第二章(2)
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その日の夜。つまり、ジルベルトがサニエラから裏向きの調査結果を受け取っていた日の夜のこと。
フランシア子爵家の談話室には総勢たるメンバーが揃っていた。エレオノーラの両親の他に、一番上の兄ダニエル。そして、二番目の兄ドミニクと三番目の兄のアルフレド。そのメンバーに囲まれているのが、エレオノーラである。
もう、このメンバーに囲まれたらエレオノーラは縮こまるしかない。
可哀そうなエレオノーラ、とエレオノーラ自身もそう思っていた。
「それでダニエル。リガウン侯爵の話は本当か」
エレオノーラの父であるフランシア子爵がゆっくりと口を開き、一番上の息子に尋ねた。
「はい。今のところ、本当だと思われます。本日、次の休暇に挨拶に来たいということで予定の確認がありました。後日、正式に使いが来るものと思われます」
ふむう、とフランシア子爵は唸る。フランシア子爵家にとっては願ってもいない話である。本来であれば諸手を挙げて喜びたいところ。だが、エレオノーラは第零騎士団諜報部、さらに言うならば潜入班。エレオノーラの結婚について問題があるとすれば、それしかない。
このフランシア子爵家は代々第零騎士団を勤めあげる家系である。父であるフランシア子爵は元諜報部部長、今はその座を長男ダニエルに譲っている。母であるフランシア子爵夫人は広報部に所属していた。
二人の出会いは第零騎士団。結婚と同時に退団したのが夫人のほうだ。次男のドミニクは母と同じく広報部門に所属し、三男のアルフレドは情報部門に所属している。第零騎士団にフランシア子爵家あり、と言っても過言ではなかった。
実は、フランシア子爵はエレオノーラを第零騎士団に入団させる気はなかった。普通の娘として普通に結婚して、普通に子を授かって、普通に暮らして欲しいという願いがあった。
だがこのエレオノーラ。なぜか昔から変装が好きで、さらに得意であった。それに目をつけてしまったのが父親であるフランシア子爵なのである。
そのためエレオノーラは変装しては、父の仕事のためにいろんなところに潜入していた。
けして、フランシア子爵が強要したわけではない。彼女は自主的に変装していたのだ。それをうまく利用しただけにすぎない。例えば、学院に通う男子学生、花屋の娘、パン屋の看板娘、図書館の常連等、幼い頃の変装といえばそんなもんである。そんなもんであっても、騎士団にとっては情報収集のためには役立つものでもあった。
その結果、今では第零騎士団にはいなくてはならない存在にまでなっている。
「フレディ。リガウン家のご子息、ジルベルト殿について報告して欲しい」
ダニエルからの言葉によって、アルフレドはジルベルトについて調べていた。情報部に所属しているので、この辺の調査はお手のもの。つまり、お茶の子さいさいというものである。
「第一騎士団団長ジルベルト・リガウン。年は三十一。侯爵家の長男でありながらも、未婚。婚約者もいません。王都にある侯爵家の別宅を出て騎士団の官舎で暮らしています」
淡々とアルフレドが報告をする。
「あら、ちょっとその年で未婚で婚約者がいないっていうのはつらいわね。完全に逃したわね。しかも官舎住まいなんて、断然やる気がないわね」
母親が口を挟んだ。やる気がないというのは、結婚をする気がない、という意味だろう。
「元々結婚に興味が無いということも一部では囁かれていましたから」
アルフレドが答える。
「そっちが好きってことは無いのよね?」
またまた母親が尋ねる。
「そっちとは?」
アルフレドが尋ねると、もういいわ、と言うように母親は首を振った。
エレオノーラもどっちなのかがわからない。
アルフレドは左手の人差し指で眼鏡を押し上げる。
「話を続けます。先日。彼の部下である第一騎士団のサニエラ副団長が、エレオノーラについて調べていたようです」
「そうなのか?」
ダニエルの問いにアルフレドは頷く。エレオノーラの情報は機密事項扱いだ。それを第一の副団長が調べたということは、この第零に誰か内通者がいると思われてもおかしくはないだろう。
ダニエルは腕を組んだ。誰がサニエラに情報を流したのか。
ドミニクが口を開く。
「その結婚に興味が無いリガウン団長が、なぜエレンに求婚したいとか言い出したのか、が気になるのですが?」
その視線はしっかりとエレオノーラを見ている。
(そうですよねぇ……。私も知りたいです)
エレオノーラの心の呟きは、目の前の家族には届かない。
「エレン、経緯を説明しなさい」
ダニエルから言われてしまった。むしろこの口調は命令である。
「あのときの説明と同じでいい」
あのときと同じでいいと言われても、エレオノーラは困ってしまう。
(それってもしかして、胸を触られたとか、ちゅーしてしまったとか、それをこの家族の中で説明しなければならいってこと)
それが困っている原因だ。
普通であれば耐えられない。なぜ家族にあのときの失態を晒さなければならないのか。
それでもエレオノーラには『仮面』という武器があった。この『仮面』をつけて役になりきれば、自分の恥さえも恥とは思わずに淡々と報告することが可能である。それが彼女の凄さの一つでもあった。
エレオノーラは『調査報告員』という『仮面』をつけた。そして、先日ダニエルに説明した内容と同様のことを淡々と口にした。
「事故ですね」
話を聞いたアルフレドが眼鏡を押し上げながら言う。
「事故だが、リガウン家の子息にとってはただの事故ではないだろう。不幸な事故だ」
父親が嘆いた。
「可哀そうなリガウン子息」
とどめの一発も忘れない父親。
「お父様。そこ、可愛そうなのは私ではないのですか」
『仮面』を取り外したエレオノーラが口にする。
「一応、初めてのちゅーだったのに」
彼女は恥ずかしいのか悔しいのか、両手で顔を覆ってしまった。
「エレン、初めてだったのか」
妹の告白に驚いたダニエルは、思わず腰を浮かしそうになる。
「娼館にも潜入していたから、その辺はお手のものかと思っていたのだが」
「それはそれ、これはこれ。いつか出会える未来の旦那様のために、私は純潔を守っております」
とうとう三人の兄たちは吹き出した。
(そこ、面白いところでもなんでもない)
そんなエレオノーラの心の声は、残念ながら兄たちには届かない。
「すまない。意外だっただけだ」
取り繕うかのようにドミニクが言った。
「いっそのこと、その純潔をリガウン家の子息に捧げてしまったらどうかしら?」
真面目な顔をして、さらっと恐ろしいことを口にしたのは――。
「お母様」
「考えてもみなさい。我が家は、しがない子爵家。その娘と結婚したいと、侯爵家からの申し出ですよ。しかも相手は第一騎士団の団長。願ってもいない話ではないですか。もったいなさすぎて、お釣りがくるくらいのお話です」
「ですが……。仕事が……」
「まったく、そうやって仕事仕事と言っていると、完全に婚期を逃しますよ。ましてあなたは社交界にも参加していない」
「していない、のではなく、できない、の間違いでは?」
エレオノーラは小さく呟いた。
そもそも、参加したくてもさせてもらえないのだ。それを『していない』と表現されるのはいささか語弊があるというもの。
「その辺の細かいところはどうでもよろしい。とにかく、エレオノーラもすでに十八。本来であれば婚約者がいてもおかしくはない年頃。むしろ結婚していてもおかしくはありません」
母親の力説に、男性陣は四人とも腕を組み、うむぅと唸ることしかできない。ここにも結婚していない男が三人いるのだが、それには触れないらしい。とにかく、婚約者がいるということで大目に見ているのだろう。さらに、第零騎士団所属という特殊任務部隊。そうやすやすと結婚もできる部隊でもない。
「我が第零騎士団も第一騎士団と任務はこなすことはあるからな。エレンのことを知っていてもらっても悪くはないかもしれないな」
ダニエルが言った。
「ですが、リガウン団長は、責任を取るとおっしゃったのですよね?」
エレオノーラが顎に手を当て、何かを考えているようだ。
「そうだが?」
ダニエルは語尾をあげ、右の眉尻もピクリとあげた。
「つまり、リガウン団長は別に私のことを好きでもなんとでも思っているわけではなく、あの事故の責任を取りたいとおっしゃっているわけですよね?」
エレオノーラの視線は何かを探すかのように斜め上の空中を見つめている。
「ということは、私はリガウン団長の妻、まだ結婚はしていないので、つまり婚約者、いや、まだ届け出もだしていないから恋人? を演じればよろしいということですよね?」
そんなエレオノーラの発想に、他の五人は唸っている。
エレオノーラとしては『ジルベルトの恋人』という仮面をつけて、その役を演じればいいのだろうと思っていた。
次の日。リガウン侯爵家の使いという者がやって来た。要約すると、ジルベルトが次の休暇にエレオノーラに会いたいのだが、都合はどうかという内容である。それを断る理由は無いため、もちろんフランシア子爵家の出した答えは『快諾』である。
「フレディお兄さま」
仕事から戻ってきた三番目の兄を見つけたエレオノーラが声をかけてきた。
「リガウン団長は、どのような女性が好みかわかりますか?」
彼女の突拍子もない質問に、アルフレドの眼鏡がずれた。慌てて、左手の人差し指で押し上げる。
「エレン、何かあったのか?」
アルフレドもエレオノーラのことが心配になり、ついその顔を覗き込むようにして見下ろした。
「いえ。ほら、リガウン団長とお会いするので、せっかくならば団長のお好みの女性を演じようかと思ったのですが。情報部のフレッドお兄さまであれば、その辺の情報を持ち合わせているかと思いまして」
「うーん」
そこでアルフレドは腕を組んだ。
情報部らしく、『脳内データベースを検索中、検索中、検索中……。お探しのキーワードに一致する結果は見つかりませんでした』
「知らない」
「えぇ~。どうしましょう?」
エレオノーラの困ったような調子の外れた声が響く。
「騎士団のそういった一般的なことであれば、ドム兄に聞いてみればいいのではないか? 広報部だからな」
言いながら、アルフレドは自室へと向かっていく。その背中が震えていた。どうやら彼は、笑いをこらえているようだった。