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03-39:神話殺しの大英雄

03-39:神話殺しの大英雄


 異能特務局。内閣府───新日本アルカナ皇国では円卓会と銘打つ国政運営機関直轄の異能戦力であり、公的に異能の使用を許可されたアルカナの特務機関。

 警察組織から独立した一種の治外法権であり、祖国防衛の為ならば異能犯罪者すらも条件付きで解放して戦力に加算する超法規的措置を乱用する組織。

 設立されてからたった百年の歴史しかないのだが、その影響力は絶大で、既にこの国に無くてはならない組織にまで発展。アルカナを守り、維持する……


 異能をもって空想を制す、異能戦のエリート集団。


 たった数十人の異能持ち捜査官が、空想を否定する異能者である三代目特務局長・浮舟柊真の指揮下の元日本を守る少数精鋭の組織。

 学生主導の異能部とは異なる政府直下の異能戦力。

 米国の魔法作戦機動部隊COLORS、中国の執行官に並ぶ三大異能機関───国を、世界を、星を守る為に暗躍する正義の組織。


 その特記戦力が、今。地球に警鐘を鳴らす異世界の侵攻を食い止めんと参戦する───…









「───<大車輪>」

「───<覇象羅(はしょうら)>ァ!!」


 人体など容易く轢き裂く刃物のついた巨大車輪と、破城鎚から放たれる横殴りの一振りは───拮抗することなく、巨大車輪が打ち勝ちシナスの胴を裂く。

 普通とは違う、異能によって生み出された車輪……異能特務局の捜査官、輪王紅車(りんのうくくる)の異能の武器。車輪を生み出し操作するという単純な異能だか……その力は強力無比。

 破壊の一振りなど意味を成さず、シナスは一方的に轢かれては裂かれていく。


 残虐な光景を展開させる紅車は、地面にへたり込む鶫とくるみに声をかける。


「あなたたちー、異能部の一年ちゃんですよね? 実はこっちも手一杯なんですよ。んで、ちょいちょい隙を見つけたら、手ぇ出してくれると嬉しいんですけど」

「わかったのです! あとあと、私たちを助けてくれてありがとうございます!」

「えっと……さっきは助かりましたでござる!」

「あららキャラが濃い……」


 先程までの警戒心はどこに行ったのか……鶫ですら救援に駆けつけた紅車へ素直に礼を言う。戦闘現場に似つかわしくない笑顔に、紅車は思わず鶫たちの姿を避けるよう、眩しそうに目を瞑った。

 屈強なゴブリン相手に無双できる紅車であっても、流石に年下の明るさには叶わない様子。

 二人には離れた位置で身体を休めること、隙を伺い助太刀に来ることをお願いする。二人は素直に頷いて庭園跡地から離れて、傷ついた身体の治療に取り掛かった。


 ……そのような和やかな空間が造られている最中もシナスは車輪と格闘中だった。


 会話する時も、紅車が手を指揮棒のように振るえば宙に浮かぶ大車輪は操られるがまま飛んでいく。

 まるでブーメラン、フリスビーのように飛び回る。

 何度も何度もシナスの身体に叩きつけられ、肉体を切り裂いていく車輪に……シナスは手も足も出ない。


 その無様な様子に、紅車は溜息と共に失笑を零す。


「あのー、本気出してます? 私、まだ車輪振り回してぶん殴ってるだけなんですけど」

「ッ……どうやら、認識を改める必要があるようだ」

「今更ですか? はぁー……んまぁ、その気持ちまでも否定するつもりはありませんが。この紅車、スキルも相まって弱者論争が絶えない身なんですよね〜」

「知ったことか」

「威勢がいいですね〜。そういうの、紅車は嫌いじゃないですよ」


 くるくると踊るようにその場を回り、車輪を片手でフラフープのように回す紅車。余裕綽々、何処までも神経を煽る女の言動にシナスは青筋を立てながら……それでも理性を保って、女を殺さんと武具を振るう。

 異能部との戦闘で右手を失い、更には無数の切創を身体に刻まれたシナス。

 重傷を負っても尚、その戦意が途切れる事は無い。

 格上との戦闘なんぞ慣れている。まだ、まだ、まだ己は戦えると。


 必ず、この車輪使いを───己の手で殺さんと。


 ───相対する紅車にとっては、そんなボロボロのゴブリンから向けられる殺意など……そよ風にもならないが。


「あーあ、本気になっちゃって……紅車、そんな戦闘大好き倶楽部の過激派じゃないんですけど……うん。たまには右に倣いますかぁ───…<紅輪華(あかりんげ)>」


 呆れた様子で紅車は手に握った車輪を一度壊して、新たな斬撃を再構築。花弁のように散った金属が再び巨大な輪を描き───まるで大輪の花のような車輪が顕現する。

 紅い刀身は鮮血の如く美しく、芸術品の一つとして並べられても謙遜のない、完成された作品のよう。


「……ただ装飾が派手になったわけではないな」

「はい、その通り。この紅輪華、他の車輪と比べると些か聞かん坊でして……是非ともその身で味わって、直接確かめてみてください、なっ!」

「ッ!」


 ぐるぐるぐるり。周辺の空気を巻き込んで回転する紅色の車輪は、紅車が空に掲げる右手の上に浮いて、延々と円を描き続け……

 彼女の号令と同時に、紅輪華は前進。

 破城鎚を構えるシナス目掛けて、蛇行もせず愚直に直進する大車輪。巨大質量の回転は空間を引き裂き、荒れ狂う竜巻をその場に発生させながらシナスの首を狙う。


 高速回転する紅輪華はシナスに回避の隙も与えず、正面から打ち勝つ以外の道を許さない。紅車の思惑通りに動くことに苛立ちを感じながら、シナスは冷静に破城鎚を紅輪華に激突させる。

 一瞬のみの拮抗。徐々に徐々に破城鎚は押し返され紅輪華の苛烈さに押し負けていく。


「ぬぅッ……なんだ、この車輪は……! 破城鎚が……押し負け、ッ!?」

「自動回転、とでも言うべきでしょうか。空中浮遊も搭載している上、魔力生成と循環で常に回転……延々止まることなく侵攻する。言ってしまえば制御不能、悪く言えば暴走機関車……唯一私から干渉できるのは車輪を物理的に大きくすることだけ。おっきくなれば設置面積も切断規模もド派手に増えますからねぇ〜、そう、こんなふうに」

「ガァッ!!」


 紅車は己の車輪の解説を挟み、敵に塩を送りながらわざとシナスに対応する術を考えさせる。無論、彼が解決策を見つける前に押し殺すが。

 紅車が指を弾けば紅輪華は一瞬にして車軸を含めた全ての部品が巨大化。シナスをゆうに超える巨大質量をもって、猛回転する刃が破城鎚を削り壊す。

 ガリガリガリ、と嫌な音を立てる破城鎚……

 左腕のみで迎え撃つには、些か無力。シナスは牙を剥き出しにして耐えようとするが……


「────ッァ!?」


 その時、破城鎚グラスバスターが───遥か古代、領域外の魔女が“単純に硬くて強い武器”を求めた末に造られた力の結晶が。

 呆気なく、意図も容易く。


 回転する紅い花弁によって───砕け散った。


 崩壊する岩の塊。魔法によって単純強度が鉄よりも硬かった筈の、戦鎚型の魔剣が……その役目を、千に及ぶ稼働年数に別れを告げた。

 砕けた破片がシナスを襲い、深々と刺さっていく。そして、紅輪華の勢いは未だ収まらず、止まることもなく。


 シナスの緑色の肌に亀裂が入り、赤い花を咲かせ、容赦なく切り刻み進む───!


「ガァァァァァァァァァァ───ッ!!!」


 ズタズタに切り裂かれ、深々と肉体へ食い込む……破滅を刻む車輪は、シナスの世界を木っ端微塵に切り裂いていく。

 ……だが、シナスはそこで諦めるのではなく。

 慟哭を上げながら回転する車軸に左手を伸ばし……無理矢理掴んで、その膂力をもって車輪の回転を食い止める。

 血飛沫を上げ、血肉が吹き飛び……そんな怪我など目もくれず、シナスは見事その動きを止めて見せた。


 停止した紅輪華を身体から引き剥がして、シナスは血反吐を吐き捨てる。


 皮膚も筋肉も内臓も、全てがお釈迦になった状態。


「ゼェ……ゼェ……ッ、ガハッ……」

「うわぁ、頑張りましたねぇ。紅車だったら惨すぎて絶対やりません。もぅ、見てて気分が悪くなります。ほんと、よくやりますよねぇ……諦めれば全て解決、無駄に苦しむことなく死ねたのに」

「カハッ……ナメるな。オレは、戦士だ……そう……気高きあの御方に仕える戦士……負けるわけ、には。負けるわけにはぁ……行かないのだ……ッ!」

「へぇ?」


 致命傷を負った身とは思えない速度で駆け始める。


 称賛する紅車は、血飛沫を上げながら果敢に突貫を目論むシナスに瞠目するが……すぐにニヤリと仄暗い笑みを浮かべて、両手を捧げるように前に出す。

 余裕、油断、慢心。その全てをひっくるめた嘲りを隠すこともせず、紅車はシナスの突貫に対して無防備な身体を晒す。

 死んででも忠義を果たさんとする戦士への敬意など欠片もない……


 ただそれでも、なにか思うところはあったようで。


「自殺行為。それに一体なんの意味があるんですか? ここはまっすぐ逃げて体勢を整えるべきでしょうに。理解に苦しみます……ですが、まぁ……その想いまで無碍にするのは、紅車の……“私”の矜恃に反する」

「ッ!」

「見ててあげますね。ここから、一歩も動かずに……くふっ、貴方の全てが失敗するところを!!」

「舐めるなッ……! ニンゲンの、分際でェ……!」

「あはっ♪ 底が知れますね〜!」


 相手が満足できるまで付き合おうとでも言うのか。余裕綽々の笑みで、紅車は迫り来るシナスに無防備を晒したまま。

 手負いの獣ほど恐ろしいというが……正しく、今のシナスにその言葉は当てはまるのだろう。

 死に体とは思えない速度で、彼は紅車に肉薄する。

 紅輪華を掴んで無惨にズタズタに切り裂かれた左の手を手刀の形にして、大きく振り上げる。


 紅車のツートンカラーの髪、その境い目をまっすぐ切り分けるイメージを形にしながら、シナスは絶対にこの忌まわしい敵を斬り殺さんと誓う。

 眼前に迫った、嘲りの笑いを一切隠さない紅車に、残存魔力の全てを手刀に込める。

 残る武器は己の身体のみ。よろける身体に無理矢理喝を入れ……咆哮を上げながら手刀を振り下ろす。


「<断叉裏(だんしゃり)>ィィ───ッ!!!」


 死力を注いだ手刀は、紅車の額を中心に捉え───


「───残念」


 そんな呟きが聞こえた瞬間……シナスは己の脇腹になにか小さなモノが当たった感触に気付く。加速する思考が、その物体の正体に辿り着くよりも前に……


 投げつけられた翠玉の宝石が、艶やかに煌めいた。


「なっ───」


 見覚えのある輝き。ベリルと呼ばれる六角柱の石に目を奪われる。その宝石がどんな効果を持って自身を襲ったのか覚えているが故に。

 わざと動かない紅車に向けて放った手刀は、勢いに身を任せたせいで止めることが叶わず。


「<緑柱石・尖塔ベリル・グリーンロック・タワー>───なのです!」

「その文字通り、横槍ごめんでござる」


 瓦礫から様子を伺い、治癒効果を持つ宝石で身体を治癒しながらその隙を伺っていた異能部の二人など、もう気にする余裕もなく。


 瞬く間に宝石の柱は巨大化して、シナスに方向へと指向性をもって突き出し───顔面を強打する。


「ガッ、ハッ……!?」


 その石柱に貫通力はない。ただただシナスは顔面を強く打たれただけ───

 それだけでも、意識を奪うのには十分で。

 手刀は解け、大きく仰け反るシナス。鼻血を吹いて仰向けに倒れるシナスは……寸でのところでなんとか踏みとどまり、意識を取り戻して倒れるのを阻止。

 ふらつく身体を元の体勢に戻そうと、霞んだ思考を他所に身体は無意識に動く、が……


 ───その隙を、眼前に浮く緑柱石をどかしながら眺める紅車が見逃すわけもなく。


「ナイスです。馬鹿正直に当たるつもりなんて、更々ありませんでしたし───貴方如き、わざわざ生かす意味もない」

「───」

「もう叫ぶ余裕もないようですし───閉幕、とでも行きましょうか!」


 紅車は徐に片手を空に掲げる。それは一つの合図。予め外周部に設置していた車輪を呼び戻すコマンドであった。

 魔力の軌跡に従い、新たな車輪は紅車の元へ。

 その数は───二台。それぞれ別方向から、紅車を挟むように地を駆け飛来する。


 ……否、シナスを挟むよう回転しながら飛来する。


「<轢禍二輪(れきかにりん)>───あぁ、そこの一年ちゃんたち。閲覧注意なのでお目目は塞いでくださいねー?」

「……お?」

「はい、了解でござる」

「んえ???」


 クレーターの上を駆ける二台の紅輪華は、シナスを双方から襲いかかって───容赦なくその身を挟撃。僅かに意識の残るシナスは全身を引き裂かれ、血飛沫を上げ、悲鳴も上げる間もなく身体をぐちゃぐちゃにされていく。

 その惨劇を見せんと、鶫はくるみの目を手で覆う。鶫は家業で慣れているが───まだ情緒の幼い、人の死に慣れていないくるみには重いもの。

 まだまだ見せるのは早いと判断して、鶫はくるみをトラウマ光景から守る。


「ァ、─ァ───…」


 苦痛に喘ぎながら、シナスの思考は鈍化していく。

 車輪はめり込み、肉を、骨を、神経を、切り裂いて轢き裂いて。どんどん己の肉体は壊されていく。最早助からないことは自明の理。

 死を悟ったシナスだが、なにか抗う術は無いかと、一矢報いる術は無いかと思考するが……手足を絶たれ肉体をぐちゃぐちゃにされたシナスに、もうなにかを為せる未来は無い。


 残るは悔恨。一族の務めを、戦士としてのやるべき全てを成せずに死んでいくことの申し訳なさ。自身を戦士として選んでくれた種族長への謝罪。

 涙も枯れ、嗚咽を漏らす喉も潰れ……意志を伝える手段はそこになく。


「おやすみなさい」


 トドメを刺す紅車は、絶望に沈むシナスの想いなど目もくれず……容赦なく、慈悲もなく。命を絶たんと車輪を回して───遂に、二台の車輪が重なった。


(……兄者は無事、だろうか……あァ、族長、申し訳ありません……不甲斐ない戦士で、申し、わけ……)


 もう既に片割れが死んでいることも知らず、兄弟の無事を祈って……


グシャッ!!


 そうして、シナスの意識は、二度と浮上することのない闇へと誘われた。


「……討伐完了。お疲れ様でした───お二人とも、先程のはナイス判断でした。お陰で怪我なく敵を屠れましたから」

「それはどうも……こっちも助かったでござるから。お互い様ってヤツでござる」

「あの、つぐちゃん? なんで頭固定してるんです?」

「気にしないでいいでござる」

「えー」


 青鬼の絶命を確認した紅車は、異能部を労いながら車輪を片付ける。魔力の粒子になって消えた車輪は、跡形もなく、欠片も残さず消滅した。

 ───同時に、シナスの亡骸までもが粒子となって消え始める。


 黒色の魔力粒子が、死体も遺さず天へ昇る。


「消え、た……」

「な、なんなのです?」

「……口封じの魔術、では無さそうですね……紅車も専門家じゃないのでわかりませんけど……」


 影一つなく消滅したシナスの亡骸に手を合わせる。

 本来、空想は討伐後も死体が残る……それは人語を解す解せない関係なくゴブリンも同様。魔物だって、魔族にだって肉体はある。

 紅車は、消えずに残ったトレードマークの青帽子と砕け散った破砕城の破片を、手袋を嵌めた手で拾い、取り出したジッパーの中にしまっていく。

 証拠隠滅か存在抹消か……原因不明の魔力粒子化に首を傾げながらも、紅車は鶫たちとの会話を続ける。


「考えてもわからないですねー、これは。後で専門家招致して……うん、そうしましょう。では二人とも、あっちに野戦病院的なテントが用意されてます。異能である程度は癒せたみたいですけど、念の為……負傷箇所は専門家に見せましょうね!」

「だ、大丈夫なのです」

「うむうむ」

「……ダメですよ? 行きましょうねー? ……ね?」

「だ、だいじょ……はっ、はいなのです!! くるみ、お医者さん大好きなのです!」

「圧の使い手……!?」


 紅車は圧のある笑顔で、典型的な病院嫌いの首元に容赦なく車輪を当てて脅す。かつて通院する大切さを身をもって学んだ紅車にとって、小さな傷でも病院に行かないのは到底許せないこと……

 六年前の台湾沿岸部で起きた空想の襲撃災害───スタンピードの対処に志願兵として出陣した紅車。

 自身は無傷で生還したものの、そこで見た負傷兵を懸命に救おうとする医療従事者の健闘、素晴らしさを知った。

 異能特務局にスカウトされた理由となった戦いは、紅車にとって得難い経験を手にした。


「特に魔物と……空想と戦った時、傷跡から感染症に蝕まれるなんてことは普通です。下手したら貴方たち死ですよ死。ここでさよならまた来世です」

「ひぇ……は、早く行くのです!」

「忠告感謝でござる」

「いい子たちですねー、紅車安心。はい、それじゃあ行きましょうか」

「「はーい」」


 少女二人の手を取って、紅車は庭園跡地から去る。駆けつけて来た局員たちに現場処理を任せ、テントに向かう。


「……警鐘なんて、鳴らさなくても良かったのに」


 ───最後に、シナスがいた場所を、死んだ場所を細目で見つめながら。






◆◇◆◇◆






「ん」


 異能部三年生の寡黙な大鎌使い───八十谷弥勒。

 無表情で振るった死神の鎌は飛来する無数の魔法を全て切り裂き破壊する。追加で投入された魔法も完璧に対応して、全てを両断した。

 戦場は高架下から変わり、その上にある高架橋へ。

 ───相対するゴブリンの賢老、“魔本”のヴィトは弥勒の動きに感心を浮かべながらその笑みを深める。


「ホッホッホッ。良い太刀筋ですなぁ。年甲斐もなく惚れ惚れする程です……流派などはおありで?」

「ん。ない。自己流」

「成程成程」


 称賛の拍手を送りながら、ヴィトはその手に携えた自作の魔導書のページを魔力で捲る。

 指を掴わず捲られた魔導書は黒色の魔力を放出。

 宙に魔法陣を描いて、埒外の魔法を再び連射───漆黒の業火が、不溶の絶氷が、斬撃の太刀風が、万物圧砕を誇る巨巌が、槍の如き紅雷が、腐敗の瘴気が、暴力的な程にまで高められた魔力の塊が、全てを無に帰す光輪が、世界そのものを飲み込む暗澹の闇が……

 たった一つだけの魔法陣から怒涛の如く、際限なく湧き出る魔法の数々。

 魔法の一発一発が人間も魔族も容易に屠れる代物。それら全ての魔法攻撃が、余すことなく弥勒を狙って撃ち出される。


「ん。大変」


 対して弥勒は、大鎌を巧みに振るって魔法の濁流を正確に対処していく。

 斬れるモノは斬り、斬れないモノは避ける。

 斬り裂いた炎の隙間を駆け、万力の拳で氷を砕き、斬撃の嵐を避け、岩塊を破壊する───それら全ての動きに一切の無駄はなく、的確に屠っていく。


 無論全ての魔法を捌けるわけではない。賢老の放つ魔法に幾つもの傷を刻まれながらも、弥勒は躊躇なくヴィトへ突貫───確実にその距離を詰めていく。

 魔法の濁流など恐るるに足らず。

 弥勒は持ち前の異能……ではなく、純粋且つ異常な身体能力で空を駆ける。空中の足場など用意せず……ただの脚力と、魔力放出で飛翔する。最早人の技では無いのだが、それを無意識にやってのけるのが八十谷弥勒なのである。

 そして、肉薄する死神の大鎌を前にしても、賢老は笑みを絶やさない。


「ほうほうほう───これまた厄介。魔力放出による飛行技術をモノにしているとは。人間とは思えぬ程に多彩ですねぇ」

「ん。人間舐めるな」

「これは失敬」


 浮遊魔法で弥勒からゆっくり距離を取るヴィトは、律儀に頭を下げながら謝罪。その間も魔法陣の出力を止めず、魔法合戦を継続させる。

 死神の鎌は賢老の首を狙う。狙われた小鬼の賢老は多種多様な属性の魔法で鎌の矛先を変えていく。

 ヴィトが逃げる側、弥勒が追いかける鬼側の攻防。

 魔法と斬撃が飛び交う空の交戦は、永遠に同じ形のまま続くかと思われた。


───ヴィトが、魔導書から武器を取り出した。


「!」

「このままでは単調でつまらんでしょう───それは私も望むものではありませぬ」

「……ん。鎌勝負?」


 その武器は、大振りな刃を持つ鎌の形をしていた。弥勒が持つ意匠の少ない大鎌とは違い、襤褸布を纏い髑髏を嵌めた、弥勒よりも死神然とした賢老の大鎌。

 切り裂いたモノの魂を刈り取る死の魔剣。

 所有者の魔力が高ければ高いほどその威力を高め、魂への干渉力を上昇させる武具。


 目には目を歯には歯を、大鎌には大鎌を。


 対抗するように大鎌を取り出し、近接攻撃に移ったヴィトは、子供の遊びに付き合うような気持ちで弥勒と対峙する。


 魔法使いの戦いは魔法だけにあらず。自らの教えを体現するかのように、ゴブリンの強者は鎌を薙ぐ。


「それでは継戦───参ります」

「ん。来い」


 死神と賢老の戦いは、まだ始まったばかりである。






◆◇◆◇◆






「死死シ死死死死死死死死死死死死死死死シ死死死死死死死死死死死シ死死死ィィィィ!!!」

「わかってるわよ! 執拗いわねこの連呼野郎!!」

「クハハッ、そう怒ルナ! 戦ハまだ、始まっタばかりなんだカら───ナッ!!」

「チッ!」


 荒れ果てた雑木林。倒木と切り株、めくれ上がった大地が目立つその場所に、地と空を自由に駆ける女と小鬼がいた。

 異能特務局の念力使い燕祇飛鳥と、ゴブリン戦士長ヌーブ・テクニカ。

 伝説の時代を生き抜いた元将軍は、空から飛来する数多の武器を切り払いながら地を疾走───高空から己を狙う飛鳥へ、飛ぶ斬撃を複数お見舞いする。

 無論飛鳥は軽々と避けるが、ヌーブの猛攻が止まることは無い。


「なんで届くのよ」


 苛立ちを吐く飛鳥は、鳥のように空間を飛び回って斬撃を避け続け、その刃の隙間を縫うように浮かして運んできた武器を叩き落とす。

 それは鉄板、槍、電柱、ひしゃげたガードレール。

 本来ならば廃棄物として処分されるべきそれらは、飛鳥の異能により最速最強の武器として成り立っていた。


 操られた鉄板がフリスビーのように回転しながら、駆けるヌーブの四肢を狙う。

 槍は弓矢の如く放たれ、高速で撃ち出された電柱が大地を貫く。

 ガードレールはヌーブの進路を妨害して、徹底的にその歩みを邪魔せんと立ちはだかる。


「ヌゥん!!!」


 それら全てをヌーブは切り捨て、加速する廃棄物を容易く退ける。

 双玉刀を踊るように振るい、斬撃を飛ばして壊す。

 同時に、治癒魔法の詠唱を口ずさむことでその身を蝕む火傷を治療していく。


 あくまで修復するのは火傷のみ。先の戦闘でできた切り傷は治さない。


 それは矜恃。彼にとって、刻まれた傷は戦いの証。残すべき勲章なのだから。


「凄まじイ! 対処するのでやっととは! 誇っていいぜクツロギ・アスカ!!」

「光栄ね!!」


 徐々に武器を、手駒を減らされている飛鳥だが……その顔に焦りの感情はなく。

 踊るように、滑るように、歌うように空を飛ぶ。

 時に地上スレスレを飛んで、拾った直刀でヌーブと切り結んでみたり。

 斬撃の隙間を掻い潜って、短刀を一つ忍ばせたり。

 暴力の嵐がヌーブの身体を襲い、斬撃の嵐が飛鳥を襲う。


 両者傷は浅く。決定打にならない力の応酬が続く。


「さっさと───潰れなさいッ!!」

「御免蒙る───この戦場を楽しまんでは、生きてる意味が、価値が無いだろう! そうだ、世界が変われど死ぬまで楽しむのが世の摂理……違うか!!?」

「わかりたくない概念ね!」

「ククッ、そうか? その割には……オマエも楽しんでいるように見えるがなァ!!!」

「ッ……」


 そう指摘され、飛鳥は自分の頬を抑える。知らずのうちに口角の上がった頬を戻して、高揚する闘争欲に目を瞑り……飛鳥はヌーブを否定するように叫ぶ。


「気の所為よッ───墜ちなさいッ!!」


 膨大な、暴力的な魔力の塊を青空に浸して、飛鳥は滞空する破壊の塊に合図を打つ。

 旋回していた瓦礫の山が轟音を立てて震え出す。

 飛鳥が有する膨大か魔力が浸透するアスファルトの破片は、支配者の合図で───地を目指す。


 天を覆う破壊の残滓。広域殲滅を対象とした雨霰。


 加速する暴塊。通常の落下速度よりも遥かに速く、角度を変えながらヌーブに降り注ぐ。


「空が見えんな───ム? これは……ハハッ、これは驚いた! オレの斬撃が通用せんとはな!」


 ヌーブは笑いながら地を駆け、降り注ぐ天蓋に目を見張る。

 試しに放った斬撃は、瓦礫に当たった瞬間弾かれて消えてしまった。その原理は単純なモノで、高密度の魔力で瓦礫を包んで、最硬の武器へ変貌させただけ。

 局所的に一部分の魔力を強めれば、より強化された斬撃さえも防げる岩となる。

 切れない、壊せない、防がせない。

 完全な圧死を目的とした大雨は、ヌーブに向かって容赦なく降り注ぐ。


「ッ───クハハ、これは参ったな」


 軽い気持ちで世界を断つ斬撃も放ってみたものの、飛鳥の魔力を破れない。

 ───魔王と勇者、二つの最強が無意識に垂れ流す正反対の魔力を一身に浴びた経験のある飛鳥は、本来ならば成功し得ない斬撃の無力化をやってのけた。

 強靭な肉体、強固な精神。外部からの刺激で膨張し活性化した魔力炉心。

 外付けの魔力は飛鳥本人の魔力と混ざって、彼女に破格の力を齎した。


 世界を断つ斬撃───不可能的な事象を刃に変えた斬撃すらも防ぐ、規格外の大魔力。


 その力の一端が、ヌーブを殺さんと振るわれる。


「潰れなさい」

「クハハッ!!」


 衝撃。駆ける将軍の影は岩の雨に呑まれて消えて。破壊し尽くされた雑木林が、荒れ果てた大地が魔力を帯びた岩で踏み潰される。

 積み上がる岩石、重なる天蓋。上空からその様子を眺める飛鳥は、注意深く落下地点を観察する。


 なだらかになった岩肌が、一部分だけ隆起した。


「チッ───」


 瞬時に飛鳥は異能を行使。両脇に並べていた鉄剣を加速させたまま撃ち出す。刃は地面に深々と刺さり、鍔の部分までのめり込んでいる……のだが。

 隆起する地面、ひび割れてできあがった空洞からは五体満足のヌーブが飛び出てきた。

 流血はあれど深手はなし。

 戦士長は灘らかな瓦礫の山を踏み台に、声を震わせ跳躍する。


「今のは危なかったぞ───もっと魅せろ! オレに、オマエの全てを!!」

「嫌よ」


 一足で飛鳥と同じ高さまで飛び上がったヌーブは、双玉刀を重ねて大剣に切り替えて斬撃を放つ。

 自由落下に身を任せながらの無意味な斬撃───

 そう思って軽々と回避した飛鳥は、ヌーブが取った行動に唖然とすることとなる。


「───は? あんた、飛べたの?」


 飛鳥の目に映るのは、足をトン、トンと跳ねさせて宙を蹴るヌーブの姿。


 今までは地上からちまちまと斬撃を放つだけだったゴブリンの将軍が、目の前に浮かび続けている。

 一定の頻度で足を弾ませながら。

 上下に揺れるヌーブは、愕然とする飛鳥になんて事ないように、その真実を伝える。


「これはオレのスキル───【空中蹴歩(スカイウォーク)】。空中での移動が便利になるだけで、ずっと足を動かさねぇーと墜落しちまう不便なスキルさ」

「……伝記では、模倣系って推測されてたんだけど」

「それは誤解だな。模倣は特技だ。見て当たって技を覚える。ジジイとかは天性の才覚? だとか、小難しいこと言ってたぜ」

「最悪」


 つまり、今までのは小手調べ───無論、スキルや異能を使ってからが本番とは言わないが。


「なんで使ってなかったのよ」

「特に理由はねェぜ? ただ、オマエと殺るには便利なスキルだと思っただけさ───本当は、地上から叩き落としたかったんだけどなァ?」

「そう……なら、こっからはイーブンね!」

「そういうこったァ!」


 そうして始まった空中戦。

 飛鳥にとっても、ヌーブにとっても自分の土俵……互いの斬撃を、投擲を、至近距離から浴びる攻撃郡を紙一重で回避し合う。

 どちらも致死。当たれば斬殺、当たれば落下死。

 一度でも足を止めてしまえば着地するまで空中での戦闘を再開できないヌーブと、膨大な魔力が尽きない限り浮遊できる飛鳥の第2ラウンド。


 集めた水塊による溺死工作は水中の斬撃で崩壊。


 十字に刻んだ世界を断つ斬撃は、魔力強化で強固な盾となった軽自動車に防がれる。


 引火したガソリンの爆風を煙幕に接近戦を仕掛け。


 襲撃で断線、折れて使えなくなったから引き抜いた電柱を棍棒のように振るえば、最早数えるのも馬鹿になってきた斬撃と衝突する。

 魔力で守られた電柱は簡単には切れず、拮抗するもすぐに瓦解する。


「埒が明かないわね!」


 戦闘機のように高速飛行する飛鳥は思考を回す。


(……どうする? 今のところ決定打は無い。アイツの攻撃もまだ回避できる範疇だけど、相手は神話時代の魔将軍。私が相手できてるってことは弱体化してると見て間違いない……だけれど、勝てるビジョンも全く見えない)

「厄介極まりないわね」


 廃工場から集めた鉄骨を複数周囲に侍らせ、高速で回転させて防御網を構築。轟音を鳴らす鉄の嵐の中、飛鳥は思考を巡らせる。

 無論、その最中も遠隔操作で剣で串刺しを狙うのも忘れない。


(あの昼夜灯はなにしてんのよ! 治療終わったんなら早く助太刀に来なさいよッ! ───後で減給しよ)

「余所見は感心しねぇなァ」

「ッ、不味ッ」


 いつの間にか。乱回転する鉄骨の嵐の中にヌーブが飛び込んでいて───肉薄する鉄骨を切り捨て、邪魔する物を切り払いながら接近していた。

 球体を描いた鉄骨の一部をゴリ押しで破壊して。

 轟音の渦中にいたせいで気付くのに遅れた飛鳥は、死角から飛び込むヌーブに一手遅れる。

 咄嗟に浮遊物を操作するも、全て斬られ粉微塵に。

 入ってこれやしない。そう思い上がって囲んだのが裏目に出た。

 飛鳥は脱出することも、後退することも叶わずに。


 ヌーブの斬撃が、風よりも速く飛鳥の胴体を斜めに斬り裂いた。


「ッ───! ハハッ、痛いのは久しぶり、ねっ!」

「そうか、ならばもっと刻んでやろう───傷の多い女は綺麗だぜ?」

「残念、私の趣味じゃないわ」

「そうか、残念だな」


 切られたスーツに血が滲む。傷は浅いが、あまりの激痛で額に脂汗が流れる。内心激痛に咽び泣きながらも、飛鳥は不敵な笑みを絶やさない。

 咄嗟に反ったから浅く済んだが、少しでも遅れればバッサリいかれていた。回避した未来予想図が現実にならなかったことは喜ぶべきであった。


「死合い、最っ高!!! ダーハッハッハッハッ!! 死ねぇ、クツロギ・アスカ!!」

「甘いわッ! 舐めんじゃないわよ───!!」


 踊る、躍る、踴る。空を駆ける二つの影が縦横無尽好き勝手に天空を蹂躙する。吹き荒れる魔力の嵐が、破壊されゆく残骸が空に浮かんだまま漂い続ける。

 瓦礫が飛び交い、斬撃が重なり合う。

 余人が立ち入れない死の天。一度でも踏み込めば、あっさり刻まれ、潰され、その命を啄まれる。

 両者血濡れになりながら、飛鳥は異能を、ヌーブは斬撃を、互いの攻撃を浴びせ合う。


 延々と続く空中戦。拮抗していた戦況。


 その均衡が崩れるのは必然である───戦争という地獄を堪能したヌーブとは違い、今を生きる飛鳥が、先に崩れることも。


「ッ───」

「獲ったァ!!」


 長時間の飛行、戦闘による極度の疲労。人間として切り離せない足枷が、当たり前のように飛鳥の体勢を崩す。

 その隙をヌーブが見逃すわけもなく。

 飛鳥の心臓目掛けて、鋭く研がれた致死の双剣が、吸い込まれるように───



パンッ



 どこかで聞いた拍手の音が、空間に響き渡る。


「あ? ───そうか、来たのか」


 双刀の切っ先が貫いたのは、飛鳥の身体ではなく。どこにでもありそうな、ただの木板。

 飛鳥の姿は、影も形もなく消えてしまっている。

 ヌーブは真っ二つに切り裂かれた木板を切り捨て、目的の気配を辿り───己の真下に目をやった。


「かァー、介入する隙無さすぎでしょ。俺くんだって万能じゃないんですけどー?」

「遅い」

「すんません」


 そこに居たのは、もう一人の異能特務局。異能部の先代部長でもある空間転移の異能者───朔間京平。

 負傷した火恋と涼偉の手当をしていた彼は、物陰にこっそり隠れながら戦いの行く末を観戦していた……のだが、上司が死にそうになったので慌てて救助。

 後ろで背中から地面に倒れ、ゼェゼェと荒い吐息を吐く飛鳥を介抱する。


 無論、ヌーブがそんな余裕を与えるつもりはない。


「呑気なヤツらだ───背を見せたってこたァ、是非斬ってくださいって言ってるようなもんだよなァ?」

「怒ってますよあのゴブリン」

「そうね、斬撃飛んできたわね。まぁ、意味ないわ。当たらないもの───ねぇ?」

「そですね」


 苛立ちを込めて飛ばされた斬撃を手を叩いた転移で回避した二人。急降下して直接斬りかかって来るのも軽々と転移で避けていく。

 無論、更地になった場所に物陰は少なく、ヌーブの視界にわざと入って避けている。


「小癪な……」


 煽るように手を振る京平は、ヌーブの神経を的確に逆撫でする。

 狩人の余裕を奪い、獲物は反撃を狙う。

 相手は神話の時代の大将軍。かの恐るべき死徒には遠く及ばすとも、その脅威は変わらず。人類を滅ぼす命題は未だ途切れていない。

 そんな相手と戦うのだ。多少の卑怯は許されるべきだろう。


 京平は笑う。飛鳥もまた笑う。空を駆けるヌーブに近付く二つの影を見て。


 猛る炎と強烈な風が、空飛ぶヌーブに強襲する。


「ッ!」

「───よォ、オレらのこと待っててくれたか? 噂の大将軍閣下様よォ」

「───無双の時間は終わりッスよ」


 ───自分らに意識を割いている隙を、後輩たちに穿ってもらうのだ。


 ヌーブに攻撃する少年少女、茉夏火恋と丁嵐涼偉は包帯を巻かれた腕を振るいながら、己の業火と旋風を最大威力でぶつけた。


 視線をやれば、空を飛んでいるのは涼偉で、火恋はその背に乗っている形であった。


「カハッ、クハハッ!! 意識の外を突いてくるとは! やるではないか───来いッ! 何度でも迎え撃ってくれるわ!!」

「吠え面かかせてやんよ、ゴブリン!」

「リベンジの時間ッス!」


 風を纏った獣の足───神獣ラオフェンの力で空を駆ける涼偉は、背に乗せた火恋を主砲としてヌーブに果敢に攻めていく。“世界を断つ斬撃”を間近に受けた恐怖は、まだ二人の心の底に残っているが───足を竦ませることなく、諦めて絶望することなく挑む。

 自分たちの先輩に励まされたのもあるが……二人は自力で立ち上がった。


 負けっぱなしは癪だと吠えて、抗うと決めたのだ。


「……あの子、涼偉だっけ? 空飛べたのね。なんだかアイデンティティを奪われた気分だわ」

「そんな卑下します?」

「私なんて所詮サイキッカーよ。浮かせて加速させるだけの女よ」

「あちゃー……」


 若く多彩な異能の使い手たちを眺める飛鳥が沈んだ顔を見せているのは、単純に感情の変動が激しいからに過ぎない。

 ナイーブな気分になるのが早いのだ。

 その分、立ち直るのも早いのだが……現に、ものの数秒で飛鳥は何事も無かったかのように立ち直った。


 京平はめんどくさいなこの人……と声には出さずに溜息を吐いた。


「加勢するわよ」

「はい」


 斬撃の痛みが和らいだところで、飛鳥は再び飛翔。戦場に戻って攻勢に移る。


 京平に触れ、異能で浮かせながら。


「これホント慣れない」

「気張りなさい───あの火恋って子にも付与すべきかしら」


 異能特務局の捜査官は全員飛鳥の異能による浮遊を体験することを義務付けられている。職務柄、戦闘を要求される彼らは空中からの強襲や潜入を実行する為に飛鳥の異能をその身に受けることがある。

 入社したばかりの京平も既に実践済みで、空中での戦闘を可能とさせる飛鳥には頭が上がらない。


 慣れる慣れないは別として。


「おっと危ない」

「───っ、助かりましたパイセン! ほんと便利だなそれ!」

「ありがとうッス!」

「別にいーよー」


 斬られかけた火恋と涼偉をポケットから放り投げた木片と入れ替える。交換できる物があれば必ず位置を変えられる京平は最高のサポーターである。

 そして、彼は元異能部の部長。

 ただのサポーターでは務まらない役職を、学生生活最後の一年間やり遂げた男である。


「ほいっほい、ほほほいっ!」


 鳴り響く喝采は空間に干渉して、全員の位置を常にシャッフルし続ける。

 ヌーブが斬撃を放てばその方向にヌーブを動かし。

 飛鳥が飛ばす鉄骨を回避されれば涼偉たちと位置を交換して追撃させ。


 更には。


「なっ!?」

「掴むのやめてくれません?」

「───ガッ!!?」


 なんと京平は、双玉刀アルス・ラスタと自分自身の立ち位置を交換した。ヌーブは武器ではなく京平の左腕を代わりに掴む形となる。

 自分の得物が突然消えたことに、代わりに見知らぬ人間が手元にいることに驚くヌーブ。

 咄嗟に手の力を強める───人間程度ならあっさり潰せる握力を込めるが意味はなく。


 近距離で鳴り響いた喝采が、己の代わりとばかりに爆弾を残して京平を消す。


 圧砕された爆弾はすぐさま爆発。ヌーブは再び手を失うこととなる。


「博打にも程があるんじゃない?」

「本当は殴ろうと思ったんですけどねー、思ったより反応早くて諦めました」

「だとしてもよ。自己犠牲に見えるからやめなさい。教育に悪いわ」

「勿論です」


 咎める飛鳥に本音を返して、京平は再び手を叩く。


「ところでなんだけど……」

「なによ」

「ちゃっかり使ってるの、手癖悪すぎじゃない? 相手激おこじゃね?」

「望むところよ」


 そんな飛鳥の手には双玉刀が。位置交換で墜落する双玉刀を空中で拾った飛鳥は、ちゃっかり自分の物にする為に使っていた。

 機能がわからないのか、武器の変形まではできないようだが……


 とにかく、飛鳥が双玉刀を手にしたことでヌーブの飛ぶ斬撃が放たれる余地は無くなった。


「小癪な……空間転移がここまで厄介だとは。世にはまだ知らぬ力が多いなァ……ククッ、より楽しくなってきた!」

「余所見してんじゃねぇーよ!!!」

「ぐっ?!」


 跳ね上がる闘争心に興奮の声を荒らげるヌーブは、火恋の燃える拳に何度も殴られ、時に殴り返しながら戦闘を継続する。

 休む暇もなく継戦している為か、徐々に傷を浴びる数が多くなっているが……それでも脅威は健在。

 武器を失おうとも、格闘一つで四人と渡り合う。


 奪われた双玉刀の斬撃も魔法で硬質化させた隻腕で防ぎ、取り返さんと強めに振るう。それすらも京平の拍手で無為に終わってしまうのだから、溜まったものではない。

 遥か格下の筈の人間たち。己の得意不得意を武器に果敢に攻める姿は、ヌーブに懐かしい景色を幻想させる。


 それは、異世界エーテルを滅ぼすきっかけとなった楽園戦争の終末期───


 将軍たる己を、剣一つであっさり下した女の英雄。


 確かに敵は強かった。最弱から最強となった同胞を夢見て、百年以上かけて強くなったヌーブとは違い、人間の寿命の最序盤、たった数年で強者に名を連なたあの剣士に彼は斬られた。

 将軍としての最後の仕事は、その剣士───勇者の仲間の道を数秒塞いだこと。

 自分よりも遥か格上に斬られた時。彼の心中はただ歓喜に溢れていた。模造品の己とは違う本物の、真の強者に屠られることへの感動が。数多の人間を殺めた将軍が、たった一手で滅ぼされるという驚愕が。

 満足して死ねる───そうあの時は確信した。

 僅か数秒の会敵とはいえ、真の強者に葬られた……筈だった。


 男は生きた。ヌーブは、生き残ってしまった。


 己よりも遥か短時間で唯一無二の最強に登り詰めた女剣士に斬られた時、胸を圧迫したあの歓喜は、もうどこにもない。

 戦士長となって無為に生きる時間も、彼にとっては空虚なモノで。


 いつしか、ヌーブは───戦士としての最高の死、己にとって最も幸福な最期を求めていた。


 ───そして今、ヌーブは確信する。


「お前たちだ! このオレを殺せるのは───オレを、満足させられるのは!!」


 腹に食い込む鉄骨。その痛みに悶えながらも、鬼は高らかに吠える。

 あの剣士よりは遥か格下である四人の人間。

 鈍ったとはいえ、己よりも弱い戦士たちの連携で、ヌーブが追い詰められているのもまた事実。


 魔力も突きかけ、体力も限界。肉体の全てが悲鳴を上げている。


 それでも尚戦うことは止められず───この瞬間が終わるのを惜しんでいるのも嘘ではない。


 だが、限界は限界。最後まで楽しむには───…


「これで仕舞いだッ───乗り越えてみせろ、人間の戦士たちッ!!」


 己の全てを注ぎ込んだ一撃を、最高火力の一撃を、未来ある戦士たちにぶつければいい。


 そして、それを乗り越えた者こそが───


 空虚と化した己の人生に終わりを届ける、相応しき戦士だろうから。


「そう。それが望みなのね───仕方ない。さっさと満足させて、終わりにするわよ」

「押忍ッ!」

「やってやるッスよ!」

「かー、戦闘狂って怖い。なんでそんな破滅思考に? 俺くん全然わかんないけど……やるしかないよね」


 猛る残兵を前に、異能部と特務局の四人も気合いを入れ直す。


「クハハッ、このオレが最期に使うのが、剣ではなく魔法とはなァ───《王魔の詩吟・古き燈星の導き・終わりなき混沌・血契りの崩令───…》」

「物騒な詠唱ね! 嫌なフレーズばっかりじゃない!」

「阻止は無理そうッスね!」

「仕方ないわね……あなた達、私に合わせてくれる? 最大火力でぶっ飛ばすわ」

「んー……本当はオレがやりてぇけど、纏わせた方が勝てそうだよな……押忍、お願いします姐さん!」

「あーあ張り切っちゃってまぁ……んじゃ、俺くんはいつも通りサポートに徹しますか」

「先輩、風の強さとかどーするッスか!?」

「勿論───最 大 威 力よッ!」

「「了解!」」


 空から降り、地に足をつけたヌーブは空いた左手に魔法陣を展開させる。

 七つの目のような模様が踊る、漆黒の魔法陣を。

 危険な香りしかしないその魔法に、四人は最大限の警戒をもって対抗する。


 そうして、わざわざ詠唱をする敵に倣って、飛鳥はゆっくりと丹精込めて作った“あるもの”を取り出す。


「───えっ、それッスか!?」

「マジ?」

「一点突破よ。私の魔力で固めるから、強度は大して気にしなくて平気よ」

「普通は驚くよね、うんうん」


 飛鳥が内ポケットから取り出したモノに三者三様の反応を見せる。百歩譲っても武器には見えないそれを握って、ボールのように手の上で弾ませる。

 その玩具は全員に見覚えのある……日本の古きよき伝統の証。


 小豆や数珠玉などの代わりに、ペレットと呼ばれるプラスチックのビーズを中に入れた布の玉。


「私、得意なのよ───お手玉で人体貫通させるの」

「怖っ」


 そう、それはお手玉───どこにでもある、赤色の布地に黄色い花の模様が描かれた普通のお手玉。


 酷な笑みを浮かべながら、お手玉に魔力を込める。


 死にたがりの相手は手馴れている。既に上層部から人語を解する空想の討伐許可は得ている───子供に手を汚させはしない。自分の手でやるべきだろう。

 他の場所でも───と言っても紅車しかいないが、代わりに仕留めている筈。


 死神と雷神、天使からはそっと目を背ける。


「クハハッ、そんな小さな物で───オレの魔法を、食い止められると思うなァッ!!」

「そっちこそ! 私たちの魔法を舐めないで頂戴!!」


 ヌーブの魔法陣がおぞましい光を放って、暴力的な魔力の塊を外界に弾け晒す。

 それは大魔法。彼が扱える数少ない奇跡の一つ。

 空間全体を───半径600mの範囲を消滅させる、禁忌に分類されるべき破壊の魔法。


 魔王軍の将軍全員が取得必須とされた狂儀の色彩。


「核撃魔法───<ワールド・ゼロ・クリア>ッ!」


 漆黒の奔流が空を蹂躙する。近付く者全てを等しく灰燼に帰す魔法は、術者であるヌーブさえも焼け爛れさせながら上へ上へと侵攻する。

 自傷覚悟の広域殲滅魔法。それが異能部と特務局に向けて放たれた。


「核ゥ!? 放射能とか考えてよねッ……仕方ないッ、焼かれる前に行くわよッ!!」

「はいッス!!」

「押忍!」


 眼前に迫る死に冷や汗をかきながら、飛行する為の魔力さえも全て注いだお手玉を右手に添える。右手を前に向け、左手で手首を抑え……ロケットパンチでもするようなポーズを取って、魔力を解放する。

 渦巻く魔力の奔流が、飛鳥を仰け反らせる。

 飛行能力を失った飛鳥を支える涼偉と火恋も一緒に飛びかけるが、足場のない空中で踏ん張るように衝撃を耐える。

 そんな中でも二人は異能をお手玉にかける。

 異能はイメージ。術者の想像力で全てが決まる……つまり、二人が迫る“死”を突破できるような、打ち勝てるような威力をイメージすれば、よりお手玉の力は跳ね上がる。

 そう、二人が恐れなければ。


「涼偉」

「火恋」


「「───余裕だよな?/ッスよね?」」


 ───異世界を系譜に持つ人狼の末裔と、煉獄とも言える死地から生還した炎の神子。


 そんな死を覚悟した経験のある二人に、イメージができないなんてことは、きっとないのだろう。


「全部燃やせ! 焼き尽くせ!! オレの炎がッ───昔の奴なんかに負けっかよ!!」

「神獣ラオフェンの嵐! 核なんざに負けないッス!」


 魔力の塊と化したお手玉に、灼熱の業火が纏わり、翠緑の神風が吹き荒らす。

 属性の異なる、万物を滅ぼす力が重なり合わさる。

 赤と緑の色のグラデーション。魔力の奔流が美しい色彩を描く。飛鳥が有する紫の色彩とも混ざりあい、三重奏の魔力がお手玉一つに纏わりつく。


 一人だけでは作りえない、一撃必殺最強の合体技が完成する。


「どうッスか?」

「どんなもんだ」

「───上出来よ。よくできた後輩だわ───京平、一緒に下がってなさい!!」

「了解」


 満足気に笑う飛鳥は、京平達にその場を離れさせて最後の仕上げに取り掛かる。

 もう核撃魔法は目の前。

 如何に距離があろうとも、既に身体は異常を訴えて悲鳴を上げている。どうやら爆発させるのではなく、直撃させる腹積もりらしい。

 ヌーブの思惑に飛鳥は好戦的な笑みを返して、己の手の中のお手玉に目を向ける。


 爆発的な魔力の塊。持ってるだけで逃げたくなる、破壊の権化。


 一発の砲弾と化したお手玉を、飛鳥は遂に放つ。


「穿ってやりなさい───<神話殺し(ミスキリングスター)>ッ!!」


バシュンッ────!!!


 高速で撃ち出された、伝承の魔族を殺す為の一撃。纏う炎と風は暴威だけでなく推進力にもなって砲弾を後押しする。

 空間を引き裂く轟音が空に響き渡る。対面にて笑う二人の影は、光に包まれて見えなくなっていく。


 そして───核撃魔法との直撃は、僅か一瞬。


「クッ、クハッ……! あぁ、素晴らしい。素晴らしい素晴らしい素晴らしい! なんと、なんたることだ! オレの、オレたちの魔法がッ! たかが人間三人の手で───」


 飛鳥の魔力で内外共に強化されたお手玉が、魔法の中心核を貫いて突き進む。

 貫通による崩壊も、魔力の神髄たる爆発も無意味。

 爆風に煽られ、毒素に身体を蝕まれながら……赤い目を爛々と輝かせる。


 ヌーブは最早防御の構えすらとらず……その光景に見蕩れていた。


「破られるとは!! 見ておられるか、我らが王よ! いや、見ているんだろう! 見ていないわけがない!! あの人間の魔力は、正しく───あぁ、 あぁ!!!」


 眼前に迫る破壊の一撃が、核の爆風にも気取られず直進する己の死に見惚れながら、ヌーブは叫ぶ。

 何処かにいる王に、今も見ているだろう黒き神に。


 ……ヌーブは気付いていた。

 無意識に、無自覚に。

 飛鳥の扱う魔力に既視感があることを───互いに相反する性質の魔力が、共存してその内を巡り、女を支えていることを。


 王の加護が、燕祇飛鳥に齎されていることを。


 羨ましい。妬ましい。だが、それ以上に喜ばしい。あの王が、人間になんぞ一欠片も興味のなかったあの王が、ただの人間に祝福を与えているのだから。

 それも、あの忌まわしき女の勇者と手を添えて。

 どんな心境の変化があったのか……ヌーブには推し量ることしかできないが、それでも。


 そんな寵愛の使と戦えることに、幸福を抱かずにはいられなかったのだ。


 あぁ、王よ。貴女の忠実な下僕は、偉大なる死徒の取り巻きはここにおります。

 その姿を見ることは叶わない。所詮己は死に場所を見誤った死に損ない。謁見するなど、祖王が許しても弱く愚かな己が許さない。

 だから、もし。もしも、再び王の尊顔を拝見するというのなら───


 それは、この命に幕が降りた時。選ばれたあの女に討伐された、その時である。


 存外忠誠心の高いヌーブは、黒い歓喜に震えながら両手を広げる。


「王よッ! 偉大なる我らが魔王陛下よ! この死に、この出会いに───格別の感謝を!!」


 破滅の音が目に映る。破壊の塊が、胸を貫く。


 激痛に悲鳴は上がらず。ただただ強さに恋焦がれた処女のように、ヌーブは声にならない歓喜を上げる。


 幾度目かの轟音が鳴り響く。

 背後の地面に弾丸が突き刺さり、己の胸をお手玉が貫通したことを痛覚する。


 ───己の核撃魔法は、もう霧散し始めていた。

 領域外の魔女が敵対者を蹂躙する為に研究開発した圧倒的な武力は、将軍の戦意が掻き消えると共にその存在を消していく。


 放射能汚染の心配はいらない。核と言えど、世界が代われば、魔法が加われば性質は変わる。


 否、魔女が手を施したが故の害物質の排除。


 存外後始末の楽な己の魔法が霧散していく様に目をやりながら……ヌーブは穴の空いた胸をなぞる。


 口からゴポリと音を立てて溢れ出る血は、ヌーブに死を訴える。


「クハッ、クハハッ……成程、これが死。死の色か。存外痛くないモノなのだな……」


 感慨深げに頷きながら、ヌーブは歪に笑う。


「だが、まだ動ける。動けてしまう……クハ、将軍の務めを果たせとでも言うのか?」


 致命傷を負いながらも、ヌーブは一歩前に進む。


 いつの間にか目の前にいた人間の女───偉大なる魔王の加護を、忌まわしき勇者の加護を受けし者を、この戦争の勝者を視界に収める。


 瞬間、身体の重心が崩れ、ヌーブは片膝をつく。


「よく立てるわね」

「貴様こそ……クハ、ハッ、ダメだな。もう動かん。もうひと暴れは夢見すぎたか……」


 火傷で爛れたその顔に、痛みより爽快さで彩られた飛鳥の表情に目を奪われる。


 すっきりとした顔の飛鳥に、ヌーブは笑みを返す。


「クツロギ・アスカ」

「何よ」

「───その魔剣の銘は、双玉刀、アルス・ラスタ。魔王陛下より承った武具だ」

「えっ。そんなすごいやつなの、これ」

「好きに使え。貴様に託す───オレを屠ったのだ。十全に扱えるようになれ」

「好きに言うわね……」


 持ち主を失う前に、新たらしい主をやる。

 長年付き合った魔剣に、ヌーブは新しい主を作って送り届ける。


 もしトドメを刺し切れなかった時の為に持っていた奪った魔剣に目をやる。

 それに込められた歴史に、飛鳥は知らず息を飲む。


「……はぁ、わかった。わかったわよ。こういうの、あんまり好みじゃないんだけど」


 決意を持って、飛鳥は勝者の証を腰に携える。


「貰うわ。神技のヌーブ───もし魔王に会ったら、貴方の強さは伝えておくわ」

「……クハッ、その必要は無い。だが、好きにしろ」


 己の背後にいる二つの怪物に気付いていない、否、隠されていることを知らない飛鳥にヌーブは笑って、そのまま項垂れて……


 充足感、満足感。あらゆる歓喜に心を震わせ、血を吐き出しながら……


 立ったまま、満足気に───この世を去った。


「……勝った。勝っちゃった。ふふっ、あははっ……あぁ、やったわよ、私」


 そして。飛鳥もまた笑みを浮かべ……勝利の余韻に浸りながら、意識を手離しながら倒れていく。


「───おっと、危ない危ない……お疲れ様でした、先輩。こんなんですけど、俺くん、まーた先輩のこと見直しちゃいましたよ」

「ふっ……るっさい……もっと褒めろ……」

「えぇ……すごいすごい」


 転移してきた京平が、地面にぶつかる前に支えて、無駄な怪我を防ぐ……そのまま背負って、なだらかになった地割れだらけの大地を歩く。

 文句を言いながら賞賛を求めるめんどくさい先輩を相手しながらも、京平は讃えるのを辞めない。


「ほんとすごいですよ……俺くんも、もっと頑張んなきゃなぁ」

「……充分、アンタもすごいわよ」

「あざす」


 卑下する後輩に背負われる飛鳥は、霞む意識の中、勝った喜びと飛鳥が負った怪我に心配の悲鳴を上げる声の主たちに目をやる。

 遠くから、転移先から全力で走り寄ってくる火恋と涼偉の二人を見て……あまりの慌てように苦笑して、微笑んでしまう。


 あぁ、勝てて良かった───そう静かに微笑んで、飛鳥は意識を手放した。


































「───あはっ。勝った。勝っちゃった。くふふっ、くひっ、くふふふふ……あーあ。すごいなぁ、鳥姉もすごいけど、神技もまた強し……喝采を送るよ」

「すごぃ?」

「そう。すごいんだよ」


 エーテル博物館の屋上。戦闘の余波が暴風となって襲ってくるのにも関わらず、観戦者───洞月真宵は大手を上げて喜んでいた。

 手摺に掴まらず、不安定な世界に身を投げながら。

 足にしがみつくこーねの黒髪を撫でながら、真宵は直視した同胞の死に打ち震える。


 それは決して悲壮なモノではなく───羨ましいといった感情に支配された、仄暗い歓喜であった。


「いいな、いいなぁ……羨ましいなぁ」


 義理の姉への賞賛など、もうそこにはない。


 あるのは、死を願い、死を求め、死に恋して愛してこの世とあの世の境を彷徨う魔王の羨望。

 かつての忠臣に向けた感情はあまりにもどす黒い。

 待望する死を迎えられた将軍に向けるにはあまりに不相応な黒い感情をぶつける。


 年甲斐もなく、我を貫き通した将軍に羨望の思念を送っていた。


 孤独の世界で生まれ、亀裂の入った心が泣き叫ぶ。


「……なんてジレンマだ。既存のあらゆる方法では、普通の死に方では死ねないボク。そして、勇者として与えられた剣が無ければボクを殺せないキミ。あぁ、なんて酷な世界だ。隠者の真似事をしようにも、あの聖剣が無ければキミはボクを殺せない。殺せないからボクは生きるしかない」

「まま……?」

「聖剣が見つかればキミは勇者であることを示す……勝手に反応するあの光は、キミのことが大好きだからね」


 踊るように、唄うように───カーテンフォールを告げる劇場の舞台役者のように。

 足元で心配そうに声を上げる雛鳥には目もくれず。


 真宵はただ、己が抱える矛盾を嘆く。


「見つかりたくない。知られたくない。でも、ボクが死ぬにはキミが勇者だとバレる必要がある……あぁ、あぁ……本当に、クソみたいな世界」


 視点を変えるように位置をズラして、正門の方へと憎悪を向ける。

 月に噛み付く愚か者は、命を優先して逃げ惑う。

 世界を渡った稀有な異邦人が、不可逆に抗う凡庸な質量可変者が、インターネットに依存する現代社会を陥落できる電脳の支配者が。

 そして───己を唯一滅ぼせる、神々が願った末に生まれた真の勇者が、たった一体の小鬼を追う。


 絶望した表情で青蜥蜴を急かすおバカな種族長に、真宵はがんばえーと心のない声援を送る。


 同時に、いつまで経っても獲物を殺さぬ己の同類、憎むべきである宿敵に早くしろよと叫ぶ。


 最早、この戦の趨勢などに真宵は興味がなかった。


 あるのは憎悪、羨望、恐怖……憧憬、性愛、崇拝、歪み捻れ屈折した、狂って壊れた本音の濁流。

 たった一人の人間に向けるには重すぎる感情。


 時間が経てば経つほど、未来を歩めば歩むほど……狂っていく、崩れていく彼女の自我。


 同胞の死を見て零れ落ちた本音が、留まることなく真宵の口を滑っていく。

 堰き止めていた感情の発露が、止まらない。


 不安げに己を見上げる雛鳥など、思考の片隅にすらいない。


「ヌーブは勝った。飛鳥も勝った。二人とも己の求む運命を見事もぎ取った。おめでとう、おめでとう……なら、次は誰だ?」

「死ぬのは?生きるのは?勝つのは?負けるのは?」

「───全部ボクだ。不恰好な証も瑕疵も全部纏めて平らげてやる」


 不安定な精神のまま、ふらふらと体を揺らしながら宣言する。

 破滅に向かって一直線、それがいいのだと笑う。


「あはっ」


「なにこれ。何言ってんだこいつ……これがボクだ。頭の中がおかしくなった魔王の末路」


「それでもまだ、ボクを讃えると言うのなら」


「……まだ少しは、王様気分でいてあげるよ」


 歪な宣誓。不可解な在り方───それを天に昇った同胞に、未だこの地に生きる元配下たちに向けて。

 歪んだ想いを胸に秘めたまま。心を閉ざしたまま。


「だから、早く……希望(終わり)を見せてよ」


 真宵は、また一つ……己が定める生き方を狭めた。



















































「まま、びょーき?」

「───ぇ、なに、すっっごい傷ついたんだけど……これが新手の精神攻撃ですか???」

「ぅ?」


 子は母に強し。


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[一言] 鳥姉さんと俺くんの関係良い。上司と部下だけどともに信頼してるのが伝わってくる。関係が尊い。まだ分からんけど2人の関係は恋愛に寄っててもいいし、そうじゃない関係であってもそれもまた良き。
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