01-07:血塗れた両手は誰が為に
暗い路地裏を走狗する、無数の黒い影。音もなく、気配もなく、殺意もなく対象に近づく無形たち。
心を壊された廃人たちが、標的目掛けて牙を剥く。
「はぁッ、はぁッ……くそ、くそくそくそ!! 何故、何故この私がこんな目に遭わねばならんのだ!? おい、誰か! 誰か私を助けろ!!!」
殺意なき死から逃げるは、肥満体型の一人の男。
彼は、新日本を取り仕切る政府の、その中でも最高意思決定機関と呼ばれる『円卓会』の重鎮である。
そして、裏で犯罪組織を手駒として、悪どい所業を繰り返していた極悪人でもあった。そんな政府の役人が、誰かの依頼でナニカにその命を狙われていた。
男は汚い手法で上に登り詰めた汚職政治家である。
故に、敵対者を作りやすかった。それこそ、誰の手引きなのかわからない程には。
しかし、今回だけはわかる。
彼は『方舟』に手を出した。魔都が完成した時から世界の影で暗躍する闇組織を甘く見過ぎた。
己の慢心と虚栄心が、禁忌に手を染めてしまった。
手駒の組織を使って情報を集めた。地下街の隅に、隠れるように存在する研究所があるのを知った。
知ってしまったが故に、手を出して……
今、始末すべき残党として追いかけられている。
必死に助けを呼ぶも、助太刀してくれる無知な者は既に掃除屋たちによって遠ざけられている。
逆に、彼を確実に助ける人間は、もう既にいない。
手駒である組織の連中も、何者かに襲撃を受けて、連絡一つ取れやしない。
絶体絶命、窮地の中を男は走る。
「はっ……はっ……あぐっ!!?」
経年劣化によって生じた段差により、転がり倒れてしまう男。品のいいズボンは擦れて、血が滲む。転んだ拍子に運悪く頭も打ったのか、瞼の上を血が垂れ落ちてくる。
頭痛で揺れる頭と、途絶えそうになる意識を気力で保ちながら、男は立ち上がり───絶望した。
自分を取り囲む、惣闇色の群衆を見たことで。
それは、全身を黒いローブで包んだ、人型の何某。手足には黒光りの甲冑を装着しており、顔は柄のない白い仮面で隠している。
怪しげな風貌の無影たちが、男を囲んでいる。
「あぁ、あぁ……!!? お、お前たちはぁ……!」
男は彼らを知っている。何故なら、過去に数度、彼自身も“廃人たち”に依頼を出したことがあったから。
全ての依頼を完璧にこなした、魔都の闇の象徴。
黒色の彼岸花を掲げ、死を届ける魔人たち。
それを使っていたが故に、わかってしまう。
ここで自分は、確実に始末されてしまう……と。
「あっ、ぅあっ……! ぅ、ぃひっ……!!」
必死に言葉を紡ごうとするが、恐怖のあまり譫言を呟くしかできなくなった男に、廃人たちは近付いて。
いつの間にか持っていた“処刑人の剣”でもって……
男の全身を、串刺しにした。
「あ゛ッ、ガァァァァァァァァァァァァァ!!?」
魔都の路地裏に響く断末魔。しかし、それに気付く者は誰一人としていない。
全身を襲う激痛と、流れ出る命の喪失感。その両方に苛まれながら、男の意識は堕ちていく。
標的となった骸は、血で染まる視界の中───
黒い空の下、真っ黒な女の笑う影が、見えた。
◆◇◆◇◆
魔法震災と呼ばれた大災害、異世界との接触により次元の壁を超えて襲ってきた空想生物たち。
積み重なる悲劇の中、魔都アルカナは造られた。
急拵えとも言える埋め立てや建造、三百年の歴史の影で繰り返される再建の嵐により、魔都は非常に複雑な造りとなっている。
一般人が生きる平穏な場所なら、何の問題もない。
だが、一本道をズレれば……
悪意が渦巻き混沌とした、裏社会へと変貌する。
「ドールAからD、お前たちは裏から回れ。JとRは左右から挟撃。狙撃手が撃ち漏らしたゴミを殺せ」
『……悪いな』
「うん……まぁ、殺傷能力をもっと鍛えとくんだね」
『あぁ。助言感謝する』
蓮儀の異能を浴びて尚、致命傷を受けなかった有象無象たちに廃人たちを仕向ける。
まだ若い故、撃ち漏らしはあるものだ。仕方なし。
かつて東京の象徴の一つだった電波塔を見上げて、そういや昨日あそこで死のうとして日葵に回収されたなぁとか、あそこ日葵の救助活動範囲なのかなぁとか考えながら、路地を歩くボクは命令を下す。
真横に広がる、血煙が舞う殺人現場を素通りして、入り組んだ路地を散歩する。
影越しに見える、右腕を伸ばし左手を支えに構える蓮儀からの謝罪は横に流す。
彼の手はまるで指鉄砲のような構えをしており、何も知らない者ならば何を遊んでいるのか、とほざくのだろうが……
『───【魔弾の人撃ち指】……敵幹部、射殺完了』
「了解。ご苦労さま」
伸ばされた人差し指に集まった光が、閃光となって魔都の夜空を駆け、彼の標的を撃ち殺した。
残響する発射音と、任務完了の報告を聴きながら、ボクは思案する。光弾を生成し、射出する異能───それが、蓮儀の力の異能【魔弾の人撃ち指】だ。
距離による光弾の減衰はなく、追尾性を持たせればどんなに逃げようが追いかけてくる鬼仕様。防ぐ事もできるが、初見でそれはほぼ不可能。
敵対すれば面倒不可避。懐柔して正解だった。
そんな能力を、彼はたった一つの目的の為に磨き上げている。
異常とも言える執念だが、ボクにとっては好感。
どうか目的を、復讐を叶えて欲しいものである。
……む。斬音がソワソワしてるな。後始末が面倒になるけど、仕方ない。動かすか。
トランシーバーを片手に、ボクは再び指令する。
「斬音ちゃん。そのまま好きに暴れていいよ。今日はキミの大好きな斬殺し放題、やっすい死のバーゲンセール日だからね」
『あっはぁ♡♡♡ まっかせて〜♡♡♡』
瞬間、影に接続した視界に写る斬音が、ありえない速度をもって敵組織の構成員の群れに突っ込み……
『【死閃視】───みーんな、死んじゃえ♡♡♡』
刀身が錆びついた、ロクに切れないであろう日本刀によって、有象無象を一瞬にして斬り殺す。
黒伏斬音の異能【死閃視】は、視界に入った対象を一撃の元殺せる“線”というモノが見れる。ただ、これは異能を持つ斬音だけにしか適応せず、ボクや蓮儀が言われた箇所を斬ってみても、死には至らなかった。
つまり、斬音にとって確実に斬り殺せる致命的な弱点を、相手の身体に強制的に作り出す異能である。
この異能によって、彼女は立派な殺人鬼となった。
『あはははははは♡♡♡ ほらほらほら♡♡♡ まだまだ踊れるよねぇ? 私はまだ満足してないよぉ♡♡♡』
快楽殺人鬼の狂笑を右から左に流しながら、ボクは天を仰いで、星が瞬く夜空を眺める。
あぁ、今夜も星が綺麗だなぁ……血、凄いなぁ……
益体もない思考を、頭を振るうことで霧散させる。異能により支配下にある影を使って、エリア内を走狗する部下たちと、逃げ惑う敵構成員たちを眺める。
ボクの異能【黒哭蝕絵】は、影に形を与えて操るだけの力ではない。こうして、視界とリンクさせて遠距離からその場を盗み見る事も可能なのである。
プライバシーの排除とか、余裕のよっちゃんだ。
ただ、視界を動かすと影が連動して蠢いてしまい、勘が鋭い者にはバレてしまうという欠点がある。
あ、目の前に生き残りを発見。サクッとやろう。
やった。
『おいリーダー、そっちは違う。行くな』
「あっ……ふーんなるほどね?」
『迷子可愛いねぇ♡♡♡ リードつけるぅ???』
「うるさい」
まぁ、そんなことより。どうやら最後の一人が……敵組織のスポンサーをしていた政府の重鎮が、廃人たちによって串刺しにされて絶命したようだ。
あの狸、結構ボクたちのこと下に見てたよなぁ……
まぁ、死んで当然の人間みたいな奴だし、ご愁傷さまとも言ってやらん。これぞ因果応報ってやつだ。
ボクには適応されない四字熟語だな、うんうん。
さて、これで任務達成。さっさと上に報告しよう。
「こちら〈黒彼岸〉、任務完了」
『───こちら〈疫蠍〉……悪いね、助かったよ』
「どうも。謝罪の品はクッキーが良いですよ。薬入りでも構いませんので」
『っ、ハハッ! あぁ……わかったよ』
任務達成を告げると、今回襲われた研究部門の最高責任者である幹部から応答があった。
しかし、そこまで笑うことないと思う。
おかしな事を言っている自覚はあるが。
でも、少し空元気なのか? 一瞬だけ息を呑んだ様な気がしたけど……まぁ、気にすることでもないか。
どうせ、襲撃の後始末で大変だったんだろう。
幹部との通信を切って、部隊全体との通信を繋ぐ。
……幹部とボクが本名ではなく、二つ名と部隊名で名乗りあっているのには理由がある。
まぁ、コードネームってやつだ。安直な理由。情報漏洩対策もあるけど、組織の決まりってのがデカい。方舟に認められた人間は、コードネームを与えられ、ほとんどの奴は準幹部として扱われる。
一応、ボクもコードネーム持ち。〈黒彼岸〉ね。
階級としては準幹部だ。幹部ではない。
コードネームのどれもが、組織への貢献度や己らの特徴から名付けられる。これを持つか否かでの待遇は大違い。上にのし上がりたければ、コードネームを持たねば話にならない程、この名は重要なものである。
まぁ、準幹部より上には行けないけれど。
あ、ボクのコードネームと部隊名が一緒なのには理由がある。まずボクが〈黒彼岸〉って名付けられて、その後から裏部隊そのものが『黒彼岸』って呼ばれるようになった。昔は名前なんて無かったんや。
厨二くせぇ。確かに、死ぬ筈の実験を生き抜いてるけどさぁ?
幹部は五人、準幹部はボクを含めて十数人。蓮儀はまだ拝命してないけど、扱い的にはボクと同格。
一つ気になるのは、見たことある異名があること。
それも、ボクが魔王だった時に付けたやつ。
……気にしたら負けだ。無関心無関心。魔王軍残党が率いる組織だから仕方ないとはいえ。
集まりすぎだよ。見つけやすいけどさぁ……
「さて……みんな。殺しは終わり、解散だ」
『了解。またな』
『はぁーい♡♡♡』
そのまま通信を切り、颯爽と帰宅する。
ここで返事をできない廃人たちは、死体処理や血の後始末などの残業があるが、ボクたちは関係ないのでそのまま帰る。
今回はわざわざ拠点まで行って解散などせず、このまま現地解散だ。
あぁー、疲れた。指令ばっかしてたけど疲れた。
……これ、ボクがいなくても良かったんじゃね?
普段の単独任務とかよりも数倍楽だけどさ、こんな司令塔みたいな仕事、別にボクじゃなくても……
ダメだ、まともな人間がいない。最悪だ黒彼岸。
はぁ。日葵に「やめな」って言われる度に、魅力的に感じてしまうのは仕方ないだろう。
目的と意味があるとは言え、これは無理である。
職場改善とかしっかりして欲しい。犯罪組織に何を言ってんだって話になるけど。
あーあ。いつになったらあの子は動くのかなぁ?
◆◇◆◇◆
「ただいま」
着の身着のまま、黒彼岸の制服である黒いローブを着替えずに、ボクは普通に家に帰ってきた。
迷子にならずに帰ってこれた。
家ぐらいなら普通に帰れる。帰巣本能ってやつ?
あと、今日は自殺しません。もう眠いから。
室内の灯りは全て切られており、家の中は暗闇が広がっている。
まぁ、時間も時間だ。寝てない方がおかしい。
「……あらま。今日も大変だね、おじさんは」
通知を切っていたスマホを見てみると、家主であり養父であるおじさんから、今日も帰れないという連絡が来ていた。管理職ってのも大変だね、まったく。
おやすみなさいとメールを打ち、ボクはお風呂に直行する。
任務が重なったのもあって、返り血を浴びちゃったままだからね。身も心も早くさっぱりしたい。
あと埃臭いのもね……
汚れた服をボク専用の洗濯機に突っ込んで、下着姿になってから洗面台に立って手を洗う。
石鹸を使って爪の先まで綺麗にして───気付く。
「っ! …………ふぅー、最悪だ」
まただ。
人を殺した後に、幻覚を見る。直接、間接的に手を下した関係なく、誰かの死を見た後に見てしまう。
両手が血で赤く濡れている幻覚。
……恐怖を感じるのは、おそらく一般人だった時の前々世の記憶のせいだと思われる。魔王時代は思い出してもなんてことなかったのに……日葵に再会するまでは、特に何の問題も無く血に染めれたのに……
この症状は日葵にも、友人たちにも言っていない。
もしかしたら、頭のおかしい直感で気付かれているかもしれないけど。気付かないふりをしてくれているなら、それはそれで良い。
日が、年が経つにつれて、ボクの心はどんどん弱くなっている。
理由は分からないが、精神の弱体化が進んでいる。
学院に入学してからは加速度的に悪化したと思う。
早く、どうにかしなきゃいけない……
「……はぁ。本当に、めんどくさい………」
別に、殺人に対して忌避も後悔もない。
ただ、弱かった頃の名残か、最初のボクの残滓が、痛い苦しいと無意味に叫んでいるだけ。
本当に、人生三度目なんてロクなもんじゃない。
だから、こんな身体の震えも、さっさと消えてしまえばいいのに。
魔王になっても、ボクの心は弱いまま。
本当なら、さっさと足を洗って裏社会から遠さがるべきなのはわかっている。
だが、それでも、魔王としての矜持が邪魔をする。
ボクのかつての部下が、計画を達成できるのかを、間近で見たいという気持ちがある。
結局は、ボクの我儘で続けているだけなのだ。
その結果、幻覚なんていうふざけたものを見る嵌めになっているだけで。
自分自身に嫌悪を抱きながら、視界を彩る幻紅には目を瞑り、ボクはお風呂場へと直行した。
無駄に無意味に両手をお湯で洗い、時には冷水に浸け込んで、赤色を消そうとする。しかし、幻覚は水に混じることも溶けることなく、そのまま残っている。
まるで、手そのものが赤く変色したかのように。
……さっさと寝よう。寝れば収まる、いつもの事。
雑に身体を洗い、湯に浸かる事もせず、ボクは浴室から出て身体の水滴を拭う。あと殺菌消毒。
ドライヤーと影を総動員して身支度を整える。影を操って歯も磨き、髪も梳かしてパジャマに身を包む。
そして、間髪入れずに二階の階段を上って……
友の名が書かれた扉を、何の躊躇いもなく開いた。
「すぅ……すぅ……」
「………」
寝息を立てる、かつての宿敵が眠るベッドの中に、音も立てずに潜り込む。
……決して毎日やってるわけではない。
幻覚を見た時だけだ。同衾なんて本当は嫌だけど、人の温もりというのは案外バカにできない。
だから、コイツを今日も利用する。癪に障るけど。
ただ、それだけ……それだけのことだ。
五千年の孤独の中、この子だけが、ボクに残されたたった一つの拠り所だった。
死にたくて死にたくて、死にたくて……
ボクにはキミしかいないんだと、再確認させられたあの日。
絶望の中、ボクは───私は確かに、光を見た。
───認めたくなんて、ないけれど。
「……おやすみ、ひま」
背中を向ける日葵に寄り添って、頭を背中に埋めて目を瞑る。湯から上がったばかりで暖かい身体と、鼻腔をくすぐる匂いに包まれながら、意識を飛ばす。
明日は、日葵より早く起きて、何事もなかったかのように…し、て───……
「……そーなるなら、やめればいいのに」
バカで子供っぽい親友を、少女は優しく包み込む。
寝返りを打ち、愛する友を抱き締める日葵が呟いた言葉は、安心して眠った真宵には届かない。
心が弱い、否、弱くなった魔王を勇者は温める。
優しい温もりに包まれて、少女は朝を迎える───
メンタルくそざこまおー様
(弱体化に日葵が無意識に関与しているのは秘密)




