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第四章(8)

   ◇◆◇◆


「やあ、マリー」

「あら、アンディ。元気だった?」


 今日もカウンターで一人グラスを傾けていた彼女に、言い寄る男が一人いる。金色の髪を撫でつけている男、アンディだ。


「相変わらず、君は美しいね。まるで夜空に輝く満月のようだ。君の眩しさによって、他の星の輝きがくすんでしまう」

「褒めても何も出ないわよ」


 わざとらしい男の言葉に、マリーはグラスを口元にまで運ぶ。カランと氷が鳴った。

 彼女が首を傾ける仕草も、彼には誘っているように見える。


「そうそう、アンディ。例の件、わかったわよ」


 グラスから口を離しながら、マリーは言った。


「少し、場所を変えましょう」

「上かい?」


 アンディは右手の人差し指を立てた。上の部屋。つまり、誰にも聞かれたくない話をする部屋。もしくは、誰にも見られたくないような行為をする部屋を指す。


「そうしたいのはやまやまだけど……。私、この後も仕事があるのよ。奥のボックスでいいわね」


 マリーは目の前の店員に告げ、奥のボックス席へと移動した。


 腰を大きくうねらせる歩き方も、アンディから見ればそそられる仕草だ。今すぐにでも、その腰に手を這わせて、彼女を堪能したい。


 マリーが先にソファに座ると、すかさずアンディもその隣へと腰をおろした。すぐさま、そっと彼女の背中に手を回す。マリーも自分の頭を傾け、彼の肩に預けた。


「例の婚約者。誰かがわかったわ」


 彼女は、アンディの耳元で囁く。

 彼は表情を変えずに「誰だ」と尋ねる。


「フランシア子爵家の娘よ」


 マリーも甘えているような仕草のまま、淡々と言葉を続ける。


「フランシア? あまり聞いたことはないな」

「あそこは騎士団の家系らしいわ」

「では、その娘もか?」


 娘も騎士団だとしたら、手を出すのは少し面倒かもしれない、とアンディは考えた。彼女の背に回す腕に、力を込める。


「いえ。娘はどうやら身体が丈夫ではないらしいの。そのためか社交界にもあまり参加していない。普段は屋敷の方に引きこもっているらしいわ。だから、ほとんど名前も知られていないし、顔も知られていないみたい」

「そんな女がよく、あれの婚約者になったな」

「あそこの他の兄弟は騎士団だから、その騎士団つながりじゃないかしら?」


 マリーは、背に回っている彼の手を外すような仕草を見せてから、テーブルの上のグラスを取った。


「あなたも、飲む?」


 マリーは目を細めて聞いた。


「ああ」


 彼女はボトルからグラスに酒を注ぎ、いくつか氷を落としたものを、アンディの手に握らせた。

 二人はグラスを掲げ、カチンと合わせる。

 彼女は今日も、オレンジ色の液体をゆっくりと飲んでいる。それを飲むたびに、上下に揺れる喉元。今すぐにでも喰いつきたい思いが、アンディの中に沸々と沸き起こる。


「建国記念パーティの件、あなたの耳にも入っているでしょ?」


 片手でグラスを持ったマリーが言った。


「ああ、もうそんな時期か」

「どうやらそのパーティに、あの堅物の騎士団長が婚約者を連れて出席するらしいわ」

「へえ、それは珍しい」


 アンディは一口、グラスの中の茶色の液体を口に入れた。カタンと氷が鳴る。


「そして、面白い」


 グラスの中を覗き込みながら、グラスをゆるゆると揺さぶる。


「でしょ」


 マリーは身体をアンディの方に向けた。


「警備担当ではなく、招待客として参加するのよ。こんな面白い話があって?」


 マリーの微笑みは上品だ。アンディはいつも思うのだが、この娘はどこかの貴族令嬢ではないのか、と。彼女はいつも、こうやって有益な情報を自分に与えてくれる。いや、自分だけではない。彼女は貴族様に関する情報を、それを必要とする者たちに売っているのだ。


 しかも美人でスタイルもいいときた。女性としての魅力も申し分ない。このような女性を連れて歩くことができるのであれば、他の男性からは羨望の眼差しを向けられることになるだろう。それくらい、中身も外見も、魅力的な女性なのだ。


 今日も、上品な黒の装いが、彼女の妖艶さを引き立てている。


「どうかした?」


 アンディの肩に両手をのせ、その両手の上に顎を預けているマリーも、どことなく艶めかしい。


「いや。そのパーティにどうにかして参加できないか、ということを考えていた」


 あの騎士団の団長の顔はもちろん知っている。幾度となく顔を合わせている。鉄壁の警備を敷いてくるところが、アンディの仕事がやりにくくなっている原因である。だが、そう言った障害がある方が、楽しいとも思える自身もいるから不思議だった。障害があった方が燃えるのかもしれない。


「できるのではなくて? あなたなら」


 アンディの肩が軽くなった。肩の上にあった彼女の顔は離れ、じっとアンディを見つめている。それから、彼女の人差し指がアンディの唇に触れる。


「アンドリュー・グリフィン公爵として参加すればよろしいのではないかしら?」


 ドキっと身体が跳ねた。彼女はお見通しだったのか。


「私はただの町娘だけれど、あなたは立派な貴族様でしょ?」

「君にはかなわないな。だったら、私の女になるかい?」


 アンディはマリーの肩に手を回した。身分を知られているのであれば、それを利用した方がいい場合もある。


 だが、マリーはその手をやんわりとどける。


「残念ながら、お断りよ。貴族様の女なんて、不便で仕方ないもの。それに、私は誰の女にもなるつもりはない」


 ふふっと、マリーは小粋に笑う。


「やっぱり、君のそういうところ、好きだなぁ」


 アンディはソファの背もたれに肩を開き、限界まで寄りかかる。


「俺の女になれ」


 今度は彼女の腰に手を回した。強引に引き寄せる。


「きゃ」


 マリーはその力に負けてしまい、アンディの胸に頭を預ける形になってしまった。


「俺と一緒になれば、不自由しないと思うが?」

「私は不自由しない暮らしは望んでいない」


 少しむっとした口調で、マリーは言った。


「マリー。だったら、君の望みは?」


 アンディであれば、彼女が望むものを全て与えてあげることができる。それだけの権力と金はある。


「刺激のある暮らし」


 そこでマリーはすっと立ち上がった。


「ごめんなさい、アンディ。もう次の仕事の時間なの。私、売れっ子だから」

「ああ、知ってる」

「またね」


 鎖の長い革のバッグを肘にかけて、颯爽と去っていく。その後ろ姿も申し分無い。


 逃げられれば追いかけたくなる。アンディはなんとかして彼女を自分のものにできないか、ということを考え始めていた。

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