第五章(1)
建国記念パーティ。その名の通り、この国が成り立った日を祝うパーティで、年に一度、王城で盛大に開かれる。
いつもなら招待状なんていうものは届かず、このパーティの警備責任者として現場を仕切っていたジルベルトであるが、こともあろうが国王の名前で招待状が届いてしまったことが、不運の始まりとしかいいようがない。しかもこの国王、その招待状を他の団員たちに見せつけるかのように、リガウン家に送ってきたわけではなく第一騎士団宛てに送ってきたものだから、嫌味としかいいようがない。
そんなわけでジルベルトは一度、屋敷に戻る羽目になったのだ。その招待状の件を両親に報告するために。
「よかったわね、招待状が届いて。建国記念パーティなんて、一生、あなたに縁の無いものと思っていましたよ」
母親の言葉の通り、一生縁が無くて良かった、とジルベルトは思っていた。
「せっかくですから、エレンにはあなたの名前でドレスを送っておきましょう。どんなのがいいかしら。あ、あなたは滅多に着る機会がなかった式典用の騎士服ですね。それに似合うドレスがいいわね」
一番浮かれているのはこの母親ではないか、とジルベルトは心の中で呟く。
式典用の騎士服は、その名の通り式典に出席する騎士のための騎士服。警備を担当する騎士の騎士服と違い、機能性に優れていない。何しろ、きらびやかで見た目が重視な騎士服である。団長でありながらも、ことごとく面倒くさい式典の出席者にはサニエラを投入していたため、ジルベルトはこの式典用の騎士服は着る機会はほとんど、めったに、いや全然なかったといっても過言ではないのである。
そうやって時は過ぎ、とうとう建国記念パーティの日がやってきた。
「エレン。くれぐれも、リガウン団長に失礼なことが無いように」
一番上のダニエルが言った。だが、ダニエルもフランシア家の代表としてパーティに参加する者だ。
「エレンの社交界か。僕も見たかったな」
二番目のドミニクは、妹の装いをほれぼれと見ている。
「ドム兄、その場にいたらきっと、心臓が持ちませんよ」
三番目のアルフレドの言う「心臓が持たない」にはどのような意味が含まれているのか、エレオノーラにはわからない。
「潜入ではなく、こうやって普通にパーティに参加するっていうのが、不思議な感じです」
エレオノーラは自分のドレス姿を確認している。
「それは、オレも思っている。とにかく、お前は病弱なご令嬢という設定になっているんだ。何かボロが出そうになったら、気絶したフリでもしておけ」
エレオノーラで忘れそうになる「病弱な令嬢」設定。ただのエレオノーラで出席する以上、その設定を覆すような行動は慎むべきだろう。
「なるほど。さすがダンお兄さまです」
「お嬢様、リガウン侯爵家のジルベルト様がいらっしゃいました」
パメラが落ち着いた足取りで呼びに来た。
「では、行ってまいります」
エレオノーラの挨拶はまるで騎士の挨拶そのものであった。
「エレン。淑女らしく振舞いなさい」
ダニエルの言葉が飛んだ。これでは先が思いやられるとでも思っているのだろう。大きく息を吐き、うなだれている。
執事によって手を引かれたエレオノーラは、ジルベルトの元へと向かった。
「お待たせしました」
エレオノーラの姿を見た瞬間、ジルベルトが固まったように見えた。
(いつもの知的美人で攻めてみたけれど、失敗だったかしら……)
エレオノーラのままでいいと言ってくれたジルベルトのためにも、顔の造形はそのままで、髪型で知的美人な装いにしたつもりだ。
「エレオノーラ嬢をお預かりいたします」
ジルベルトは何事もなかったかのように、エレオノーラの手をとった。
先ほどの彼の態度は、エレオノーラの気のせいだったのだろうか。
エレオノーラが馬車に乗ってジルベルトと二人で王城に向かうのは二回目である。向かい合って座ろうとすると、彼から隣の席をポンポンと合図されたため、今日も並んで座ることとなった。
「ジル様。素敵なドレスをありがとうございます」
「いや、まあ。よく似合っている」
彼は俯いている。気分が優れないのだろうか。そう、エレオノーラは心配になってしまう。
そういえば、ダニエルが言っていた。ジルベルトは、こういった催し物に参加する機会はなかったと。いつも、第一騎士団の団長として警備責任者を引き受けていたと。
「ありがとうございます。ジル様の瞳の色と同じ色です」
ドレスは淡い緑色。ジルベルトの瞳の色も緑。こういう小細工をするところが、ジルベルトの母親なのだ。だけどジルベルトは知らなかった。このようなドレスがエレオノーラに贈られることを。
「ジル様、具合が悪いのですか?」
けして口数が多いジルベルトではないのだが、いつもと様子がおかしいことにエレオノーラは気づいた。彼女はジルベルトの顔を覗き込む。といっても、エレオノーラが下から見上げる形になるのだが。
「あなたが……」
ジルベルトが言いかける。
「私が?」
エレオノーラは不安になって尋ねる。
「今日の恰好、変でしたか? ジル様の婚約者として知的美人にしてもらったのですが」
「いや、そうではない」
ジルベルトは右手の甲で口元を押さえた。これは、彼が何か言いたいけれどとても言いづらいときにとる行為であることを、エレオノーラは知っていた。
彼女は彼の太い手首をそっと掴んだ。ジルベルトの身体が震えた。首元が赤く染め上げられている。
今日のエレオノーラは、顔の造形に変わりはない。だが化粧をして、少し大人びた雰囲気を醸し出している。二十代後半と言っても通じるものがあるだろう。
「ジル様。お顔を見せてください」
それはいつもジルベルトがエレオノーラに言っているセリフだ。だが、今日はなぜか主導権を握っているのはエレオノーラである。
「ジル様。お顔が赤いですよ。お熱でも?」
そうやってエレオノーラが顔を近づけてくるから、ジルベルトは落ち着こうとしても落ち着くことができない。それにすら、エレオノーラは知らないのだろう。
彼は空いていた左手で彼女の身体を抱き寄せた。
「ジルさま?」
「できれば、あなたを連れて行きたくなかった」
熱い吐息と共に、彼は言葉を吐き出した。その言葉を聞いたエレオノーラの顔色が、さっと変わる。
「もしかして……。やはり、私はジル様の婚約者としてふさわしくない、ということでしょうか。私の変装が不十分ということでしょうか」
そもそも今日の姿は、エレオノーラの中では変装には分類されない。ただ、パメラの手によって化粧を施されただけであるのだが。それでも「変装」と口から告いでくるのは、今までの経験によるものだ。
「そうではない」
ジルベルトは、とうとうエレオノーラの胸元に顔を埋めてしまった。そのような場所に彼の顔があることが、エレオノーラにとっては恥ずかしかった。だが、もっと恥ずかしいのはジルベルトなのだろう。顔を隠すくらいなのだから。
「あなたがとても魅力的だからだ。今日もいつにも増して美しい。これでは、パーティに来る男どもがあなたに夢中になる」
顔を隠したまま、ジルベルトは口にする。彼が言葉を吐き出す為に、熱い息が胸元に触れる。
「そんなことは」
ありません、と言おうとしたが、すぐさまジルベルトが言葉を続ける。
「わかっている。年甲斐もなく嫉妬していることを。私とあなたでは年が離れすぎているし、あなたにはもっとふさわしい男がいるのではないか、と思っている。あなたが、他の男と話をしたり踊ったりするのかと思うと……。こう、胸が痛むのだ」
「ジル様。そこは、お気になさらないでください」
エレオノーラはそっとジルベルトの背中に手を回した。
「他の男性とお話をすることはあるかもしれませんが、けしてジル様のお側を離れません」
ジルベルトと離れて、婚約者としてのボロが出てしまっても危ない。いや、仮面をつければそんなことも無いはずのだが。それでもジルベルトの婚約者の仮面は、うまくつけることはできない。さらに、たまには強引な男もいるから、ジルベルトから離れないということは賢明な判断だろう。
「それに、ジル様以外の方とも踊りません」
そこでジルベルトはやっと顔を上げた。堅物騎士団長と言われているジルベルトが少し可愛らしく見えてしまうのが不思議だった。
「私。病弱なご令嬢なんです。何かあったら、倒れますから」
病弱な設定が、こんなところで役に立つとは、エレオノーラ自身も思ってもいなかった。
「わかった。そのときは私があなたを抱いて逃げよう」
(逃げるの?)
エレオノーラの驚きの心の声は、ジルベルトには届かない。




