introduction 09 Digitial Surrender - 降る世界と委ねる者たち /13
※この作品はフィクションです。実在の団体・組織・企業・人物とは関係ありません。
仮想世界が「現実」となった時代――
企業が支配する電脳世界「インター・ヴァーチュア」。
自由を求める者たち、デジタル生命体(DQL)、そしてコード・フレームワークを駆る戦士たちの戦いが始まる。
この物語は、仮想世界の秩序を巡る戦争と、
人間とデジタル生命体の共存の可能性を描いたSF作品です。
適宜更新予定。
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【Present Day】
チセが狭いトンネルを中腰のまま壁に手をつき、坑口から外へ身を滑らせる。
白い光に瞬きをひとつ。
首を左へ、顎を上げる――外壁に背を預けて、アジエがこちらを見下ろしていた。
「こんなとこで、なにしてたんだよ、お前」
目深にかぶったキャップの下から鋭い視線が向けられていた。
褐色の肌の上で光る切れ長の目は、やはりチセには黒豹を連想させた。
「気分悪くなったから風に当たってた」
「調子ねぇ…… 風に当たるなら他にも場所あるだろうに、なんでここなわけよ?」
「一人になれるから」
嘘はついていない。でも――全部は言えなかった。
いつものチセとアジエとの関係だ。
ある程度の距離感を保って、アジエは決して深くは踏み込んでこない。
最初に出会った頃は身を守るためにかなりデタラメな嘘も混ぜた。
後ろめたいし、今でもたまに誤魔化さないといけないことに、煩わしさすら感じている。
正直、最近はアジエには言ってしまってもいいのではないかとすら思う時がある。
しかし――。
「ふーん。 まっ、いいわ」
そう言葉では流してもアジエの鋭い視線は変わらない。
「あんた、何者だよ?」――そう言われた気がして、チセは思わず目を逸らした。
この視線に射抜かれるとチセの気持ちが縮こまり、開きかけた扉を閉めて、再び警戒という鍵をかけてしまう。
視線を外し、アジエは「よっと!」という掛け声と共に壁から背を離した。
「……そのうちさ、気が向いたらいいからさ、なんでそこが好きになったのか、今度教えてくれよ」
「あれっ?」とチセは違和感を覚えた。
いつもなら、「まっ、いいわ」でそれまでなのに、何か違った。
ふとアジエを目で追うと、そこにはいつものチセがついていくアジエの背中がそこにはあった。
なんでここが好きになったのか――。
そのくらいなら話してもいいのかな。
チセはこの場所を見つけた頃のことが記憶から浮かび上がってくるのを感じた。
あのとき、最初にここを見つけたのは、たしか……。
【Flashback】
あぐりとわたしはアジエに渡されたオベントウというやつにかぶりついた。
「んー」
パンの柔らかい食感の後にサクサクとした衣とジューシーな肉、そしてソースの味が広がった。
その後に一緒に挟まれたいっぱいのキャベツの爽やかさがさっぱりさを与える。
「カツサンド―― おいしー」
二枚の食パン、キャベツと一緒に挟まれたカリッと挙げられたロースの一枚肉。
ボリューム満点のこのカツサンドの味にわたしは感動していた。
オベントウのカツサンド……。
家からお出かけするときに、持っていって外出先で食べもるものをオベントウというらしい。
だから今日のわたしのオベントウはカツサンドということになるらしい。
人間の言葉のロジックはまだよくわからない。
無駄に装飾や接頭が多くて、直感的ではない。
言語の種類も多すぎて、ニュアンスが変わるのも困る。
お風呂での一件で、こんなに種類があるのに、ほとんどの人はジコクゴというのしか話さないということをアジエとの会話で理解した。
本来ならわたしの容姿や、アジエに語った過去の設定から言えばロシア語にするのが適切なのだろうが、とりあえずアジエが普段使っている英語に固定することにした。
どうやら人間たちの言語では最もポピュラーなものらしい。
固定してみたら、よほど意識しない限り全部、英語で聞こえるのだから不思議だ。
まあ、なんにせよオベントウはいいものだと理解した。
この体になってからというもの、活動している間は三時間から六時間おきに食べ物が欲しくなる。
「おまえさ…… 燃費悪いっていわれてね……」
わたしの食事を見たアジエはどういうわけか、そう言ってドン引きしていた。
なんでだろう、よくわからない。
ただ、そのあとからアジエは味の濃い、ボリュームのある、わたしが好む味の食事を選んでくれる。
「いいか…… おまえ…… そのドカ食いは|インター・ヴァーチュア《ここ》だけにしろよ……」
アジエはそういうが、ドカ食とは、なんのことだろう?
そもそも、わたしはこの世界の存在で、アジエたちと違う。
いろいろと調べてみたけど、現実という場所にはインター・ヴァーチュアからは持ち出せないルールらしい。
よって、わたしたちDQLも同様で、現実に出ることはできないようだ。
人間がこちらにデータ化して訪れることができるが、わたしたちが向こうに訪れることはできない。
まあ、正直ピンとこないし、人間もインター・ヴァーチュアに居着いているのだから、現実に行くことへメリットを感じることができない。
あぐりとカツサンドにかじりつきながら考えていた。
現実にあるものはこうやって、|インター・ヴァーチュア《こっち》で全部経験できるし、人間のデータはリアルに閲覧できるしね。
そうしているうちに、γのコクピットの中で、ほんとは本来は跨るパロットシートに横座りし、二つ目のカツサンドを平らげ、アジエの用意してくれた最後の三個目のカツサンドに手を出していた。
そのアジエは、やることがあると言って、ずっと家にいる。
このジクサーにわたしを連れてきてから最初の二日ほどは付き添って一緒に来たが、三日目からは一人で来るようになっていた。
そして、この胸に大きな穴の空いていた|コード・フレームワーク《CF》の修理を始めて、もうかれこれ、二週間ほどになる。
ジクサーに来る時間は毎日、バラバラ。
気が向いたときにアジエの家をでて、ジクサーに来て、γの修理をする。
やれるところまでやったら帰る。
そんな日々が続いていた。
最初に一人でジクサーへと向かった日、始めてアジエにオベントウを持たされた。
「ほい。 作っといたから、持ってきな――」
そう言って、下着にガウンを引っ掛けた姿でオベントウを渡してくれた。
家にいる時のアジエは驚くほどラフだ。
出かけるとはキメるけど、プライベートではかなり身軽な姿で過ごしている。
わたしもマネしてみた――。
なんというか確かに、心が軽いというか、自由というか、そんな気分になれたような気がする。
今ではわたしも、家に帰ると同じように身軽になって過ごしている。
そんなアジエに渡されたオベントウは布で包まれた箱に、食べ物が詰められていた。
出来上がりのデータチップではなく、ちゃんと食材の状態から手を入れられている。
手作りというやつだ。
データ密度が高くなり、同じ方法で作っても人によって差異が出る。
既製データのコピーの方が手軽で均一だけど、同じものを素材データレベルで結合することこと、作り手による差は時に、データの量や複雑さ、密度に依存しない驚きにもつながるということを、わたしはこの人間の食べ物によって知った。
「おまえ、ほっとくとラーメンばっかり食べてそうなんだよ」
オベントウを作ってくれる理由を聞いたらそう言われた。
失礼な話だ…… ヤキニクとか、ピザとか――。
最近は新たにツユだく、ネギだく、肉増し、特盛の牛丼とかラーメン以外にも知っているのだ。
――だが、しかし、アジエのオベントウはそんなお店でたべるものと同じくらい美味しい。
凝ったものではないが、作業しながらでも食べられるようなものを用意してくれていた。
それに普段お店のごはんではまったく食べないお野菜が多いので、実にさっぱりと食べられる。
最後のカツサンドを口の中に押し込んで、アグアグと咀嚼する。
ただ調味料をかけて食材を挟んだだけと、アジエも言っていたが、それでもトンコツラーメンに匹敵する美味だとわたしのお腹も満足していた。
「さてと……」
食べ終わったオベントウの箱を布に包みこんだあと、メンテナンスの端末パネルを表示させた。
使い手による差も、作り手の差と同じようなものだ。
むしろ、よりわかりやすい。
直すにあたってこのγという機体のログや蓄積データを見ることになったのだが、あまりにも汚いそのデータに、呆れるを通り越して…… もはや引くしかなった。
この機体はオーナーが一回、変わっている。
以前のオーナーはこの機体を大破させて手放したらしい。
正確には中核部分のコード・ベースがほぼ失われたようだ。
なので、前のオーナー時代の情報は断片的なログデータ以外は綺麗に消えていた。
どんな修理をしたかはほとんどわからないが、状態から見るに、雑にユニット・ヘッドという部分をコード・ベースごと交換したみたいだった。
しかも無理やり取り付けたらしく、かなりデータを削っている形跡がある。
要するに、このγはそもそも耐久性や構造に欠陥を抱えた状態で売りにだされていたようだ。
はっきりいってヤッツケ仕事だ。
こんな機体を掴まされた今のオーナー…… 悠とかいったっけ―― そいつはかなりのおマヌケだ。
それに問題はその後だ。
その悠の残したログの数々は、みているこっちがげっそりとするようなものだった。
一体、どうやったらこうも短期間に機体を壊して回れるのだろう。
都度、修理を繰り返していたようだが、それもかなりケチっていたようだ。
おそらく自分で直していたと思われる、無理矢理なデータの組み込みや、記述ミスも散見され、処理効率が悪化しているようだった。
詳細をトレースしてみたらデータアクセスの履歴が見事に逆くの字状に出力された。
目的のデータを呼び出すのにフルスキャンをしている証拠だ。
それよりも、とにかくフレームの歪みがひどかった。
部分的に交換は効かないし、後回しにしたのはわかるが、直す前にさらに歪むの繰り返しだったらしい。
この状態では装甲板を外したら元の場所に取り付けるのも至難の技だ。
これを補正するにはチマチマと物理演算しながらデータを修復していくしかない。
機体の構造データの状態も酷いが、扱い方のログをみたらそうなるのも明白だ。
この機体の特性を無視してた操作を繰り返してる。
スペックからはどうみてもヒットアンドウェイを得意としたメリハリのある動きを得意としているように見えるのに――。
ログは常にピークを維持して、機体を休ませずに稼働させ続けていた様子が伺える。
正直、こんな扱いで7万サイクル近くもったのが不思議なくらいだ。
あの、アジエが嫌がっていたのも納得だ。
でも、あの悠というコードライダーの情けない顔と、このγの虚な機械の眼が頭の中で浮かんだ。
そういえば、その悠というコードライダー――。
初日にとりあえずコクピットでデータを確認をはじめて開始三分ほどだった。
いままでみたこともない、薄汚いログデータにドン引きしていたときのことだ。
物音に気づいてコクピットから顔出したら、柳橋に引きずられていくのを見たっきりだ――。
ログの内容にすっかり呆れてすぐに顔を背けたけど、あのときも、あいつはひどく情けない顔をしていた――。
そう、犬とかいう動物の…… そうだ確かチワワだ、あれっぽい感じだった。
その時にはどうして、やるだけやってみようなんて思ったのか自分でもわからないが、とにかくわたしは誓った通り、自分のできることはやってみた。
あの、ぽっかりと空いた胸の大穴はとっくに塞がってる。
コード・ベースは壊れていなかったので、そのまま使ったが、内部から破裂したユニット・ヘッドは丸ごと交換した。
ただ、蓄積データを考慮するためにヘッドの構造データは削るしかなく、元々低くなっていた耐久度をより落とすことになってしまったが、仕方ない。
他にもおかしいところの補正や修正、再構成を行い二日前にようやく再び始動できそうな状態にまで戻すことができた。
あとは細かい、チェックをクリアすれば完成だ。
「今日はこんなもんかな」
パネルで確認して、結果に満足したわたしはスワイプしてγのデータからジクサーの艦内データに画面を切り替えた。
時間を確認すると19:30だ。
ご飯も食べたし、今日も少し冒険しよう。
修理がピークを過ぎた頃からわたしはちょっとしたお散歩をしている。
どうやらわたしは、このライナーというものが存外、好きならしい。
サンタクララでもわたしはかなりの時間、船内でウロウロと歩きまわっていた。
このジクサーはオーシャンライナーのサンタクララと比べれば遥かに小型だ。
それでも、数十人のクルーが数ヶ月は生活できるだけの機能と大きさがある。
それだけでなく、やはりライナーという存在の雰囲気…… 機能的な形は、くまなく見てみたい―― と、そうわたしの欲求をかき立てた。
「後ろの方は、ほとんどまわったなぁ……」
居住エリアが集中している後部デッキはほとんど見てまわってしまった。
今いるCFハンガーはそんな後部の居住エリアの真下、ジクサーの最後尾に存在している。
表示された艦内の構造データとマップを確認する。
今いるここは、最下層から三デッキ分を吹き抜けにし構造で、さらにハンガー兼武器庫という役割から、ジクサーの機能部分から隔離されるようなブロックになっている。
エレベータか階段でフロアの壁にある中層と上層部にある通路へ上がり、そこから船内に通じている。
そういえば、下層デッキはまだほとんどまわっていなかったな。
「えーと、一旦、中層通路から食堂を通って、奥が機関操縦室兼応急指揮所で、そいつを通りすぎると、資材庫があってその先が中央部のエレベータと上下昇降階段と……」
そこから前方デッキへは、下層もしくは上層デッキに上がらないと進めないらしい。
前方の昇降階段の途中で目が止まった。
「えーと、ここ―― 何かあるな……」
前方階段の途中に、不自然にステップフロアのようになっている部分があり、そこに大きな扉らしきものがある。
そこは船の最前部のはずなのに……
「この先って?」
わたしはジクサーのライナーとしての種別を思い出した。
接舷強襲艦…… アボルタージュ・クルーザー。
そうだ、この扉の先はアボルタージュ・クルーザーを象徴するものがある場所だ。
そう、戦闘衝角だ。
「へぇ…… あそこ中に入れるんだ」
いままでただの超硬質データの塊かと思っていたが、艦内データをみると、どうやら違うらしい。
「おもしろそ――」
よし、今日はここに行ってみることにしよう。
わたしはトンッと横座りしていたシートから飛び降りた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
この物語は、仮想世界の秩序と、
人間とデータの境界を巡る戦いを描いていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます!




