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第六章(3)

 ジルベルトの後ろでダニエルが動く気配がした。倒れている彼女を介抱するのだろう。


「おい。大丈夫か」


 ダニエルはしきりに彼女に声をかけている。


「おい、ウェンディしっかりしろ」


 グリフィン公爵は、ジルベルトの婚約者の名前を思い出そうとしたが、少なくともそんな名前で無かったことは覚えている。


 そう、あのパーティで二人そろって挨拶をしていた。確か婚約者の名前は――。


 そこでマリーがむくりと起き上がった。上半身を起こして、首をポキポキと傾けている。そして首元を右手で押さえていた。首に負担がかかったのだろう。


「はい、ダニエル部長。そこで、ついつい彼女の本当の名前を呼んでしまうのは、諜報部失格ですよ? 彼女はウェンディですが、今はエレオノーラになっているのです」


 そう言葉を発するマリーは何かが違っていた。いつもの彼女ではない。

 グリフィン公爵はただ茫然と彼女を見つめることしかできなかった。


「あ、あ。マリー?」


 グリフィン公爵は情けない声を出した。


「残念ながら、マリーは死にました。あなたも確認したのでしょう? アンディ?」


 その艶やかな微笑み方はまさしくマリー。だけど、話し方と仕草が何か違うのだ。

 目の前にいる女性はマリーに見えるがマリーではない。


「そうだ。マリーは息をしていなかった。このジルベルトに殺されたんだ。なのに、なぜ?」

「ごめんなさい、アンディ。私、死んだふりは得意なの」

「お前は、マリーじゃない。お前は、一体誰だ?」


 グリフィン公爵は膝をついたまま、わなわなと身体を震わせていた。


 彼女はもうマリーという名の仮面をつけていない。


「私? 私は」


 あるときは酒場の店員、あるときは娼館の娼婦、あるときは高級レストランの料理人、でもその正体は。


 という決め台詞とポーズを考えてダニエルに伝えたところ、あえなく却下されてしまったため、普通に名乗るしかない。


「第零騎士団諜報部レオン」

「な、な、マリーが諜報部だと?」

「正確には諜報部の私がマリーに扮していた、ですね。はい、リガウン団長、グリフィン公爵の拘束をお願いします」


 マリーに扮していたレオン、つまりエレオノーラはすっと立ち上がると、気絶していた四人の男のうちの一人が起き出して逃げようとするところを追いかけた。


 女の足で間に合うのかと誰もが思うところだが、彼女の足は速かった。逃げ出す男に追いつくと、飛びながら回し蹴りで彼のこめかみを狙う。

 回し蹴りはフランシア家の得意技なのか、と思いたくなるほど、華麗な技である。


 その男は壁の方まで吹っ飛んで、再び気を失った。


 エレオノーラの回し蹴りは、ここにいる誰もが見惚れてしまうほど、見事なものであった。


 廃倉庫の周囲は、すでに第一騎士団で囲まれていた。


 ジルベルトがグリフィン公爵を拘束し、ダニエルがその部下二人、エレオノーラに扮していたウェンディが部下一人、そしてマリーに扮していたエレオノーラが部下一人を拘束して、彼らを第一騎士団に引き渡した。


「グリフィン公爵。あなたには、薬の密売と誘拐の罪がかけられています」


 ジルベルトはうなだれるグリフィン公爵に声をかけた。


「ジルベルト殿。貴殿が今日を共に過ごした女性は、婚約者ではなかった、ということか?」


 思い出したかのようにグリフィン公爵は尋ねた。

 劇場から彼らをずっと見張っていたというのに、エレオノーラだと思っていた女性はエレオノーラではなかったのだ。


「いえ。私は婚約者である彼女と共に過ごしました」


 もちろんジルベルトは、劇場ではエレオノーラと共に観劇を楽しんだ。舞台を見ながら少し興奮して喜んでいる彼女は、確かにジルベルトの隣にいた。


「だったら、なぜ? いつ入れ替わったんだ?」

「劇場です。帰りの馬車に乗る前」


 ジルベルトは淡々と答えた。


「そうか。だからお前たちは騎士としてここに来ることができたのか」


 グリフィン公爵は呟いた。


「今回の私の敗因は、マリーという女性に溺れてしまったことだな」

「そのようですね。ですが、彼女は素敵な女性です。あなたが夢中になっても仕方ない」


 ジルベルトは目を細めて、そう言った。


 グリフィン公爵とその部下を含む計五名が護送され、この廃倉庫にはジルベルトとダニエル、そしてエレオノーラとウェンディだけが残された。ようするに、事後処理要員である。


「はぁあああああ。もう、疲れました」


 エレオノーラはへろへろとその場に座り込んだ。


「エレン、その恰好と行動が伴っていないから、少しは慎め」


 ダニエルが呆れた顔をして妹を見下ろした。


「ところで、ウェンディ殿に打ったものはなんだったのだ?」


 ジルベルトが腕を組んで尋ねた。


「あー、あの気持ちよくなるお薬、ですか? 栄養剤です。ウェンディの名演技のおかげでバレずに済みました。グリフィン公爵が持っているお薬の中身は、全部入れ替えておきましたから」

「全部?」


 ダニエルが尋ねる。


「はい、全部です」


 自信をもってエレオノーラが答える。


「では、第一が押収したものは?」

「あ」


 エレオノーラの声でダニエルは察した。


「で、本物はどこにある?」

「こっちです」


 エレオノーラが立ち上がって隠し場所へと案内しようとすると、ふわりと上着を肩からかけられた。それはジルベルトの騎士服の上着であった。


「エレン。お前の服装は、露出狂並みらしいぞ?」


 ダニエルは苦笑を浮かべることしかできないようだ。まるでその存在そのものが恥ずかしいとでも言うかのように。


「何を言っているんですか、お兄さま。私はセクシー町娘に変装していたんです。露出狂ではございません」


 ジルベルトから渡された上着に袖を通しながらエレオノーラは答えた。


「セクシーな女性は、自分でセクシーとは言わないわね」


 笑いながら言うウェンディに、エレオノーラは頬を膨らませた。


「まあ、エレンが気づいているのか気付づいていないかわからないけれど。あなた、さっき回し蹴りしたわよね? そのときにそのスリット、けっこういっちゃったと思うのだけれど?」


 さすが女性目線は鋭い。だが、ジルベルトも気づいていたのだろう。だから無言でその上着をかけたのだ。この場にこのメンバーしかいないけれど、彼としては気になるところらしい。


 身長の高いジルベルトの上着を着ると、エレオノーラの膝上まで丈がある。これでなんとか、けっこういっちゃったスリットを隠してくれるはずだ。


 エレオノーラが三人を案内したのは、廃倉庫の二階にあたる部分。ここは床が木の板でできている。


「この床板の下に隠しておきました」


 ジルベルトがじっと見つめると、一か所だけ不自然な板があった。一度剥がしてまたはめたのだろう。ジルベルトは膝をついてその不自然な板に手をかける。


「ふん」


 メキッと板が剥がれた。


「おお、さすがリガウン団長」


 ダニエルが呟くと、ウェンディもなぜかパチパチと手を叩いている。


「これか?」


 ジルベルトが聞いてきたので、エレオノーラは「そうです」と答えた。

 ジルベルトがわざわざ「これか」と尋ねたのは、そのお目当てのものが変な壺の中に入っていたからだ。


 変な壺――。どうやらダニエルにはこの壺に見覚えがあるらしい。


「おい、エレン。これ、我が家の壺じゃないか」

「あ、バレましたか? 栄養剤をこの壺にいれて運んできて、しれっと入れ替えておきました」

「何がしれっとだ。今だってこの壺と一緒に運ばなければならないだろう。こんなの父上にバレたらなんて言われるか」


 ダニエルは、右手で額を押さえた。まるで頭が痛いと言っているようにも見える。


「あ、お父さまには内緒にしておいてください」

「もういい。リガウン団長、大変申し訳ないのだが妹を屋敷まで送っていただけないのだろうか」


 顔をあげたダニエルは、ジルベルトにそう頼んだ。


「ダニエル殿は?」

「私はウェンディと共に、これを総帥に届け出る」


 ダニエルの言う「これ」とは、変な壺に入っている薬のことだ。


「わかった」


 ジルベルトは頷いた。

 ダニエルは壺を抱えて、廃倉庫を出ていく。騎士団の馬車を残しておいたらしい。

 元々ダニエルは王城の方へ戻るつもりだったのだろう。彼は仕事人間の男なのだ。

 廃倉庫の中には、エレオノーラとジルベルトの二人残された。

 エレオノーラは再びその場にへろへろと座り込んでしまった。


「あの、リガウン団長」


 エレオノーラはジルベルトを見上げる。


「どうした?」


 ジルベルトは困ったように彼女を見下ろした。

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