第三章(2)
◇◆◇◆
さて、ジルベルトがフランシア子爵家を訪ねる二日前の夜。ジルベルト本人が、リガウン侯爵家より呼び出しがかかった。呼び出された先はリガウン侯爵夫人、つまりジルベルトの母親である。いつもは騎士団の宿舎にいるジルベルトであるが、呼び出されたのであれば、屋敷に戻らなければならない。気は重いが仕方ない。その結果、目の前に母親がいるというこの状況。
「ジル。あなた、なぜフランシア子爵家に使いを出したのかしら」
「はあ」
談話室の華やかな柄のソファにゆったりと座り、グラスを傾けている母親。
「あそこには息子が三人と、娘が一人いたはず」
さすがリガウン侯爵夫人。フランシア子爵家の事情を把握している。
「あそこは、代々第零騎士団に所属しているはずだが」
どうやら父親であるリガウン侯爵もいたらしい。母親のオーラで存在が薄くなっていた。それだけ今日の母親が纏っている空気が重いということ。元騎士団長である父親の威厳を全て彼女が打ち消しているのだ。
「酒の力でも借りるか?」
父親が言うと、執事のトムが黙ってグラスとウィスキーをテーブルの上に置いた。仕方ないので、ジルベルトはグラスで一杯、それを口に入れた。こうなったら父親が言う通り、酒の力を借りるしかない。
「先日の窃盗団摘発の件で。フランシア殿には世話になったため、礼に伺おうかと」
酒の力を借りても、ジルベルトが言えた言葉はそれだけだった。
「あそこには息子が三人と、娘が一人いたはずですが。あなたの言うフランシア殿というのは、どなたを指すのかしら」
母親の口調は変わらない。
「あそこは、代々第零騎士団の所属」
微妙に助けにならない父親からの助け舟。
「つまり、第零騎士団に礼をしたいということか?」
やはり助け舟になっていない。むしろ、火に油を注いでいるような状態。
「あ、はあ。まあ、そんなところです」
「でしたら、わざわざフランシア邸にまで行く必要はないですよね。そのような話は騎士団の中でクローズさせてしまいなさい」
やはり、油を注いでしまった。母親の目尻がキリリと吊りあがっている。
「あ、はあ。まあ、そうかもしれませんが」
母親の勢いに負けてしまい、酒の力を借りてもそれしか言えないジルベルト。父親の目が情けないと訴えている。
「ああ、もう。はっきりしない男ね。そんなんだから三十過ぎても結婚の一つや二つもできないのよ。それで、あそこには息子が三人、娘が一人。あなたが礼を言いたい相手というのはどなたかしら?」
むしろ結婚は一つでいいのでは、と思ったジルベルトだが、それを口にすれば十倍の勢いで言い返されてしまう。
「フランシア諜報部長」
結局、酒の力を借りても誤魔化すジルベルト。だが、礼をしたい相手としては間違ってはいない。諜報部長のダニエルの力添えがあって、あの窃盗団一味を捕まえることができたのだから。
「長男か?」
父親の呟きに、母親の口元が歪んだ。吊り上げた目を、さらに角度つけて彼を見つめてから、ジルベルトを睨みつけた。
「誤魔化さない。それで、本命は誰?」
「エレオノーラ嬢」
フランシア子爵家の娘の名が出た途端、彼女の吊りあがった目が緩んだ。
まあ、と母親が胸の前で両手を合わせた。最初からこの答えしか期待していなかったくせに、と思っているジルベルトだが、もちろんそのようなことは口にはできない。
「それで、エレオノーラ嬢にはどういったご用件かしら?」
ジルベルトはもう一杯、酒の力を借りることにした。
「できれば、結婚の申し込みを」
まあ、と母親がついに立ち上がった。
「どういった風の吹き回し? そして、いつ、どこで、どのようにして出会ったのかしら? そしてお付き合いはいつから? どちらから告白したの?」
母親が興奮して、いくつもの質問を投げかけてくる。それを見かねた父親が「落ち着きなさい」と宥め、なんとか母親は腰をおろした。だが、尋問が始まりそうなのは目に見えている。ジルベルトがさらにもう一杯、酒の力を借りようとしたとき。
「ペースが速い」
父親から言われたため、とうとうジルベルトは酒の力を借りることができなくなってしまった。
「ええと、ジル。彼女とはいつ出会ったのかしら?」
落ち着きを取り戻した母親が尋ねてきた。これは事務的に答えるしかないだろう。
「先日の任務で一緒になりました」
「まぁ。お仕事で出会ったのね。それで、お付き合いはいつから?」
「まだ、付き合ってはおりません」
ジルベルトが正直に答えると、両親からは沈黙が生まれた。
父親と母親は、顔を見合わせている。二人とも無言である。
だが、彼らの目が何かを伝えようとしていることだけは、ジルベルトにもわかった。
「付き合ってはいないけれど、結婚の申し込みを考えていると?」
父親からのその言葉にジルベルトは返事をする。
「はい」
そこで父親は腕を組んだ。
「最近の若い子たちの事情はよく知らないが、その辺の順番はどうなっているんだろうか」
「ジル。あなた、エレオノーラ嬢とは何度かお会いしたことがあるのよね?」
母親から問われる。
「いえ、その任務で一度きりです」
まあ、と今度は困ったように母親が左手で口元を押さえた。この母親は何か考えているのだろうけど、その沈黙が怖い。彼女はゆっくりと口を開く。
「つまり。任務で一度お会いしたエレオノーラ嬢に結婚の申し込みをしたい、と。あなたはそう言っているわけよね?」
「はい」
何かおかしいことを口にしただろうか、とジルベルトは不安になる。
「性急すぎない? でも、ジルの年齢を考えたら。でも、相手がなんていうか……」
母親はぶつぶつと独り言を言い出した。多分、現実を受け止め切れていないのだろう。
「あの、母上。私の行動はそんなにおかしいのでしょうか」
不安になりジルベルトは尋ねた。
「それを聞く? 今更?」
母親はコホンと咳払いをした。
「本来であれば、あなたは適齢期に縁談がきたときにそれを受けるべきでした。ですが、それをことごとく断って、今に至っています」
「はあ」としかジルベルトは返事ができない。事実であるため反論もできない。
「それで、次は結婚したい女性がいると言い出したました。そうなると私たちは、あなたが縁談を断っていたのは、好きな女性がいたからだった、と思うわけです」
「はあ」
「ところが。その結婚したい相手は、つい先日お会いしたばかりの女性。しかもまだお付き合いもしていない。本来であれば、あなたがエレオノーラ嬢に気持ちを伝えて、相手の気持ちを確認して、お付き合いをして、婚約をして、結婚という流れです」
「結婚を申し込むということは、お付き合いをすることにはなりませんか?」
「まあ、その辺は曖昧なので、あなたの場合はそういうことにしておきましょう。つまり、フランシア子爵邸に伺うのは、エレオノーラ嬢にお付き合いを申し込むため、ということでよろしいですね? 将来的には結婚したい、とそういうことですね?」
「はあ、まあ」
母親の勢いに押されて、ジルベルトとしては、「はあ、まあ」を言うので精一杯。
「順番はどうであれ、あなたにもそう思える女性が現れたことは嬉しく思います。エレオノーラ嬢から良い返事がもらえたら、我が家にも連れてきなさい」
「はい」
そろそろこの場を離れてもいいだろうか、とジルベルトは腰を浮かした。だが、母親には一つ頼みたいことがあったことを思い出した。
「母上。一つ頼みたいことがあるのですが」
「なんでしょう」
「エレオノーラ嬢は、小ぶりの花が好きなようです。そのような花を贈りたいのですが」
「わかりました。私の方で手配しておきます。当日は忘れずにそれをエレオノーラ嬢に渡すように」
「はい」
ジルベルトはその場からやっとの思いで逃げた。