introduction 09 Digitial Surrender - 降る世界と委ねる者たち /09
※この作品はフィクションです。実在の団体・組織・企業・人物とは関係ありません。
仮想世界が「現実」となった時代――
企業が支配する電脳世界「インター・ヴァーチュア」。
自由を求める者たち、デジタル生命体(DQL)、そしてコード・フレームワークを駆る戦士たちの戦いが始まる。
この物語は、仮想世界の秩序を巡る戦争と、
人間とデジタル生命体の共存の可能性を描いたSF作品です。
適宜更新予定。
評価・感想をいただけると励みになります!
HODOの夜が明ける。
グレートフラット特有の朝の白い光がさすと、街はいきなり目覚めるように息づいて行く。
悠とライノも港がそれまでの静寂から、騒然へと切り替わるのを感じながら甲板を後にした。
――
周囲のインターヴァーチュア特有の定期実行のような遷移とはうらはらにジクサーの機関室はまるである種の結界の中のように、いつでも変わらず、一定の環境を保っていた。
低い駆動音と作動音が常に、「ゴンゴン」という音を奏で、館内の電力の供給のための発電を行うパワーコンディショナーが発する高周波の、耳の奥を刺すようなキンキンとした音が、分厚い防音の壁から微かに漏れ聞こえる。
人によっては不快を伴う音だが、アジエ・ジンガノにとっては心地よいビートだった。
パイプ椅子を逆向きにまたがり、背もたれに肘をかける。
視線の先には、ジクサーの心臓―― 丸い円卓のようなコード・ユニットと、そのV字に配置された八本のコード・コア。
この音を聴く時間は、アジエにとって仕上げであり、儀式でもあった。
すでに整備自体は終わっていてアジエ以外のメカニックのメンバーは機関室にはいない。
無理な突貫作業の直後だった。
今頃は、ジクサー内に割り当てられているそれぞれの自室で眠っていることだろう。
人感センサーで絞られた照明が、薄暗い機関室の中で彼女を静かに照らしていた。
アジエの集めたメンバーは優秀だ。
機械的な数値上は、ジクサーは完璧に仕上がっている。
それでも最後は耳で判断する――それがアジエの流儀。
音は嘘をつかない。
少なくとも、数値の整合や表示されたグラフよりは、ずっと誠実だ。
この世界の生きた声を拾うには、感覚という曖昧な道具の方が、案外役に立つのだ。
(チャタ音なし―― リズムのブレなし―― 駆動音にノイズなし――)
数字上は完璧だが、フィーリングに委ねて、判断する。
プログラムで構築された仮想世界で、数値ではなく感覚に委ねる。
開店休業中であるが、アジエの本来の職場である|カルテック《カリフォルニア工科大学》の同僚や上司なら、「ロマンチストか、それとも変わり者か」と笑うだろう。
メカニックとは言っても実際にスパナやドライバーを使ってネジを絞めたり、アセチレントーチで溶接などをするわけではない。
インター・ヴァーチュアでは工具を使ってコードを確認し、繋ぎ、修復するわけで、見た目や仕草が技師や職人に似ていても実際にはプログラマーやデータエンジニアの技術だ。
とは言っても、実際に機械やオブジェクトとしてこの世界で再現される。
だから、実際の技師や職人の技術が不要というわけでもないのがこの世界だ。
それにデータによっては、経験の蓄積と勘所が要求され、同じことをしても個人差が生まれる。
常に一定の結果を出さないという理不尽で、時に意味不明な仕様がこの世界には存在している。
カルテックで量子物理を教えていた頃の自分は、結果と数値が全てだと信じていた。
そんなある日、この世界を一番よく知っていたであろう人物―― 自分と同じ、科学者であり、偉大な研究者である男にこう言われたのだ。
「数字を信じるなとは言わないよ。だけどね、目で見て、耳で聞いて、肌で感じてみなさい―― 測定じゃなく、観測が世界を決めるんだ。ロマンってやつさ」
……なんとも学者らしからぬセリフであったが、その言葉のおかげで アジエの人生は研究室からインターヴァーチュアの現場へと傾き、やがてメカニックという道を選ばせた。
気がつけば、大手企業のシンクタンクに変質した大学での研究よりも、フィールドワークなどと理由をつけた仮想現実内での仕事の方が楽しくなっていた。
闘神のメカニックもそんな仕事のうちの一つだった。
だが、カルテックから見れば、そんなアジエは遊んでるも同然だった。
現実の研究室に戻ってこいと、文句を言う教授たちを黙らせるために仕方なくコード・ユニット関連の論文をいくつか書いた。
ついでに、その内容を実用化してみたら特許が取得できたという流れだ。
現在のコード・ユニットの根幹技術のいくつかはカルテックによるものという規制事実ができた。
今やカルテックの籍はネームバリューのためだけに残している。特許収入とスポンサーの後ろ盾を得て、彼女は自由気ままに生き、気づけばHODOに腰を落ち着けていた。
きっかけは一人の先駆者の言葉だったが、最終的に彼女のライフスタイルを変えたのは闘神だった。
だが、その闘神も、すでに存在していない。
ある日、突然に闘神は彼女の前から消え去った。
何が起きたのか、柳橋は決して口を開かず、いまだに真相は闇の中だ。
結局のところ、そんな柳橋を促してスポンサーとして、アルマナックを作ったのはアジエ自身だ。
柳橋に経済観念はそもそも無く、さらにプライマル・フォーなんていうヨタ話を追っている。
真相を知ることができるならと、黙って宝探しに付き合っているが、それも結局は自分のエゴのためだという自覚はある。
一つ、想定外だったのは柳橋が指揮官としても、指導者として非常に優秀だったことだった。
人の話などまるで聞かず、子供みたいな連中を集め、気づけばいつのまにか、いっぱしのコード・ライダーに仕立て上げていた。
アジエが元々知ってる、柳橋亮平はCFの腕は立つが、典型的な一匹狼だった。
部隊戦闘もこなしていたが、あくまでも周りにレベルを合わせて動いていたに過ぎない。
それに、フォローやリカバリはしても率先してリーダーシップを取ろうとはしなかったし、「めんどくさい」と公言してはばからず、露骨に拒否さえしていた。
闘神の中でもまともに柳橋とバディを組めたのはアジエが知る限り、一人だけだ。
変な優しや、人情で動く姿も知っていはいるのだが―― CFで戦闘をする以外の行動は社会不適合者そのもので、人としてはクズの部類と言っても差し支えない。
そんな柳橋の人を見る目と、育てる才能に関しては、方法はユニークでバイオレンスだが、まさしく本物だった。
もし、かつての仲間がこの状況を見れば、きっと泡を吹いて卒倒することだろう。
そして鍛えられた、アルマナックもそれなりに名を知られるようになった。
闘神のときのような神格化されたような強さや、非情さとは違う。
変わり者だが、腕の立つ連中―― 怒らせれば痛い目を見る――。
そんな感じだ。
今では、アルマナックはアジエにとってもかけがえのない居場所となっている。
それに、十代の子供を何人も巻き込んでしまった。
柳橋が決めたことだが、これだけはいまだに抵抗がある。
『子供達を何事もなく、家に戻してやる』
そんな思いで、変に面倒を見なければと気負っていたら、陰でママなどと呼ばれるようになっていた。
ともかく、これが今のアジエがメカニックとして全力を尽くす動機だ。
そうやって今日も、全力を尽くし、ジクサーの調子が万全なのは確認した。
この船の足ならいざとなっても大概の相手は振り切れるだろう。
それに……。
V型に配置されるコード・コアの間に配置された装置に目を向けた。
コード・ユニットと太い二本のパイプで繋がれた、それは巨大な巻貝のようでもあり、機械でできた心臓のようにも見える。
ジクサーにはこの奥の手がある。
これは他のライナーには無いものだ。
なんせ、論文にはまとめたが、まだ発表していないものなのだから当たり前だろう。
アジエはそれをジクサーに実験的に実装したのだ。
その装置を見ていたら、ふと手のかかる子供の顔が浮かんだ。
チセだ。
「ちょっとは頭冷えたかな」
アルマナックに柳橋が引き入れた子供たちの中で、唯一、コード・ライダーで無いのはチセだけだ。
それにチセだけは、経緯はどうあれ、メカニックとしてアジエが預かることになった。
……そのつもりだったのだが、世間ズレしすぎていて、しかもミツエからレイプ未遂まであったなどと聞かされては、とても目が離すことをできなかった。
結果として必要以上に深入りしてしまい、今や保護者とも後見人ともつかない立場だ。
チセの過去に対してアジエにも気になる点はある―― 語った過去の半分以上はデマカセだろう。
だが、インター・ヴァーチュアでコミュニティで暮らすということはルールに縛られて生きたくないか、ルールに乗れないかのいづれかだ。
チセの場合はどう考えても後者だ。
確かに、女として、チセの世間知らずな行動に目が離せないというのもあるが、それ以上にアジエにとってはその才能が問題だった。
まずは、もはや一般的には意味がなくなった多言語習得だ。
母国語と合わせて二つ程度ならまだしも、失われた言語も含めて異常な数だ。
アジエはたまたま、持って生まれた才能と人並み外れた学習意欲のおかげで習得したが、だからこそ、その苦労を知っている。
次にデータやプログラミングといった情報処理能力の高さだ。
チセの場合は単にコーディングの能力が高いというレベルから逸脱している。
かつての贋作事件もそうだが、バイナリレベルで世界を見ているとしか思えない芸当だ。
確かにデータの構造や形式に関する知識や造形が深ければ近いことはできる。
それでも解析ツールを使ってある程度は理解できるというのが普通だ。
チセの場合は完璧に不要な密結合データを見抜き、切除しても機能を再現するということをやってのけたのだ。
この再構築は通常の逆アセンブルやパッチでは不可能なレベルだ。
さすがに高密度データや、複雑な複合データの場合まで自由自在というわけでは無いようだが……。
この仮想現実世界を支配する物理演算の絶対ルールには無制限に干渉できないということだ。
それでも、時間や道具を使えば近いことは可能なのだろう。
これはアジエの専門分野の領域で、言葉で表すことは簡単なのだ。
無論、推論で実際に可能かは別なのだが――。
強いて言えば、これは量子干渉的な再編成だ。
人類はいまだに量子の世界の入り口に立って中を想像しているレベルだ。
今のところコード・ベースというグレート・オズが生み出した技術によってささやかな恩恵を受けているといったところだ。
しかも、作り手が失われ、いまだにその本質を解析できるものはおらず、残されたレシピ通りに模倣するより他ないブラックボックスだらけの技術だ。
アジエはたまたま運よく、そのブラックボックスの隣に置くことで機能向上を図る方法をいくつか編み出したにしか過ぎない。
いつか誰かが、実現できる内容を、早いもの勝ちで手を挙げただけだ。
だからチセがサラッとやったことは、陽電子頭脳や量子コンピュータがいまだ実現できていないのに、本来ならありえない技術なのだ。
グレート・オズの発明に匹敵するといっても過言ではない。
こんな異常な才能がブラックアウトという暗黒時代があったからといって、都合よく埋もれているものだろうか?
アジエ自身、頭が良いという理由で奨学金を与えられ、飛び級でカルテックへと拾い上げられた身だ、そんな能力があれば普通は世の中が黙ってはいないことを知っている。
(実際、自分がそうだ…… あれを見て、黙ってられるわけがない)
心の中でつぶやいた。
アジエはこの一年、チセと、その才能を見守り続けている。
この能力は悪用されてはならないし、安易に世に出すわけにもいかないのだ。
大きなため息を一つ、アジエはパイプ椅子から立ち上がりながら残した。
異能の才能はあっても、あとはただ、発育だけはいい、世間知らずの小娘だ。
最近は色気付いてきて、そっちのほうも心配なのだ。
本人無自覚だが、悠という年頃の男をバブらせているのだから大したものだ。
まさか自分が思春期の子供に頭を悩ませることになるとは……。
ほんとに、ママ・アジエとはよく言ったものだと自虐的にため息をついてしまった。
「いやいや、ママじゃねーし。 せめて姉だっつーの」
娘―― ではなく、気まぐれな妹を探すためにアジエは機関室の扉へと向かった。
その脳裏には、自分以上に量子の世界に慣れ親しんでるといった様子の過去のチセの姿が思い出されていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
この物語は、仮想世界の秩序と、
人間とデータの境界を巡る戦いを描いていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
この物語は、仮想世界の秩序と、
人間とデータの境界を巡る戦いを描いていきます。
感想やご意見、お気に入り登録・評価をいただけると、とても励みになります!
次回もお楽しみに!
外伝 デジタル娘は腹が減る:チセの日常飯日記
https://ncode.syosetu.com/n8790kl/
設定などをインターヴァーチュア・ガイドで不定期に投稿しています。
https://ncode.syosetu.com/n9167kh/