第三章(3)
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エレオノーラはジルベルトからの求婚を受け入れた形になった。フランシア家に反対する理由は無い。この後、婚約申請書を教会に提出すれば、二人は正式に婚約が認められる。のだが、その前にやるべきことがあった。
ジルベルトの両親に挨拶をしなければならない。という日が今日という日である。
つまり、今日はジルベルトの婚約者になるために恋人役を演じなければならない日なのだ。
「エレン。ジルベルト殿がいらっしゃったぞ」
兄のダニエルに呼ばれ、準備を終えたエレオノーラが姿を現す。
「相変わらずだな、お前のそれは」
我が妹でありながら、ダニエルはついそのような言葉を漏らしてしまった。
何しろ相手はジルベルトの両親だ。彼らに嫌われないようにしなければ、と思い、選んだ姿が今のエレオノーラである。
大人っぽい落ち着いた雰囲気の紺のドレスに髪の毛はアップにして知的な雰囲気を全面に醸し出す。年が離れているため、あまりにも子供っぽいのは考え物だし、だからと言ってけばけばしいのもどうかと思い、知的美人で攻めることにしてみた。さすがに眼鏡はやり過ぎかなと思い、それは外した。その結果、できあがったのがこの姿。兄も驚く知的美人に仕上がったようだ。
「エレオノーラ嬢か?」
ジオベルトがそう思うのも無理はない。先日、素顔で会った時のエレオノーラと、今日、知的美人に化けたエレオノーラは、知っている人から見ても別人に見える姿である。あまり彼女と会ったことのないジルベルトからしたら、やはり別人に見えるのだ。
それでも、馬車の中でジルベルトが優しく声をかけると、エレオノーラはふと表情を崩した。
「変ではありませんか? リガウン団長に似合うように、と思ってみたのですが」
「ああ、よく似合っている」
ジルベルとは、エレオノーラが眩しすぎて、先ほどから直視できていない。先日の愛らしい姿も心弾む何かがあったが、今日の彼女にはまた別の魅力がある。
「あの、団長。団長のことはジルベルト様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
恋人役を演じる以上、ジルベルトとは親密な関係を作っておかなければならない。それは名前の呼び方一つにも表れると思っているのだが、今はまだ親密になっていない関係。だからこそ、許可を求めた。
「ジルでいい」
どこに視線を向けたらいいかわからないジルベルトは、少し視線を反らして答えた。
「はい、ジル様。私のことはどうかエレンとお呼びください」
姿は先日と違うが、話をすると中身は先日のエレオノーラだった。自分に似合うようにとそうやって考えてくれた恰好も嬉しい。嬉しいのだが、彼女との年の差を考えるとそうやって喜んでいいのだろうか、という葛藤もある。だが、目の前の彼女はその葛藤さえも吹き飛ばしてくれるような、少し年齢差を詰めてくれるような恰好だった。
悪くは無いかもしれない。自然と綻びそうになる顔を、ジルベルトはきりりと引き締めた。
「エレン、手を」
馬車から降りるときにジルベルトは手を差しだした。このようなことに慣れていない彼ではあるが、この日のためにハウツー本を執事のトムから渡されていた。根が真面目な彼は、もちろんそれを熟読していたわけだが。
エレオノーラはそっと彼の手に自分の手を重ねた。そのまま手を取り合って、リガウン侯爵家の屋敷へと足を向ける。
馬車から降り、一歩足を踏み出した途端、エレオノーラは仮面をつけた。ジルベルトの婚約者、今はまだ恋人だが、そうなれるような仮面を。隣にいる彼に相応しい女性になれるような仮面を。
エレオノーラの雰囲気がかわったことにジルベルトも気が付いた。きっと緊張しているのだろう、と思った。
リガウン家のこの屋敷は、別邸である。本邸は、リガウン領にあるようだ。だが、この王都で仕事をすることが多いリガウン侯爵は、年の半分以上をここで過ごしているらしい。領地の方は、家令に任せているとか。
このリガウン侯爵家の別邸は、白亜の壁が印象的だった。また、門から屋敷までは綺麗に刈られた芝生が広がっている。ジルベルトが言うには、屋敷の裏に色とりどりの花が咲いている庭園があるそうだ。母親が手慰み程度に世話をしている、と。ジルベルトから彼の家族の話を聞きながら、エレオノーラは屋敷まで歩調を合わせてくれる彼に寄り添いながら歩いた。
屋敷へ入ると、ジルベルトの両親が快く迎え入れてくれた。
エレオノーラは目の前にいるジルベルトの両親へ挨拶をする。知的に優雅に、そして嫌われないように、と。どうやら、第一印象はクリアしたようだ。ジルベルトの両親は嬉しそうにニコニコと笑顔を浮かべている。その顔を見た瞬間、エレオノーラかれも緊張という二文字がすっと去っていくような感じがした。
ジルベルトの母親に促され、談話室へと向かう。
エレオノーラは安心した彼の母親の笑顔だが、ジルベルトからしたら、この母親が始終ニコニコと笑みを浮かべているのが怖いと思っている。だが、そんな彼の気持ちをエレオノーラは知らない。
「では、エレンは今年で十八になったところなのね。その割には、大人っぽいわね」
早速、エレオノーラのことを愛称で呼び始めた母親。
「ジル様に似合うような女性になりたいと思いまして」
エレオノーラははにかみながら答えた。
「まあ、ジルのために? でも、エレン。そんなに無理して大人にならなくてもいいのよ。あなたにはあなたの良さがあるでしょうに。その気持ちだけで十分ですよ」
恋は盲目とも言う。ジルベルトに恋するあまり、彼女本来の良さを失ってしまっては本末転倒だ。母親はそれを心配しているのだろう。
「そう言っていただけて、とても嬉しいです」
口の端をもちあげて笑みを浮かべるエレオノーラであるが、先ほどの馬車の中での笑み方ともまた違うことにジルベルトは気付いた。どこか大人びている。
「本当にジルベルトでいいのかしら、って思っていたけれど。エレンがこんなにもジルのことを慕ってくれていた、だなんて、本当に嬉しいわ。念のために確認するけれど、本当に一度しか会ったことがないの?」
その問いにエレオノーラはゆっくりと大きく頷く。
「きっかけは、先日の任務ですが。短い時間でありながらも、ジル様の良さというものを感じることができました」
「本当に、こんなおじさんでいいの?」
どうやらジルベルトの母親は、エレオノーラとジルベルトの年の差を気にしているようだ。だから先ほどもエレオノーラの年齢を確認したのだろう。
「おじさんだなんて。ジル様には私にはもったいないお方です。むしろ、私で本当によろしいのでしょうか」
エレオノーラは笑んでから、ジルベルトにゆっくりと視線を向けた。
そのジルベルトはコクコクと顔を縦に振ることしかできない。母親の圧と、エレオノーラと話を合わせなければ、という気持ちが混ざり合っている。
だが、そこで口を挟んできたのはジルベルトの父親でもあるリガウン侯爵だった。
「エレオノーラ嬢は、第零騎士団所属と聞いているし。そのあなたの特殊な事情も聞いている」
ジルベルトと婚約をする以上、エレオノーラが第零騎士団所属ということは事前に伝えてもらっていた。
それは彼女の相手となるジルベルトも第一騎士団所属であり、そこを取りまとめる団長という地位についているからで。さらに言うならば、ジルベルトの父親であるリガウン侯爵も元騎士団。だからこそ第零騎士団所属を隠すようなことはしなかった。エレオノーラの相手が別の人間であったら、ただの騎士団所属と言っていたことだろう。
「その、ジルベルトとの結婚後は、騎士団のほうはどうするつもりだい?」
この問いの真相は何か。結婚したのであれば騎士団を辞めてもらいたいという意味が含まれているのか。それとも、第零騎士団所属であるが為、軽々と辞めるなと言っているのか。だが、エレオノーラは難しいことを考えるのを放棄した。自分の気持ちを素直に口にする。
「はい。できれば、続けさせていただければと思います。第零騎士団の任務は特殊ですので、誰でも務まるというわけではありません。私の後任が見つかるまでは、その責務を全うしたいと思っております」
「そうか」
リガウン侯爵は腕を組んだ。難しい表情をしているのは、どのような意図があるのか。
「父上。エレンのほうの仕事については、私の方からもお願いしたいと思っていたところです。我々第一騎士団にとっても、第零騎士団は無くてはならない存在ですし、彼女の働きぶりは第零騎士団の中でも群を抜いておりますので」
「ジルベルトがそこまで言うなら、この件に関しては私の出る幕ではないな。その辺は二人で相談しながら決めるがいい」
「ありがとうございます、リガウン侯爵」
エレオノーラが上品に笑むと、こらえきれなかった父親がとうとう口にした。
「エレオノーラ嬢、できれば私のことをお義父さんと呼んでくれないか」
もしかして、先ほどから難しい顔をしていたのは、これが原因なのだろうか。
「父上」
思わずジルベルトは声を荒げる。
「あなただけずるいですよ。でしたら私のことはお義母さんと呼んでちょうだい」
「母上まで」
ジルベルトは額に右手を当てた。この両親は突然、何を言い出すのか。
「だって、私だって娘も欲しかったのよ。あなたは結婚するそぶりも見せないし。孫の顔はもう見ることもできないと思っていたし。だから、義理でも娘ができたことに嬉しくて嬉しくて。それに、孫にだって期待が持てるというわけでしょう」
母親は今にも泣きだしそうだ。
「不束者ですが、よろしくお願いします。お義父様、お義母様」
エレオノーラは頭を下げたが、ジルベルトは孫という単語で唇の端をひくりと動かしていたことに、彼女は気づいていない。
とにかく、ジルベルトの両親が息子とエレオノーラの出会いを心から喜んでくれた、ということだけは伝わった。さらにエレオノーラの特殊な任務についても理解を示してくれた、ということ。さらに彼女が社交界を絶っていたことはその第零騎士団という特殊任務のためであり、それを絶つ理由として病弱設定だった、ということについては特に安心したようだ。何のための安心かは、この母親に聞かないとわからないのだが。
その両親の目の前で婚約申請書に二人は名前を書き、その後二人で教会にこれを提出した。
つまり、この二人は正式に婚約者同士となったのである。