introduction 08 チセ―縺(もつ)れるラップタイム(Lap Time)/01
※この作品はフィクションです。実在の団体・組織・企業・人物とは関係ありません。
仮想世界が「現実」となった時代――
企業が支配する電脳都市「インター・ヴァーチュア」。
自由を求める者たち、デジタル生命体(DQL)、そしてコード・フレームワークを駆る戦士たちの戦いが始まる。
この物語は、仮想世界の秩序を巡る戦争と、
人間とAIの共存の可能性を描いたSF作品です。
更新は土曜日予定。
楽しんでいただけたら、評価・感想をいただけると励みになります!
ライナーのドアを押し開けるとドックのヒヤッとした空気が入ってきた。
風に吹かれてカラン、カランと古めかしいベルの音が響いた。
去り際に店の壁のニキシー管時計に目をやると『04:15:03』を表示していた。
ほどよい食事と、おしゃべりで一時間ほど過ごしたらしい。
こうやって人として過ごすようになって、知った不思議なことがある。
普遍であるはずの時間の流れが違うように感じることがあるのだ。
仕事に没頭している時や、さっきみたいにアジエとおしゃべりしている時は、なぜか時間があっという間に過ぎているように……逆に何もない空虚な時や、わたしがやりたくないと思うことをどうしてもしなければいけない時は時間が遅く過ぎているように感じる。
エクス=ルクスにいたころはいつだって時間は同じサイクルで回ってた。
そしてその循環に違いを感じることもなかった。
時間とはそういうものだし、これは永遠に変わらない法則のはずだ。
だけど、わたしは人の世界で過ごすようになって気分で時の流れに違いを感じるようになっていた。
(まあ、実際はそんなことないんだけどね)
いつからそんな誤差を感じるようになったのかは明確に思い出すことはできない。
空腹や恐怖、寂しさ、安心とぬくもり……。
わずかだが、サンタクララで過ごした時がその境であったような気もする。
「アジエ、ちょっと変なこと聞いていい?」
「ん?何よ……」
「時間ってさ、遅かったり、早かったり感じる時ある?」
「はぁ……お前何言ってるの?」
アジエは愛用のオープンフィンガーのレザーグローブを嵌めながら、言った。
その言葉のトーンには呆れが滲んでいた。
しまった……迂闊なことを聞いたかも……。
「あったりまえだろ。人間そんなの24/7だっつーの」
予想外の答えに驚いたわたしの顔を見ながらアジエは続けた。
「ダリーことは長く感じるし、ハメ外してホットに過ごせばあっというまにオールナイトだろ」
そう言うと、アジエは少し何かを考えると「チッ」と舌打ちした。
「あーくそ。そういや、最近はホットなのとはご無沙汰だなぁ……」
口を尖らせて愚痴った。
「学者っぽくない……」
「だからそれ、やめろってーの」
アジエはわたしの頭に手をくしゃくしゃと撫でた。
「……ちょっと、髪がボサボサになるから、やめて……」
「ほーらっ!最初に教えてやったろ、言ってみろって!」
わたしはアジエの手を払って、「むーっ」とうなってからボソッと答えた。
「……生きている限り、人は楽しまなきゃ損……。よく働いて、よく遊べ……」
「よーし! よくできましたーっ!」
今度はぐりぐりとわたしの頭を撫でまわす。
「だから、やめてって!」
「アハハハっ! 人生あっという間だよ! 時は矢のように過ぎるんだ! 楽しめ、楽しめ!」
嫌がるわたしの反応をアジエは喜びながら、頭を撫で続けた。
さっきまでの時間の誤差について疑問は吹っ飛んでしまっていた。
人間なんて気分で時間の体感が変わるんだ……そう、受け入れてしまった。
アジエはそうやって、わたしに人間的であることを受け入れさせてくれる。
出会ったあの日から……。
【Flashback】
赤いシャツの老婆によって、やっとわたしは縛めを解かれた。
老婆はミツエと名乗った。
その顔を見て、以前、男たちからわたしを救ってくれたあの老婆であることに気づいた。
でも、その事実は余計にわたしを混乱させた。
「よかった、よかった。とにかく怪我はないね……」
そう心配してくれるミツエ婆さん、まわりには密売人を蹴散らし、背中に揃いのエンブレムを背負った集団。
わたしのことは見ようともせず、適当に選んで連れてきた柳橋と呼ばれる、集団のリーダー。
一体何のためにこの場へ連れてこられたのかまったく理解ができず、私は警戒することしかできなかった。
拉致された上に、どこかの組織の人間と勘違いされた挙句、密売人に拷問されかけたのだ。
その理由は、この世界ではありえない偽造品を作ったからだった。
自分のしたことが人間の技術を逸脱していたと言う事実を知ったのだって、数時間前のことだ。
……作り方を教えろと要求されるのか、それとも作らされるのか……?
それともDQLのことを知っているのか?
再び疑心暗鬼の渦に、完全に飲まれていた。
わたしにできることといえば、睨むような目をすることぐらいしかできなかった。
それに、ただ居場所を作るためにやった事が原因で、短い時間で翻弄され過ぎて、もうわたしの思考処理は限界だった。
確かに、あのエクス=ルクスの惨劇の時よりはマシだ。
あの時はただ消滅と恐怖しかなかった。
でも状況の混沌ぶりは今回の方が遥かに上だ。
だから、駆け引きのための沈黙はこの後に及んで無駄と感じていたし、する気力も無くなっていた。
「……わたしに何をさせたいの……?」
気がつけばそんな言葉が口から出ていた。
ミツエ婆さんは一瞬大きく目を見開きその後は少しの間困った顔していた。
少し間、目をつむって何か考えをめぐらしているようだった。
数秒の後、ミツエ婆さんの言葉はわたしには意外すぎた。
「じゃあね、お嬢ちゃん、もうあんな代物は売らないでおくれよ。それさえ約束してれればそれでいいよ」
「……それだけ?」
老婆はただわたしにもう『やるな』なとだけ言ったのだ。
HODOと呼ばれるこの場所に来てこれまで見てきた人間は自らの利益のために行動していたし、わたしもそうしてきた。
でもこの老婆はただ辞めろとだけ要求してきたのだ。
「そうだよ。あんたが売ったモンがヤバい品だってことは、もうわかったろ? だからもう手を出さないこと、いいかい? それだけ約束してくれればこの件はしまいだよ」
その言葉にわたしはただ何度も頷いた。
次の瞬間、足からかくんとして、ペタンと不思議な香りのする淡い緑色をした柔らかい床にわたしは座り込んでしまった。
やっと助かったのだと感じた瞬間に、全身から力が抜けてしまった。
ミツエ婆さんはそんなわたしを抱きしめてくれた。
自然とわたしの目からまた涙が溢れていた。
それを遠巻きに取り巻いていたエンブレムを背負った集団のうち、一人だけ全く別の方向を向いていたリーダーと呼ばれる柳橋が声を発した。
「オーイ、ババアよぉ、そろそろ終わったか?」
その声は何か無関心というか、少しイラついたような声だった。
「三問芝居が終わったんなら、俺たちはもういいか?」
「バシぃ!言い方!」
そんな柳橋という男に房のようになった何本もの頭髪を束ねたような髪にキャップを被った女が怒鳴った。
ここまで連れてこられる間の雰囲気からも、この女だけが集団の中で柳橋という凶暴な男と対等に会話ができるようだった。
怒鳴られた柳橋は舌打ちをしてまた別の方向へそっぽ向いた。
「ほんと、すんませんミツエさん」
「ああ、いんだよ。アジエ。それに柳、今回も無理言ってすまなかったね」
柳橋は後を向いたまま手をひらひらさせた後、言葉を後ろを向いたまま言葉を繋げた。
「それよりババア、そのガキはこの後どうする気だ」
その場にいた誰もが、それ以上の問いを挟まなかった。
沈黙の中、わたしの胸にはぽっかりとした不安が広がっていった。
そうだ……私はどこへ行けばいいのだろう――もう帰れる場所なんて、ない。
それにやっと見つけた生きる糧を得る手段はもう使えない……。
涙は止まっていたが、安心の後にわたしはこれからの不安に途方にくれていた。
そんなわたしの様子を見て、ミツエ婆さんが口を開いた。
「……さて。とはいえ、行き場もなさそうじゃ、ちょいと困るよねぇ……」
そして柳橋の背中に目をやり、アジエと呼んだ女の顔を覗き込んでパチリと片目をつむって見せた。
それはサンタクララでマキシムがわたしにした仕草と同じものだ。
「えっ!?」
それを見て、アジエが狼狽えた。
だがどうやら、あの時のマキシムのものとは少し意味が違うようだった。
アジエは何かを察したのか、ミツエ婆さんに両手の平を向けて首を左右にブンブンと振りはじめた。
そんなアジエの慌てた姿にミツエは喉で「クククっ」と小さく笑ったようだった。
そして、背中を向ける柳橋に向かってわざとらしく言ったのだった。
「柳や、しばらくの間でいい。この娘を預かってやっちゃくれないかい?」
その言葉に、柳橋はやっとこっちに向かって顔を向けた。
その口元はゆっくりとへの字に曲がった。
「……はあ? 俺に言ってんのかよ?」
「ほかに誰がいるってのさ」
ミツエは肩をすくめながら、飄々と返す。
柳橋は明らかに不満げな顔で、鼻を鳴らした。
「オイ、ババア、冗談じゃねぇぞ。 空挺の次は養護施設やれってか? 調子乗るな」
その時、柳橋は初めてわたしの顔をチラリと見たような気がした。
「そのガキ預かってうちになんの得があんだよ」
ミツエ婆さんに見えないようにアジエは柳橋に向かって両手でX字を作って必死で首を横に振っていた。
そんな必死なアジエを置いてけぼりにミツエと柳橋は話を続けていく。
「あんた気持ち悪いって言ったけどさ、あれはアジエもお墨付きの、見事に精巧な代物だったよね」
急に自分の方向にミツエ婆さんが向きおったので、アジエは手をクロスさせたまま固まり、頬をひくつかせてミツエ婆さんに愛想笑いを浮かべた。
再びミツエ婆さんは柳橋の方に向いて言葉を続けた。
「……って事は、この世界じゃかなりの腕のモノイジリってことじゃないのかい」
柳橋は「うーん」と唸るとしばらく頭をぼりぼりと片手でかきむしり、再びミツエ婆さんに向き直った。
「またか……。汚ねぇぞ、ババア」
柳橋は腕を組んで鼻を鳴らした。
「……ってことだ、アジエ。しばらく頼むわ」
「って、やっぱりあたしかい!」
【Present Day】
「アジエ、なんであの時、リーダーは急にわたしを預かる気になったの?」
ダイナーを出て、わたしは隣を歩くアジエにそう聞いていた。
「なんだよ、今更。一年も経ってから聞くことか?」
アジエはそう言った。
わたしもそう思う、ほんとに今更だ。
あの日のことをこんなに思い出すこと自体が初めてだった。
あの後、リーダーはわたしの面倒をアジエに丸投げした。
今の住処を見つけて移るまで、一ヶ月ほどアジエの家に居候させてもらった。
でも、どう考えてもアジエに押し付けるまでリーダはまるでわたしに興味はなく、むしろ関わり合いになりたくないと言った様子だった。
よく思い出したら、なぜか聞かずにはいられなくなった。
一年前のわたしならメモリに乗らないなかった過去は必要のないものだと考えた。
たまにふとデータとして浮き上がっても気にならなかったのに、最近はそんな過去を記憶として考えるようになった。
記憶として残ったものはこだわりだ。
ならちゃんと向き合うほうがいい……。
エクス=ルクスの夢を見るようになってからわたしはそう考えるようになっていた。
「バシはあんたの作ったモンが相当気に入らなかったらしい。それで関わりたがらなかったみたいなんだよね」
アジエはキャップのツバを弾きながら言った。
「ミツエさんも言ってたけど、なんかスピリッツ的に良くねぇみたいなことと言ってさ……」
わたしは首を傾げた。
スピリット的というのがよくわからない。
そんなわたしの顔を見てアジエはケラケラと笑った。
「あー、あたしもよくわかねーよ。ほら、バシがたまに縁起が悪いとか言って駄々こねるだろ、アレだよ、アレ」
「ああ、アレね……」
確かにリーダーはたまにそんなことを言い出しては急に移動のルートを変えたり、目的地の手前で引き返したりなんてことをする。
でも、決まって結果的にトラブルの回避につながるのでみんな文句は言わない。
いったい、リーダーはどんな演算やシミュレーションで、あの予測を導き出しているのかと、これもアルマナックに入って気になっていることの一つだ。
「あたしも、バシとは付き合い長いけどさ、東洋人……特に日本人のさ、あの辺の感覚はよくわかんねぇわ」
「日本人って変なの?」
「んっ? アレ、おまえさ日本人入ってなかったっけ?」
いけない……油断してた……一応、わたしはロシア系と日系の混血という容姿に基づいて、父方が日本人の血が入っているという設定にしていたのだった。
まあ、孤児ということで通してはいるのだが……。
「……えっと……わたし、日本にはいたことないんで……ほら、両親もよく知らないし……」
苦しい言い訳だ……。
「んー?」とアジエがわたしの顔を目を細めて覗き込む。
「施設育ちとか言ってたっけ? そういや国籍は聞いたことなかったな……」
わたしは「エヘヘ……」と固い笑いで誤魔化す。
「ま、いいか。望まなきゃ言わないし、聞かないはここのルールだしね」
(助かった……)
人間が現実と呼ぶ世界を、わたしはデータでしか知らない。
データでは人間の世界は国家と呼ばれる存在によって分割統治されるのが普通らしい。
わたしの知るデータとしては、ブラック・アウト事件以降は現実世界の国家はインター・ヴァーチュアへの干渉を放棄した。
それまでの人間の主権であった国家が観測と監視に注力したこと、そしてすでにインター・ヴァーチュアを掌握しつつあった企業によるテリトリーの利益主義と効率主義による利便性と合理性が従来の国境や主義性を凌駕したことで人間の帰属意識が国家から離れ、原理主義という考え方が廃れたということらしい。
一応、人間の現実世界の枠組みはかつての国家という単位と、そこに生まれた国籍という制度は残った。
ただし、それは「管理単位」に近い存在となっていて、本当の意味での生活圏であるインター・ヴァーチュアにも独自の統治と秩序は産まれたが、本質として個人は自己責任の元に真の平等へと至ったとされている。
全ては自己責任。
だから、インター・ヴァーチュアでは迷惑させかけなければ、何を信じていようがかまわない。
肌の色や瞳の色など違っていたところでなんの妨げにもならない。
それに現実のことは自分が言わない限り、詮索しないのがエチケットだ。
アジエも例に漏れず、そういったインター・ヴァーチュアの住人だ。
「バシはね、知っての通り興味ない、関わりたくないものにはあの通りだ」
その通りだ……リーダーは共感や興味が極端に偏っている。
そのリーダーが関わりたくない物に関わって、急にわたしに関心を向けた。
「でもね、ヤツはああ見えて案外、単純なんだよ」
「あの人が……?」
「昔からミツエさんはあいつの癖をよく知ってるんだ。だからバシはミツエさんの頼みを断ったことがない……と言うより、ミツエさんが断らせないんだよね」
ミツエおばちゃんとアジエたちが長い付き合いなのは知っていたけど、少し意外な話だった。
「チセさ、ミツエさんはいい人だけど、このHODOの顔役だぜ。あの人ね、人を見る目がある悪党なのさ……」
「それはなんかわかる……」
「だろ。で、バシはね、自分の目で見た能力ってやつを気にしだすと確かめずはいられない。ありゃ、完全にビョーキだね」
アジエはヤレヤレと首を振った。
「ミツエさん、たぶん最初からチセをアルマナックに預ける気だったんだろうな。あんたの、作ったモノを見せた上で、データをいじりはスゴ腕だってバシを誘導したんだよ……」
「その時、アジエってすごい嫌がってなかった?」
アジエは「はぁー」と大きなため息をついて眉の間にシワを作った。
「あのね、メカはあたしの仕切りだろ。どう考えたって、あんた押し付けられるのが目に見えたからだよ」
そう言うと今度は口を尖らせた。
「まあさ……今となっちゃだけどさ。確かにあの時のアルマナックのメカは人手不足で困ってたんだ……バシにも文句言ってたしね」
そしてまた、わたしの頭に手を乗せて、いつもの笑顔でわしゃわしゃと撫でた。
「……で、あんたに何ができるか、どういうヤツなのか……あたしが見ろってさ、そういうことだったの」
……ああ、なるほど……納得した。
わたしはアジエに預けられた一ヶ月、リーダーに、試されていたんだ……。
そして、アジエはわたしがアルマナックでやっていけるように色々と教えてくれた……。
あの一ヶ月はそういう時間だったんだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
この物語は、仮想世界の秩序と、
人間とデータの境界を巡る戦いを描いていきます。
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設定などをインターヴァーチュア・ガイドで不定期に投稿しています。
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