introduction 09 Digitial Surrender - 降る世界と委ねる者たち /11
※この作品はフィクションです。実在の団体・組織・企業・人物とは関係ありません。
仮想世界が「現実」となった時代――
企業が支配する電脳世界「インター・ヴァーチュア」。
自由を求める者たち、デジタル生命体(DQL)、そしてコード・フレームワークを駆る戦士たちの戦いが始まる。
この物語は、仮想世界の秩序を巡る戦争と、
人間とデジタル生命体の共存の可能性を描いたSF作品です。
適宜更新予定。
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【Present Day】
ブーツの音を響かせながら進むたび、照明がアジエに続くように、明滅を繰り返す。
見た目は古めかしいが、こういったエネルギー消費を抑える機能はしっかり装備されている。
とはいえ、現実の世界の省エネとはいささか理由が違う。
仮装現実世界であるインターヴァーチュアではデータとして再現することでエネルギーの供給自体は無限だ。
シミュレーションの世界で枯渇する資源などあるわけがない。
それでも、現実と同様に、むしろ場合によっては神経質に対策するのは、コード・ベース自体の処理上限対策のためだ。
例を挙げれば、コンセントからタコ足配線し、使いすぎてブレーカーが落ちるを避けるというのに似ている。
コード・ベースは高負荷が続けば、処理の遅延や停止などが発生しオーバーヒートのような状態に陥る。
実際にそれは圧と熱という物理演算に置き換えられ、時に破壊というシミュレーションとして仮想の現実となるのだ。
だから無駄な処理を最小限に抑えるようなオートメーションは必然となっている。
そうした照明装置の仕組みに追いかけられるように、前方デッキへと続く階段に向かって歩いているアジエには、チセのいる場所の検討がついていた 。
おそらくは、アタックラムにある見張り台だ。
(なんであんな場所を気に入ったんだか……)
チセがアルマナックに入った頃に、何やらそこでコソコソとやっていたようだが、それ以来、何かというとあそこから外を眺めるようになった。
詮索は趣味ではないのだが、そのうち何をしていたのか聞いてみてもいいだろう。
出会う前の過去の話には踏み込まないが、縁がついてから後の話ならバチは当たるまいとアジエは思った。
なんせ、今や、ほぼ姉みたいなものだし……。
気になる理由は他にもある。
アジエ自身がその程度にはチセに深入りするに至ったきっかけ――。
あの才能に気づいたのは、そんなコソコソしていたチセに「いつ帰るんだ」と聞いたあの、後のことだったからだ。
【Flashback】
じっくりと時間をかけて淹れたコーヒーをすすりながら、私は再び、目の前の命題に挑んだ。
――挑んだ、だが、しかし……現実は厳しい。
まずは基礎から見直す。
変数φ(t)、α(t)、それに履歴項∫₀^t h(τ)dτ。
これらが互いに従属しているか、それとも独立しているか。
そんな初歩的な問いから潰していく。
……駄目だ。どれも整っている。
分散も揃っているし、連続性も保たれている。
正規性も破綻していないし、相関係数に異常もない。
「違う……そうじゃない。 数式は、美しい。なのに、結果が死んでる」
次に試したのは、履歴項の再定式化だった。
単なる積分ではなく、過去の重みを変えてやれば、何かが変わるかもしれない。
畳み込み関数、指数減衰、ラプラス変換……。
だが、たとえ収束性が改善されたとしても、崩壊現象は止まらない。
不安定な挙動ではなく、むしろ圧壊―― 確実で、機械的で、逃れようのない破滅だ。
「履歴のウェイトを変えても、何かが壊してる……」
それならばと、初期条件を変えてみた。
スクイーズド状態、コヒーレント状態、熱分布……。
境界条件も、周期的から吸収型へ、あるいは一部を自由境界にしてやることで、逸脱を補正できるかと考えた。
が、結果は予想を下回った。
崩壊点は場所を変えるだけで、必ず現れる。
むしろ、逃げ場を塞いでやるほど、崩壊は早まる傾向にあった。
「なんだこりゃ―― どんな境界でも、壊れていく……」
冷めかけたコーヒーを片手に、思考を簡約化する。
パラメータを3つに絞って、グラフ化。
2D、3Dプロットで特異点や臨界域を探し出そうとした。
けれど、見えるのは平坦な曲面ばかり。
異常な点はどこにもない。
逆に、最も穏やかに見える部分で突然、崩れる。
「なんで……? 爆発じゃない、暴走でもない……。 ただ崩れてく……」
次に試したのは、観測の導入だった。
私は、これまでのモデルにあえて第三者的センサ=測定演算子を付加した。
元来この系は「観測者がいない」前提で成立していたものだが、ならばいっそ、外から測るという前提を加えることで、なにかが変わるのではないか……と。
いわば、見えない目を一つ、人工的に置いてみたのだ。
結果は――
壊れた。
厳密には、結果が不安定化した。
観測タイミングを少しずらせば、爆発的なノイズ。
逆にリアルタイム測定に近づけると、結果がランダムウォークのように揺れ出す。
観測の仕方次第で、世界そのものが揺らぐような挙動。
私は、数式を睨みながら思考を巡らせた。
センサを置いた。
観測も行った。
反応もあった。
――でも、どこかが決定的に足りていない。
物理量の取得?
因果のトリガー?
あるいは、意味の付与……?
いや、それすら曖昧だった。
私は、数式を睨んだまま、思考が止まった。
空中に浮かぶ、ディスプレイがぼんやりと歪んだ。
(ファーック…… だーめだ。 どこにも進まねぇ――)
良質で濃密なカフェインを摂取したつもりだが、どうもデータが反映されていない――この世界が再計算してくれないのか、私のプロセスがバグってるのか――。
それとも、そんなもの焼石に水なのか、眠気が一気に侵食してきたのを感じた。
チェアの背に身を委ねると、背もたれが体重を受け止め優しく、ゆっくりとリクライニングした。
徒労が堪えた。
こんなに堂々巡りをするのは初めてかもしれない。
私は椅子の背に身を委ね、そっと目を閉じた。
意識が沈む。
過去のノイズが、遠くの海鳴りのように近づいてくる――。
何やら投げやりな気分になった私の意識は無駄な抵抗をやめて、欲求に委ねて吸い込まれていった。
ゆっくりと瞼が落ちるのを感じた。
――
ぼんやりと意識が泳いでるような感覚を感じていると、瞼を閉じているはずのに、フワフワと景色が浮かんで輪郭を形作るのを感じた。
明るい光が入る窓、古めかしいけど、――。
あー、懐かしい―― リケット・ハウスの部屋だ。
様々な幸運が重なって、私は十四歳のとき、飛び級でカルテックに入学した。
そして、故郷のナイジェリアを後にして、アメリカに移住したんだ。
カルテックの八つのハウスのうちPrend moi tel que je suis(そのままの私を受け入れて)というモットーを気に入ってリケット・ハウスを選択した。
デスクが下に収まった、ロフトベットが二つ――。
典型的な二人部屋。
部屋に入ると、大きな姿見が置かれていてそこに一人の女の子が映っている。
大きなスーツケースを引きずり、左手で分厚くて、デカい本を抱えている。
やぼったいメガネ――。
その奥では、異様に鋭い目だけが浮いて見えた。
ゴワついた髪を無理やりツインテールにまとめている。
左右で高さもバラバラで、まるでチアリーダーのボンボンを無理やり貼りつけたような、不器用な髪型だった。
濃紺のブレザーに白いシャツ、赤と黒の膝丈のプリーツスカート。
首元には赤白ストライプのネクタイ。
着こなしはどこか硬くて、着せられてる感が丸出しだった。
学年で誰よりも正確な数式を操りながら、スカートの丈の折り方すら知らなかった。
まったく、気恥ずかしい―― それは、かつての自分だ。
左手の、ベットの上で誰かがムクリ身を起こす気配を感じて目を向けると一人の女が私を見つめていた。
その姿に私は息を飲んだ。
顔立ちと、私と違う真っ直ぐで、光沢のある真っ黒な髪から東洋系だろうとは思う。
ブラウンの瞳がじっとこっちを、見ている。
私が驚いたのはその女の服装だ。
ベットの、フレームに肩肘を乗せたその女の第一印象はまるで食虫植物を思わせた。
真っ黒な髪は炎のように逆巻き、服は私と同じ赤と黒の柄だか、凄まじく赤が極彩を主張している。
黒の部分にしたって、レースやら、ベルトやらがゴテゴテに飾られている。
目元は紫のアイライナーがクッキリと引かれ、これまた唇は毒々しいほどに赤かった。
パンクともゴシックともつかない、服装。
とにかく一目見たら忘れない。
そんなド派手な姿だった……。
「んー。ああ、例の天才ちゃんねー」
女は一瞬たけ目を細めて私を見るとそう言った。
「あっはー。 ずいぶんと、かわいいオデコちゃんがきたわ。 今日から相部屋じゃん、シクヨロー」
女は右手で人差し指と小指を立てたコルナサインを作り、私に振りながらそう続けた。
オデコのことを言われた私は真っ赤になって、あわてて本で隠した。
この頃は広いデコに、随分とコンプレックスを抱えていたものだ。
(とんでもないやつと相部屋になってしまった!)
驚きと、後悔と、羞恥とが入り混じった、そんな私を毒々しい女は腹を抱えて笑っていた。
ああ、懐かしい――。
Prend moi tel que je suis(そのままの私を受け入れて)なんて言葉に惹かれたのに、当時の私は自分自身をちっとも受け入れてなんていなかった……。
そんな感慨に耽ると、次第にまた景色は崩れて暗闇に溶けていく……。
――
うっすらと閉じた瞼越しに人工的なディスプレイの白い光を感じながら意識が浮上してくるのを感じた。
どうやら夢を見たらしい。
仮想現実の世界でも睡眠欲求は湧く。
意識を電気信号的に繋いだ、言うなれば眠りの中の夢のような世界の中で、さらに見るものが果たして夢と言えるのかというのは一旦置いて、そんなおセンチなものを自覚したのは久しぶりだ。
しかも小娘だった頃の自分――。
うっ……しまった。
うーむ…… とうとう自分もかつての私を小娘と呼ぶ程度には歳をとってしまったようだ。
ママと呼ばれるのは精神的にノーだが、十四歳の自分と、二十七歳の自分との差―― こればっかりはどうしよもうない現実だと私は受け入れることにした。
なんであんな夢を見たんだろうか。
近くに気配を感じて、薄っすらと目を開けた。
チェアをリクライニングさせた私の隣にはいつの間にか、チセが化粧台の丸椅子を持ってきて座っていた。
(こいついったい、いつ帰ってきたんだ……)
ちらりと画面の中の時計を見ると、どうやらあれから三時間ほど寝ていたらしい。
チセといえば、帰ってきて脱ぎ散らかしてそのままここに来たというのが丸わかりの姿だった。
上半身はトレーナーを着ているが、下は下着のまま――。
こっちも下着にガウンなんて姿で、人のことは言えないか――。
そのくせ、靴下は履きっぱなしで丸椅子にあぐらを描いてディスプレイを覗き込んでいた。
数日、過ごしてわかったがチセは見た目に反して、相当にガサツだ。
そして、その手には―― カップ麺とフォーク……。
仮想現実とはいえこの時間に食う代物か?
この娘は本当に、なぜかよく食べる。
ズルズルと麺を啜ると幸せそうな顔し、直後にまたジーっとディスプレイを凝視する。
たまに手を空中でスワイプさせて何かを確認するとまた麺を啜る。
(何してんだ……)
まだ頭がボーっとする私は薄目でそんなチセを眺めていた。
最後にスープを飲み干すと、カップをデスクの上に置いた。
すると、空中で指を連続で弾きはじめた。
ディスプレイがその指に合わせて綺麗に整列していく。
綺麗にそろったディスプレイを順番に読み解いているかのようだった。
最後のディスプレイを確認すると、チセはそのディスプレイたちを真ん中で押し除けるように手を動かした。
中央に真っ黒で大きなディスプレイが出現した。
「たぶん、コレだよね」
そう一言つぶやくとチセはディスプレイに指を走らせた。
黒光りする仮想スクリーンの前に立ち、じっとそこに浮かんだ私の数式が表示される。
チセはそれを見つめる。
艶のない黒に、青白いフォントが静かに浮かぶ――静謐な、完成された演算モデル。
Ψ(t) = f(φ(t), ∫₀^t h(τ)dτ, α(t))
私はその式を、削って削って削り抜いてここまで絞り込んだ。
数理的には完璧なはずだった。
でも――結果は動かない。崩れる。壊れる。
「……」
チセは無言のまま、ディスプレイの余白にそっと指を伸ばした。
静電反応もない、無機質なはずの画面が、まるで生きているかのように、波紋を広げる。
チセの指先が描いた軌跡を、光の粒子がなぞるように走り―― 余白に、異質な数式が加わっていく。
Ψ_out(t) = Tr_O [ U_QNN ( |Ψ_in⟩⟨Ψ_in| ⊗ |O⟩⟨O| ) U_QNN† ]
トレース演算……。
観測者項だと?
私が最初に切り捨てたはずの―― 外部、それが加えられている。
「それ、見るヒトがいないんだよ」
チセの小さな声が、仮想空間に落ちた水滴のように静かに響く。
音もなく、光が生まれた。
静止していたはずの演算対象―― それが、動き始めたのだ。
「とりあえず―― わたしが見るヒト」
その言葉と同時にシミュレーションが起動する。
ディスプレイに浮かぶのは、視覚映像と、そして機体の状態。
どうやら、グレートフラットの景色だ。
「そーれっ。 ポチッとな」
とぼけたセリフで空中に浮かんだボタンのようなオブジェクトをポンと叩くと、視覚映像が一変した。
急速に歪み、一点へと収縮していく――。
崩壊するのか? いや違う、機体の状態は圧壊ではなく維持されている。
私の意識はすでにハッキリとしていた。
だが、まるで金縛りにあったように画面に目は吸い寄せらせ、その光景を見ることしかできなくなっていた。
(なんだ―― ネクサス・リンク? いや、ちょっと違う――)
光を引いたような―― 粒子の流れるような光景が数秒続いた……。
――そして、その瞬間。
収束していた一点から、フラッシュを焚いたように光が膨張するかのように弾けた。
視界が強烈な光で焼きついた。
目が眩んだ――。
一度、ギュと目をつむってからゆっくりと再び細く目を開く。
私は、息を呑んだ。
どこの景色だ? これは街か?
キラキラと輝きを見せる構造物で構成された景色が広がっていた。
「うん、できた」
満足そうに、そう言うとチセは左手でディスプレイを払った。
見たこともない構造物で構成されたその街並みはディスプレと共に空間に溶けて、消えていった。
一仕事終えたという感じで、チセはカップ麺の器を握って、丸椅子から立ち上がりソロソロと部屋から出ていった。
チラリと一瞬、私の顔を覗き込んだが狸寝入りを決め込んだ。
気配が消えたあと、私はむくりと身を起こした。
愕然と共に、今、私は感動すら覚えていた。
「測定じゃなく、観測が世界を決める」
あの男の言葉が頭の中でリフレインしていた。
これまで、この世界にどっぷり浸かり、見てきたつもりだった。
でも私は、結局のところ式と、既成の理論に囚われていたと思い知らされた。
誰かが見るという前提なしに、この演算は意味をなさなかった。
意味のない演算は、現象に触れることができない。
必要だった、その一項―― それは観測者の項。
|O⟩⟨O|―― 誰かがそれを見る状態の導入。
それが、このモデルに世界を与える最後の鍵だった。
しかも、得られた結果は私が考えていた以上の内容だった。
チセは瞬時にそれを見抜いて、書き加えた。
それがごく、自然に、まるで当たり前のように。
結果すらわかっていた。
私はたらりと胸元に冷たい汗が流れたのを感じた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
この物語は、仮想世界の秩序と、
人間とデータの境界を巡る戦いを描いていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
この物語は、仮想世界の秩序と、
人間とデータの境界を巡る戦いを描いていきます。
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次回もお楽しみに!
外伝 デジタル娘は腹が減る:チセの日常飯日記
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設定などをインターヴァーチュア・ガイドで不定期に投稿しています。
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