introduction 09 Digitial Surrender - 降る世界と委ねる者たち /10
※この作品はフィクションです。実在の団体・組織・企業・人物とは関係ありません。
仮想世界が「現実」となった時代――
企業が支配する電脳世界「インター・ヴァーチュア」。
自由を求める者たち、デジタル生命体(DQL)、そしてコード・フレームワークを駆る戦士たちの戦いが始まる。
この物語は、仮想世界の秩序を巡る戦争と、
人間とデジタル生命体の共存の可能性を描いたSF作品です。
適宜更新予定。
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唸るような音に包まれていた機関室から廊下に出ると、嘘のように静けさだった。
ジクサーの無機質な廊下は現実の巡洋艦の船内を模したものだ。
鈍いベージュの壁と緑色のタイルの廊下……。
居住性など二の次の戦闘艦なのだから、殺風景なのも当たり前で、特に船底に近い機関区画の廊下など港にいる間は特にひっそりとしたものだ。
さてはて、筋肉ダルマ言うところのプリンセスはどこで拗ねているのやら。
「姫ねぇ……。 確かにみてくれだけは姫だわ」
アジエは一人ごちながら、映像の光に照らされた、あの緑色の瞳を思い出していた。
そして、その時にチセのセンスを確信したあの言葉もだ――。
チセは言ったのだ。
「それ、見るヒトがいないんだよ」
知識ではなく、ごく自然に、チセはあの理論の不備を言ってのけた。
アジエは自分をいっぱしの研究者であり、識者だと思っている。
その思い自体は変わらない。
でも、その言葉は自分の感覚の限界と、改めてあの男の言葉と姿をチラつかせることになった。
「測定じゃなく、観測が世界を決める」
自身の人生を変えさせた言葉があれ以来、チセと重なるのだ。
言葉と記憶が溶けていくような、アジエは今、そんな感覚を味わっていた。
……ふと、かつての夜の記憶が脳裏をよぎった。
【Flashback】
「Damn it! うーん…… だめだこりゃ……」
お気に入りの緑の下着姿にメガネというカッコで私は愚痴った。
風呂上がりに一仕事しようと思ったら、すっかりそのカッコのまま集中してしまった。
でも結果は散々だわ。
ディスプレイの中でグチャグチャの鉄塊になったシミュレーション結果をみながら顔を歪ませ、頭をボリボリと両手でかきむしった。
|カリフィルニア工科大学の教授連中がまた小煩い説教メールをしてくるのでそろそろ、一発かましとくかと思ったらこのザマだ。
ガキの面倒見すぎて鈍ったかなぁ――。
「イヤイヤ! ダメだ! 考えるな……」
久しぶりにかけたメガネを外して、目頭を指で押した。
そんなこと考えてるから、「ママ」なんぞと呼ばれるんだ。
「私はそこまで世帯じみてねーっつーの……」
ため息をしつつ、ディスプレイの隅に目を向けた。
まったく、このご時世に電子メールかよ――。
テキストでしたためられた、教授連中のメッセージがそこには表示されている。
「しばらく顔見てねぇな―― たまには里帰りでもしてやるか――」
メッセージは小言ばかりだ。
でも、まるで娘にでも当てたようなものばかり――。
科学者や研究者と言っても化石のようなジイさんたちだ。
せめて、音声メッセージにすればいいのにそれすらしない。
露骨にオズニアックを嫌って、できうる限りインター・ヴァーチュアには関わらない頑固な者ばかりだ。
それでも、暖かい、いい人たち。
「帰らないにしても、土産は送ってやんねーとな」
前に論文を送ってからかなり間が空いてる。
べつに、そんなものを欲しがってるわけじゃないのは知ってるが、こっちにも都合ってもんがあるんだ。
いい加減、「教授になれ」とか、「教鞭を奮って後進を育成するのが本分だ」とか言われてもこっちは興味ねぇ、つーの。
それに半分はかつて学会で批判した男の産物に私が関わっているのが嫌なだけだ。
なんだそりゃ。
自分の気に入らない男にひっかかった娘の父親かよ。
こっちはもう、とっくに教え子でも、娘とかいう歳でもねぇから。
いい加減、子離れしてほしい。
ほんと、もう、こっちは好きにな時に、好きなとこに嫁に行くっつーの。
「うっ。 いや…… だめだ、考えるな――」
嫁ってところでなぜか、クソガキどもと、柳橋亮平の顔がよぎった。
集中! 集中! これ以上の余計な思考は何か良くないものが開きそうなので、シャットダウンすることにした。
パンッ! と両手で自らの頬を一発はたいて、再び、デスクの上に浮かぶディスプレイに集中する。
右手、左手を空間で開くと、同時に追加で二つのディスプレイが浮かんだ。
実行ログと、予測とを比較するためだ。
私がやってることはとっくに純粋な量子物理学じゃなくなっている。
確かに、応用ではあるが――。
場所によるベクトル変化や、局地的な極端さがあってもこの世界の演算は古典的な物理法則に支配されている一方で、世界のあり方は波動関数の収束としてしか説明ができない。
コード・ベースを利用したこの世界固有の存在の操作と動きも、一斉・非局所的な状態変化としか言いようがない。
ネクサス・リンクなど簡単にデータの高速転送だ、などと、ただのぶっといLANケーブルでも刺しているかのように言ってるが、実体は位相変換としか思えないような芸当だ。
うーん、小難しい話を取っ払うと、実に量子的だということだ。
コード・ベースにネクサス・リンク。
どちらもビリー・オズニアックが作り、残したものだ。
その存在自体には何も秘密は無い。
生前のオズニアックは全ての技術を共有していた。
だから、その作り方はオープンソースとして開示されているし、理論も隠してはいない。
ただし、作り方は模倣できても、理論の方が理解できるかというと話は別だ。
グレート・オズが残した、理論は完璧すぎて、足すことも、引くことも許さない。
理論そのものがあまりにも完成されすぎていたのだ。
オープンソースのくせに、作った本人以外は紐解けないパズルのような代物だ。
大きさのパラメータを変え、それに比例した出力は得られても、それだけ。
となると、コード・ベース以外の部分で差異を出す必要がある。
コード・ベースを通して発生する処理圧に、処理熱。
負荷が物理的に表現される現象。
私はそういったところに注目して効率よく対処する方法を考えた。
それは、たまたま、オズニアックの嗜好に当てはめて発想したことから始まった。
オズニアックはオートバイをこよなく愛していた。
それをコード・ベースの処理過程に置き換え、量子論に当てはめてみた。
例えば、よくよく調べて見れば、そういった排出されるエネルギーが連続的な値を持たないとか……。
コード・ベースに対して周囲の環境のデータなどを取り込むのだが、それが限りなく複素数の位相とその干渉に近い現象だということが見えてきた。
基本はピストンが小さいか、デカイかの差だ。
それを覆う、外殻の耐久度の差こそあれ、性能自体は差が無いエンジンのようなものだ。
でも、ピストンはいじることができない。
だからオートバイエンジンを構成する、吸気と排気という着想からコード・ベースの効率化方法を思いついた。
一定ではない排出エネルギーを効率よく定量化したり―― 逆に抵抗を与えたり―― はたまた、環境データの取り込み時に量子ゲートの考え方による、位相操作を応用して最適化させたり――。
コアは変わらなくても、周囲の環境を変化させることで処理特性や効率を上げるというアプローチが可能だということをまとめて学会に発表した。
教授連中からは科学者ではなく、まるで町工場の職人の考えだと散々ケチをつけられたものだが、結果はドンピシャ。
私は理論を特許化して富を得た。
そして、仮想世界の空気を燃やす代わりに、量子的な演算命令を燃やすという発想で、それを効率化する手段をカルテックが提唱とマスコミが大々的に持ち上げたのだ。
それまで、仮想現実の材料工学シミュレーションの分野で先んじていた|マサチューセッツ工科大学《M.I.T》に一泡吹かせてやった。
現実の蒸気機関、内燃機関に代わる、仮想現実のエンジン、処理機関のパイオニア。
それが現在のカルテックの立場だ。
それに、新たに量子処理機関工学なる量子物理学における新しい分野として名前までついた。
今や、私はカルテックの准教授であり、量子物理学者であり、専門は量子機関工学の第一人者ということになっている。
現実ではまったく実現できなし、役にも立たない分野を作ってしまった。
しかも大嫌いなオズニアックの遺産から私がそれを作ったのだから、当然、教授連中は苦虫を潰したような顔していた。
それでも結果として世の中を認めさせることを成し遂げた私にあの人たちも、「遊んでいる」とは言わなくなった。
――よく考えれば親不孝な話だわ。
これだけやっても、破門と言わずに研究所の扉を、この放蕩娘のために今でも、開けていてくれる。
そんな思いに報いるためにも一応、研究者としての結果を残すのは教授連中への義務だろう。
だが、今回は大苦戦だ……。
「……何がおかしい?」
思わず呟きながら、投影表示を再生し直す。
リワインドの光帯が、潰れた鉄の塊を逆流させ、かろうじて形になっていた構造体へと巻き戻していく。
そこでいったん止め、全負荷ログを重ねた。
関節部、背部、接地部。どれも設定上は許容範囲にある。
「おかしい……どこも壊れてない。なのに……なぜ?」
念のため、全センサーフィードバックログを別ウィンドウで表示。
推移は滑らかだ。
加速度、トルク、ジャイロ、全て理論通り。プログラムは動いている。
それなのに──。
あの機体は、一歩も動かないまま、圧壊した。
なぜ。
指が勝手に、空中に数式を書き連ねていく。
Ψ(t) = f(φ(t), ∫₀^t h(τ)dτ, α(t))
出力関数 Ψ(t) は時間 t における全体状態。
φ(t) は制御状態ベクトル。
h(τ) はログインジェクション―― 過去演算ログからの補正項。
α(t) は応力応答のリアルタイムフィードバック。
これらの関数は、すべて問題なく計算されてる。理論上は、起動するはずだ。
けれど、シミュレート空間では起動どころか、そのまま、潰れる。
「なんで、これで動かねぇんだ。 ……少なくとも、あたしの設計じゃ―― つーかさ、なんでぶっ潰れるのよ、意味わかんね」
声が、ひとりごとの域を超えて震えている。
おかしい、何か見落としてる。わたしのどこかが、ズレてる。
物理演算が破綻している? いや、それならもっと派手に崩れる。
これは違う、意味をなしていない崩壊だ。
意味。
……意味ぃ?
「なによ……意味って――」
知らずつぶやいたその言葉に、自分で首を振る。
起動するはずのものが、動く前に崩れる。
力が伝わってないのか?
でも、出力はゼロじゃない。
波形だって綺麗なもんよ。
でも―― いったい、誰に向けて立ち上がろうとしているんだ?
いや、違う、そんな抽象論じゃない。
これは数式―― 構造―― 演算――。
「ダメだぁ、茶でも入れっかー」
指先がぶるりと震えた。
ああ、気づけばいまだに下着姿だ……。
やり場のない感情を誤魔化すように、脱ぎっぱなしのガウンを引き寄せる。
脚を抱えるようにして膝を立て、ぼんやりと鉄塊の残骸が映る投影に視線を向けた。
――クソッタレ。 どうして立ち上がらない。おまえは何を欲しがってるんだ?
このままじゃ、また鉄塊だ。
頭ではわかってるのに、どうしてこの子は応えてくれないの?
画面の中、潰れたままのコード・フレームワークが、何も答えずにそこにあった。
ふと、ディスプレイの中の時計に目を向けた。
もう、21:30を回ろうとしている。
あっ、いけね。
「ジーブス、チセは?」
チセがγの修理を始めて、そろそろ二週間が経とうとしている。
今では一人でジクサーへと出入りしてセッセと修理に励んでいる。
ちゃっかりと慣れたものだ。
「はい、レディ・ジンガノ。 ミス・チセはまだお帰りではありません」
再起不能と思っていたγをあの娘はわずかなこの間に、起動が入る寸前まで持っている―― 正直驚きだ。
あとちょっと、というところだし、きっと夢中になって時間を忘れているんだろう。
とはいえ、様子は見ておかないと。
「何処にいるかわかる?」
「ジクサーにおられるようです。 会話をお繋ぎしますか?」
「お願い」
目の前に新しい、ディスプレイが浮かび上がり、コール音がなる。
5コールほどしたところで、繋がった。
「えっと、何?」
あの緑の目とあのキラキラとした髪の毛の娘が浮かび上がった。
「えっとじゃねーよ。 オマエ、何時だと思ってんだ。 まだジクサーなの?」
「う、うん。 そう」
なんだ――? チセはさっきからチラチラと視線を画面から逸らしていた。
それに、あの見事な髪がときおり、フワフワとなびいているようだった。
「ちょっと、チセ。 あんた何処にいんの?」
「んっ? えっと、ジクサーだよ」
「いや、だからジクサーの何処よ? あんたそこ外でしょ?」
こうやって話している間も、チセはすぐに目線を画面の外に向けた。
「あっ! おっ……」
なんだこいつ、急にウキウキしだした。
「あっ…… あーっ……」
今度はため息に、ガッカリ顔……?。
「あんた、ほんとは何してんの?」
「えっ? あ、いや……えっと…… ちょっと、気分転換」
慌てて、視線を戻して、そう答えた。
実のところ、目は完全にスイミングアイだ。
この娘はあいからず、絶望的にウソを着くのがへたくそだ。
「だからさ、何処でさ?」
「うーんと。 アタックラムの、上のとこ……」
「えぇ? あっこの見張り台? あんた、そんなとこよく見つけたね……」
ジクサーにはアボルタージュ・クルーザー特有の艦首下部に突き出たアタックラムを備えている。
実はその衝角には見張り台スペースがあり観音開きのハッチを開くとちょうど、上半身を外に出して座れるようになっている。
とはいえ、実際に使われることなどなく、忘れられた場所だ。
私も言われるまで思いだせなかった。
「散歩してたら見つけたんだ。 ここからの景色、結構好きなんだ」
「ふーん……」
たぶん、これも嘘だ。
チセの行動パターンはどれも事前に、確認してからが基本だ。
この娘は極端にサプライズを嫌う傾向がある。
というか、慣れていないという感じか……。
まあ、そのへんはどうでもいい。
所詮はこの娘の個性だ、私がとやかく口を挟むことじゃない。
「で、あんたさ、いつ帰るの?」
「あっ……。 うんと、キリのいいとこまでやりたいし、遅くなると思う」
またチラチラと視線が動き出した。
一体、何が気になっているのやら。
「オーケー。 遅くなるなら、スミーに送ってもらえよ」
「わかった……」
もう画面を見ていない――。
完全に違うところを見てやがる。
「はぁー。 あんま、遅くなんなよ。 もう切るよ」
「あー。 うん」
ブチッと画面が黒くなった。
「あんにゃろー。 向こうから切りやがった……」
まあ、大丈夫だろう。
私とバシ以外のアルマナックのメンバーをいまだに警戒しているチセは何故か、AIのスミーには懐いている。
それにスミーの方もチセを何かと気にかけているようだ。
スミーはジクサーの隅々までを見ている。
元々、あいつは、そういう設計だ。
きっと、チセが帰ろうとすれば、頼まなくても送ってくれるはずだ。
「んじゃ、私も気分転換してら、もう一回トライっすかな――」
腐ってもしょうがない。
私はコーヒーを淹れに椅子から立ち上がった。
豆からしっかり手を入れて、密度の高いデータのコーヒーを飲もう。
頭をスッキリさせてから、もう一度、見直しだ。
何かが見えるかもという期待と、何も出てこないんじゃないかと不安が混じる感情を抱えて私はキッチンへと向かうことにした。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
この物語は、仮想世界の秩序と、
人間とデータの境界を巡る戦いを描いていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
この物語は、仮想世界の秩序と、
人間とデータの境界を巡る戦いを描いていきます。
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次回もお楽しみに!
外伝 デジタル娘は腹が減る:チセの日常飯日記
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設定などをインターヴァーチュア・ガイドで不定期に投稿しています。
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