ、あなたの守護紋章よね? 私なんかがつけていいの?」
「バルカスの工房は戦場と同じだ。血気盛んなドワーフや無骨な職人がひしめき合っている。
……私の紋章を背負っていれば、不埒な輩も手出しはできまい。それに、その紋章には私の魔力が少しだけ込めてある。君に危険が迫れば、すぐに私が気づけるように」
サラは、紋章を見つめてふっと笑った。
「……カイルたちの件で、よっぽど心配してくれてるのね」
「笑い事ではない。君は自分の価値に無頓着すぎる。……本当は、私の騎士団を君の護衛に付けたいくらいなんだぞ?」
「それは勘弁して。目立ちすぎて診察どころじゃなくなっちゃうわ」
サラは、レオンハルトのどこか必死な、それでいて不器用な優しさに胸の奥が温かくなるのを感じた。
彼女はコートの胸元に紋章を当て、彼を真っ直ぐに見上げた。
「わかったわ。この紋章、明日バルカスさんに会う前に縫い付けておく。……あなたが守ってくれるなら、私は安心して開発に没頭できるわ。ありがとう、レオン」
レオンハルトは、ようやく安堵したように口角を上げた。
その眼差しは、守護対象に向けるもの以上に熱を帯びていたが、彼はそれ以上踏み込むことを自制するように、サラの肩を軽く叩いた。
「ああ。君が最高の道具を作り上げるのを、私は一番近くで見届けることにしよう」
静かな夜の空気に、明日の嵐のような開発劇を予感させる空気が溶け込んでいた。




