4、義弟のわかりづらい優しさ
キースを追い出し、入れ直した紅茶を飲んでいると、それに付き合ってくれていたキースが「姉上」と、私を呼んだ。
「なぁに?」
「知っていたのですね。あいつの浮気の事」
思わず瞬きを数回。
その言葉をそのまま返してやりたい。
いつからあんなに詳しく調べていたのか、と。
「私よりもルークの方が詳しいじゃない。私はいつから、どれだけ深い仲だったのかなんて、全然知らなかったわ」
私が知っていたのは、この時期にはもう付き合いがあっただろう、程度の事だけだ。
一周目の事があったからこそ推測できただけで、調べた訳では無い。
まさか旅行にまで行っていたなんて……ねぇ。
「知らない方が良かったですか?」
「いいえ。さっさと破談に持ち込めて、せいせいしたわ」
知らずに結婚していたら、間違いなく面倒事になっていた。
何故だか二周目の人生を送っている今だからこそ、一周目で死んで、今こうして楽に破談に持ち込めて良かったとさえ思う。
「姉上は……」
ルークは言葉を続けるか迷ったようだが、やはり言う事に決めたらしい。
けれど俯いたまま言葉を続ける。
「あいつと結婚したかったのではありませんか?」
「まさか」
即答すれば、ルークが驚いたように顔を上げる。
「別に好きでも無かったし。ただ私のために持ってきてくれた話だったから」
いつかは結婚して家を出ていかなければならない。
前世の記憶はあれど、侯爵家の令嬢として生きてきたのも事実。政略結婚が当たり前の世界で、結婚に愛だの恋だのは二の次だと言う事は理解している。
最初は本当に良い人だと思ったのだ。本性はただのクズだったけれど。
今までは反対する理由もなかったし、養父母が望むならとそのままにしていただけ。
大体、攻略対象のイケメンを毎日眺めていたら、他の男なんて霞んで見えるし。
それよりどうしたら他の攻略対象と会えるのか、遠くから眺めるだけでも良いからどうにかしてお近付きになりたいとか、正直そっちの方が重要だった。
貴族組はともかく、ギルド組とはまったく接点がない。
「だから結婚を受け入れた、と?」
「いつまでもここにいるわけにはいかないもの。いつかは出ていかなくちゃ」
破談になっても、当主を引き継いだら出て行かなければならない。
いつまでも前当主が居座っていたら、周りが焚き付けて、争いの火種になる可能性があるからだ。
余計な苦労をルークに背負わせたくは無い。
その思いはゲームのコーネリアと同じだ。
「いっそ平民になって、市井で暮らしても良いんだけどね」
「姉上に平民の暮らしが出来るとは思えませんが……」
「あら、失礼ね」
前世では一人暮らしだったから、料理だって洗濯だってできる。
出来るのだが、この世界に前世のような家電はない……。
「習うより慣れろっていうか。なんとかなると思う!」
「やめてください。貴族の令嬢が、平民に混じって生活できるとは思えません」
普通の令嬢ならそうかもしれないが、なんせ私は普通じゃないし。
前世の記憶がある上に、一周目の人生が終わっても二周目が始まっているという稀有な存在だ。
文字の読み書きは出来るし、刺繍等で内職してもいい。飲食店で接客業なんてのも、意外と面白いかもしれない。
「昨日も言いましたが、出ていって欲しいとは思っていません。あまり自分を卑下しないでください。今は貴女が当主なんですから」
「してないしてない。ただ、そういう選択肢もあるって話」
「姉上が、結婚の事などどうでも良いという事だけは、よくわかりました」
確かにどうでもいい。
元々結婚願望が強くはないし、この世界では男尊女卑とまではいかずとも、女性にはさほど権力がない。
下手な男に嫁いで言いなりになるよりかは、一人市井で暮らした方が精神的には楽だし、ある意味自由に暮らすことができる。
「とにかく、ルークのおかげで婚約破棄できそうだわ。ありがとう」
「手続きは私が進めておきますから」
「私がやらなくて平気?」
「タンザナイトの名で処理しますので、私にもできます。終わったら報告致しますから」
「わかったわ」
夕食の時間まではまだ少し時間がある。
明日は騎士団へと訪問する予定だし、今のうちに処理出来る仕事は終わらせておきたい。
「明日、騎士団に行こうと思っているんだけど、ルークも行く?」
「明日行くのですか?」
キースの訪問は一周目とは異なっているが、明日騎士団へ行くのは一周目と同じだ。
「明日行くって先触れ出しちゃったもの」
ルークは足を組んでティーカップを持ったまま考えている様子だった。
さすが攻略対象。その姿はスチルになりそうな程様になっていて、じっと見つめてしまう。
「せめて明後日にしましょう」
「え、どうして?」
ルークと視線が合う。
「お疲れでしょう。そんなに急がずとも、騎士団との関係は良好ですよ」
急いだ方が良い案件だとはいえ、今まで通りだという手紙は既にあちらへ届けている。
正直、明日でも明後日でも、大した問題ではないけれど。
「これくらい、全然平気よ」
一周目では、通常通りの領の統治に加え、ルークの当主就任パーティーの準備を進めながら、キースの浮気関係に頭を悩ませていた。
さらにヒロインとルークの関係を邪魔しないよう、どれだけシナリオが進んだのか出来るだけチェックしていたのだ。
その頃に比べたら今は何もしていないも同然で、むしろキースとの関係を終わらせられた事で、肩の荷がおりた。
「倒れた事をお忘れですか。病み上がりなんですから、大人しくしていてください」
「でも、これと言ったことはまだ何もしてないし」
使用人の事もほとんどルークがやってくれた。
昨日話をした後すぐに使用人を集めたルークは、私が思っていた通りのことをさっとこなしてくれたのだ。
そのおかげで今日はもう退職希望者のほとんどが家を出ていったし、新体制で動いている。
朝からその確認をしていたが、書類を見たり財政状況を確認したりという事は、まだ手付かずにいた。
新たに使用人を雇い入れる手続きもしなくてはいけない。
「……そんなに早く行きたいですか?」
攻略対象である騎士団長に会えるのは嬉しい。が『そんなに早く行きたいか』と問われれば、そう言う程でもない。
「そんな事ないけど、先触れ出しちゃったのに。迷惑じゃない」
そう言えば、ルークは深い溜め息をついた。
「でしたら、今日はもうお休みください」
「財政状況の確認は最優先でしょう」
「なら訪問は明後日にしてください」
「えぇ……」
何故だがルークがものすごく過保護になっている。
二年近くも前のことで記憶は定かではないが、この頃のルークは倒れたからといってこんなにも体調を気遣う事は無かった気がするのに。
「ほら、もう部屋に戻りますよ」
ルークは私の手を取って立ち上がらせる。
少しだけ目眩がしてフラつけば、ほら見ろと言わんばかりの表情をしていた。
この頃のルークはまだ私と同じくらいの身長だ。
二年後にはすっかり私の背を越して、大人な男性という雰囲気をしていたけれど。成長期ってすごい。
まだ少し幼さの残る顔つきは、かっこいいけれど、まだ綺麗って感じがする。
「部屋まで送ります」
優しすぎるルークに、なんだか面映ゆい。
「また貴女に倒れられたら困るんですよ」
ルークは顔色ひとつ変えずに言うものだから、頼りない当主に不安を感じているのか、それとも義弟として心配してくれているのか、いまいちよくわからなかった。
少し照れながら言ってくれたなら、可愛いツンデレだと思うのに。
ツンデレのルーク。
それはそれで有りかなぁ、なんてニヤニヤしていたら「なんですか、そんな顔をして」とたしなめられる。
けれど歩幅を合わせてエスコートしてくれるルークの優しさが感じられて、今度こそちゃんと、殺される事無くルークに当主の座を引き渡そうと思うのだった。