introduction 06 チセ―迷い子の境界(ボーダー)/06
※この作品はフィクションです。実在の団体・組織・企業・人物とは関係ありません。
仮想世界が「現実」となった時代――
企業が支配する電脳都市「インター・ヴァーチュア」。
自由を求める者たち、デジタル生命体(DQL)、そしてコード・フレームワークを駆る戦士たちの戦いが始まる。
この物語は、仮想世界の秩序を巡る戦争と、
人間とAIの共存の可能性を描いたSF作品です。
更新は土曜日予定。
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【Present Day】
「Ha! ばっかじゃねーの?」
アジエがスクリーンから顔を戻してそう吐き捨てた。
カフェオレを飲み干していたアジエは、お冷のコップに口をつけると水と一緒に口に入った氷をボリボリと噛み砕いた。
「だいたい、デジタルネイティブスってなんだよ、ダセーわ。 それに、リアルで陽電子頭脳が実現できてねーの、にそれ飛び越えて量子が脳を形成するってか?」
モゴモゴを氷を齧りながらそう言って、一拍おくとアジエはゴクリと嚥下した。
「飛躍しすぎだわ。 チセさ、インター・ヴァーチュアでビッグバンなんてあったっけ?」
「覚えないね」
わたしはなんとなく後めたさを感じつつそっけなくそう答えた。
「だろぉ……。 理論としては成立するけどさ。 DQLが本当に発生するためには…… まず、世界をぶっ飛ばすレベルのエネルギーが仮想空間で発生するだろ? その次に、量子レベルで自己組織化する単細胞構造のデータ生命が自然発生しなきゃならない。 そんでもって、さらにそいつが単細胞から複雑な多細胞構造、最終的に自己認識を持つ知性体に進化するほどの膨大な演算時間が必要。 どう考えても、時間が全然足りないっつーの。」
アジエは指を折りながらそう言った。
「あたしも理論的にはアリだとは思うよ。 でも、現実にはそんな生命体が存在するなら、それこそ世界中がパニックだろ?」
「たしかに」
「ごめん、実はすでにここにいるんだ」 とは、当然言えない。
「それにさぁ、データ生命体なんて仮に存在しても、そもそも人間を理解できるとは思えねぇけどなぁ」
残念、もう人間の生活を楽しんじゃってる。
「さすがだね、ジンガノ博士」
わたしがすまして呼ぶと、盛大に顔をしかめた。
「やめろって! その呼び方は禁句!」
「いいじゃない。 他に誰もいないしそれに。専門分野でしょ? 話、面白かったよ。」
アジエは「むぅ」っとむくれ顔をした。
むかしの着せ替え人形がわりにされたことへのちょっとしたお返しだ。
実際、アジエは正真正銘の量子力学分野の博士号もちだ。
その分野ではかなりの有名人らしい。
いくつかの特許を持っていて、凄まじい額のパテント料が転がり込んできている。
アジエは実は正真正銘のセレブなのだ。
それをわたしが知ったのは、アルマナックに救われたあとアジエの家にしばらく居候した時だ。
今思えばこうして人間を楽しめるようになったのはあの日、アルマナックに出会えたからだろう。
【Flashback】
「ぐへぁぁぁああああ!」
頭の上を八人目の黒服の男が凄まじい勢いで飛んでいった。
わたしはまだ椅子に縛られたまま、床の上に転がっていた。
三度の大きな衝撃のあと、ブラックマーケットの密売人たちは大混乱だった。
頭目と呼ばれる太った男が檄を飛ばし、大きな衝撃がくるたび、サングラスに黒服といういかにも子分という男たちが報告を入れにくる。
床に転がったわたしは完全に忘れられていた。
この隙にとジタバタともがいてみたが、固く結ばれた縄は解けそうになく成り行きを見守るしかなった。
三度目の衝撃が襲ったあとは頭目はワナワナと怒りに震え、側近の女の顔は青ざめていた。
辺りが完全にしずまりかえったあと、しばらくすると遠くからバンバンという大きな音と、悲鳴のような叫びが近づいてきた。
そして少し遅れて、何か金属が擦れるようなガシャガシャとした音も。
その後だ、部屋の扉を突き破って一人目の男がわたしの上を飛んでいった。
扉の破片と男が壁にぶつかり転がる。
わたしは扉を背に倒れているので何が起こってるのか全くわからない。
そしてその後も強烈な金属音が鳴るたびに、男たちの悲鳴が上がった。
それと、何か柔らかいものがつぶれるような音がするのと同時に人が宙を飛んで壁に激突していった。
……そして八人目の男がぐったりと床に転がった。
赤いドレスの側近の女はもう完全に腰を抜かして床にへたり込んでいた。
太った頭目は口をポカンと開け放心状態だ。
わたしはといえば背後に迫るガシャンガシャンという金属の足音に、体は強張り固まっていた。
そしてすぐそばでその足音が止まった。
ウィインという音がわたしの耳のすぐそばに近づいてくる。
わたしは恐怖に目をつぶった。
次の瞬間、ふわっとした浮遊感を感じた。
(……ああ、これは終わった……)
わたしは飛んでいった男たちのようになるのかと最後を覚悟した。
でも、予想とはうらはらにわたしは宙を飛ぶことはなく、椅子ごと床にトンッと置かれた。
おそるおそる目を開けてわたしは横を向いた。
そこには巨大な赤胴色の腕があった。
この腕と拳が密売人たちを吹き飛ばしたのだろうか……。
視線を上にあげると四角い頭に、上下に二つのカメラが並んだ顔がわたしを覗き込んでいた。
そこには機械じかけの巨大な赤銅色の巨人が立っていた。
しばらくするとその巨人は部屋の外に頭を向けた。
「キャプテン! イヤした、このガキじゃねぇですかい?」
野太い合成音だった。
すると、部屋に一人の男が入ってきた。
その格好はHODOの街でよく見かける揃いのマークが背中に入った群れのような連中と同じようだった。
ただ、その目は特別鋭く、サンタクララのジョンソン艦長を思い起こさせた。
「あー。 たぶんそれだな」
ただその仕草や、話かたはジョンソン艦長とは似てもにつかぬほど粗野だ。
「や、柳橋ぃ! 貴様か!」
さっきまで放心していた頭目がその男に怒鳴った。
「おおぉ、鄭頭目。 しばらくだったな」
「な、何がしばらくだ! これは何のつもりだ!」
「よしてくれ、仕事に決まってんだろ。 今回もテキヤのババアの使いで来たんだよ」
鄭頭目は「むぅ」と唸った。
「……ミツエの婆さんが、俺に何の用だ?」
「ババアから伝言だ。 『あんたが連れてった娘は、ただの世間知らずだから許してやってくれ。ブツは、こっちで始末するから安心しろ』 だってよ」
「何だと?」
「俺も詳しくは聞いてねぇぜ。 ただブツはもう流れないことはババアが保証するそうだ。 だから今回はこれで手打ちにしてくれや」
「嫌だと言ったら」
その答えを聞くと、柳橋はヅカヅカと歩いて行き、自分の額を鄭頭目の額に突き合わせた。
わたしは驚いた。
人間ってこんな凶暴な顔ができるものなの?
そしてそのまま鄭頭目のサングラスの先にあるだろう目を刺し貫くような表情で言った。
「そん時はよ、俺があんたとお仲間ごとこの船を沈めてやるよ」
その男の声を聞いた瞬間、わたしの背筋に冷たい感覚が走った。
(沈める……? ライナーごと?)
どうやら、わたしが倉庫と思っていたのはライナーの一室だったらしい。
それにしてもこの、柳橋という男はとても冗談を言っている口調ではなかった。
わたしは自分が巻き込まれた状況の危険性を改めて痛感した。
結局は密売人からこの相手を食い殺しそうな男の手に委ねらるだけなんじゃないのか?
(この人は味方なの? それとも別の脅威……?)
それすらも判断できない状況だ。
チラリと視線を頭目に移す。
微動だにせず、じっと視線を合わせているようだ。
二人の男は不自然な姿勢のまま視線を交錯させていた。
(このままじゃマズイ、わたしはどうするべき……)
鼓動が速くなる。
DQLの身体にはなかった、人間になって備わった煩わしい機能だ。
わたしの身体は、感情に支配され、警告を発し続けている。
その瞬間——。
先に引いたのは鄭頭目だった。
額を離して、椅子に深く座り直した。
「連れてけ……」
鄭頭目の声は疲れ果てていた。
その痛々しい姿を見てわたしはちょっとだけ、気の毒に感じた。
「スミー、それ持ってけ」
柳橋はわたしの横に立つ赤銅色の巨人にそう言うと部屋から出ていった。
赤銅色の巨人は椅子ごとわたしをつまみあげると、そのままガシャンガシャンと柳橋のあとをついていった。
どうやらひとまず、わたしは危機を脱したようだった……。
いや、違う……まったく脱していない。
密売人の集団を蹴散らし、そのボスをたじろがせるようなアブナイ目をした男の元に、椅子ごと運搬されいるのだ。
ああっ……やりすぎた結果のコノザマは絶賛継続中だ。
(さよなら柔らかいベッドにルームサービス。 地道に廉価品で頑張ればよかった)
わたしは、深い後悔の渦に飲み込まれていた。
【Present Day】
ミルクティーを啜り終えてカップを置いたわたしは、あの時のことを思い返していた。
人間のことを表面的にわかるつもなり、痛い目を見たわたしはそうやってアルマナックに救われたのだ。
あの後わたしは結局、HODOでミツエおばちゃんの前に連れてこらるまでずっと椅子に縛られたまま引き回わされた。
柳橋は、わたしを完全にただの荷物として扱ったのだ。
スミーがドンと椅子ごと、ミツエおばちゃんの前にわたしを置いたときもこういったのだ。
「適当にあたりをつけて持ってきたが、これで間違いないか?」
(適当?)
「柳、あんた何やってんだ?」
とミツエおばちゃんが拘束を解いてくれたときもリーダはため息一つで、わたしにはまるで興味なしという感じだった。
冷たいものが背筋を駆け抜け、心臓が大きく一つ鳴ったのも覚えている。
この男は、本当に適当にわたしを選んだだけだ。
わたしが本物かどうかさえ興味がないということ?
ただ運よく当たりを引いただけ……?
(そんなことで、わたしは助かったってこと!?)
そんな思いで頭がグルグルした。
非論理的であまりにも無秩序。
当時のわたしにはまるで理解できる行動じゃない。
スミーが、あの赤いドレスの女をこれじゃないかと言ったらリーダーは間違いなくそっちを連れてきただろう。
アルマナックに加わって一年。
わたしは柳橋 亮平という人間の本質を理解することはあきらめている。
そもそも、基本的に問題解決の手段は暴力にしか訴えない。
アナーキーすぎてわたしの人間のサンプリングモデルとしては採用できない。
でも、理解はできなくても付き合いが長くなれば、どんな人なのかということを少しは知ることができる。
柳橋という男は興味がない人間は顔も、名前もまったく覚えない。
興味のない人間は存在していないも同然で、どんな苛烈なことも一切の呵責なく行う。
そのくせ、一度興味を持てば執着に近い関わり方をしようとするのだ。
共感や興味が極端に偏っている。
アルマナックの柳橋はそういう人間だ。
人間の情報を検索して知ったが、近いところで言うと反社会性パーソナリティ障害。
たしか、ソシオパスという人間の形質があるのだが、それに近いのだろう。
危険で暴力的な面でリーダは恐れられる。その一方で仲間には徹底的に関わろうとするのでアルマナックのメンバや親しい人たちからは慕われてもいる。
「アジエは今日のリーダーの持ってきた大仕事どう思ってるの?」
普段からリーダーはおかしなネタを持ってきてはみんなを振り回してる。
アルマナックのみんなもそれを楽しんではいるのだが……。
でも、今回の大仕事はその中でもとびきりの怪しいネタなのだ。
「いいわけねーじゃん。 ここ最近のヤツの宝探しだってドンパチが増えてる。弾代とパーツが飛ぶのに、ナーンも出てこね。 アガリはゼロ!」
実際、経理も丸投げされてるアジエからしてみれば損失だけの最近の仕事の結果は怒り心頭なのだ。
「それなのに、何が大仕事だ。 オズのラボなんて与太話確かめに、よりにもよって、オラクルの警戒線のど真ん中に行いく気だぞ」
メニューの端末を手に取りながら、呆れたように言った。
「付き合ってらんね。 今日、何も出なかったらマジでしばらくは小遣い稼ぎだ」
わたしはクスっと笑った。
「ナニ、笑ってだよぉ」
「別に?」
わたしは笑みを浮かべながら、窓の外を眺めた。
アジエは相変わらずブツブツとリーダーへの文句を並べている。
窓際に置かれたニキシー管時計が小さく輝いていた。
オレンジ色に滲む数字は、ゆったりとしたリズムで時を刻み、インター・ヴァーチュアの中での曖昧な時間の流れを示している。
この一年で、わたしの状況はずいぶん変わった。
ただ存在したい、生き残りたいというシンプルな欲求から、いまは人間の世界の「やりすぎ」に巻き込まれている。
でも、悪くないかもしれない。
面倒だし、予測不能だし、ロジックも通じないけれど——それでも、温かくて心地よいものがここにはある。
ニキシー管時計の数字が揺らめき、ふわりと次の数字に切り替わった。
この曖昧で柔らかな時間のように人間の世界はわたしを掴んで離さない。
だから、わたしはもう少しだけ、この人間たちと「やりすぎて」みようと思っている。
わたしはふっと笑うと、再びお茶のおかわりを注文した。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
この物語は、仮想世界の秩序と、
人間とデータの境界を巡る戦いを描いていきます。
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次回の更新は3月15日予定。お楽しみに!