第10話:サラとボリス
「サラ、みせたい聖獣がおる」
地竜の診察も終わり、呆気にとられていたほかの治癒師達も各々の仕事に戻っていった。
ここにはサラとボリスとご機嫌な地竜しかいない。
荒い鼻息をかけられ笑うサラとは対象的にボリスは真剣な顔をしている。
ボリス先生に連れられてやってきたのは、聖院の最深部にある、巨大な外壁に囲まれた「特別重症房」だった。
「……サラ。今、この国で最も貴様の『目』を必要としている患者がここにおる」
重厚な石の扉が開いた瞬間、ぶわっと熱風が吹き抜けた。
そこに横たわっていたのは、全長十メートルを超える巨躯
――岩壊竜グラニド。
その名の通り、岩山を砕くほどの硬度を誇る鋼色の鱗。
だが、今の彼は苦しげに喉を鳴らし、その巨体から溢れ出す制御不能の魔力が、周囲の地面をバリバリとひび割れさせていた。
「三日前から、突如として魔力が暴走し始めた。ワシを含む十人の上級術師で『魔力鎮静術』を試みたが、跳ね返されるばかりか、グラニド自身の体力を削る結果となっておる……。もはや、安楽死(光への帰還)を検討すべきという声も出ているのだ」
ボリス先生の声が、悔しさに震えている。
サラは白コートの袖をまくると、地響きのような唸りを上げるグラニドの腹部に直接耳を当ててスキルを放つ。
「……ボリス先生。鎮静魔法はやめください。逆効果よ」
「なっ……!? だが、暴走を止めねば心臓が持たんぞ!」
「暴走してるんじゃないわ、この子は『戦って』いるのよ。……先生、この子、**『物理的な激痛』**に耐えようとして、無意識に全身の魔力を患部に集中させすぎているだけ。先生たちが魔法で魔力を散らそうとするのは、この子にとっては痛みのガードを無理やり剥がされるのと同じ。……これじゃ、ただの拷問よ」
「……ご、拷問だと……!? ワシらが、良かれと思って注いだ光が……?」
ボリス先生の顔から血の気が引く。
サラはグラニドの左後ろ脚の付け根――鱗が不自然に逆立っている箇所を指差した。
「先生、グラニドのこの『逆鱗』を一枚、浮かせられる? 磁力か何かで、筋肉に刺激を与えないように、優しく」
周囲に控えていた若手術師たちが「逆鱗に触れるなど正気か!」と騒ぎ出す。
「静かにしろ。よい。私が責任を持つ。」
まだ周囲がざわつく中ボリスが力強く杖を握りしめた。
「……黙れと言ったはずだ! サラ、ワシが最高位の磁気魔法で鱗を浮かす。貴様はその隙間に……何をするつもりだ?」
「切開して、中を確認します。魔法では見えない『原因』が、そこにあるはずよ」
ボリス先生が杖を振ると、鋼鉄よりも硬い鱗が一枚、魔法の力でゆっくりと持ち上がった。
そこには、赤黒く腫れ上がり、ドクドクと拍動する異様な患部が顔を出していた。
「ボリス先生! ライトを一点に集中! 中を焼かない程度に、一番明るく!」
「心得た!!」
かつては王にすら頭を下げなかった老侍医が、サラの指示通りに「照明係」として膝をつく。
サラは魔法メスを握り、グラニドの耳元で囁いた。
「いい子ね、グラニド。……今、痛みの元を追い出してあげる。もう少しだけ、我慢して」
グラニドの呼吸が答えるようにゆっくりになる。
鋼のように硬い皮膚にメスを立てる。
魔法で麻痺させるのではなく、ピンポイントで神経を避け、炎症の芯へと向かって切り進んだ。
魔法使いが「魂の浄化」と呼ぶものを、「物理的な排除」で片付ける。
溢れ出す膿と古い血。その奥底に、メスが『カチリ』と硬い何かに当たった。
「……あった。これよ」
サラが魔法ピンセットで引き抜いたのは、魔力を帯びて不気味に脈打つ、一本の「魔族の矢の破片」だった。それも、返しがついた卑劣な形状の。
「……何だと!? 矢だと!? グラニドは一ヶ月前の紛争以来、一度も前線に出ておらんぞ!」
「一ヶ月前から、ずっと中に残っていたのよ。鱗の隙間から深く入り込んで、筋肉の奥の血管付近で炎症を起こしてた。……魔法で外側だけ綺麗に癒やしてしまったせいで、傷口が塞がって、毒素と異物が筋肉の中に閉じ込められちゃったのね。外から光を浴びせるたびに、この破片が魔力に反応して、中をズタズタに傷つけていたのよ」
サラがその破片を銀のトレイに放り出すと、グラニドを包んでいた狂暴な魔力が、嘘のようにスッと霧散していった。馬房を包んでいた狂暴な振動も一緒に収まる。
「……おお……。グラニドの呼吸が、穏やかになっていく……あんな、指先ほどの破片一つに、これほどの巨躯が……」
ボリス先生は呆然と、サラの手元を見つめていた。
聖院の全員が「魔力の乱れ」という結果ばかりを見ていた時、「痛みの根源」はずっとそこにあったのだ。
治療を終え、グラニドが数日ぶりの安らかな眠りについた後。
サラは血と泥で汚れた手を拭いながら、大きく息を吐いた。
「ボリス先生。魔法は万能じゃないです。……これからも私は私のやりかたで聖獣を助けたい。」
ボリス先生は、自分の杖をじっと見つめ、それからサラの目を真っ直ぐに見て、深く、深く頭を下げた。
「……サラ・コレット。いや、サラ先生。……ワシは今まで、眼前の命ではなく、自分の魔法の正しさを守っていた。……貴様こそ、この聖院の救世主だ。これから毎日、ワシにその『診断』とやらを教えろ。一分たりとも逃さんぞ!!」
「えぇ……。ここでもまた残業確定じゃない……」
寒い地下で疲れ果てて座り込むサラに、ボリス先生は自分の豪華なマントを肩にかけてくれた。
ボリス先生は顔を上げると、少し照れくさそうに、けれど不敵に。
「明日からは、ワシが貴様の助手だ。……さあ、講義を始めようか。まずは、その『炎症』とやらの仕組みを、ワシに詳しく教えろ。一分たりとも、眠らせんぞ!!」
「えぇ……。和解した途端にスパルタ教官になるの、やめてもらえます……?」
サラの呆れ顔に、ボリス先生は子供のような笑みを浮かべて。
魔法と科学。二つの異なる力が重なり合い、この世界の歴史が根底から覆され始めた瞬間だった。




