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幽霊教授

僕は、死者の介護をしている。つまらない仕事だ。


「おはよう。ヌベル君。すまないが今日も頼むよ。」


そう声を掛けて来たのは、魔素の塊が死者の記憶や意思を持ってしまった哀れな存在だ。まるで自分がその死者本人であると主張するかのように人の姿をとってはいるが、そこに顔や服、髪型などは再現できていない。要は白っぽい霧が人のシルエットをとっているだけだ。


「おはようございます、教授。今日も学生達へのご指導お願いします。」


不快だ。一応恩師とも呼べる存在に最低限の敬意は示す。このエドワード・ストーンと名乗る男は幽霊だ。幽霊は精霊の一種で、純粋な精霊と違う要素の一つに実際に生きていた存在の記憶や意識を持っているというものがある。ただしこれが生前の人物そのものなのか、記憶や意識をただ魔素がコピーしただけなのかは明らかじゃないらしい。僕の知った事じゃないが、少なくともこの男は死後もわざわざ教授を勤めてまで教える内容など持ち合わせていない。だが幽霊を見る事も聞く事もできないような奴らにとっては、幽霊になっても教鞭を執り続けるこの男はどうも重宝されているらしい。わざわざ死者から生きる上での哲学の教えを受ける学生達も不憫だ。


僕はそんな幽霊、哲学教授であるエドワード・ストーンの通訳のようなものだ。一般的に幽霊を知覚できる人物は少ない。だから知覚できる僕のような人物が幽霊の言葉を伝える。幽霊を知覚できる人物は非常に希少だ。中には幽霊を自らに降ろし、知識や技術を自らの力にする大魔法使いもいると聞く。


幽霊が知覚できる者は要するに精霊を知覚できる者だ。幽霊を含めた精霊という存在は魔素によって作られた核を中心に、莫大な量の魔素が集まって生まれる。生まれてからは魔素を取り込む事はできず、存在する中で魔素はどんどん消費されるが、まず生まれる時に取り込む魔素量が莫大すぎるから数千年存在を保つ精霊もいるらしい。分類上、莫大な魔素と共に最初から精霊として生まれたもの(つまり何らかの幽霊でないもの)は純精霊と呼称される。対して幽霊は"生前"を持ち、純精霊と比べ圧倒的に生まれる際に取り込む魔素量も少ない。"幽霊"が"生まれ"るなんて皮肉な言葉だ。笑えてくる。


このエドワード・ストーンは聞くに12年ほど前に幽霊になり、存在は後数年程度しか保てないらしい。魔法でも使おうものなら存在を保てる年数はさらに短くなるだろう。そんな短い貴重な時間でやっている事はありふれたくだらない"哲学"とやらだ。頭の中でぐだぐだ考えて「自分は生きる意味を少しでも見つけたんだ」なんて事を宣うのは生きている奴だったとしても負け犬だろう。


けど生きていく上では金が必要だ。だから僕は幽霊教授の"価値ある授業"を学生達に伝えるだけという立場に甘んじている。まるで蓄音機のように。自分の意思を介さないただの機械のように。


…こんなはずじゃなかった。僕だって大学で学びたかった。教授と呼ばれるような研究をし、科学史に名を残したかった。だがただ生きる為だけにも必要な金は、学ぼうとすればさらに必要になる。僕には学べるだけの金がなかった。生きていくための金も足りないから、この幽霊を知覚できるという力を金に変えるしかなかった。


最初は形はどうあれ大学という機関に所属して学術研究の一助になるならと思っていた。それこそ|幽霊教授|《ストーン教授》の講義に携わり、自分の見識を深められるども考えていた。なのにその実態はどうだ?大学は僕のような学生でも教授でもない"蓄音機"にはそういったものに近づく事を許さない。僕はただありふれた|哲学|《頭の中で片付くこと》を教える幽霊の言葉を一字一句正確に代弁してやることしか許されていない。これじゃあまるで僕自身は誰にも必要とされていないみたいじゃないか。


|幽霊教授|《ストーン教授》の講義も結論的にはソクラテスをはじめとする哲学の先人達の理論に近いもののようだ。結局人が頭で考える事は変わりがないのかもしれない。もしただ哲学を学ぶだけならカントの講義を聞きに行ってみたい。幽霊の哲学を学べるならもっと独自の視点があると思っていた。だが実際は幽霊になってもこのエドワード・ストーンは平凡な一哲学教授でしかない。…悔しいが、ストーン教授は優秀ではある。そのストーン教授が一度死を経験しても理説が変わらないなら絶望的だ。


・・・・・・・・・・・・・


今日もまた、"蓄音機"は役割を終え、家路を辿っている。|幽霊教授|《ストーン教授》はいつも通り大学の図書館にでも…

「ヌベル君、少し話をできるか?」


ふと背後から声が聞こえた。振り向くとそこには僕が言葉を伝えなければ、存在を証明する事すら困難な男がいた。


「どうされましたか教授?何か僕に本日の授業の不手際がありましたか?」


「いや、そうじゃない。私の寿命…いや、幽霊に寿命という表現は適切ではないな。残された時間に関しての話だ。」


…知ってはいた。僕が以前大学の図書館に忍び込んで、初めてストーン教授に出会った時、彼は既に何年も幽霊として存在していた。10年以上存在を保てる幽霊はそもそも稀なんだ。


「…残された時間で、何をするおつもりですか?」


ほんの少し、皮肉を込めて問うた。


「ついて来てくれ。そこで話そう。」


僕は静かに教授の後ろをついていった。…認めたくないがストーン教授は優秀だ。先人達の理論も、決してそのまま自身に採用するのではなく、再解釈と熟慮を行った上で取り入れる。わかっている。だが認めたくないんだ。彼が優秀だと認めてしまえば、人は人を超えられない事になってしまう。そして幽霊になってもそれは変わらず、僕は"蓄音機"以上の存在になれない事を意味する。認めたくなかった。


ストーン教授の後を歩き着いた場所は大学の図書館だった。深夜の図書館は月明かり以外の光源はなく、忍び込み月の薄明かりで書物を読み漁っていた過去の自分を思い出させた。ストーン教授は僕に向き直り、静かに間を置いた後、話を始めた。


「私が君に今から話す事は、君の今後についてだ。」


「…確かに教授が消えれば僕は職を失います。ですがそれを教授は気にする事はありません。」


「いや、そうではない。ヌベル君、君は私と初めて会った時、この図書館に忍び込んだ理由をただ知りたかったと言った。」


幽霊である教授の目は見えない。だが彼が僕の事を正面に見据えている事はわかる。


「貧民街の少年が金の為に本を盗むのではなく、ただ読みたいからというだけで、身を危険に犯したんだ。私は驚愕したよ。君の知的探究心は、尊敬に値する。」


思いもしない言葉が教授の存在から発せられた。


「だからこそ、君には私を研究してほしいんだ。」


「どういう事ですか?」


「君は学術的に幽霊を見ている。君は気づいていないかもしれないが、現在幽霊に関する文献は非常に少ない。私も自分が幽霊の身でありながら、君ほど幽霊についての知識を有する者は知らない。」


「幽霊を感知できる者なら誰でもこれくらい…」


「…いや。我々人類はそもそも魔素というものを感知できない。魔素というものそのものが、ただの予測によるものなのだ。にも関わらず、君は魔素と幽霊の関係性について非常に理にかなった理論をさも当たり前の知識かの如く話す。」


知らなかった。確かに幽霊に関する文献は忍び込んだどの図書館でも見つからなかった。


「君にとっては当たり前の事かもしれない。だが私をはじめ、人類には君の力が必要なのだろう。…実は私は君と出会った時、絶望していたのだよ。幽霊という理解不能な存在になったにも関わらず、命のあった…人間であった時と何一つ変われない自分自身に。だが、君のような才能に出会った事は、私はまだ消えられないという"未練"になったんだよ。」


「教授は分かってない。僕のような立場の者は、今でさえも各方面からよく思われていません。そんな僕が研究をして、発表なんて出来るわけがありません。」


悲観的な言葉は、自分を期待させない為のものだ。だが、僕の心はもう…。


「…唐突にこんな話をすまない。だが分かっているだろう?私が死後も幽霊として存在し続けている事も、君が図書館に忍び込んだのも、きっと同じ理由だ。そして同じ理由を持って"生きる"人々は存外思いがけない所にいるものだ。」


この言葉に、僕は動かされた。幽霊問い存在について、研究し、他の研究者と言葉を交わし知識を得、後世に名を残す。それは僕の夢だったから…。




後にヌベル・ジギルスとエドワード・ストーンの名は、彼らの死後も幽霊研究における重要参考文献の著者として、引用され続けることになる。

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