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その他、人×人恋愛系

変態に出会ったら変態になったので結婚することにしました

この作品はR15です。対象年齢未満の方は閲覧をご遠慮ください。



 齢十八の乙女、男爵家の次女ユガンデラ・リッチマイドは、とある侯爵家の庭園で見事に迷っていた。

 本日は当該家のご令嬢の誕生パーティーだったのだが、派閥内から年頃の近い男女が多く招待され、その中に彼女も含まれていたのだ。

 しかし、祖父が商人として多大な功績を上げ男爵位を得て、ソレを現当主たる父親が継いで間もない程度の、ほとんど付け焼刃のなり立て貴族娘には、さすがに肩身狭い場所だった。

 そして、無意識に人の気配の薄い方へと足を進めた結果、気が付けば侯爵家の広大な敷地内で迷子になってしまっていたのである。


 焦って辺りを見回すユガンデラだが、庭を彩る鮮やかな草花や木々が視界と音を遮って、戻るべき場所の方角も分からずにいた。

 警備の者たちの存在をどこかですり抜けてしまったのか、彼女の目に映る範囲に人影もない。


 途方に暮れる男爵令嬢。


 と、そんな彼女の耳に、ふと人の唸り声らしきものが聞こえてきた。

 助かったと飛びつくには少し不気味で、ユガンデラは極力息を殺して、ゆっくりと音のした方へ近付いていく。


 その先で最初に目についたのは、声の主ではなく、おそらくソレを遠巻きに観察しているであろう男性の姿だった。

 彼は、濃い緑と薄灰色の混ざる地味ではあるが上質な装いに身を包み、木々の隙間に溶け込むように隠れて立っている。


 怪しいことこの上なかったが、背に腹は代えられぬと、ユガンデラは意を決して、男性に声を掛けるべく距離を詰めていった。

 しかし、彼の傍にたどり着き、まさに助けを求めようと口を開いた瞬間、かの唸り声が前方から響いてくる。

 反射的に音を追って首を回した彼女は、その先でとんでもないものを目にして、驚愕に全身を硬化させた。


 敢えて、令嬢が見たままを表現するのであれば、一組の年若き貴族男女が睦み事に及んでいたのである。


 ユガンデラは、生まれて十八年、恋人の一人もいたことのない清き少女だ。

 あまりの恥ずかしさ居たたまれなさに視線を横へと逸らせば、今度は彼らをニヤニヤといやらしい笑みで鑑賞している二十代半ば程の青年貴族の姿が映った。


「あ、あああ貴方、なな何を見て……っ」

「しぃ、お静かに。彼らに気付かれてしまいますよ」


 ユガンデラが思わず上擦る声を発すれば、彼女の存在をすでに認識していたのか、青年は男女から目を離すことなく右手の人差し指を己の唇に添えて、冷静に沈黙を促してくる。

 忠告を受けてハッと令嬢が両の手のひらで口元を隠すと、再び聴覚がいかがわしい音を拾った。

 異様な状況に置かれ、まともに頭が働かず、ユガンデラはただただ半泣きでその場に立ち尽くす。


 そこから、彼女の体感で長い時が過ぎた。

 庭先であるにも関わらず、男女は一度ならず二度三度と行為を繰り返し、満足した後も隙間なくベッタリと寄り添ったまま、木々に隠れる二人と反対の方向に歩き去っていった。


 ほとんど意識を彼方(かなた)に飛ばしていたユガンデラだったが、男女の影が完全に視界より消え失せて、しばらくのち、頭上から場違いにも愉悦交じりの言葉が落ちてきたことで、急速に正気を取り戻す。


「いやあ、激しかったですねぇ。

 外であそこまで盛り上がれる男女は中々に珍しい……」

「あなっ、貴方、一体ここで何をしていたのですか!」


 なぜか暢気に感想など語ってくる青年貴族に、初心な令嬢は急激な憤りを感じて、ほとんど反射的に彼に食って掛かっていた。

 普段であれば、さすがにソレがどれだけ危険な行為か理解も出来たのであろうが、いかんせん、現在の彼女は精神的に疲弊しきっており、正常な判断力を失っている状態だ。


「んんー? もう察していらっしゃるのではぁ?」

「……覗きッ」

「あはぁ」


 薄茶色の髪をオールバックにセットした地味顔の青年は、締まりのない笑顔で首を横に傾ける。

 自らは言葉にせず、明確な肯定すら返さないところに、この男の小賢しさが透けていた。

 しかし、未だ人生経験の浅いユガンデラは、その事実に気が付けないでいる。


「何故その様な、ハっ、破廉恥(ハレンチ)な行為をっ」

「んっふ。僕ぁ、誰かが秘密裏に行っていることを垣間見るのが好きで好きで仕方がないんですよぉ。

 こういった情事でも、(くわだ)て事の会合でも、窃盗現場でも、なぁんでもねぇ」


 両腕を曲げ、グネグネと左右に体を揺らしながら、律儀に彼女の相手を続ける青年。

 好きだと応えつつ、やはり、やったとは一言も告げていない。


 己で尋ねておきながら、ユガンデラは彼の真っ正直な回答に、多大なショックを受けていた。


「そんな!?

 王国三大主護家と名高いキーン=ヨック子爵家の高潔なる次期当主ミデイル様が、まさか覗き趣味だなんて……万一にも知れ渡れば、子爵家の名誉は地に落ちますわよ!?」


 彼女は彼のことを……噂ばかりが元ではあるが、目の前に立つ青年ミデイル子息の真逆の人間性を幾ばくか見聞きしていたのだ。

 だからこそ、未だ年若い令嬢には、この現実が容易には飲み込めなかった。


 とはいえ、そうしたユガンデラの当惑など、変態本人には関係のない話だ。


「あれ、僕をご存知でしたかぁ?

 うぅーん。でも、僕ってばぁ、徹頭徹尾公平で周囲の信頼厚い生真面目な高等裁判官と他称される身であるからしてぇ、君一人が必死に吹聴したところで誰も信じないかと思いますけれどもぉ」

「なんですって」


 悪びれぬ笑みで(のたま)う男の厚顔さに、無垢な令嬢は衝撃を受ける。

 軽く言葉を失う彼女へ畳み掛けるかのごとく、青年ミデイルは更に弁舌を振るった。


「そもそもぉ、公の場でどの様な場面を(たま)さか目撃したところで、現国法では罪に問われようもありませんしぃ」

「偶さかって……思いきり故意ではありませんかっ」

「ソコは他人が証明できることではありませんからぁ」


 高等裁判官たる職に従事する彼は、当然ながら、法律を熟知している。

 隙間をかいくぐり逃れる術にかけて、そこら一般の犯罪者よりも余程詳しかった。

 加えて、日頃より周到に真面目な人物像を演じることで、目撃者に対する「偶さか」「怪しかったので見張っていた」等々の言い訳に説得力を持たせている。


「あぁっ、なんてこと。気持ち悪いっ、最低っ、変態っ」


 ユガンデラが穢れなき心のままに青年を罵れば、彼は途端、眉尻と肩を落として苦笑した。


「あはぁ。そうですよねぇ、不出来で申し訳ありませぇん」

「え。ご、ご自覚がおありなの。

 それで尚も続けていらっしゃるなら、性質(たち)が悪すぎるでしょう」


 平然としているようで、その実、しっかりと罪悪感を覚えているらしい姿に、彼女は狼狽する。


「申し訳ありませぇん。僕ぁ、これだけが生き甲斐なのでぇ」

「生き甲斐? の、覗きが?」


 到底理解の及ばぬ主張だが、男が怯んだことで逆に少々心に余裕が生じた令嬢。

 ゆえに、彼女は彼とのやり取りでずっと疑問に思っていた事柄を、ここぞとばかりに唇に乗せた。


「というか、先ほどから気になっておりましたが、なぜ急にその様な癇に障るしゃべり方を?

 ついでに指摘させていただけば、妙に内股だし、動きもクネクネして、顔だって目尻の下がったいやらしい薄ら笑いが不快極まりないし……」


 若さで片付けるにも(いささ)か厳しい、散弾銃のような口撃である。

 コレには、さしもの青年も気分を害するかと思いきや、彼は良くも悪くも平素と変わらぬ態度で答えを返した。


「あぁー、いえ、僕、これが素でしてぇ。

 言うなれば、公私(こうし)の私と申しますかぁ。

 今は周囲に誰もいない状況ですからぁ、まぁ、いいかなぁと判断した次第でぇ」


 とはいえ、ミデイルも珍しいとは考えていたようで、次いで、独り言めいた呟き声が彼の喉から零れ落ちる。


「……しかし、歯に衣着せぬご令嬢だなぁ。

 確かぁ、成り上がり金満男爵と噂のリッチマイド家、その当主の次女ユガンデラ嬢でしたかねぇ」

「ヒィッ! な、なぜ(わたくし)の名を!?」


 覗き趣味の変態に素性を看破され、一気に脅えの感情を見せるユガンデラ。


「甘美な秘め事はいつどこでどの様に生じるか分かりませんからぁ。

 そのための労力は惜しまないと申しますかぁ。

 常に情報は集めておりますよねぇ、色々と、はいぃ」


 そんな彼女を前に、ミデイルは粘着質なアルカイックスマイルを浮かべ、顔横に人差し指を立てて、淀みなく語った。


「おっ、おお脅す気ですか、私を」

「あっはぁ、まさかまさかぁ。

 最初に申し上げた通り、ユガンデラ嬢は影響力に乏しいのでぇ、その必要性は感じておりませぇん。

 いえ、ソレ以前に、破廉恥と称した今回の一部始終を他人に伝えることも、貴女の感性では厳しいのではぁ?

 ね、話せますぅ? 口に出せますぅ?

 その可憐な唇で、何を見たのか、赤裸々にぃ」


 令嬢の杞憂を、青年がからかい笑い飛ばす。

 子爵令息の胸懐(きょうかい)を推察し、彼女の表情が悔しげに歪んだ。


「ご自身について明け透けに語っていらっしゃるのも、私が無力と確信しているから……そういうわけですか」

「まさしく、そういうわけですねぇ」


 役者が違いすぎた。

 この状況は、それに尽きる。


 明白に侮られ、けれど、返す刃を持たぬユガンデラは、反撃を諦めるしかない。

 歯を強く食いしばった彼女は、最後にキッと変態男を睨み付け、勢い良く空色のドレスを翻した。


「……っ失礼いたします!」


 怒気を孕む華奢な背に、ミデイルは無言で開いた手のひらを左右に振る。

 それから、白のハイヒールが十回ほど土を削った所で、令嬢がなぜか速度を緩めて立ち止まり、三秒後、真っ赤な顔を両手で隠しながら再び踵を返してきた。


 さすがに少々驚いて、青年が困惑するままに尋ねかける。

 

「ええ……? どうなさいました?」

「あ、あの、パーティー会場はどちらでしょう」

「……あぁ」


 美しい庭園の片隅で、ものすごく居たたまれない空気が流れていた。






 そんな邂逅から約一ヶ月後。

 リッチマイド男爵家のそれなりに整った庭先を、ミデイルとユガンデラが二人きり、静かに並んで歩いていた。


 なぜか、キーン=ヨック子爵家にリッチマイド男爵家から一つの縁談が舞い込んだのだ。

 もちろん、対象は語るまでもない。

 奇妙な打診を前にして、令嬢ユガンデラ本人の意思を確かめるべく、ミデイルは「一度会って相性を見てからにしたい」という建て前をもって、男爵家に足を運んでいた。


「えー、ユガンデラ嬢。

 一応お聞きしますがぁ、この度の話は男爵の独断で間違いないですよねぇ?」


 見える範囲に人影はないが、家の者の視線がいつどこから向けられるか分からないので、青年は口調以外、普段の生真面目演技を通している。


「…………ご」

「ご?」

「合意の、上です」

「………………っへ?」


 力んで顔面の中心部をしわくちゃにした令嬢は、言いよどみつつも、はっきりとこの縁談に対する肯定意見を口に示した。

 一方、あまりに予想外の答えを受けたミデイルは、数秒思考を停止させた後、唖然とした表情を晒しながら、その原因たるユガンデラへと質問を投げかける。


「ま、また何故」


 すると、彼女は俯き加減に胸の前で両手を組んで、呟くように真実を語り始めた。


「……ミデイル様は、気持ちが悪いじゃあないですか」


 いきなりのこき下ろし。


「えっ、はい。

 特にユガンデラ嬢のような、うら若き清廉な乙女からすれば、そうでしょうねぇ」


 しかし、そこで平然と同意してしまうのが彼という青年である。


「本当にもう、言動も何もかもすごく気持ち悪くて、気持ち悪すぎて、あの日のことを思い出すたび、私、全身ゾクゾクして……」

「はぁ」


 ここからどう結論に繋がるのか分からず、ひとまず曖昧な相槌を打つ令息ミデイル。

 が、本題までまだ時を要するかと思いきや、次の瞬間には既に求める解答が(もたら)されていた。


「……気が付いたら、その、く、癖に、なっていました。

 ミデイル様の底なしの気持ち悪さを、また体感したいと……そう、たまらなく欲している自分がいたのです」

「ひええっ、変態だぁ」

「貴方様にだけは言われたくありませんがっ!?」

「あ。声量は抑えていただかないと、家人が何事かとやってきてしまいますよ」

「くっ、確かに」


 令嬢の告白に、自身の趣味を差し置いて軽く身を引くミデイル。

 とはいえ、半ば冗談のようなものなので、直後のユガンデラの怒りも至極冷静にスルーしていたが。


 青年の指摘で、渋い顔をしながらも深呼吸で気を落ち着かせた彼女は、やがて再び縁談に前向きな理由の説明に戻った。


「あとは、その、罪の意識がそうさせるのかは分かりませんけれど、ミデイル様は貴族男性の中では非常に温厚な方でいらっしゃるようだから。

 悪い意味で正直すぎると両親に苦悩されがちな私でも、何くれと衝突せず、受け流していただけるのではないかと……」

「ふぅーむ、なるほどぉ」


 今度は些少なりと納得のいく話であったので、彼は二度三度と頷いてみせる。


「でしたら、しちゃいますかぁ、婚約」

「えっ、そんな簡単に?」


 驚くまま、ミデイルを見上げるユガンデラ。


「まぁまぁまぁ。

 僕の趣味を承知の上で嫁いで来ていただけるなら、これ以上の僥倖はないでしょうしぃ。

 改めて考えるとぉ、本当の僕を受け入れていただけたようで中々嬉しかったのでぇ?」


 接触スレスレまで顔面を近付け、令嬢のみ視認可能な角度で、青年は生真面目な表情を崩して粘ついた笑みを浮かべた。

 途端、彼女は足下から順に小刻みに肢体を震わせて、何かを堪えるようにギュッと目を瞑る。


「っきもちわるい」

「あはぁ。器用ですねぇ、青くなりながら赤くなってますよぉ」


 曲げていた背を直しつつ所感を垂れ流す子爵令息は、口調だけを残して、すでに貴族然とした立ち居振る舞いを取り戻していた。

 いったい器用なのはどちらなのか、という話である。


 まあ、こういった特殊な事情で、異なる変態二人は間もなく正式に婚約を結んだ。

 もちろん、リッチマイド男爵が真実を知ることはなく、愛娘がいかにも実直勤勉といった子爵令息と良縁を結べたことを素直に喜んでいた。

 知らぬが仏とは、(まさ)にこのことである。







 さて、令嬢が「気持ち悪い」を摂取するためもあり、変態カップルはそこそこ定期的に逢瀬を重ねていた。

 本日の二人は王族主催の大規模なパーティーへと参加するため、キーン=ヨック子爵家側の馬車にて揺られている。


「今日は夜会なのでぇ、闇に紛れやすい濃紺の衣装に致しましたぁ。

 僕の外出着は基本的に光を反射する素材を使用しない特別製でしてぇ。

 装飾も同様か取り外しが容易な造りにしているんですよぉ、うっふふ」


 軽い密室空間なので、婚約者へのサービス的な意味も含めて、ミデイルは飾らぬ己の姿をさらけ出しているようだ。


「も、もし? ミデイル様?

 (わたくし)、確かに貴方様の気持ち悪さが癖になってしまったとは申しましたが、その際どい趣味まで容認したわけではございませんのよ」

「おやぁ? そうでしたかぁ?」


 ユガンデラは、彼の犯行予告さながらの雑談に、唇の端をひきつらせ、額から一筋の冷や汗を垂らした。

 いくら彼女の性癖が歪んだとて、良識まで投げ捨てたわけではない。

 いっそ開き直っている当人より、後ろめたさを感じている可能性すらあった。


「んんー、ざぁんねぇん」

「あの、せめて私を伴う社交の場ではお控えいただけたり……」

「いえぇ、コレはもう本能、いや、呼吸に等しいのでぇ。

 誠に申し訳ありませぇん」

「ううぅ」


 予想通りとはいえ、婚約者の返答に失意を隠せない令嬢ユガンデラ。

 彼女の苦悩は、ギリギリアウトなすり抜け合法変態を相方にしている限り、尽きることはない。



 それから間もなく、此度の会場である王宮へと足を踏み入れた二人。

 さしものミデイルも社交そのものを疎かにすることはなく、到着してしばらくは挨拶周りに忙しくしていた。


「おお、ミデイル。そちらが噂の婚約者殿かね」

「はっ。

 閣下、紹介させていただきます。

 こちらが私の婚約者と相成りました、ユガンデラ嬢でございます。

 ユガンデラ、こちらは最高裁判長のフシアーノン侯爵閣下です。

 ご挨拶を」

「まあ、お勤め先の……(わたくし)、リッチマイド男爵家が次女、ユガンデラと申します。

 侯爵様、以後よしなに」


 婚約者の前では変態丸出しな青年も、公私の公では、そんな本性の片鱗すら覗かせることはない。

 未だ爵位を継がぬ身とはいえ、有能で名の売れた裁判官たる彼には高位貴族の知己も多く、しがない男爵令嬢のユガンデラは特に緊張を強いられていた。


「うむ。リッチマイド家か。

 常日頃より堅実を旨とする君にしては、なかなかに意外な選択であるな。

 うむ。しかし、性質が異なるからこそ学べるものがあるのやもしれん。

 うむ。今後、君の益々の活躍に期待させてもらうとしよう」

「はっ、恐縮です」

「うむ。ところで、先の公判について、私の個人的見解だが……」

「おや、フシアーノン卿。例の事件の話ならば、私にも語らせてくれ給えよ」

「おおっ、マザラン公ではございませんか」


 通常は顔を出して一言二言で場を離れるものなのだが、上位者から話題を振られてはそうもいかない。

 現状を正確に把握した子爵令息は、さりげなく婚約者に身を寄せ、潜めた声で一つの指示を与えた。


「ユガンデラ嬢、少し長くなりそうだ。

 話が終わるまで、君は君で好きに過ごしていなさい」

「……では、お言葉に甘えまして」


 同じく小声でそう返して、ユガンデラは一応とばかりに軽く腰を落とした後、静かにその場から離脱する。

 年齢も位も遥か上の異性らの、知識も興味も所縁(ゆかり)もない会話を延々聞かされずに済んだ男爵令嬢は、小さく広げた扇子の裏で安堵の息を吐いていた。



 さて、ユガンデラが煌びやかな会場内を適当にうろついていると、その姿を目にとめたらしい彼女の友人である、さる男爵家のご令嬢が、ゆるく手を振りながら近付いてきた。


「ユガンデラ。探していたのよ。

 この度は、ご婚約おめでとう」

「あら、フレンドゥーエ。ありがとう」


 気安い言葉遣いで定型文を交わして、ニコリと微笑みあう少女たち。

 そのまま楽しく女性同士のおしゃべりが始まるのかと思いきや、間もなく、フレンドゥーエが表情を曇らせてしまう。


「形式として言祝(ことほ)ぎはしたけれど、(わたくし)、実のところ心配しているの」

「心配? 何を?」

「あまり人のことを悪く言いたくはないのよ。

 でも、婚約者の(かた)、冗談の通じない鉄の堅物で、仕事中毒だって有名でしょう?

 先程から遠目に眺めていた限り、噂通りの男性のようだったから」

「っあぁー」


 職務優先で(ないがし)ろにされてはいないかと、そう疑っているようだ。

 ミデイルの真の姿を知るユガンデラからすれば杞憂も(はなは)だしいのだが、いくら親しい仲でも彼の正体を打ち明けるわけにはいかないため、彼女はついつい難しい顔で唸ってしまった。

 その反応を誤解したのか、友人の令嬢は頬に手を添え、いかにも気の毒そうな視線を向けてくる。


「人として貴族としては立派なのでしょうが、夫としては……ねえ?

 大切な友人の貴女が寂しい思いをしたり、我慢を強いられたりするようでは、流石にちょっと、私、複雑で」


 婚約者ミデイル青年に対する実際の彼女の感想は完全に真逆だ。

 犯罪者紛いの趣味を持っており、人として貴族としては最低だが、その贖罪のつもりか何くれと気を利かせてくれる傾向にあるため、夫としては、けして悪くない相手だと考えている。


 ただ、逆の立場なら、ユガンデラも友に同じセリフを告げていた自信があった。

 しかし、彼女は両親にも太鼓判を押される正直者で、嘘は不得意だ。

 とはいえ、無根の事実でフレンドゥーエの心を痛めさせることも、ミデイルの評価を不当に低めることも、一切望んではいない。


 結論。ユガンデラは、どうにかこうにか自身の頭を捻り絞って、疑惑の払拭を試みる。


「あのっ、フレンドゥーエ? 大丈夫よ?

 彼は、そう、賢い男性で、八つも年嵩の立派な大人で……だから、その、正式な婚約者を蔑ろにするほど無分別な御方ではないの」

「そうなの?」

「ええ、そうよ。

 私だって、大切な友人にこんなことで嘘は()かないわ」

「…………なら、良いのだけれど」


 こんなことで嘘は吐かないが、同時に黙っている事柄が多すぎて、彼女は内心冷や汗ものだった。

 一方、フレンドゥーエ嬢は末だどこか懐疑的でありつつも、今回は友人の言葉を素直に受け入れることにしたようである。

 慣れぬ誤魔化しを続けずに済んだユガンデラは、ホッと胸をなで下ろしていた。





 そして、ふと気が付けば、変態がメイン会場である広間から姿を消している。

 単純に規模の大きさで見落としている可能性もあるが、彼女には一つの予感があった。

 そう。例の覗き趣味を満喫しに、また人気(ひとけ)のない場所へ向かったのではないかと。


 しばし悩んだ末、ユガンデラは彼を捜索することにした。


「……あぁ、ミデイル様どちらへ向かわれたの。

 本格的に行動を起こされる前に、どうにか連れ戻せないかしら」


 それが難しいにしろ、女性連れであれば露見時に言い訳も立ちやすいのではないかと、令嬢は燭台に照らされた薄暗い廊下を早足に歩き続ける。

 ちなみに、前者はともかく後者は犯罪の幇助(ほうじょ)に該当するのだが、もちろんのこと、彼女は把握していない。


「おや、ご令嬢。

 このような場所に独りで、いかがなされた?」


 やがて、彼女が客室の並ぶ区画に差し掛かった時、柱のそばに立っていた二十代前半と思わしき男性貴族から声をかけられた。

 進行を止め男に視線を向ければ、かち合った瞳の奥に下心を感じて、ユガンデラは失礼に当たらぬ程度に素っ気なく断り文句を口にする。


「お構いなく、連れを探しておりますの」

「ほぅほぅ、お連れ様を。私、もしかすると、それらしき方を見たかもしれません。

 よろしければ、そこまで案内いたしますよ」


 めげずに距離を詰め言葉を重ねてくる男へ、内心で毒づきながら、彼女は首を横に振った。


「……いいえ、お気持ちだけで結構です。

 (わたくし)、どなたのお手も煩わせるつもりはありませんの」


 彼の話が嘘でも本当でも、頼るには身が危険すぎると、そう判断を下したのだ。


 全てを観測している存在がいれば、似たような変態婚約者とは仲良くしているくせに、と思う者もあるかもしれない。

 が、言動がどれほど気持ち悪くとも、ミデイルは令嬢そのものに(よこしま)な目を向けては来なかった。

 だからこそ、初対面時、ユガンデラは無防備にも覗き趣味の最低男なんぞとウッカリ会話を続けてしまったのだ。


「なに、遠慮なさらず。すぐそこですから」

「ぃやっ、お止めくださいっ」


 男が腕を伸ばしてくるのを、彼女は素早く身を(よじ)って(かわ)す。

 避けられたのが気に食わなかったのか、彼は浮かべていた薄ら笑いを消し、冷え込んだ表情でユガンデラを見下ろした。


「意味もなく淑女ぶるものではない。

 こんな所をうろついているんだ。どうせ、男を漁りにでも来たのだろう?」

「そんなっ、違います!」


 とんでもない勘違いに、令嬢は顔を真っ青にして否定する。

 だが、尚もしつこい男から体格差を利用して壁際に追い詰められ、いよいよ万事休すかとユガンデラは華奢な身を震わせた。

 と、そこで、その貴族の更に後方から、彼女のよく知るバリトンボイスが響く。


「ふむ、貴公。

 そこな令嬢は私の正式な婚約者であるのだが、何かご用かな?

 もし、彼女に対する先ほどの発言に不貞行為への誘導意思が含まれているのならば、私は王国刑法第三十四条の二項に従い貴公を訴え裁かねばならなくなるが」

「は? 何を言……うげっ、キーン=ヨックの鉄頭!?」


 不穏なセリフを受けて振り向いた男は、その正体を認めて体を仰け反らせた。

 ミデイルの隙のない仕事ぶりは、一部とはいえ高位貴族に直の挨拶が許される程度には有名だ。

 とどのつまり、女を手込めにして喜ぶような非道の遊び人にとって、この上なく面倒な相手に他ならなかった。


「まさしく、私が王国司法省の高等裁判官ミデイル・ヨン・キーン=ヨックだ。

 ところで、今のは私に対する悪意ある暴言ということでよろしいか?

 であれば、貴族法第五条四項の二に則り、近衛を喚び一時的拘束を要求する権利を行使させていただくが」

「ひぃっ。知らんっ、私は何も知らんぞっ」


 婚約者が言い寄られ、自身も蔑称を浴びせかけられながら、ただひたすら変わらぬ真顔で淡々と語るミデイルは、だからこそ、情けも容赦も躊躇もなく機械のように法律に殉じた行動を取るのだろうと感じさせた。

 そんな彼に恐れをなした男性貴族は、情けない捨てゼリフを残して、より暗き闇の中へ駆け去っていく。


 やがて、二人の耳から男の足音が完全に消失した。

 そこから更に数秒後、傍に立つ己の婚約者にのみ聞こえる声量で、ミデイルが僅かに目を細めて悪態を吐く。


「ふん。ボウダッツ家のドラ息子めが」


 彼の呟きに、アレが女癖の悪さで有名な令息ツネーニ・ティン・ボウダッツかと、ユガンデラは噂通りの人物像に内心で深く頷いていた。


 間もなく、脅威が去ったことで脱力して座り込んでいた男爵令嬢に、公私の公の態度を崩さぬミデイルが助力の手を伸ばす。


「ご無事ですか、ユガンデラ嬢」

「こわ……怖かった……です」


 素直な所感を伝えながら、彼女は彼の腕を支えに立ち上がった。

 すぐには気力が回復せず、俯きがちなユガンデラへ、変態子爵令息は話のついでとばかりに自らの所有する情報の一つを開示する。


「この辺りは、俗に連れ込み部屋と呼ばれる区域になっているので、女性が一人で歩くには危険ですよ」

「つれこ……ッ!?

 わ、(わたくし)はただ、ミデイル様を探してっ」


 驚愕の事実に勢いよく顔を上げ、まさか誤解を受けてはいまいかと、令嬢は慌てて言の葉を紡いだ。

 まぁ、当然のことながら、彼女のソレは杞憂であるのだが。


「あぁ、なるほど。これは失礼。

 せめて一言告げてから会場を離れるべきでしたね。

 どうも独り身が長かったもので気が利かず」


 本能に導かれるまま垣間見ポイントへ赴いてしまったミデイルだったが、婚約者であるユガンデラへの配慮不足を察して、即座に己の行動を謝罪した。

 令嬢はそんな彼を責めることはせず、細い首を緩く横に振る。


「い、いえ……むしろ、私こそが軽率だったのです」


 先程の出来事で、今更ながら、変態の目的地が高確率で安全性に欠ける場所となる現実に気付いたのだ。

 覗き趣味を知りつつ、わざわざ彼を追った動機については、後ろめたさもあり小さな胸の内に隠匿した。


「……ふむ。今夜はもう帰りましょうか」


 気まずさに沈黙していると、ふと、ミデイルからそんな提案が投げられる。

 視線を交わせば、その理由が彼女にあるのは明らかだった。


「えっ、よろしいのですか。

 ミデイル様の目的はまだ果たされていないのでは」


 愚行を止めたかったはずなのに、彼の気遣いに触れ、つい後押しにも該当しかねない確認を取ってしまうユガンデラ。


「おっしゃる通り、確かに今夜という日に逃した宝は二度とは戻りません。

 だからといって、震える婚約者を放っておくほど非道な男のつもりもありませんよ」

「そ、それは、その、ありがとう存じます」


 問えば、有能な子爵令息である自身の趣味より、しがない男爵令嬢の彼女を優先すると言う。



 先のドラ息子との落差もあり、うっかりトキメキかけるも、帰路、演技を止めた婚約者の気持ち悪さに、思わず正気に戻ってしまう一人の乙女がいたとか、いないとか……?




 


 そんな夜会から更に数ヶ月後。

 ユガンデラは、遠い領地から出向いてきたミデイルの両親、キーン=ヨック子爵夫妻との初の顔合わせに挑んでいた。


「うんうん。しっかりしたお嬢さんのようじゃないか」

「ああ、ミデイル坊や。

 二言目には仕事仕事で、この母がどれだけ縁談を薦めても見向きもしなかった貴方が、ようやく身を固める気になってくれて嬉しいわ」

「母上、口を慎んでいただきたい。

 ソレは婚約者たる彼女の前で語るべき話ではない」

「いやだ、確かにそうね。ごめんなさい、ユガンデラさん」

「いえ、お気になさらず」


 令嬢が受けた二人の印象は、気さくで優しい……というよりは、どこか優柔不断そうな子爵と、いまいち地に足のつかない夫人、だ。

 少なくとも彼女には、ミデイルのような奇怪な男が育つ要素は感じ取れなかった。

 ユガンデラは仮にも成り上がり商人貴族家の娘であり、祖父や両親の教えに加え、日々数多の客人と接してきた経験から、人を見る目にはそれなりに自信があるのだ。

 変態との初の邂逅時、彼の正体に唖然としたのは、そうした自負が破られた部分にも要因があった。


 ともあれ、そう長い時をかけず挨拶も終わり、婚約者に連れ出されて、彼女は一つの応接室らしき部屋へと足を踏み入れる。


「セバス。彼女と婚後の話がしたい。

 少々繊細な話題も取り扱う予定なので、しばらく部屋に誰も近づけないようにしてくれ」

「かしこまりました」


 そう言って家人を遠ざけさせたミデイルは、指示を受けた執事が完全に去ったことを確信してから、一気に己の本性を解放した。


「ぃやあー、疲れたでしょう?

 あの両親の相手は。

 もう楽にしていただいて構いませんよぉ」


 神経を逆撫でする緩い口調と粘着質な声色、グニャグニャと落ち着きのない仕草は、それはもう全ての女性が嫌悪感を覚えるであろう気持ち悪さだ。

 しかし、ユガンデラはソレを享受するより先に、自身が深く抱いた疑問点の解消を求めた。


「……ミデイル様。

 まさか貴方、ご自宅でも……ご家族の前ですら演技を通していらしたの?」


 そう。彼は公私の私などと称しつつ、その最たる場であろうはずの生家ですら、(こう)の姿を演じ続けていたのだ。

 生活の殆どを偽って過ごす、そんな真似は、とても常人に耐えられるものではない。


「あっはぁ。本当の僕を知るのはぁ、この世で貴女だぁけですよぉ?」


 されど、令嬢の問いに、変態は微塵も堪えていない様子で笑う。


「うっふふ。二人っきりのヒ・ミ・ツ、ですねぇ?」

「ひっ、気持ち悪い」

「喜んでいただけて何よりぃ」


 尖りすぎた性癖は、人をこうも強靭にするのであろうか。






 また数ヶ月が過ぎた頃。

 とあるレストランの個室で逢瀬の最中、ついにユガンデラは今日(こんにち)までタブーと己に禁じていた質問を婚約者相手に解放した。


「あの……ミデイル様は、どうして覗きなんて最低の趣味に目覚められたのですか」


 相変わらず、発言から棘の抜けない正直令嬢である。

 もちろん、そんな些細なことを気にするミデイルではないが。


「んんー?

 まあ、変態仲間のユガンデラ嬢には、お話し致しましょうかぁ」

「まるで私まで同じ趣味のようなおっしゃりようは止してくださいっ」


 彼女は憤っているが、赤の他人からすれば、特殊性癖度合いは五十歩百歩だろう。


「あっははぁ。

 僕にはねぇ、幼い時分にそれはそれは厳しい女性の教育係がついていたんですけれどもぉ。

 そう。何くれと鞭で叩いてくるような、ねぇ」

「む、鞭で……っ?」


 軽い口調で始まった割に、初手から想定外に痛々しいエピソードが飛び出して、ユガンデラは持ち上げたばかりのグラスを無意識にテーブルへ戻していた。


「はい、そうですよぉ。

 おかげで、僕、未だにあちこち痣が残っていてぇ」

「えっ」

「でも、ある日ぃ、詳しい関係は今でも知りませんが、その教育係が父と不貞行為に耽っている姿を目撃してしまいましてぇ。

 彼女が厳しい理由をなんとなく察しましたよねぇ、僕は顔立ちが母にかなり似ていましたからぁ」

「っなんてことなの」


 要は、父親の浮気相手である女が、母親に対する嫉妬の鉾先を理不尽にも幼い息子相手に向けていた、ということだ。

 あまりの仕打ちに、令嬢の顔が同情の色に染まる。


「いやぁ、もうねぇ。色々と衝撃も受けたものですが、最終的にそれら全てを飛び越えて、僕、なぜか興奮を覚えてしまってぇ」

「は?」


 話の着地点が変則的すぎて、咄嗟に理解の及ばぬ彼女は、唖然と口を開けて固まってしまった。


「そこからですかねぇ。人の裏側、隠された秘密を垣間見る行為に甘美な味を覚えてしまったのは。

 そぉうそう、幼心に最も信頼していた親切な世話役が、夜中にコッソリ銀食器を懐に入れていた場面に遭遇した時も高揚したなぁ」

「……そ、それは、その、なんとも複雑な」


 何でもないことのように衝撃エピソードが追加され、ユガンデラは、もはや打つべき相槌も分からない。

 眉尻を下げ当惑に言葉を失う自身の婚約者へ、ミデイルがどこか感慨深そうに首を曲げて語る。


「その点、君は愛情深い両親の元、何不自由なく健やかに育ったはずなんですけれどもぉ。

 どうして、伴侶に僕なんかを選んでしまったのでしょうねぇ?

 人生って分かりませんねぇ」

「うっ。ソレをおっしゃらないで下さいませ。

 どうして、と、誰より考えているのは(わたくし)なのですから」


 なにゆえ彼が変態となるに到ったか。

 結局、理解はできなかった男爵令嬢だが、その日から、彼女の彼に対する辛辣さが少しばかり弱まったのは、違えようのない事実だった。







「あぁ、もう挙式ですか。存外早いものでしたわね」


 約一年の婚約期間が過ぎて、変態カップルはついに夫婦となる日を迎える。

 式場内の控えの小部屋で束の間、二人きりで最後の打ち合わせを行っている最中、ユガンデラが窓の外の景色を眺めながら、ポツリとそんなことを呟いた。

 すると、何を思ったのか、絶賛堅物演技中のミデイルが彼女の耳元に顔を寄せ、ねっとりとした囁きをねじ込んでくる。


「あっはぁ。初夜は楽しみにしておいてくださいねぇ、ユガンデラ嬢。

 実経験には乏しいですがぁ、趣味が高じて知識だけは豊富ですからぁ、僕ぅ」

「ひえっ、さ、最っっ低」


 どうして、よりにもよってこのタイミングで過去最高に気色の悪い発言をしてくるのか。

 彼女はゾクゾクと身震いしながらも、大いに呆れる他なかった。



 そのまま、つつがなく式が終了し、また、変態の宣言通り無駄に長い夜の時間を過ごした二人は、現在、軽く身を清め後は眠るだけとなった状態で、ポツポツと言葉を交わしていた。


「今後、僕たち二人の天使が生まれたらぁ、屋敷内で己を解放できるのは夫婦の寝室だけになりそうですかねぇ。

 いかにも教育に悪いですからねぇ」

「……それだけ客観的視点と理性とまともな感性を備えて、なぜ、いつまでも変態でいられるのですか、貴方様は」

「あっはぁ。そこは僕の人生そのものに刻まれた宿命ですからぁ、仕方がありませぇん」

「出先で旦那様が姿をくらませた時、私が常、どれだけ緊張を強いられているか。

 少しは察していただきたいものですわ」


 夫婦となったからこそ、より一層、ミデイルの趣味に危機感を覚えてしまうユガンデラ。

 未来の苦労を考えれば、愚痴の一つも零して罰は当たらないだろうと思っての発言だったのだが、直後、肝心の夫から返ってきたのは、およそ見当はずれの回答だった。


「あはぁ。万一の際には、知らぬ存ぜぬを通して離縁でもすれば良いだけの話でしょうにぃ」


 さすがにコレは聞き捨てならぬと、妻ユガンデラは上半身を起こして、暢気な顔で隣に寝転がる男に鋭い視線を送る。


「まさか。一蓮托生に決まっているではありませんか」

「ええ?」


 彼女の意志を伝えれば、ミデイルは無垢な少年のようにキョトンと目を瞬かせた。


「旦那様はどうか存じ上げませんが、い、一応、(わたくし)、恋愛結婚のつもりで、全て覚悟してここにおりますので」

「っえ」


 刹那、息を飲む変態。


「えっ、え、ええ?」


 妻と同じく慌てて身を起こした彼は、彼女の知る限り、初めて明確な動揺を見せた。


「そんっ、そんな、いじらしいコトを言っても、ぼぼ僕は趣味は控えませんよっ」

「……まず裏を疑うのですね、ミデイル様」

「あっやっ! 違ッ!

 ぼ、僕っ、まさか、だって、この僕をそんなっ」


 ユガンデラがジト目になると、ミデイルは真っ赤な顔に弱りきった表情を浮かべて、激しく首を左右に振る。

 そんな忙しない夫へ、妻は一つ深めのため息を吐いてから、常より僅かに低めのトーンで子どもに言い聞かせるようにゆっくりと声を掛けた。


「……どうか落ち着いて下さいませ。

 確かに、旦那様は最低な変態趣味の色々と気持ちの悪い男性で、その上、卑怯で卑小で卑屈で卑劣ですけれども……同時に、真面目で誠実で努力家で穏やかで思慮深い、身分立場問わず全てに公平であられる御方です。

 趣味が高じてか観察眼が鋭く、それ故か気遣いにも長けておりますし。

 公私で言動の不快度は大幅に上下しますが、ミデイル様本来の性格が変わるわけではありません。

 婚約当初こそ(わたくし)も気持ち悪さしか存じ上げませんでしたが、それでも賢く器用な殿方が未熟な私の隣で味方として立っていてくださる事実には頼りがいや安心感を抱いておりましたし、日々交流を重ね挙式を迎える頃には、もう既に…………旦那様?」


 いつの間にか様子の変わっていた変態に気付いて、ユガンデラは彼の(そば)へ身を寄せ、丸まった背にそっと手を添える。


「泣いていらっしゃるの?」

「ゆ、ユガ、ぶえっ、おぐっ……デ、ひぐぅっ……」

「まあ」


 声量を抑えてはいるが、号泣だった。

 ミデイルは、しわくちゃに歪ませた顔面を更に自身の涙と鼻水と涎で酷く汚してしまっている。


 まともに愛された経験も、その資格もないと思い込んでいた男にとって、妻の告白は衝撃が大きすぎたのだ。


「涙する姿まで気持ちが悪いのですね、ミデイル様。

 でも、それでこそ私の旦那様ですわ」


 ふふ、と淑女らしく微笑みながら、彼女は夫の背を優しく撫でさする。

 敢えてハンカチなど布の類は渡さず、じっと彼を眺めている辺り、二人はやはり、似合いの変態夫婦だった。







「やあ、デラ。私の愛しの女神。

 今日も君の魂は慈愛の気を纏って美しく輝いているな。

 その光の恩恵に誰より近くで与れる私は世界一の幸せ者に違いない」

「……どうしましょう。

 あれ以来、旦那様が公私の公でも少し気持ち悪くなってしまわれたわ」



 結婚してよりのち、妻に対してのみ人格が激変するようになった鉄の裁判官を、周囲の者たちは大概ドン引きしながらも、愛は偉大であるとして、生暖かく見守っていたのだという。






「でも、覗きには行くんですよね」

「えぇ、はいぃ。呼吸と同じですからぁ」






 めでたし、めでたし。



※この作品は犯罪行為を推奨するものではありません。

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― 新着の感想 ―
時々読み返したくなる、癖になるお話で好きです!
[一言] 覗きの結果を犯罪に流用したり本人に告げて脅迫したりしなければ、見るだけならまぁ、ギリギリ犯罪ではなくはない…のか?な??見られてる人が知らなければ何も起こってませんからね…。 気持ち悪いのが…
[良い点] するめみたいです。(褒め言葉) [気になる点] 何度か読み返していて、くすっと笑えてきます。 [一言] 気持ち悪い中に、切なさっぽいのも感じてみたり。 本当なら、カッコいい!な場面でも、…
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