第六章(1)
「私とジル様は、結婚するのでしょうか?」
エレオノーラの言葉に、ダニエルは見るからにガクッとうな垂れた。
「婚約したのなら、いずれは結婚するのではないか?」
ダニエルは言いながらも少し顔の表情を強張らせた。
エレオノーラは、第零騎士団の諜報部潜入班としては優秀な人材である。だが、一人の女性として、恋愛方面についてはかなり音痴なようだ。そしてもちろん、エレオノーラ自身はそれにすら気が付いていない。
いまだにジルベルトの婚約者を演じているという表現をしているところが、それを表している。
「ですが。お兄さまとウェンディも婚約してから長いですよね。いまだに結婚されていないですよね。お兄さまたちが結婚しないと、私たちも結婚できないのではないですか? その、順番的に」
先に婚約した者から結婚をすべきではないのか、というのがエレオノーラの主張のようだ。
「順番的にと言われたらそうかもしれないが。だが、リガウン団長が今すぐにでもお前と結婚したいと言ったら、その順番に縛られる必要は無い」
「もしかして、ジル様がそんなことをおっしゃったのですか?」
エレオノーラは恐る恐る尋ねた。
ジルベルトからは責任を取って結婚したいと言われて、婚約者となってみたものの、本当に彼の妻になっていいものなのか、というのは心のどこかで悩んでいた。エレオノーラは不安なのだ。
「いや、言っていない」
そこでダニエルはカップに口をつけた。
「でしたら、お兄さま。なぜ、そのようなことを?」
「早かれ遅かれ、リガウン団長はそんなことを言うだろうなと思っただけだ」
「お兄さまは予言者なのですか?」
「は?」
「どうしてジル様がそんなことを言い出すとお分かりになるのですか? 私とジル様は、まだ数回しかお会いしていないのですよ」
数回。そう、エレオノーラがジルベルトと会ったのはほんの数回である。
最初の任務のとき、挨拶にきたとき、婚約を決めたとき、第零騎士団団長に呼び出されたとき、一緒に食事をしたとき、陛下に呼び出されたとき、我が家に押しかけて来た時、建国パーティに出席したとき、そして二人でデートと思われるお出かけをしたとき。
本当に数えられてしまう回数であった。それはダニエルも同じ認識であったようだ。
「辛うじて数回だな。もう少しで十回を超えそうだ。よかったじゃないか」
そこで彼は、一通の封筒を胸元から出してきた。
「十回目だ」
テーブルの上に置かれた封筒を、エレオノーラは手に取った。
「開けてもよろしいのですか?」
「もちろんだ」
封筒にはリガウン侯爵家の押印がされてある。
パメラが黙ってペーパーナイフを手渡した。エレオノーラはそれを受け取り、封を切る。
「リガウン団長が、お前を芝居に誘いたいと言っていてな。それで、チケットを手配してくれたらしい」
封筒の中から出てきたのは、芝居のチケットと手紙だった。
「これ。今、一番人気のあるお芝居ですね」
チケットに書かれている演目は、エレオノーラでさえ聞いたことがあるものだ。
「そうらしいな」
「楽しみです」
エレオノーラの頬が少し桃色に染まる。
「と、返事をしておけばいいな?」
「はい」
彼女のその返事に、ダニエルは満足そうに頷いた。
楽しみができると仕事ははかどるもので、エレオノーラは翻訳に精を出し、ジルベルトは騎士団の任務に励んでいた。
そんなジルベルトはときおりサニエラから「気持ち悪いですね」という苦情が入るくらいであったようだ。
ジルベルトは何かを思い出したように口元を歪め、書類に目を通し、勢いよく押印している。
つまり、お互いがお互いに浮かれていたのだ。
その浮かれた結果が招いた悲劇だとしか言いようがない。
「エレンがいなくなった」
血相を変えたジルベルトがフランシア家の屋敷に飛び込んできたのは、二人で芝居を見に行き、芝居が終わり帰宅したときだった。
ジルベルトは馬車でエレオノーラを屋敷まで送る予定だった。だが、途中で馬車を止められた。何事かと思い、外に出ると、御者が騎士と話をしていた。
「私が話そう」
ジルベルトが代わると、その騎士たちは第零騎士団を名乗った。ダニエルの命令によって、エレオノーラを迎えに来た、と。
ダニエルの名が出て安心してしまったのだろう。ジルベルトはそちらの馬車にエレオノーラを預けてしまったのだ。エレオノーラも兄の名が出たことから、安心しきって馬車を移り、笑顔でジルベルトに手を振って別れた。
だが、一人になってみると意外と冷静になるものだった。
はて、第零騎士団が迎えにくるのはおかしくないか?
そもそも、きちんと彼らの身分を確認したのか?
あの馬車の家紋はどうだった?
ジルベルトは慌てて馬車から飛び降りたが、エレオノーラを乗せた馬車は彼女の屋敷とは反対方向に走り去った後だった。
「あれを追ってくれ」
急いで御者に命じて、エレオノーラを乗せた馬車を追ったのだが、すぐに「見失ってしまいました」という声を聞くこととなった。




