episode1
私、一条 真白は恵まれている人間だと思う
両親はとても温かい人で、常に安心とぬくもりを与えてくれた
自分の好きなように、やりたいようにと見守ってくれることが多く、小さな発言ひとつひとつにも真摯に向き合ってくれた
自分が間違ったことをした時には強く叱られたが、何故そういったことをしたのか理由も聞いて、最後には優しく抱きしめてくれた
そんな環境のおかげか、のびのびと育ってきたし
そんな両親が大好きで尊敬していた
物心がついた時から、勉学や運動も人並み以上にそつなくこなせることに気づき、周りは羨望の眼差しを向けてくることが多かったが、自分にはよくわからなかった
人付き合いに困ったこともなく周りの空気を読んでニコニコと笑っていれば、みんなが笑顔になってくれた
高校にあがった時は、初めて好きになった人と結ばれその後も順調に付き合いが進み、今では四年ほどになる
毎日がキラキラしていて、彼と見る景色は見たことのないものばかりで
とても、幸せだった
私は、今まで苦労や挫折という経験をしたことがなかった
だから思いもしなかった…
「ふざけないでよ!!!!」
怒号と共にバシャリと水飛沫があがる
「…………ごめん」
「ごめんって、なにが?なにに対してのごめんなの!?」
カフェで激昂している女性と、グラスに入った水をかけられ、ただ俯く男性に周りの人達はざわめきを隠せない
周りの視線などお構いなしに、ただ謝る彼氏を前に私はどんどんヒートアップしていく
「なんとか言ってよ!!」
「……好きな人が、できた…。だから、別れたい…」
私には付き合って四年経つ恋人がいる
晃とはお互いに高校が同じで、一年生の時から付き合い始めた
彼と過ごす時間は、とても居心地がよくこの先もずっと一緒にいたいと思えるような相手だった
彼もそう思ってくれているのだと…
大学が別々になり互いに忙しくはあった
高校の頃と比べて会う回数は減ってはいたが、大学生活も充実していたし、たまに会って顔を見るだけでも私にとっては充分だった
久しぶりに会おうと連絡がきた時はすごく嬉しくて
前から行きたいと思っていたカフェで待ち合わせをし、今日のために張り切ってお洒落もしてきて有頂天になっていた
しかし、実際は違った
会うと早々に別れ話を切り出され、一気に頭に血が昇った私はグラスに入っていた水をかけ、彼を怒鳴り一方的に責め立てていた
「なにそれ!私たちの今までの信頼関係や時間はなんだったの!?」
ただ下を向く晃に、悲しさよりも怒りが沸々と湧いてくる
大学が別々になっても、会う回数が減ったとしても
お互いの気持ちは変わらないと信じていた
信じていたのに、久しぶりに会えるからと浮かれていたのは自分だけだったということが、酷く惨めに感じた
先ほどから下ばかり向いて、苦虫を潰したような顔をしていた晃はボソボソと話し始めた
「……真白の、いつも自信があるところが好きだった……。でも…、真白は俺がいなくても、一人でも問題ないだろ?
………その子には、俺がいないとダメなんだ」
「………っ!」
衝撃的な言葉を前に思わず絶句する
まさか、そんな風に思われていたなんて…
『真白は真白らしく』
両親のその言葉を素直に受け入れて育った私には、いつも自信があり前を向いていた
その自信のせいで、大切な人が離れてしまうことを考えたことはなかった
予期せぬ言葉に冷静を取り戻し、少し落ち着いて彼の様子を伺うと
こちらを見ようとせず、目すら合わせようとせず、ただただ気まずそうに下を向いている姿がそこにはあった
その瞬間、心の中でなにかが ストン、と落ちた気がした
彼の心はもうとっくに離れているのか、と実感し
憑き物が落ちたように驚くほど静かな口調で
「そう。今までありがとう」
そう言って席を離れた
「真白!!!……ごめんな…」
晃はただ謝っていたが、私にはそれがなんとも惨めで辛く、泣く気持ちを堪えてその場を足早に去った
「誰が泣くもんですか…」
私はこの日、初めて大切な人を傷つけて失うという辛い経験をした