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第五章(5)

   ◇◆◇◆


 ジルベルトは本当にエレオノーラをデートに誘ってくれた。忙しい仕事の合間の貴重な休みを、エレオノーラのために使ってくれると言うのだ。


 デートに誘って欲しいと自分からお願いしてみたものの、貴重な時間を奪ってしまって申し訳ないという気持ちが、彼女の中にはあった。だが、嬉しいものは嬉しい。


「お嬢様、ジルベルト様がいらっしゃいました」


 今日のエレオノーラは、知的美人ではない。いつものエレオノーラを少しおしゃれにした感じにした。それは、いつもジルベルトが「エレオノーラはエレオノーラのままでいい」と言ってくれるからだ。

 ジルベルトが提案してくれたデートは、馬での遠乗りだった。だから、動きやすいドレスではなくゆったりしたトラウザーズを選び、髪の毛も高い位置で一つにまとめている。


「エレン。任務では無いからといって、はしゃぎすぎないように」


 出掛け間際に、ダニエルに念を押されてしまった。

 エレオノーラはパメラに付き添われながら、馬車でリガウン家所有の厩まで向かい、そこから馬に乗り換えることになっている。パメラと御者は、一度屋敷に戻ると言う。


 馬車をおりるとすぐに、ジルベルトが出迎えてくれた。すぐさま彼はエレオノーラの手を取り、馬番の元へと案内する。


「久しぶりだな」

「ご無沙汰しております。ジルベルト様。ジルベルト様のマックスは今日もご機嫌ですよ」


 馬番は目を細めて、嬉しそうに馬について語る。たいてい馬番という者は、馬を語るときは幸せそうな顔をするものだ。


 ジルベルトはエレオノーラを簡単に紹介すると、馬番はより一層、幸せそうな顔をした。エレオノーラは馬ではないはずだが。だが、今日の髪型は馬の尻尾のように見えるかもしれない。

 ジルベルトは愛馬を引いて、少し場所を移動した。馬番が言った通り、彼の愛馬であるマックスは機嫌がいいようだ。


「あの、ジル様。私も一人で馬に乗れますが?」


 エレオノーラはマックスを見つめていた。残念ながら、マックスの他に馬がいないのだ。つまり、ジルベルトが準備した馬は一頭だけ。


「だが、せっかくデートなら、二人で乗った方がいいのではないか?」


 馬に乗ったジルベルトが手を差し出してきたため、エレオノーラはその手に自分の手を重ねた。すると身体がふわりと浮いた。見事、ジルベルトに横向きに抱っこされてしまう。だから今、エレオノーラの目の前には彼の顔がある。


「あのジル様」

「なんだ」


 ジルベルトはいたって真面目な顔で、エレオノーラを見下ろしている。


「ちょっとこれでは、疲れませんか?」

「そうか?」


 こくこくとエレオノーラは頷く。


「私も馬には乗れます。ジル様もそろそろお忘れになっているかもしれませんが、私、一応騎士ですので」

「そうだったな」


 ジルベルトは少し寂しそうに顔を歪めると、エレオノーラを抱きなおした。ようやく彼女は、馬にまたがる形になった。


 エレオノーラは手綱を手にすると、両脇の下からジルベルトの手が伸びてきた。片方の手は手綱を持ち、片方の手でエレオノーラのお腹を抱える。


「ふむ、これも悪くはないな」


 今度は耳の近くでジルベルトの声が聞こえてきた。これはこれで、違う意味で疲れるかもしれない。エレオノーラが恥ずかしくなって下を向くと、ジルベルトの視線を感じた。だから、余計に顔中に熱が溜まり始める。顔だけでなく、耳や首にまで。


 ちゅっ、と熱のたまっているうなじに、何かが触れた。


「ひゃ、何をなさるんですか?」


 エレオノーラは触れられた首元を押さえる。間違いなくジルベルトの仕業なのだ。


「すまん、あまりにも可愛いからつい」

「ついって、なんですか? ついって」


 そこでエレオノーラは頬を膨らませた。


「そうだ。先ほどから一つ気になっているのだが、それはなんだ?」


 ジルベルトの言う『それ』とは、エレオノーラが手にしているバスケットのことだ。


「バスケット、つまり籠ですね」


 エレオノーラは事務的に答えた。


「私が聞いているのはそういうことではないのだが」


 ジルベルトは困ったように呟いた。


「ええ、知っています。ですからわざとです」


 エレオノーラは少しだけ怒っていた。だが、ジルベルトは彼女が何に怒っているのか原因がわからないかのように、しゅんと目を伏せた。


 マックスはカッポカッポとゆっくりと歩いていた。左手に広がる木々と、右手に広がる草原。日差しは穏やかであり、木々たちがそれを遮っていた。日々の喧騒を忘れてしまうようだ、というのはこういうことを言うのだろう。


 馬での遠乗りは、まさしく騎士団としての仕事を忘れさせてくれる。そして、穏やかさを与えてくれる。


 川を渡ってすぐのところで、馬を止めた。ジルベルトが颯爽と馬からおりた。

 エレオノーラも彼と同じようにおりようとしたら、ジルベルトによって腰を抱きかかえられ、ふわりとおろされた。


「ここで少し休憩しよう」


 ジルベルトはマックスを気に繋いでいた。


「お疲れ様、マックス」


 エレオノーラは、マックスの頭を優しく撫でた。

 マックスも悪い気はしないのだろう。機嫌の良かった彼は、より一層機嫌が良くなったらしい。ふんふんと鼻を鳴らしていた。


 ジルベルトは、そんなマックスさえもうらやましく思っているのかもしれない。エレオノーラの仕草をじっと見つめていた。


 彼は、思い出したかのように次の行動にうつる。


「この辺りでいいか?」


 誰に聞くわけでもなく一人呟くと、ジルベルトは敷物を敷いた。大きな木の下。目の前の少し先には川がちろちろと穏やかに流れている場所だった。


「では、ジル様。お昼ご飯にしませんか?」


 エレオノーラはバスケットを掲げて見せた。


「昼ご飯」


 ジルベルトもそう口にする。


「いや、こちらでも準備をしている」


 ジルベルトが荷物を確認し、昼食が入っていると思われる荷物をほどくと、そこにはおやつしか入っていなかった。


 昼ご飯は、ジルベルトがリガウン家の料理人に伝え、頼んでおいたはずなのだ。


「私が準備します、とリガウン家の方には伝えておきましたので」


 エレオノーラが楽しそうに笑っているのは、ジルベルトが呆然と立ち尽くしていたからだろう。

 敷物の上に、二人向かい合って座る。その二人の間には、エレオノーラが作ったというお昼ご飯が置いてある。パンに具材を挟んだ食べ物、つまりサンドイッチである。それがバスケットの中に、綺麗に並んでいた。


「ジル様は何がお好きですか?」

「これは、エレンが作ったのか?」


 ジルベルトは、彼女が料理をできることに驚いた様子であった。


「はい。これも潜入調査の賜物ですね。多分、味も食べられる程度のものかとは思いますので」


 エレオノーラはふんわりと笑んだ。

 今日の彼女は変装をしていない。いつもの知的美人な婚約者を演じていない。それはジルベルトがそのままでいい、と言ってくれたからだ。それに、この周辺に他に人がいないからというのも、大きな理由の一つだろう。


「こちらがポテトサラダで、こちらがクリームチーズとベーコンで、こちらが……」


 エレオノーラが意気揚々とサンドイッチの説明をしているのだが、ジルベルトは聞いているのか聞いていないのかわからないような態度である。


「お飲み物もありますよ」


 エレオノーラは水筒を取り出して、カップへと中身を注いだ。

「どうぞ」

「ああ、ありがとう。どれから食べたらいいか、迷ってしまうな」


 ジルベルトがバスケットの中身を見ながら難しい顔をしていたのは、どのサンドイッチから食べたらいいのかを、真剣に悩んでいたらしい。


「好きなだけ食べてください。ここには私とジル様しかいませんから、他の人に取られるようなことは、ありませんよ?」


 兄弟の多いエレオノーラにとって、おやつ争奪戦は幼い時には日常茶飯事であった。特に男三人が、おやつを手にして騒いでいたことを思い出す。


 だがジルベルトは一人っ子と聞いていた。おやつ争奪戦とは縁遠い子供時代を送っていたに違いない。


 ジルベルトがなかなかサンドイッチに手を出さないので、エレオノーラは適当に一つ差し出してみた。だが、ジルベルトはそれに見向きもせずに、バスケットの中身をじーっと見つめたままである。見ているだけではお腹はいっぱいにならない。


「ジル様。お口を開けてもらってもいいですか?」


 ジルベルトはバスケットの中身から目を離さない。それでも、彼女の言葉によって誘導されたのか、口をポカンと開けたので、エレオノーラはその口の中に手にしたサンドイッチを突っ込んでみた。


 ジルベルトは、突然口の中に現れたサンドイッチに驚くような素振りを見せつつも、もぐもぐと咀嚼した。


「美味しいですか?」


 エレオノーラが尋ねれば、ジルベルトは無言で頷く。


「これはポテトサラダか?」

「正解です」


 彼女はニッコリと笑みを浮かべると、ジルベルトが食べた残りのサンドイッチはエレオノーラが食べてしまった。


「ジル様。早く食べないと、私が全部食べてしまいますよ」


 ペロリと指をなめたエレオノーラを、ジルベルトはうらめしそうに見つめていた。

 エレオノーラは次のサンドイッチに手を伸ばす。


「それはなんだ?」


 どうやらエレオノーラが手にしているものが気になっているらしい。


「これは、ローストビーフですね」

「それを少しいただいてもよいか?」

「はい」


 エレオノーラが手にしていたサンドイッチをジルベルトに手渡そうとしたが、彼はそれを受け取る様子がない。代わりに口を開けて待っている。これではまるで餌を待つ雛鳥ではないか。大きな雛鳥だ。恐る恐るその口に、エレオノーラはサンドイッチを近づけた。


「ひゃ」


 変な声が漏れてしまった。ジルベルトがエレオノーラの指ごと食べてしまったからだ。


「あ、すまん。つい」

「ジル様。ご自分で食べてください」


 頬を膨らませながらも、彼女はバスケットを両手で持ってジルベルトの前に差し出した。


「では、次はこれをいただこう」


 やっとジルベルトが自分で食べる気になったようだ。

 エレオノーラは安心して、目尻を下げた。お茶を一口飲んだ。




 昼食を終えると、ジルベルトは愛馬のマックスに水を与えた。マックスは適当に草を食べていたようだ。


 エレオノーラは大きな木の幹に寄り掛かって、足を放り投げて目を閉じている。頬を撫でつける風が心地よくて、ついつい眠りへと誘われてしまうのだ。


 ふと、彼女は太ももの辺りに重みを感じた。驚いて目を開けると、ジルベルトと目が合った。


 ジルベルトがエレオノーラの太ももを枕代わりにして、寝転んでいる。


「少し休んだら戻ろうか」


 彼はエレオノーラを見上げている。エレオノーラは頷くと共に、ジルベルトの額に手を置いて、優しく撫でた。


「ジル様。今日は私のために時間を割いていただき、ありがとうございます」

「いや、礼を言うのは私の方だ。今日はとても穏やかな時間を過ごすことができた」

「私もです。次の任務の前に、このような時間を持てたこと、とても励みになります」


 それはエレオノーラの心から出た言葉だった。


「任務……。エレンは今までどのような変装しているのだ?」


 ジルベルトは純粋にそう思ったのだろう。何しろ初めて出会ったとき、彼女は男性だったのだから。それから、ジルベルトの婚約者を必死で演じようとしている。


「えっと、いろいろですね。ジル様と初めてお会いしたときは、酒場の男性店員でしたし。他はレストランの料理人や娼館の娼婦。逆に酒場の常連客とか、パーティに参加するご令嬢とか」

「娼館……」


 ジルベルトが額を撫でていたエレオノーラの手首を掴んだ。


「娼館ということは、やはりそういうことを」

「いえ、あの……。そういうことは、致していないのです。兄たちにも笑われたのですが。えと、まあ……。それで、ジル様が初めてになります。まあ、あれは事故みたいなものですけど」


 もう片方のジルベルトの手が伸びてきた。その手はエレオノーラの後頭部をしっかりと支えたかと思うと、ぐっと力を入れてきた。


 ジルベルトの顔が迫ってくる。いや、動いているのはエレオノーラの頭の方だ。ジルベルトの力によって、彼女の顔はジルベルトの顔に近づいている。


 エレオノーラは思わず目を閉じる。


 唇に温かい何かが触れた。この感触は、あの事故のとき、ジルベルトと唇が触れてしまったときとの感触に似ている。だが、恐ろしくて目を開けることができない。


 いつまでそうしていたのか。


 ほんの数秒のような気もするし、数分だったような気もする。後頭部に置かれた手が離れたのを感じて、エレオノーラは顔を離した。


「これは事故ではない」


 ジルベルトが真面目な顔をして呟いた。


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