第二章(3)
次にエレオノーラは二番目の兄のドミニクの部屋を訪れた。
「どうかしたのかい?」
自室でお茶を飲みながら本を読んでいたドミニクは、その本から視線をあげて優しく声をかけた。
基本的に三人の兄はエレオノーラには優しい。ときどき、突拍子もない行動をとる彼女を制する必要があるだけで。
その中でもドミニクが一番穏やかな性格をしている。
ドミニクはカップを手にし、お茶を口に含んだ。
「ドムお兄さま。ドムお兄さまは、リガウン団長の好みの女性をご存知ですか?」
お茶を飲むのではなかった、と後悔に襲われたドミニクは、お茶を吹き出しそうになり、咽た。
「急にどうしたんだい? エレン」
ゴホゴホ、と咳込んでいるのは、お茶が変なところに入り込んでしまったからだ。
「せっかくリガウン団長にお会いするなら、団長の好みの女性を演じた方がよろしいのではないかと思ったのですが。嫌われるよりは好かれる努力をしたほうがいいのかなと思いまして」
口元を拭きながらドミニクは答える。
「女性との浮いた話を聞いたことが無い。残念ながら、僕はその質問に対する答えを持ち合わせていない。ここは、この話を持ってきたダン兄さんに聞くのがいいのではないかい?」
「わかりました」
しぶしぶと部屋を出ていく妹の後姿を、ドミニクは不安気に見送っていた。
そしてエレオノーラは一番上の兄であるダニエルの部屋へと向かった。
「何かあったのか?」
その声色を聞く限り、今日のダニエルは機嫌が良さそうだ。
「まあ、座りなさい」
促されるがまま、エレオノーラはソファに座る。
「それで、どうかしたのか?」
「ダンお兄さま。リガウン団長の好みの女性のタイプを教えてください」
「どうしたんだ、急に。やっとやる気が出たのか?」
ダニエルがそう口にしても、エレオノーラには伝わっていないようだ。恐らく、婚約者を演じる気はあるとか、そんな風に思っているに違いない。
「せっかくリガウン団長がいらっしゃるのですから、団長の好みの女性を演じた方が良いのではないかと思ったのですが」
ダニエルは腕を組んだ。ダニエルの予想通りの答えが返ってきた。この妹は本当にジルベルトの好みの女性に変装する気だ。できることなら、演技ではなく本気になってもらいたいのだが。というのがダニエルの想いであるのだが、残念ながらエレオノーラには届かない。
ただ、ジルベルトの気持ちがわからない以上、下手に妹にそういうことも言えない。
どっちもどっちで、よくわからない。というのがダニエルの本音である。本音だからこそ、口にすることもない。
「まあ。はっきり言って、リガウン団長の好みの女性についてだが。オレは何も知らん」
「なんで、そんな投げやりな態度なんですか」
エレオノーラはぷーっと頬を膨らませた。
「そんな顔をしても、知らないものは知らん」
「でしたら、団長から聞いてください」
エレオノーラはずずいと身を乗り出す。
「何?」
そんな昨日の流れから、今日の昼食をジルベルトと一緒にとることになったダニエルである。このように他の騎士団と会食をする場合は、広報部を通して連絡をいれるのが一般的だ。ダニエルは、広報部のドミニクにジルベルトの予定を聞くように依頼した。すると、ドミニクを介してジルベルトからは快い返事が来たため「本日の昼食を一緒に」という流れになる。
ドミニクから「ダニエルが相談したいことがあるようだ」とジルベルトに伝えてもらったところ、ついでにジルベルトも「ダニエルに聞きたいことがある」という返事までもらってしまった。
広報部のドミニクが手配した食堂内の個室であった。ここにはダニエルとジルベルトの二人しかいない。
「フランシア殿、それで話とは何だろうか」
「妹のことです」
前菜をフォークでつつきながら、ダニエルが言った。
「何か、不都合でも?」
ジルベルトは眉根を寄せた。たったそれだけのことであるのに、ジルベルトの顔には凄みが増す。ダニエルだから耐えることができたが、何も知らぬ一般騎士であれば「ひっ」と変な声をあげていたに違いない。
「いえ。妹がリガウン団長の好みの女性のタイプを気にしておりまして」
ダニエルはそれを口にしたが、なぜか恥ずかしいとさえ思えてきた。これでは妹の縁談を取り持つ、おせっかいな兄ではないか、と。だが、とりもっているのは事実。ジルベルトとエレオノーラがお互いに伝えあいたいことを、二人はダニエルを介して伝えているのだ。
そんな思いをジルベルトに悟られないように、ダニエルはそっと小声で続ける。この部屋に、他には誰もいないはずなのに、それでも小声にしなければいけない気がしていたのだ。
「リガウン団長はどのような女性が好きでしょうか」
ふむ、とジルベルトはフォークを運んでいた手を止めた。彼のことだから真面目に考えているようだ。表情はひくりとも変わらない。ダニエルがこのような質問を受けたら、動揺して目を大きく見開くことくらいはする。
「あまり、そのようなことは考えたことがなかったな」
結婚に興味が無いというのもあながち嘘ではなかったのだろう、と推測する。むしろ、女性に興味が無かったのではないだろうか。だからと言って、男性と噂があったわけでもない。
とにかく他人を寄せ付けないのだ。孤高、という表現が似合う男かもしれない。それに、顔もやや怖い。
「そうですか。妹が、リガウン団長の好みのタイプの女性になりたい、と言い出したものですから」
ジルベルトの右手はフォークを持ったまま動かない。数秒の間、そのまま停止していた。ダニエルは停止している彼が動き出すのを黙って待つことしかできない。
「そうか。そう思ってもらえるだけでも嬉しいものだな」
やっと動いたと思った彼の顔が、ふっとほころんだ。そして、再びフォークを動かし始めたが、皿の上にある付け合わせをフォークでいじっているだけで、口元まで運ぼうとはしない。何やら考え事をしているようだ。
その後、悩んだ末のジルベルトはやっと口を開いた。
「エレオノーラ嬢はエレオノーラ嬢のままでいいと、伝えていただけないだろうか」
それはダニエルにとっても意外な言葉だった。彼はけしてエレオノーラの素顔を見たわけではないだろう。もしかして、彼女の素顔を見たいと思っているのだろうか。
「承知、しました」
ダニエルはその言葉を絞り出した。
そして二人は食事を再開する。それはもう食事とは思えない程、事務的に手を動かすだけであり、会話も何もない。カチャカチャと食器の音が鳴り響くだけの空間。
ところがふとジルベルトが手を止めて、「エレオノーラ嬢は、花は好きだろうか?」と口にした。
「花、ですか?」
あまりにも唐突な質問であったため、ダニエルは聞き返してしまった。だが、ジルベルトは何も言わない。もしかして独り言だったのか、と思いきや、彼の方も「ダニエルに聞きたいことがある」と言っていたことを思い出した。もしかして今の言葉が、ジルベルトが聞きたいと思っていた内容なのだろうか。
ダニエルは記憶を掘り返して答えようとした。エレオノーラはどのような花が好きだったろうか。
「嫌いではなかったと思います。花びらの大きな花よりも、小ぶりの花を好んでいた記憶があります」
その答えに、ジルベルトは満足した様子であった。また彼の口元が緩んだ。どうやら、ダニエルは彼の求める答えを出せたようだ。
それから、お互いに次の休みの予定を再確認すると、それぞれ午後の任務へと戻った。
だがダニエルは、今回の件を妹にどうやって報告しようか悩んでいた。
悩んだ挙句、ダニエルはジルベルトからの言葉をそのままエレオノーラに伝えることにした。「エレオノーラはエレオノーラのままでいい」と。
だからこそダニエルは「くれぐれも変装しないように」と釘を刺した。
それを聞いた彼女は悩んだようだが、なぜかパメラが嬉しそうであったため、パメラに任せることにした。パメラがいればエレオノーラが変装をすることもないだろう。




