3、結婚する気はありません
私はさっそく婚約者であるアウイナイト伯爵家へと手紙を送った。
『侯爵夫婦が亡くなり、仮の当主となりました。しかし正統なる当主へと引き継ぐまでの間、様々な困難と立ち向かう事になるでしょう。
その間私の最優先はタンザナイト侯爵家であると同時に、領の統治となります。
恩ある侯爵夫婦が守ってきたものを、次代へ繋ぐまでの間、守らなくてはなりません。
そろそろ結婚をという話も上がっておりましたが、事情が変わり、今はその時期では無いと考えました。
ご存知の通りわたくしの父親は不明です。擁護してくださった侯爵夫婦亡き今、そのせいでアウイナイト伯爵家にご迷惑をかけてしまうかもしれません。
いっそのこと、一度婚約を白紙に戻すのはいかがでしょうか。
どうかご検討くださいませ』
というような内容だ。
最初は『このまま結婚してもよいのか』と問いかける内容にする予定だったが、ルークがあれだけはっきりと反対するのだし、どうせ結婚する気もないのだから破談は早い方が良い。
そしてこの手紙を出してすぐ、婚約者であるキースは我が家を訪ねてきた。
朝一で手紙を持って行ってもらい、夕方には来たのだから、随分と早い。
使用人の意思確認が終わったとはいえ、職を辞した者達が出て行ったりと、まだ少しバタついていたので正直迷惑だったが、追い返す訳にも行かないので客間へと通す。
使用人が傍に控えるので二人きりにはならないが、ルークに声をかければ立ち会うとの返事だったので、二人揃って客間へと足を運んだ。
「遅くなって申し訳ありません。突然の訪問だったもので、準備に手間取ってしまいました」
喪中なので私達は黒服を着ていたが、キースは落ち着いた茶色の正装だった。
婚約者の育ての親が亡くなりその家にやって来たのに、喪に服す意も示さない態度なのが引っかかったが、顔には出さずにキースの向かい側へと座る。
ルークも続いて私の隣に座った。
メイドが新しい紅茶を持ってきて、一礼して下がっていくのを見届けると、キースの方からさっそく口火を割った。
「婚約を考え直したいとの申し出だが」
「白紙にしたいと申しております」
そこはきっちり訂正しておく。
「随分と唐突だな。こちらは何も気にしないから、当初の予定通りに嫁いでくれば良い」
怒って来たのかと思えば、キースの態度には随分と余裕が見える。
手紙の内容を本当にアウイナイト伯爵家の事を心配しての事だと解釈したのだろうか。
それにしては、慌てて来たかのように急な訪問だけど。
「予定では、今年中に日取りを決め、来年には式を挙げるという話でした。ですが、ルークに当主を引き継ぐまでは結婚に関する準備は致しません」
キースは唯一の跡取りであり、遅くにようやく産まれた末子だ。早く当主を譲りたいが、当主が存命の間、未婚の子供に爵位を譲るという例はあまりなく、結婚後が望ましいとされている。
一年間は喪に服す事になるし、ルークが当主になるまでは二年近くある。その後に日取り決めて準備をしてとなる為、予定のようにすぐに結婚とはならない。
「一年は喪に服すが、その後結婚すれば良いだろう」
「お手紙で伝えました通り、領地を守る義務があります。結婚の準備をしながら片手間にというわけにはいきません」
「それに関しては心配するな。俺が手伝ってやる。これでも父の仕事を手伝っているから、問題ないだろう」
問題しかない。
婚約者、もとい旦那になったとしても、私は嫁ぐ身であり家から籍を抜く側の人間だ。キースがタンザナイトの人間になるわけではない。
他家の人間に、財政状況を含むあれこれを簡単に見せるわけが無いのだから、手伝わせるという事は有り得ない。
「他家の人間に、我が家への干渉を許す訳にはいかない」
ルークは優雅に紅茶を飲みながら正論を返す。
ルークが敬語を使わないのは、ルークの方が立場が上だから。どちらも家督を継いでいないので、ルークは年下だけど侯爵家の子息なので上なのだ。
あと多分、敬意を払う必要が無いと思っている。
「他家とは冷たいな。妻の実家を手伝うだけだ。家族なのだから、それくらいの事はしてやるさ」
「他家だろう。喪服も着ていない人間が、家族ごっこなどやめていただきたい」
キースが喪服を着る必要があるかといえば、厳密には必要ない。
婚約者とはいえキースはあくまでもアウイナイト伯爵家の人間だからだ。
しかし、もしもこれが逆の立場ーーキースの両親が亡くなり、アウイナイト伯爵家を訪れたコーネリアが黒服でなかった場合。
アウイナイト伯爵家に入る予定の人間が、喪に服さないのは避難の的となる。
この世界では、女は嫁げば実家との縁が薄れ、嫁いだ家の人間となる。
なのでキースが私と結婚したとしても、妻の実家であるタンザナイト家に、キースが深く関わる権利はない。
「随分と我が家を気にかけてくださっているようですが、その割にはわたくしへの配慮はないのですね」
私はティーカップを持ち上げ口へと運ぶ。
香り高い紅茶は少しだけ冷めていて、丁度飲み頃になっていた。
「何が言いたい?」
キースは眉をひそめる。
「魅力的な女性と懇意になさっているようですので。婚約者がいながらも、特定の方と深い仲になるのは如何なものかと」
ルークが何かを言いたげにこちらを見つめているのに気づいたが、かまわず続ける。
「てっきり、わたくしとの縁を切りたいのかと思っていましたのに」
キースは一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに取り繕った。
まさかバレているとは思っていなかったのだろう。
私だって、一周目の記憶が無ければ知らなかった事だ。
この頃はまだ上手に隠すようにして付き合っていた頃だし、特別調べようとしなければわからなかっただろう。
「そんなわけないだろう。確かに仲の良い女性はいるが、深い仲というわけではない」
否定するのはわかっていた。
それを嘘だと糾弾できる証拠も、今はない。
ただここで少し揺さぶっておけば、これ以上強くは出れないと踏んだだけだ。
このまま結婚して良いのか不安になっている。その原因はキースにあると伝われば、今日のところはそれで良い。
「それは私も気にかかっていた」
しかしルークが私の言葉を繋ぐように援護する。
「その女性とは頻繁に会っているようだし、度々泊まり込んでいるようだと耳にした」
「……泊まっている?」
そこまでは知らなかった。
視線だけでルークに『そうなの?』と問いかければ、頷きの代わりにゆっくりとした瞬きが返ってきた。
キースは私が知る随分と昔から本気の浮気をしていたらしい。
もしかしたら一周目で知った彼の子供は、一人目ではなかった可能性すらある。
「まさか、そんな……。泊まりを許す程の仲だなんて」
わざとらしく落ち込んで見せれば、キースは慌てて反論する。
「違う! 彼女の家には、商談で行っているんだ。泊まったのだって、その関係で……晩餐に招待され、そのまま話をしながら飲み明かす日があっただけだ!」
泊まったという事実は否定しなかった。
相手の家は子爵位で、アウイナイト伯爵家よりは下となるので、キースがきっちり断りさえすれば、相手は強く出られない。
晩餐までならまだしも、年頃の娘がいる家に泊まるという判断をしたのはキースだ。それを許した子爵家も子爵家だが。
幸か不幸か何事もなかったが、悪い噂が立ったとしても不思議ではない。
それなのに、泊まったと。
「その割には回数が多いようだが。それに、旅行にも一緒だっただろう?」
「……っ! お前、わざわざ調べたのか!」
「調べられて困るような事だと?」
ルークはいつからキースについて調べていたのだろう。
全部知っていますよ、という態度を取りたいのに、私が知らない事ばかりで驚きを顔に出さないのに苦労する。
そこまで詳しく知っていたのなら、事前に打ち明けてくれれば良いものを。
こんな男なら、あれだけ反対していた事にも頷ける。
「浮気をするような男の家と縁続きになどなりたくもない。私の方から正式に破談を要求する」
「わたくしも、浮気をなさるような方を夫にして苦労したくはありませんので」
にっこりと微笑んで見せる。
愛人をもつ貴族も居ることは居るのだが、タンザナイト家はそれに当てはまらない。
亡き侯爵夫婦がどのような形でこの縁談を持ち込んだのか詳細は聞いていないが、次期侯爵からの正式な破談要求に、爵位が下である伯爵家が反論するのは難しい。
原因がキースの浮気だというのだから、尚更だ。
「出口はあちらですわ。ご案内を」
私がそう言えば、使用人がさっと動き出す。
まずは一つ。
面倒な事柄が片付いた事に安堵した。